第12話 写真の中の距離感は、もう誤魔化せない
教室の前で、三回深呼吸した。
昨日の動物園。三人で歩いた。みくが真ん中で、俺と咲の手を引っ張って。
写真も撮った。お父さんって呼ばれた。咲が「あはは」ってごまかして、全然ごまかせてなかった。キーホルダーも買った。みくに「パパにこれ!」って渡されたやつ。
やめろ。
一個ずつ思い出すな。学校に来い、意識を。
ドアを開けた。
咲と目が合った。
逸らした。向こうも逸らした。完璧なタイミングで。鏡かよ。
「……おは」「……おは」
ハモった。
「……よう」「……よう」
語尾まで揃った。
俺は何も言わずに席へ直行した。椅子を引いた。咲もノートを開いた。教室の朝がなんでもなかったように流れていく。
なんでもなくないが。
昨日、動物園行きましたが。
家族写真、撮りましたが。
一限が終わった瞬間、田中が椅子を引きずって来た。早い。嗅覚が犬。
「なあ青木」
「なんだ」
「昨日何してたとかじゃなくてさ」
腕を組む。なんか偉そうな顔してる。
「空気、変わってない? お前と藤原さん」
「変わってない」
「朝、完璧なタイミングで目逸らしてたぞ二人とも」
「……そんなことは」
「俺、廊下側の席から全部見えてた。芸術点高かった」
ニヤニヤしてる。本当に楽しそうにニヤニヤしてる。
全くいい友達だぜ。
「それで、昨日」
田中の視線がすっとカバンに落ちた。
「チーター、いつからついてんの」
俺は固まった。
そうだった。みくが「パパにこれ!」って買ってくれたやつ。昨日の帰り道、カバンに付けたやつ。完全に忘れてた。
「……ガチャガチャで出た」
「動物系のキーホルダーって」
「ガチャガチャで出た」
「どこの」
「ガチャガチャで…」
「はいはい。わかったわかった。」
田中が口元を押さえた。笑いをこらえてる顔だ。くそっ。
「藤原さんも今日、なんかバッグに可愛いやつついてなかった?」
「知らない」
「動物っぽいやつ」
「知らない」
「同じ動物園で買ってたりする?」
「……ガチャガチャで」
「もう言わなくていい」
田中がため息をついた。笑いながらため息をついた。
「いや待てよ、青木」
急に真顔になった。
「お前ら、動きが揃いすぎてたぞ今日。さっき一限中、二人同時に窓の外見てたし。ノートに書くタイミング一緒だったし。消しゴム取るときも」
「偶然だ」
「チーターときりんが偶然揃う確率と足して考えると——」
「田中」
「うん」
「その先は言わなくていい」
「自覚あるんじゃないか」
田中ってなんでこんなに感が良いんだ。まったく……。
「まあいい」田中がシャープペンシルを回す。「でも念のため言っておくけど、お前ら自分で思ってるより周りから全部見えてるからな。夫婦感、ダダ漏れ」
「夫婦じゃない」
「即答できてよかった」
そう言って田中は自分の席に戻っていった。
俺は前を向いた。
斜め前の咲の後ろ姿が、視界に入った。
バッグにきりんのキーホルダーがついていた。
チーターときりん、確かに揃ってる。
やばいなぁ。
昼休み、廊下を歩いていたら前の教室から声が聞こえた。
咲のグループだった。
聞くつもりはなかった。でも聞こえた。
「ねえそれ何、可愛い! きりん?」
「……うん」
「どこで買ったの?」
「ちょっと……外で」
「外ってどこ? なんか青木くんのカバンにチーターついてなかった?」
俺は廊下の壁に背をつけた。
ばれてる。一発でばれてる。キーホルダーに全部持っていかれた。
「えっ!?待って、セットじゃない? チーターときりんって」
「……そ、そんなことないと思う」
「思う? 思うって言った? 知らないじゃなくて?」
「…………」
咲が黙った。
「なんか最近、咲って柔らかくなったよね」
別の声だった。
「前より笑うようになったっていうか。絶対青木くん関係あるでしょ」
「……ないよ」
「ない顔してないんよ」
「してるよ」
「だからしてないって。ていうかキーホルダーがもう証拠じゃん」
「……偶然です」
「偶然できりんとチーターが同じタイミングで出てくる? 動物シリーズじゃん絶対」
また沈黙。
「咲ってば、顔赤い。可愛い〜」
「赤くない」
「めちゃくちゃ赤い」
俺はそっと壁から離れた。
聞いていいやつじゃなかった。完全に。
放課後。
アパートのドアを開けたら、みくが飛んできた。
