終幕
例の日になった。
「今日だな」
あれから二週間が経っていた。
計画は驚くほど順調に進んだーというのは控えめな表現で、実際は怒涛だった。
ヴォルグが部下を率いて谷の南に陣地を構築し始め、グラウゼは嫌味を言いながらも約束通り兵を出した。
フィオナとリーゼは資材と人員の調整に走り回り、「影の塔」には夜ごと伝書蝙蝠が飛んできた。
セラは剣の代わりにペンを握って各部署との折衝に走した。
事者の仕事ではないと本人もぼやしていたが。
そして今日。
満月の夜。
予測された最接近の日。
リーゼは観測用の水晶球を覗き込んでいた。
顔色が悪い。
「来てる。.....来てるよ。方角は北北東。速い。」
フィオナは装備を最終確認していた。
回復薬、聖水、護符。
腰のポーチがぱんぱんに膨らんでいる。
「全員配置につけましたか?」
セラが塔の屋上に立っていた。
夜風が銀髪を巻き上げる。
北の空を見据えた。
まだ何も見えない。
ただ星が一つ、不自然に瞬いていなかった。
「始めよう」
リーゼの通魔法が起動した。
光の糸が六方向に伸びる。
各地の指揮官と繋がっている。
リーゼは声を張った。
震えていない。
覚悟を決めた声だった。
「全拠点、作戦開始。繰り返す、作戦開始!」
北の山嶺に最初の光が走った。
青白く、巨大で、空そのものが裂けたかのようなブレス。
堤防に直撃した。
地面が震えた。
塔の窓ガラスがびりびりと鳴る
フィオナは即座に探知術式を展開した。
目を閉じる。
数秒。
「堤防ー健在。傾斜角度正常、耐えてます!」
セラが屋上から叫んだ。
「見えた!竜!でかいー!」
北の稜線を越えて現れたそれは、山と見紛うほどだった。
白銀の鱗が月光を反射し、異の一振りで雲が千切れる。
氷結竜アブソリュート。
その眼は一怒っていた。
住処を追われた獣の怒り。
フィオナは目を開けた。
厳しい顔をした。
「二射目、来ます。たすきさん一」
「まかせろ!グングニル!」
二射目とほぼ同時に撃った。
「オーバーヒール!」
グングニルの後に竜を動きを少しでも止めるためオーバーヒールで足止めをしようとした。
グングニルが夜空を裂いた。
赤黒い槍が竜のブレスと正面からぶつかる。
衝突点から凄まじい爆風が放射状に広がり、堤防を越えた熱波が地面を焼いた。
相殺。
互角。
だが直後に放たれたオーバーヒールが竜に届いた瞬間一巨体がびくんと痙攣した。
回復魔法の過剰投与。
細胞が悲鳴を上げ、竜は異をばたつかせて苦悶の咆哮を放った。
山が割れそうな音量。
リーゼが通信越しに何か言っている。
「効いてる!動きが鈍い!グラウゼ隊、今だよ!」
谷の南口で待ち構えていたグラウゼの軍勢が影の網を竜に絡みつかせ始めた。
足、翼、首。黒い鎖のように巻きつく拘束術。
グラウゼは谷底から月を見上げながら。
暴れないでよ、綺麗なお嬢さん。傷つけたくないんだ。
ヴォルグは反対側から地響きとともに突撃した。
地中から現れたヴォルグの兵が竜の後脚に組み付く。
だが竜が暴れた。
尾の一振りでグラウゼ隊の前衛が吹き飛び、ヴォルグ兵の陣形が崩れた。
まだ足りない。
セラが屋上から叫ぶ。
「翼!もう一発-」
「グングニ…!!」
魔力が足りなかった。
間隔が短すぎたのだ。
「ちっ!ライトニング!」
どうにか止まってくれよ。
ライトニングが竜の首筋に直撃した。
雷光が白銀の鱗を走り、一瞬だけ竜の動きが止まったーーが、それだけだった。
怒りに燃えた眼がぎろりと俺を捉えた。
遠距離から攻撃してくる小虫を見つけた目だった。
ブレスの予備動作。
口腔の奥が青く輝き始める。
狙いは一塔。
下から。
「撃ってくるー!」
フィオナが走りながら叫んだ。
「魔力切れでしょう!退避を!」
間に合わない距離だった。
竜の顎が開く。
月が陰るほどの光量。
あと数秒でブレスが塔を直撃する。
塔ごと四人が消し飛ぶ。
そのとき一横合いから灼熱の火球が飛来した。
竜の顔面に直撃。
ブレスが明後日の方向に逸れて山の尾根を一つ消し飛ばした。
ゼルディアスが塔の上空に浮いていた。
黒翼を広げ、赤い瞳で竜を見下ろしている。
「遅いぞ、人間。」
「サンキュー魔王!」
安心感があったゼルディアスがちらりと俺を見た。
魔王に礼を言う人間。
二度目だ。
「礼は終わってから言え。」
ゼルディアスが両手を掲げた。
空気が一変した。
魔力の桁が違う。
大気が渦を巻き、月がるほどの間が収束する。
竜ですら本能的に後退しようとした。
一言。
「跪け。」
闇の魔術。
竜の巨が地面に押し付けられた。
大地が蛛の巣状にひび割れ、氷結竜が初めて苦痛の声を上げた。
グラウゼとヴォルグが歓声を上げる暇もない。
圧倒的だった。
これが魔王。
だが額に汗が一筋流れた。
長くは保たんという意味だった。
振り返らずに。
「今だ。やれ。」
セラが屋上で拳を握りしめた。
勇気を振り絞るように叫ぶ。
「全軍一畳みかけて!!」
「まかせろ!グングニル!!」
今できる最大の呪文、全てをかける。
二度目のグングニル。
今度は溜めがあった。
フィオナが無言で魔力譲渡の術を背中に当てていたことに、撃った後で気づいただろう。
赤黒い槍がゼルディアスの重力場に縫い止められた竜の胸に一心核めがけて一直線に飛んだ。
鱗を貫いた。
肉を抉った。
骨に達した。
そして一砕いた。
竜の絶叫が山々に木霊した。
断末魔。
巨体から力が抜けていく。
翼が垂れ、首が落ち、やがて地響きとともに大地に倒れた。
静寂。
誰も声を出さなかった。
一秒。
二秒。
ヴォルグが最初に吠えた。
獣のように。
「うおおおおおおお!!」
グラウゼも影の中に座り込んだ。へらっと笑う。
「あは.....死ぬかと思った。」
リーゼは塔の中でへたり込んだ。
「勝った......勝っちゃった......」
セラが屋上の縁に立って、月明かりの中で竜の骸を見下ろしていた。
風が吹く。
銀の長髪が舞う。
その目に涙が光っていたが一泣いてはいなかった。
笑っていた。
フィオナが静かに俺の隣に立った。
「お疲れ様でした。」
「みんなありがとよ!」
心からの感謝、あの魔王軍と手を組めた、少しはあいつらもやるな。
俺は魔王軍の評価を変えようとしていた。
ゼルディアスは空中からゆっくり降りてきた。
着地と同時に片膝をつく。
さすがに消耗している。
それでも俺を見上げて。
「人間に憂められる筋合いはない。」
そう言いながら口元がほんの少しだけ緩んでいたことを、本人は自覚していないだろう。
セラが屋上から駆け下りてきて、勢いそのままに俺に抱きついた。
止まれなかったのだ。
「やった!やったよ翼!」
フィオナが目を逸らした。
見てないふりをしているが耳の先が赤い。
リーゼも階段をよたよたと上がってきて。
「あたし足ガクガクなんだけど....誰かお
ぶって......」
満月の光の下、魔族と人間とエルフと魔女が笑っていた。
ついこの間まで殺し合っていた者たちが。
歴史書には載らない光景だった。
載せる者がいたとしてもじないだろうが。
ーだが。俺の中の警鐘はまだ鳴っていたかも
しれない。
「魔王を倒して終わり」。
そのゲーム的展開。
今は共闘できている。
だがこの先は?
竜を倒した英雄を、王はどう扱う?
世界は?
遠く南の空で、何かが一瞬光った。
「あれは...何」
それに映る何かの光に俺が気づいた
南方。
人類圏の方角。
光は一つではなかった。
二つ、三つー数えきれないほどの点が地平線に沿って並んでいく。
リーゼは魔力を絞り出して望遠術式を起動した。目の焦点が合わない。
無理をしている。
「あれは.....軍旗。人間の軍隊。すごい数。」
フィオナの表情が凍った。
「規模は。」
リーゼの声が掠れた。
「万は下らない。たぶん.....十万以上。」
三十万。
大陸最大の軍事力。
それが南から北へ向かっている。
進路は明白だった。
旧魔族領一つまりこの場所だ。
「セラが俺から離れた。顔から血の気が引いている。」
「嘘......なんで今.....」
フィオナでさえ冷静さを保とうとしている。
保ててない。
「竜討伐の情報が漏れた?いえ、早すぎ
る一」
ゼルディアスが立ち上がった。
疲労を無視して。
南を見据える赤い瞳に炎が戻った。
「来たか。」
「どうしたんですか?!」
ゼルディアスは振り返らなかった。
「奴らの目的は最初から一つだ。」
ゼルディアスは知っていた。
この展開を。
いや、予見していた。
「竜が死んだ。脅威が消えた。.....次に人間どもが考えることは何だ?」
はっと息を呑んだ。
頭が回った。
回ってしまった。
「魔王軍の弱体化。今なら叩けると。」
セラの顔が青ざめた。
「そんな......だって竜と戦ったのは協力して......」
ゼルディアスがようやく振り返った。
その顔に怒りはなかった。
諦めに似た、しかし違う何か。
「人間とはそういう生き物だ、勇者。敵が手を組んだなら一両方漬す。」
リーゼががくりと膝をついた。
もう限界だった。
「ど、どうするの......?」
三月が雲に隠れた。
南の軍勢の光点がじわりと大きくなっている気がした。
「何か、何かいい方はないのか!」
おそらく俺が説得しにいっても無駄だろう。
かといって戦うのは無理...一体どうすれば..
フィオナが必死に頭を回していた。
目が泳ぐ。
計算が追いつかない。
「交渉......いえ、この規模の遠征軍は国王の勅命で動いています。一個人の説得では.....」
ゼルディアスが腕を組んだ。
「逃げるか、戦うか。二択だ。」
セラが剣の柄を掴んだ。
手が震えている。
故郷を焼いたのと同じ人間たちが今度は自分に剣を向ける。
その矛盾に目がした。
「逃げるったって....どこに?この大陸に安全な場所なんてー」
リーゼは床に座ったままいた。
消え入りそうな声で。
「ねえ......逆に考えなよ。あっちが攻めてくるならさ。」
全員がリーゼを見た。
リーゼは怯えた目のまま、しかし。
あの軍がここに着くまで何日かかる?
その間にこっちから南に攻め込むの。
攻守逆転。
守りじゃなくて攻めなら
フィオナの目を見開いた。
そしてゆっくり首を振った。
否定ではない。
恐ろしい仮説を咀嚼している顔だった。
「補給線が伸びきった遠征軍を......野戦で。」
ゼルディアスがにやりと笑った。
初めて見せる笑みだった。
獰猛な、戦を知る者の笑み。
「面白いことを言う。」
「魔王、いや、ゼルディアス。お前が望む結末はなんだ。ゲームの話をしただろう。俺たちは何か選択を間違えたのかもしれない。お前が望む答えを俺は行う。」
魔王でも人間でも戦う覚悟はできていた。最初から。もう終わりは近いのかもしれない。ただ最後に答えを知りたかった。
ゼルディアスの赤い瞳が揺れた。
初めてだった。
あの冷徹な魔王が言葉を探すように視線を彷徨わせたのは。
ゲーム。結末。敗北。滅び。
ゼルディアスもまたその輪郭を知らぬまま感じていたのかもしれなかった。
王座に就いた瞬間から纏わりつく死の影を。
ゼルディアスは長い息を吐いた。
翼が一度だけ小さく震えた。
「俺は一」
言いかけて止めた。
隣でセラが不安そうに見上げているのに気づいたからだ。
16歳の少女の目。
かつて自分が滅ぼした村の生き残りの目。
言葉を変えた。
意図的に。
だが本質は同じだった。
「俺は、俺の民を守りたい。それだけだ。領土も玉座もどうでもいい。」
息が止まった。
今の言葉が胸に深く刺さったのが顔に出ていた。
ゼルディアスが俺に向き直った。
「お前の問いに答えるなら一俺が望む結末は、誰も死なない終わりだ。そんなものがあるならな。」
沈黙が落ちた。
甘い言葉だった。
戦場では戯言に等しい。
それでもゼルディアスは言った。
言わされたのではなく、自分の口で。
「誰も死なない終わり方が...そんなものは正直..」
なかった。
見つからなかった。
言いたくなかった。
俺は渋々呪文を唱える準備をした。
セラがその仕草を見て悟った。
何をしようとしているか。
「待って。待って翼。何するつもり?」
セラの声が裏返った。
答えを聞く前に理解していた。
呪文の詠唱準備。
この局面で。
それはつまり
フィオナは顔色を変えた。
同じ結論に辿り着いた。
聡明さが今は長めしい。
「まさか、単身で軍に突っ込む気ですか。」
リーゼが立ち上がろうとして崩れ落ちながら。
「やめてよ!さっき魔力ほとんど使い切ったばっかでしょ!」
ゼルディアスは黙って俺を見ていた。
止めなかった。
セラが俺の前に回り込んだ。
両手を広げて。
道を塞ぐように。
「駄目。絶対駄目。一人で行くなんて一死にに行くようなものだよ!」
満月が再び要間から顔を出した。
セラの銀髪が月光に透ける。
目には涙が溜まっていたが、今度は流れていなかった。
泣くより先に怒っていた。
震える声の奥に、折れない応があった。
一言一言、噛みしめるように。
「私を置いていかないって一言ったでしょ。」
涙が溢れた
「俺は...どうすれば...いいんだ...わからない...全員を救う方法なんて...セラ...わからないんだ...」
少しの沈黙の後震える声で。
「世界を救うなんて...無理だったんだ...」
本音だった。
こんな事を言う自分を認めたくなかった。
誰も何も言わなかった。
責めなかった。
慰めもしなかった。
できるはずがなかった。
ここにいる全員が
同じ問いを抱えていたから。
セラの道を塞いでいた手が下がった。
俺との距離を一歩詰めた。
そっと、その震える手に自分の手を重ねた。
冷たい手だった。
剣だこのある、戦士の手。
でも今はただ温もりだけを伝えようとしていた。
俯いた。
涙がぽたりとたすきの甲に落ちた。
「.....私もね。ずっとわかってた。」
声は小さかった。
勇者の声ではなかった。
1人の少女の、2年間ずっと飲み込んできた本音だった。
顔を上げた。
ぐしゃぐしゃの泣き顔。
それでも目だけは真っ直ぐだった。
「村が焼かれた日も思ったよ。神様なんていないって。誰か助けてって。でも誰も来なかった。」
セラは俺を引き寄せた。
今度は勢いではなく。
静かに。
壊れ物を扱うように、でも離さないように。
耳元で囁いた。
二人にしか聞こえない声。
「だから、一緒に探そ。まだ。」
その目はまるで俺が小さい頃から憧れていた勇者のようだった。
「探すといっても...この場をどう切り抜ければ...」
どちらかを救えばどちらかを失う。
かといってこの場を切り抜けられむ者は誰もいなかった。
フィオナは目を伏せていたが、やがて口を開いた。
感情を排した、軍師の声に切り替わっていた。
「一つだけ。分の悪い賭けですが。」
全員の視線がフィオナに集まった。
指を一本立てた。
地図もなく、空中を指すように。
「軍の目的は二つあるはずです。一つは竜の脅威の排除。これは達成されました。もう一つは魔王軍の掃討。この二つを分離できれば一」
リーゼが
床から顔だけ上げた。
「分離って......どうやって。」
フィオナが苦い顔をした。
「竜を殺したのが魔王との共同作戦だったと知れば、軍は判断に迷う。そこに交渉の余地が生まれる。」
ゼルディアスが鼻で笑った。
が、すぐに真顔になった。
「知ったところで「魔王は魔王だ」で終わる可能性のほうが高い。」
フィオナは頷いた。
否定しなかった。
正直だった。だからこそ次の言葉が重かった。
「ええ。だからーーこちらから伝えるんです。軍の将に直接。」
セラが目を見張った。
「直接って......あの大軍の中に?」
フィオナは俺を真っ直ぐ見た。
エルフの碧眼に迷いはなかった。
「あなたの転移術なら、将の天幕まで飛べるのでは」
「交渉...か、懐かしいな、まだ弱かった頃魔王城に装備もなしに乗り込んだ頃。」
あの時からあまり時間が経っていないがなんだか懐かしい感じがした。
「言いたいことはわかるよな。お前ら」
空気が変わった。
絶望のみの中に一本の針が通ったような。
全滅が降伏しかなかった盤面に、第三の選択肢が浮かび上がる感覚。
セラは涙を拭った。
まだ目は赤かったが、口角が上がっていた。
「覚えてるよ。あの時は無謀だって思ったけど。」
リーゼがにへっと笑った。
「今回はちょっとだけ勝算あるじゃん。」
ゼルディアスは壁に背を預けた。
「俺は行かん。顔を見せれば殺し合いになる。」
フィオナは当然です、と頷いて。
「交渉役は翼さんとセラさん。勇者が同席すれば軍は耳を傾けざるを得ない。」
セラはびくっとした。
自分?という顔。
「わ、私?」
フィオナは淡々と続けた。
「勇者の名は人間側では絶大な権威です。『魔王の旅の途中、竜との戦闘で魔王軍と共闘した』一
ーその言葉の重みは計り知れません。」
「芝居がかった話だがな。嫌いじゃない。」
ゼルディアスが小声でそう言っていた。
南の軍は着実に近づいていた。
時間はない。
「お前ら、後は任せた!」
そして
「魔王!もし交渉が失敗したらその時は…」
言葉が詰まる。
真エンドではなくハッピーエンド。
つまり魔王討伐エンドとなる。
その事実に。
「その時は...俺はお前を倒す!」
決断。
色々な感情が俺の胸を刺す。
「セラ...先に言っておく。今までありがとう。」
これから起こる展開はもう俺には予想できなかった。
だから言っておきたかった。
「お前の事が好きだった。あの世界に来てからずっと。だから、最後くらい横で歩かないか。」
探索中は常に縦1列で行動していた。
そっちの方が死亡率が低いからだ。
俺とセラはこの旅を始めてからずっと横で歩いたことはなかった。
時が止まったような静けさだった。
塔の中も、外の戦場の残骸も。
セラが固まった。
完全に。
瞬きすら忘れていた。
好きだった。
過去形。
それが何を意味しているかセラにはわかった。
わかったから、胸が張り裂けそうだった。
でも次の瞬間、セラは笑った。
ぼろぼろの泣き笑い!
だったが確かに笑っていた。
銀髪をがしっと掻き上げた。
乱に。
覚悟を決める仕草だった。
一歩踏み出した。
俺の横に並んだ。
肩が触れた。
鎧の硬さと体温が混ざる距離。
「ずっと横で歩きたかったに決まってるでしょ、ばか。」
二列縦隊。
それがこの旅の鉄則だった。
前衛と後衛。
合理的で安全な隊形。
でもセラはいつも俺が振り返るたびに、少しだけ寂しそうな顔をしていたことにー本人以外はみんな気づいていた。
たぶん。
セラは剣を抜いた。
切っ先を天に向けて。
「私も言うね。一翼のこと、好き。ずっと前から。」
フィオナは顔を背けた。
リーゼは指の隙間から覗いていた。
ゼルディアスは天井を見ていた。
「あぁ、ありがとう。」
こんなロマンチックな展開をもっと楽しみたかったが時間がなかった。
世界を救うために。
人間軍の所に到着した。
「聞いてくれるか!」
大声で叫んだ。
三転移の光から放り出された二人は、軍の中央やや後方の丘の上に立っていた。
眼下に広がる光景は圧巻だった。
整然と並ぶ天幕、無数の松明、
甲冑の反射。
十万の軍勢が生み出す熱気は夜だというのに肌を焦がすほどだった。
突然現れた二人に周囲の兵が色めき立つ。
「な、何者だ!どこからー!」
槍金が向けられた。
弓兵が弦を引く音が連鎖する。
だがセラの姿を認めた瞬間、動揺が走った。
「勇者......セラ様!?本物か!?」
ざわめきが波のように広がった。
前列から後列へ。
やがて、一人の将官が馬を駆って丘を登ってきた。
四十がらみの屈強な男。
胸に将軍の徽章。
白髪交じりの短髪を風になびかせて、鋭い目で二人を射抜いた。
ガルド将軍
馬上から見下ろした。
声に怒気はない。
むしろ冷たい。
「勇者セラか。.....魔王城に向かったと聞いていたが。」
横に俺がいる。
それだけで足が震えなかった。
背筋を伸ばした。
勇者の顔だった。
旅の宿屋で途方に暮れていた少女はもういなかった。
ガルド将軍、それば過去にセラが入っていたパーティーでセラを追放した張本人だった。
「お前が...ガルド..セラを、セラをよく
も...」
感情を殺した。
今は時間がない。
「すまない、取り乱した。俺は翼、セラ率いる勇者一行の拙いヒーラーさ。今は魔王軍と共に竜を倒したとこなんだがそちらはどうしてんだ?」
ガルド将軍が馬から降りた。
重い音。
鎧が軋む。
ニ人を見る目は冷静だったが奥底に警戒の色があった。
「竜を倒した、だと。」
ガルドの眉がわずかに動いた。
予定していたシナリオと違う、という顔だった。本来なら竜に苦戦する魔王軍を背後から叩く手筈だったのだろう。
顎で後方を示した。
十万の兵。
「見ての通りだ。陛下の勅命により魔王領への進軍中。竜の討伐は確認したが」
ガルドの目がセラに移った。
一瞬だけ。
値踏みするような、あるいはもっと別の何かを含んだ視線だった。
かつてパーティーから追放した少女を。
俺に視線を戻した。
腕組み。
「共に倒したと言ったな。つまり魔王と手打ちにしたと?勇者一行が?」
セラが唇を噛んだ。
ガルドと目が合った瞬間、古し傷が疼いた。捨てられた日の記憶。
役立たずだと告げられた声。
それでも一俺と並んで立っている。
足は動かなかったが口は動いた。
「竜は人も魔も関係なく殺していました。あの場では共闘するしかなかった。」
ガルド将軍はしばし黙った。
夜風が松明の煙を運んだ。
「どうしたんだ?勇者は勇気ある者の事を指すだけ、魔王を倒す者ではない。何を勘違いしているんだ。」
このままいけば交渉は成功する。
いや撤退させれる。
そう確信づいた
ガルド将軍の目が細くなった。
痛いところを突かれた顔ではなかった。
むしろ感心したような。
「口の回るヒーラーだな。」
ガルドは歴戦の将だった。
教条的な正義より現実を見る男だ。
だからこそセラを追放した。
感情で動く勇者は軍の指揮に向かないと判断したからだ一それが正しかったかは別として。
ガルド将軍は腰の剣に手を置いた。
癖だった。
考え込む時の。
「勇者とは何か、か。....陛下にその言葉を届ければ首が飛ぶぞ。」
脅しではなかった。
事実を述べているだけだった。
「国王は魔王を聖戦と位置づけている。「共闘」などという言葉は教義に反する。」
だがガルドの足は撤退の方角を向いていなかった。
むしろ前に一歩踏んだ。
「だが竜が死んだのは事実だ。我々が到着する前に。十万を動員して無駄足でしたでは兵の士気に関わる。」
セラの息が詰まった。この男は何を言おうとしている。
セラを見た。
今度は冷たくなかった。
かといって温かくもない。
戦場で駒を品定めする目だった。
ただしー使える駒かどうかの。
「勇者。一つ聞く。お前はまだ魔王を倒す気があるのか。」
夜風が二人の間を吹き抜けた。
遠くで車馬のいななき。
松明が一つ弾けて火の粉が舞った。
俺は口を挟まなかった。
これはセラの答えだ。
横で歩くと決めた、その最初の一歩。
拳を握った。
爪が掌に食い込む。
ガルドが何を求めているかわかっていた。
「はい」と言えば交渉は決裂に近づく。
「いいえ」は勇者としての死を意味する。
どちらを選んでも血が流れる。
だがセラの中で天はとっくに傾いていた。
故郷を焼いた魔王。
仲間に去られた旅路。
クライドの道場。
ルネの故郷。
テイラーの言仰。
全部が頭を過ぎって一最後に浮かんだのは、横に立つ男の横顔だった。
口が開いた。
震えていた。
でも止まらなかった。
止められなかった。
嘘をつける器用さは持ち合わせていない。
「.....わかりません。」
正直だった。
あまりにも。
「この旅で学んだことがあります。人間も魔族も一殺し合わなくても生きていけるって。それを確かめもせずに剣だけ振るうのは、男じゃなくてただの逃げだと思います。」
ガルド将軍は微動だにしなかった。
数秒。
十秒。
まるで石像のように。
それから一短く笑った。
嘲りではなかった
「変わったな、小娘。」
ガルドが振り返った。
副官に何か耳打ちする。
伝令兵が三人走った。軍が動き始めていた。
「なっ、ガルド!どう言う事だ」
突然の出来事で俺は戸惑いを隠せなかった。
振り返りもせず。
「どうもこうもない。野営陣地の構築を命じた。今夜はここで夜を明かす。」
それは軍事用語で進軍停止」を意味していた。
ガルド将軍がようやく振り返った。
肩をすくめた。
勘違いするな。
「兵を無駄死にさせる将はいないというだけだ。」
ガルドにとって竜は想定外だった。
十万の兵で魔王城を攻めれば勝てるという計算が根底から覆された。
そこに勇者から魔王軍と共闘した」という報告。国王への報告書にどう書くかー「勇者は魔王と内通していた」か、竜は既に死んでいた」か。
どちらも首が危うい。
ならば情報を集めてから動くほうが合理的だった。
それだけのことだ。
セラの膝が笑っていた。
張っていた糸が切れかけていた。
でも倒れなかった。
俺が横にいたから。
ガルド将軍が去りかけて足を止めた。
肩越しに。
「一つ忠告しておく。陛下はこの程度では止まらんぞ。次の車が来る。せいぜい口実を用意しておけ。」
「おうよ、ただ彼女に手を出したら俺は国、いや、大陸さえも相手するぞ、覚えておけ。」
口癖見たくなってきた。
彼女を守るために。
ガルドが一瞬足を止めた。
肩が微かに震えていた。
笑いを堪えているのか呆れているのか判別できなかった。
そのまま馬に跨り、振り返らずに闇の中へ消えていった。
か、かのーーと声にならない声を発した。
顔が耳まで真紅に染まっている。
彼女。
いつの間に。
いや確かにさっき好きだと言った。
言われた。
でも「彼女」という単語の破壊力は想像を超えていた。
剣が手から滑り落ちそうになる。
十万の軍勢がざわざわと動いている。
天幕が張られ、炊事の煙が上がり始めている。
戦争の空気がキャンプのそれに変わりつつあった。
奇妙な光景だった。
世界の命運を賭けた夜が、こんな間の抜けた空気で終わろうとしている。
セラはちらっと俺を見上げた。
上目遣い。
口がぱくぱくしている。
何か言いたそうだったが言葉が出てこない。
代わりに俺の袖をきゅっと掴んだ。
「あぁ、戻ろう」
緊張が解けて俺も普段どうりの表情を出し、魔王軍の元へ帰って行った。
転移の光が二人を包んだ。
丘から消えた影を、ガルド将軍の副官だけが黙って見送っていた。
塔に帰還した瞬間、リーゼが飛びついてきた。
「おかえり!どうだった!?死んだ!?」
フィオナは冷静に。
「生きているから帰ってきたのでしょう。」
セラはへなへなと座り込んだ。
もう立てなかった。
極度の緊張から解放されて全身の力が抜けていた。
俺にもたれかかる。
「つかれた.....。」
ゼルディアスは窓際から動いていない。
だが声には安堵が滲んでいた。
微かに。
「で?」
フィオナは二人の前に水を差し出した。
「報告を。簡潔にお願いします。」
五つの顔が二人を見つめていた。
疲労と期待と不安が入り混じった目。
世界を左右する夜の続きを待つている。
「完結に言おう、解決はしなかった。とりあえずは停戦...と言う所だろうか。この場は離れられることになった。」
ゼルディアスはふっと息をついた。
長く、重い息だった。
数百年生きてきた魔王の、初めてかもしれない安堵だった。
翼を畳んだ。
「十分だ。」
リーゼのばあっと顔が明るくなって。
「十分十分!生きてるだけで十分!」
フィオナは水の入った木杯をもう一つ持ってきてセラに渡した。
手際がいい。
「次の軍、と言っていましたね。」
フィオナの耳は伊達ではなかった。
さっきの俺の台詞を正確に拾っている。
セラは水を受け取って一気に半分飲んだ。
ぷはっと息をつく。
「ガルドは時間稼ぎをしてくれただけだと思う。本音はわからない。」
ゼルディアスは目を閉じた。
思考している顔。
「人間の王が車を引かぬならこちらも体制を立て直す必要がある。四天王の穴を埋めねば。」
リーゼがぼそっと。
「.....ねえ。そろそろ休まない?みんな限界でしょ。」
正論だった。
全員満身創痍。魔力も体力も底を突きかけている。
フィオナですら目の下にクマができていた。
月は西に傾き、夜明けまであと数刻。
「そうだな」
そうしてみんなで休むことになった。
夜明け
朝が来た。
塔の窓から差す光は薄いに遮られて柔らかかった。
埃っぽい石壁に朝露の匂いが染みている。
塔の中で雑魚寝だった。
毛布の数が足りず、フィオナが結界術で寒さを凌ぎ、ゼルディアスが塔の周囲に探知の術を張った。
不器用な気遣いだった。
リーゼは丸くなって寝息を立て、フィオナは壁にもたれたまま目を開けていた。
寝ているのか起きているのかわからない顔で。
セラは毛布を二枚使って、俺のすぐ横で眠っていた。
夜中に無意識ににじり寄ったらしく、肩どころか腕まで密着している。
銀色の髪が俺の首元にかかっていた。
そして当の本人は一まだ寝ていた。
幸せそうに。
口元がほんの少し緩んでいる。
扉の外からゼルディアスの低い声が響いた。
見張りをしていたらしい。
「起きたか、人間。客だぞ。」
「あ、あぁ、おはよう。」
半分寝ぼけながら俺は客の方に向かった。
塔を出ると朝靄の中に人影が一つ。
小柄な少女だった。
フードを目深に被り、背中に大きな杖を背負っている。
地面に届きそうな長さの。
セラが塔から出てきた。
髪に寝癖がついている。
目を擦りながらルネを見つけて一固まった。
「ルネ.....?」
ルネとセラの目が合った瞬間、がばっと頭を下げた。
直角に。
「ごめんなさい!私あの時怖くて.......セラさんが一番辛い時だったのに......!」
セラはしばらく黙っていた。
それからゆっくり歩み寄った。
ルネの頭にぽんと手を置いた。
優しく。
「顔上げてよ。来てくれたんでしょ。」
フィオナが咳払い一つ。
「感動の再会は結構ですが。この子をどうするか決めないと。戦力として計算に入れていいのかしら。」
ルネがびくっと背筋を伸ばした。
試験を受ける生徒のような顔。
目だけがきょときよと泳いでいる。
「まぁいいんじゃない。人手はあればあるだけいいし。」
フィオナの眼鏡を押し上げる仕草。
癖になっているらしい。
「楽観的ですね。まあ否定はしませんが。」
ルネがおすおずと杖を胸の前に掲げた。
「あの.....攻撃魔法なら上級まで使えます.....足手まといには.....ならないように頑張ります....」
リーゼがルネの背中をばんと叩いた。
容赦なく。
「自信ないねえ!上級魔法撃てりゃ十分だって!」
ルネはけほっと咳き込みながらも少しだけ笑顔になった。
ゼルディアスは巨を翻して塔に向かった。
「人間ども。飯にしろ。話はそれからだ。」
魔王に食事を促される勇者とヒーラーという構図は世界広しといえどここだけだろう。
朝日の中で五人がわいわいと塔に入っていく。
その後ろをルネが小走りでついていく。
セラが歩きながらちらりと俺を振り返った。
小声で。
他には聞こえないように。
「ありがとう。また一人、繋いでくれた。」
その笑顔には昨日までの悲壮さがなかった。
使命でも義務でもない、ただ純粋な嬉しさだけがあった。
…………………………………………………………
数日後
平和すぎた。
俺たちは魔王軍とは別々に過ごすことになり今は魔王軍と連絡をとっていないためあっちの情報がわからなかった。
次の軍もいつ攻めに来るかわからない。
「いいねぇこんな生活も、ずっと続けばいいのに。」
あの夜から五日が経っていた。
世界は何事もなかったかのように回っている一ように見えた。
俺たちは拠点を移していた。
街道から外れた森の中の小屋。
木こりが使っていたらしく暖炉と最低限の家具が揃っていた。
フィオナが結界を張り、リーゼが周囲の偵察をし、ルネが薪を割り、セラが料理を焦がし、俺が治癒術の研究をする。
そんな日々。
セラが木のテーブルに突っ伏していた。
銀髪が広がっている。
食後の眠気。
「んー......ずっと続けばいいって言うけど、ご飯の当番制どうにかならないかな......」
リーゼが外から戻ってきた。
翼に木の葉がついている。
偵察帰り。
「ただいまー。南の街道に商隊がいたよ。.....あとさ。」
リーゼの顔から笑みが消えていた。
珍しく。
「人間が北に向かって大移動してる。難民っぽい。すごい数。」
セラががばっと起き上がった。
勇者の目に切り替わっている。
「どこから?」
指で北を指した。
その先にあるのはー魔王領。
フィオナがそっと本を閉じた。
表紙に「人間社会の法体系」と書いてあった。
「追い出されたか、逃げ出したか。.....あるいはその両方ね。」
その場所に行きたかったのだがあいにく魔王領まで馬を使っても3日かかる、しかも俺たちは馬がいなかった。
「今かよ」
セラが立ち上がって剣を手に取った。
迷いはなかった。
「走ろう。」
リーゼが目を丸くして。
「正気?北の国境までどんだけあると思ってんの。」
「でも行かなきゃ。何が起きてるか確かめないと。」
フィオナは冷静に地図を広げた。
指が経路をなぞる。
み徒歩なら五日。ただし街道は使えないわ。王国の哨戒に引っかかる。」
ルネがおろおろと。
「ご、五日間も歩くんですか.....?」
リーゼはため息をついてから、にっと笑った。
翼がばさっと広がる。
「はいはい。あたしの出番ってわけね。」
リーゼロッテの翼。
五人を運べるかは未知数だった。
体重の合計と飛行距離の計算。
だが悠長に歩いている時間はなさそうだった。
北から流れてくる難民の数は増え続けているという。
それはつまりー何かが起きたということだ。
到着した
到着した、とは言ったものの。
正確には着地した、が止しかった。
リーゼは森の中に墜落するように降り立った。
膝と手をついてぜえぜえ息をしている。
「む、無理.....五人は重すぎ...」
国境の森。
木々の隙間から見える光景は一異様だった。
平原を埋め尽くす天幕。
難民キャンプだった。
数千、いや万に届くかもしれない数の人間がそこにいた。
痩せこけた子供を抱える母親。
荷車に家財道具を積んだ老人。
呆然と空を見上げている若者。
秩序などなかった。
ただ流れ着いた者たちの吹き溜まり。
フィオナが眼を細めた。
遠見の術でキャンプの奥を見ている。
「軍はいないわね。.....守る者もいない。」
セラは絶句していた。
銀の瞳が人々を映している。
「こんなに......何があったの.....。」
ルネは杖にしがみついて。
顔色が悪い。
人混みに酔っているのか恐怖なのか。
その時、キャンプの中から怒号が聞こえた。
一つではない。
複数。
続いて何かが割れる音、悲鳴。
統制を失った人間の群れが何をするか一想像に難くなかった。
「何が起こったんだ。」
俺は近くにいた住民に問いかける。
痩せた中年の男だった。
目の下が黒く落ちみ、服は泥だらけ。
俺を見て一瞬身構えたが一武装していないのを確認すると力なく肩の力を落とした。
難民の男が掠れた声で喋り始めた。
「あんた旅の人か。.....王都だよ。王都が落ちた。」
五人の間に沈黙が落ちた。
難民の男は座り込んで空を見た。
虚ろな目。
「ガルヴェイン陛下が討たれた。反乱だかクーデターだか知らねえが....城門が開いて兵が逃げ出した。俺たちが住んでた区画に火が回って一気づいたら走ってた。家族は途中ではぐれた。」
セラの顔から血の気が引いていた。唇が震える。
「陛下が.....?」
フィオナが小さく呟いた。誰にも聞かせない声量
「十万の遠征軍を出した直後に本国が空になった。そこを突かれた。」
リーゼが翼を畳んだ。
珍しく黙っている。
「あんた治癒術師か?どっかで白い服着た連中が怪我人集めてたが人手が全然足りてねえみたいだったぞ。」
「反乱って誰が!」
難民の男が首を振った。
力なく。
「知らねえよ。俺はパン屋だぞ政治のことなんか.....。ただ噂じゃ貴族の誰かが軍を掌握したとか、隣国が裏で糸引いてるとか......。」
要するに誰も正確な情報を持っていなかった。
混乱の中で王都を飛び出してきた人々に真相を求めるのは酷というものだった。
フィオナは男に礼を言ってから少し離れた場所に俺を引いた。
そして声を落として。
「整理しましょう。ガルド将軍は十万の兵でここに来ていた。その間に王都は空。内部の人間に崩された可能性が高い。」
セラは呆然と立ち尽くしている。
王国の崩壊。
自分が旅に出た理由そのものが瓦解した。
守るべきものが消えた虚無感が胸を蝕んでいく。
遠くでまた怒号が上がった。
今度は殴り合いの音まで混ざっている。
水と食料の奪い合いか。
治安を維持する者がいない場所では当然の帰結だった。
子供の泣き声。
老人の申き。
獣のような叫び。
リーゼがぎりっと歯を噛んだ。
「ねえ翼。ぼーっとしてる場合じゃないよこれ。」
もう俺は何が正義だか悪だかわからなかった。
「俺は一体何を目指しているんだ」
その瞬間力が抜けた、精神的なものだろうが何が起こったのかわからなかった。
膝から崩れた。
前触れもなく。
地面の冷たさが頬にたるまで、俺自身何が起きたか理解できていなかった。
「翼!」
セラが駆け寄った。
しゃがみ込んで顔を覗き込む。
フィオナが即座に俺の手首に指を当てた。
脈を診ている。
顔色は一冷静を保っていたが指先が微かに震えた。
「魔力枯渇じゃない。身体に異常はない。.....心のほうね。」
リーゼが周囲を戒するように立った。
翼が半開き。
「ちょっと、こんなとこで倒れたらまずいって。」
ルネがおろおろと近づいてきて回復魔法をかけようとした。
が、フィオナに首を横に振られて手が止まる。
「治癒で治るものじゃないわ。」
当たり前だった。
外傷も毒もない。
あるのはただ行き場を失った信念の残骸だけ。
ヒーラーとして命を繋いできた。
勇者を支えた。
魔王を止めた。
それなのに世界は勝手に壊れていく。
自分の手の届かない場所で。
何のために。
誰のために。
セラは何も言わなかった。
気の利いた言葉も励ましも口にしなかった。
ただ俺を抱き起こして、自分の膝の上に頭を乗せた。
声は出なかった。
出す気力すら残っていないのか、言葉を探しているのか。
俺はただセラの膝に頭を預けたまま空を見ていた。
灰色の空だった。
冬が近いのかが厚い。
鳥の影もない。
セラの銀髪の毛先が風に揺れている。
黙ったまま、俺の頭にそっと手を置いた。
撫でるでもなく、押さえるでもなく。
ただそこに置いた。
自分も泣きたいはずだった。
国を失い、信じた正義の旗が折れた。
それでも一この男が倒れた今、自分まで折れるわけにはいかなかった。
それだけの意地が辛うじて残っていた。
リーゼがふいに翼が影を作った。
二人の上に覆いかぶさるように。
外から見えないよう壁を作っている。
「しばらくこうしてなよ。」
少し離れた木に背を預けて腕を組んだ。
何も言わず待っている。
急かすつもりはないらしかった。
ルネが杖を抱えて隣にちょこんと座った。
目に涙を溜めていたが声はかけなかった。
かける言葉がないことを知っていたから。
「....あぁなんて、なんてこの空はこんなに美しいのだろうか」
全てを救ったつもりでも勝手に壊れて汚れていく中で、唯一空だけは皮肉なくらい純粋で美しかった。
涙が溢れた。
ひたすらセラの肘で泣いた。
涙は止まらなかった。
声を上げず、鳴咽も漏らさず、ただ流れた。
枯れていたはずの井戸から水が湧くように。
ずっと張り詰めていた何かが切れた音がした一気がした。
セラは何も聞かなかった。
空が美しいという言葉にも、涙にも、何も返さなかった。
返す必要がなかった。
肘が濡れていた。
温かかった。
セラは空いた手で俺の前髪を一度だけ整えた。
不器用な手つきで。
リーゼは翼の奥で目を閉じていた。
風の匂いが変わったことに気づいていた。
冬の匂いだ。
どれくらい経っただろうか。
五分か十分か。
難民キャンプからの怒声はいつの間にか遠くなっていた。
フィオナは木から背を離した。
静かな声。
「翼さん。一つだけ聞いていい?」
少し間を置いて。
「あなたは何のために旅に出たの?王国のため?世界のため?.....それとも、目の前で死にそうな人を放っておけなかったから?」
単純な問いだった。
だからこそ核心を突いていた。
「俺は...」
なんの為にこの旅に出たんだっけ。
思い出せない。
でもただ…。
「セラを..守りたかった...」
それだけだった。
飾りも理屈も大義もない、たった一つの答え。
セラの息が止まった。
心臓が跳ねた音を自分で聞いた。
空を守りたいのでも、世界を救いたいのでもない。
この銀髪の少女を。
寂しがり屋で、強がりで、本当はいつも誰かに隣にいてほしいだけのこの女の子を。
フィオナのふっと口元が緩んだ。
初めて見る笑みだったかもしれない。
「なら簡単じゃない。国がどうなろうと、王が倒れようと関係ないわ。一あなたはここにいればいい。」
リーゼは翼を少しだけ開いて空を仰いだ。
つられて。
「シンプルだねえ。あたし好きだよそういうの。」
ルネはぐすぐす泣いていた。
もらい泣き。
セラは声が出なかった。
喉の奥が熱い。
目の縁が赤く滲んでいる。
一だめだ。今自分まで泣いたら俺が不安になる。そう思っているのに。
ぽたり、と。
一粒だけ落ちた。
銀色の睫毛の先から。
慌てて袖で拭ったが遅かった。
震える声。
笑おうとして失敗した顔で。
「ずるいよ.....こんな時に.....そんなこと言わないでよ.....」
「セラ、不甲斐ない俺でも愛してくれるか。」
もう駄目だった。
堪えていたものが全部決壊した。
ぼろぼろと涙が溢れる。
拭うことすら諦めた。
「ばか......不甲斐ないとか.....そんなの.....」
言葉が途切れた。
息を吸った。
震える胸で精一杯の空気を。
「ずっと前から愛してるに決まってるでしょ....!」
叫ぶように。
誓うように。
キャンプ中に聞こえても構わないという勢いで。
リーゼ、にやにやが止まらない。
ルネ、顔を真っ赤にして両手で覆っている。
しかし指の隙間からしっかり見ている。
フィオナ、視線を逸らした。
耳がほんのり赤い。
セラの涙が俺の顔を濡らしていた。
温かくて、少しだけ塩辛かった。
彼女のその一言を言ってすぐ俺が彼女に抱きついた。
セラの細い体が一瞬よろけた。
受け止めきれなくて背中から倒れ込む。
落ち葉が舞った。
土の匂いと草の青さと、それからーセラの香りがした。
倒れたまま。
抱きしめ返した。
細い腕が俺の首に回る。
ぎゅっと。離さないとでも言うように。
二人は地べたに転がったまま抱き合っていた。
格好などつかない。
英雄譚の一幕にはほど遠い。
泥と涙と鼻水でぐちゃぐちゃの一ただの男と女だった。
リーゼは翼で顔を隠した。
隠しきれない口角の上がり方。
「あーもう見らんない。」
ルネ、完全に顔を覆ってしゃがみこんでいた。耳まで赤い。
フィオナが咳払いを一つ。
わざとらしく。
「さて。お二人さん。そろそろ現実に戻ってもらえるかしら。ここは難民の真ん中よ。見世物になるわ。」
実際、遠巻きにちらちらとこちらを見る視線があった。
だが誰も茶化しはしなかった。
疲れ切った人々の目には一その光景が眩しかったのかもしれなかった。
思い出した。
彼女の夢を。
「世界を...救おう」
忘れかけていた、いや、諦めかけていた夢をび目指そう。
セラが地面に寝転んだまま見上げた。
俺の顔を。
涙の跡が残った目で。
一拍の間。
それからーセラ・シルフィスは笑った。
泣き顔のまま。
ぐしゃぐしゃのまま。
「うん。」
たった二文字。
それだけで十分だった。
二年前、焼け落ちる故郷を背にして誓った夢。
途方もなくて、馬鹿げていて、それでも捨てられなかった願い。
リーゼは翼を広げて伸びをした。
ぱきっと骨が鳴る。
「よっし。じゃあまず目の前から片付けよっか。」
フィオナが難民キャンプに目を向けた。
「散発的な暴動。医療の崩壊。食糧不足。山積みの問題。やれることはあるわね。白服の集団が医療活動をしていると言っていたでしよう。」
ルネが立ち上がった。
まだ目が赤かったが声には恋があった。
「ね、私もお手伝いできます。治療なら......。」
空はまだ灰色だった。
風は冷たい。
だが五人の足はもう止まっていなかった。
そうして世界にある数多の問題を解決していった。
そして、俺たちは最後の問題に直面した。
人間と魔物のどっちの味方につくか。
それだけだった。
長い旅路だった。
キャンプの暴動を鎮め、街道の盗賊を退け、飢えた村に食料を届けた。
一つずつ、地を這うような解決を積み重ねていった。
気づけばー年が過ぎていた。
そして一避けられない問いに辿り着いた。
フィオナが焚き火を囲んで。
夜。
五人だけ。
「選ばなければならないわ。人間側に立つか、魔王軍と共に歩むか。あるいはーどちらにも属さない第三の道を探すか。」
リーゼが薪を折った。
ぱきんと乾いた音。
「正直に言うけど。パパのとこ戻ったらあたしは人間と戦う側になるよ。」
誰も否定しなかった。
当然の話だった。
リーゼロッテは魔王の娘なのだから。
セラは炎を見つめている。
橙色の光に照らされた横顔は一年前より大人びていた。
「私は.....。」
口を開きかけて閉じた。
「世界平和」という言葉はもう軽々しく使えるものではなくなっていた。
「どちらかを倒すか、どちらも倒すか...」
正直この二つしかないだろう。
フィオナは頷いた。
指で地面に三角形を描く。
「二つに一つ。融和なんて絵空事よ。人間は魔族を恐れ、魔族は人間を憎んでいる。双方のトップを潰さなければ止まらない。」
リーゼがぴくっと反応した。
パパを倒すという言葉に。
だが口は挟まなかった。
じっと俺の顔を見ている。
ルネがおずおずと。
「ど、どちらも倒したら......その後は誰が世界を見るんですか?」
核心だった。
統治者を消せば戦争は終わる。
しかしその後に残るのは指導者のいない荒野だ。
フィオナはルネを見た。
それから俺に視線を移した。
試すような目。
「答えはもう出ているんじゃないかしら。」
顔を上げた。
真っ直ぐ俺を見る。
焚き火の爆ぜる音だけが夜に響いていた。
四人の目が俺に集まっている。
「この世界がゲームの世界なら....」
懐かしい、昔はこうしてこの先の展開を考えて乗り切って行った。
なんだか初心に戻った気分だった。
「魔王をゲームはクリアできる。どんなエンドになるかわからないがな」
「物語の構造に当てはめる、ということね。勇者が魔王を討ち、凱旋して王女と結ばれる。古典的な勧善懲悪。」
リーゼがぶっと吹き出した。
「それあたし死ぬやつじゃん。」
「でも.....ゲームなら、エンディングの後にも世界は続くよね?」
鋭かった。
さすが勇者と言うべきか。
物語が終わっても現実は続く。
クリアした先にこそ本当の戦いがある。
フィオナは顎に手を当てて。
「つまりあなたの考えはこう?一度この戦争を終わらせる。勇者と魔王の決着という形で世界に「区切り」をつける。その上で新しい秩序を作り直す。」
ルネは目をぱちくり。
「えっと.....つまり戦争を終わらせてからが本番ってことですか?」
リーゼは真顔に戻っていた。
炎が赤く照らす横顔を父親の面影がよぎる。
「パパと戦うんだね、あたし。」
「ああ、そうだ。あの魔王なら…。」
魔王、最初はとてつもない化け物を想像していたが俺たちよりもずっとこの世界のことについて考えていた。
悔しいが側から見たら勇者のようなやつだった。
「この戦いを呑んでくれるはずだ。人間界は俺がなんとかする。争いのない世界へ」
リーゼが黙っていた。
長い間。
焚き火が一際大きく爆せた。
「.....うん。パパなら多分わかってくれる。」
その声は娘としての願望ではなかった。
あの玉座の間で交わした会話を思い出しているのだろう。
人間界の窮状を淡々と説明した魔王。
あれは敵の情報を集めるためではなかった。
理解しようとしていたのだ一不器用に。
セラは俺の横顔を見ていた。
なんとかする、と言ったこの男を。
いつだってそうだった。
根拠がなくても言い切る。
フィオナがふうと息をついた。
白い煙が夜空に昇る。
「人間界をあなたが。言うのは簡単よ。具体策は?」
ルネが小さい手をぎゅっと握った。
珍しく自分から口を開く。
「わ、私....国にいた頃、貴族の知り合いが少しだけいます。交渉の場を作るくらいなら......お役に立てるかも。」
リーゼが立ち上がって伸びをした。
ばきっと背骨が伸びる。
「じゃ決まりだ。ーあたしがパパんとこ行って話つける。」
「正気?単身で魔王城に?」
「娘が帰ってきて怒る親いないでしよ。.....多分。」
最後の一言に全員が苦笑した。
前回の親子喧嘩は城の半壊で済んだのだから。
…………………………………………………………
数日がたった。
決戦の日
「ついに....今日か」
指先の震えが止まらなかった。
世界を救う為に俺には何ができたんだ。
あの日からずっと。
魔王城。
再びこの場所に立つ日が来るとは。
前回と違うのは一迎え撃つ側ではなく、招かれた側だということ。
リーゼが本当に話を通したらしい。
玉座の間。
赤黒い石柱が天井まで伸び、松明の炎が影を揺らす。
あの日と同じ場所。
同じ空気。
ただし居並ぶ魔族の将たちが殺気立っていた。
当然だ。
勇者一行が正門から堂々と入ってきたのだから。武器に手こそかけていないが、いつ飛びかかってきてもおかしくない空気。
リーゼが先頭を歩いている。
振り返らない。
背筋が真っ直ぐだった。
父親譲りの。
玉座に影が座っていた。
巨。
角。
圧。
ゼルディアス、魔王。
低い声が玉座から降ってきた。
「一来たか。我が娘を証かした男よ。」
リーゼが振り返った。
顔が赤い。
「ちょっ、パパ!そういう言い方やめてって言ったでしょ!」
ゼルディアスの口の端が僅かに歪んだ。
笑っている一のか?
「茶番を演じに来たわけではあるまい。申せ。」
「お久しぶりですね、魔王さん」
あの時と同じような感じで挑発してみた。
「やるからには魔王軍を全て....」
ゼルディアスの片眉が上がった。
威圧感が一段跳ね上がるが。
「全て、何だ?」
周囲の魔将たちが身構えた。
空気が張り詰める。
セラが剣の柄に手をかけた。
ルネが震えている。
フィオナだけが冷静に俺を見つめていた。
最後まで「言え」と目が語っている。
リーゼは父とたすきの間に立っていた。
動かない。
ここで怯めば終わる。
「全て倒す」と言えば戦争だ。
「全て救う」と言えば戯言だ。
どちらを選ぶ。選ばなければならない。
「全て倒して。そして、全てを変える。」
静寂。
玉座の間が水を打ったように静まり返った。
魔将の一人が歯を剥いた。
殺気が膨れ上がり一
「黙れ。」
一言でその殺気が霧散した。
将が頭を垂れる。
ゼルディアスは玉座の肘掛けに拳を乗せていた。微動だにしない。
だがその目はー俺を射抜いていた。
値踏みするように。
嘘を探すように。
「矛盾しているな。倒して変える。同じ口から出る言葉ではない。」
正論だった。
倒した後に変えるなど不可能だ。
普通なら。
リーゼが振り返って俺を睨んだ。
おいそこから先考えてあんのか、という目。
フィオナが一歩前に出た。
補足する気らしい。
が俺が目で制した。
これは俺の言葉で言わなければ意味がない。
魔王との決着。
この世界に区切りをつける。
以前話をした時の魔王とはもう違う。
契約上の仲間ではなく敵、それはお互いわかっていた。
ゼルディアスがゆっくりと立ち上がった。
玉座が軋む。
巨体が松明の影に浮かび上がる。
影だけで人を殺せそうな威圧。
「区切り、か。つまり貴様はこう言いたいわけだ。」
一歩、降段した。
石段がびりびりと震える。
「この戦を芝居にしろと。勇者が魔王を討ち、世界が救われたという筋書きを作れと。」
読まれていた。
完全に。
あの短い言葉から全てを汲み取った。
伊達に数百年を生きてはいない。
リーゼが息を呑んだ。
もう一歩。
近い。
見下ろす目に怒りはなかった。
むしろ。
「それで民が納得すると思うか?我を倒したとて人間どもが矛を収めねば同じことが繰り返される。」
フィオナがここで黙っていられなかった。
半歩前に出る
「その人間側は私が一この者が責任を持つと申し上げている。
ゼルディアスがフィオナを見下ろした。
数秒。
「小娘が。...翼。」
名を呼ばれたのは初めてだったかもしれない。
魔王の口から。
「貴様の覚悟はわかった。だが言葉では足りん。」
「中級光呪文[
魔王めがけて呪文を放った。
「あの時とは違う。少しは楽しい戦いができそうか?」
光の矢が放たれた。
白熱する閃光が玉座の間を切り裂きーゼルディアスの顔面に直撃した。
轟音。
煙。
魔将たちが色めき立った。
武器を抜く者。
詠唱を始める者。
煙が晴れた。
掌を顔の前に翳していた。
傷一つない。
だが。
ゼルディアスの表情が変わっていた。
退屈でも怒りでもない。
笑った。
牙を剥いて。
獰猛に。
「ほう。」
たった一音。
それだけで空間が震えた。
「中級だと?あの時は初級すら満足に撃てなかった小僧が。」
リーゼが飛び退いた。巻き添えを避けるように。
「始まったー!」
セラが剣を抜いた。
構える。
手が汗ばんでいた。
恐怖ではない。
ゼルディアスは構えを取った。
両腕を広げる。
王者の構え。
「良いだろう。貴様が語るに足る男かどうか挙で示せ!」
決戦が始まった。
「セラ、リーゼたちは残りの四天王を!フィオナ、ルネは雑魚を頼む!」
セラが剣を構えて叫んだ。
「任せて!」
リーゼが拳を打ち合わせた。
にっと笑う。
「四天王ね。腕が鳴るっての!」
玉座の裏から四つの影が現れた。
それぞれが将軍級の力を持つ魔族。
一年前の旅では中ボスとして立ちはだかった者たち。
フィオナは印を結んだ。
足元に魔法陣が広がる。
「雑魚は引き受ける。一死なないでね。」
ルネの震えていた足が止まっていた。杖を掲げる。
覚悟の目。
「はいっ!」
二手に分かれた。
セラ、リーゼ、フィオナが四天王に向かう。
ルネとフィオナが殺到する魔族兵の群れに突っ込んだ。
そして玉座前。
二人きりになった。
ゼルディアスが拍手した。
ゆっくりと。
余裕の所作。
「仲間に露払いをさせて一騎打ちか。粋な演出だな。」
来る。
そう直感した瞬間一ゼルディアスが消え
た。
「ベクターシャ!」
周りに光の壁を作った。
破られたところをグングニルで攻撃する作戦だ。
光の壁が展開した。
六角形の障壁が幾重にも重なり俺を中心に球状の結界を形成する。
範囲型光攻撃魔法。
触れたものを即座に感知するはずだった。
背後。
壁をすり抜けたのではない。
上だった。
天井を蹴って真上から落ちてきた巨拳が光の天蓋を粉砕する。
「小賢しい!」
破砕音と同時に俺は振り返った。
グングニルを投擲一光槍が一直線にゼルディアスの胸元へ飛ぶ。
ゼルディアスが空中で身を捻った。
巨体からは想像できない敏さ。
光槍が肩を掠める。
肉が決れた一が浅い。
着地。
石床が陥没した。
ゼルディアスは肩から血を流しながらー笑っていた。
「いい。実にいい。あの頃とは別人だ。だがまだ足りんぞ!」
踏み込み。
今度は正面。
フェイントも奇襲もなし。
純粋な力の塊が突進してくる。
「ライトニング フィフス」
5本の指から放たれた光の矢は1本の大きな矢となって魔王に向かった。
「避けても5本に分かれるぜ!」
五条の光が束ねられ、一本の巨大な矢となった。大気を焦がしながら突き進む一回避不能の自制圧攻撃。
避けなかった。
両手を前に突き出した。
受け止めた。
素手で。
光矢が掌に衝突し、爆発的な光と熱が広がった。玉座の間の石柱にひびが走る。
衝撃波がセラたちの戦闘区域にまで届いた。
煙の中。
ゼルディアスの両腕が焼け爛れていた。
皮膚が剥がれ、筋肉が露出している。
それでも立っている。
爛れた腕を見下ろした。
そして俺を見た。
目に宿る光は怒りではなかった。
「五指収束。誰に習った?」
独学だった。
この一年で血反吐を吐くほど鍛えた。
何度も死にかけた。
焦げた両腕に魔力が集中した。
黒い靄が傷を覆い一再生が始まる。
だが温い。
一瞬だった。
腕が元に戻っている。
これが魔王。
これが数百年を君臨した化け物。
「次はこちらの番だ。暗黒獄炎。」
ゼルディアスが息を吸い込んだ。
口腔に漆黒の炎が渦巻く。
「ガッ」
直撃。
「ヒール」
すぐさま回復を入れて反撃する。
「リーベレーション!」
ゼロ距離からの魔力解放
黒炎が俺を包んだ。
視界が闇に染まる。
熱い。
痛い。
肺が焼ける。
吹き飛ばされて石壁に叩きつけられた。
血が口から溢れるーヒール。
淡い光が傷口を塞いでいく。
間に合った。
その距離、三メートル。
ゼルディアスは炎を吐き終えた直後で硬直している。
リーベレーション。
自身の魔力を臨界まで高めて解放する捨て身の術。
代償は大きいがーゼロ距離なら避けようがない。
白光が炸裂した。
二人の間で。
音が消えた。
ゼルディアスが吹き飛んだ。
十メートル。
背中から石段に激突し、段が崩れ落ちる。
瓦礫の中に沈む。
俺も膝をついた。
全身が悲鳴を上げている。
鼻から血が垂れた。
魔力の三割は持っていかれた。
瓦礫の中から一腕が出た。
石を掴む。
体を引き起こす。
口から黒い血を流していた。
初めての出血。
笑っていた。
血塗れで。
「効いたぞ。今のは。」
やっとの思いで四天王を倒したあの時とは違う。今こうして魔王とは対等に戦えている。
その自信一つで俺は戦っていた。
「かかってこいよ」
ゼルディアスが瓦礫を踏み砕いて立ち上がった。巨駆が揺るがない。
血を拭いもせずーむしろ誇るように。
「生意気な口を。」
だがその足が止まった。
一際。
何かを考えるように
目を細めた。
それから-一構えが変わった。
力任せの力ではない。
重心を落とし、両拳を腰に引く。
武の型。
「対等だと?思い上がるなよ小僧。」
消えなかった。
今度は。
真正面から来た。
ただし速度が段違いだった。
床を蹴る音すら遅れて届く。
右拳。
フェイント。
本命は左の学底一俺の腹を狙って抉り込むように放たれた。
またしても直撃。
正直言うとあの攻撃を回避するのは不可能だろう。
回復して反撃、俺の魔力が尽きるか魔王が