「おかえりーー! ねえねえねえねえねえ!」
「ただいま、まずは落ち着け」
「昨日のしゃしん、もういっかいみたい!!」
咲と目が合った。
逸らした。同時に。また同時。
「……出すよ」
ソファに座った。みくがもぐりこんでくる。右から。
咲が座った。
左から。
近い。
いや、待て。これ三人でソファに座るの、初めてじゃない。
なのになんで今日は……。
あぁ〜、そうか。
昨日のことがあるからだ。昨日の動物園で肩に触れた記憶が、距離を誤魔化させてくれない。
「ここ! このしゃしん!」
みくが画面を叩く。ゾウの前で三人が並んだやつ。みくが両手で俺と咲を引っ張ってる。距離ゼロ。
全員笑ってる。
「パパ、ここ笑ってる」
みくが俺の頬をつついた。
「笑ってる」
「ああ」
「ママも笑ってる」
俺の思考が止まった。
咲の呼吸が、止まった。聞こえた。本当に止まった。
部屋の空気が固まった。
みくだけが、スマホを覗き込んで、にこにこしていた。
「……みく」
「うん?」
「咲お姉ちゃん、って呼ぶんだよ」
「えー」
みくが不思議そうな顔をした。
「でも昨日のおねえさん、ママって言ってたよ?」
「あれは……」
「似てたんじゃないかな、きっと」
咲が言った。声が微妙にかすれていた。耳が赤い。
「ふーん」
みくが全然納得していない顔でまた画面をスクロールする。
「みんな、たのしそう」
ぽつりと言った。
「……うん」
「またいきたい」
「……そうだな」
「三人で」
咲が耳たぶをそっと触った。
俺は画面を見ていた。
どこからどう見ても、家族だった。
それを嫌だと思えない自分が、一番まずかった。
みくが宿題を始めて、咲が台所に立った。
俺はソファで写真をスクロールしていた。
見なきゃいいのに、見ていた。指が止まった。咲が撮ってくれた一枚。俺とみくがゾウに向かって手を振ってるやつ。逆光がきれいで、構図が良くて。
普通に、いい写真だった。
ピロン。
咲からだった。
……いや、そこ台所だろ。
数メートル先にいるだろ。
俺は反射的に台所を見た。
咲はこっちを見なかった。フライパンを触るふりをしながら、耳だけ赤い。
『昨日の写真、送ってもらえる? 私からもみくちゃんに見せたいから』
絶対それだけじゃないだろ。
俺はスマホを見下ろしたまま、返信を打つ。
『どれ』
三秒後。
『全部』
全部。
全部って言った。
三十一枚あるぞ。
全部って、三十一枚全部?
全部ってどういう気持ちで打ったんだ。
……いや、俺も今「三十一枚」って即答できたな。なんで枚数把握してるんだ。何回見たんだ。
共有ボタンを押した。
全部送った。
台所から夕飯を作る音がした。みくが「むずかし〜」と言いながら消しゴムを使う音がした。
カバンを見た。チーターのキーホルダー。
台所の椅子を見た。咲のバッグ。きりんのキーホルダー。
今日、学校でセットだと思われた。
明日も持っていくのか。
三秒考えた。
外す気に、なれなかった。
夜。みくが眠って、咲が帰った後。
俺はまた写真を開いていた。
三十一枚。
全員笑ってる写真が、ほとんどだった。
ピロン。
『みくちゃんに見せたら「もっかいみたい!」って』
俺は一分ぐらい、返事を打てなかった。
『そうか』
既読がついた。
返信はなかった。
それだけで、なんとなく分かった。咲も今、同じような顔をしてる気がした。
スマホを置いて、天井を見た。
田中の声が戻ってくる。「夫婦感、ダダ漏れ」。
キーホルダーは、女子グループが気づき、田中は最初から見えていたんだ。
俺たちは「ただのクラスメイト」のつもりで、今もそのつもりでいる。
でも外から見たら。
もうとっくに——
やめた。
部屋が静かだった。みくの寝息だけが、奥から聞こえていた。
この静けさは、三人でいた昼間の後にしかない静けさだ。
それを、俺はもう知っていた。
読んでくださってありがとうございます!
チーターときりん。
あの日買ったちっちゃな「お揃い」が、学校でじわじわと波紋を広げていきます。
隠してるつもりなのは本人たちだけで、周りにはもうじんわりと「二人の生活」がバレてきてるみたいです。当の本人たちは必死なんですけど、端から見てると正直もう手遅れな気がします(笑)
そんな二人を、ぜひニヤニヤしながら見守ってあげてください!




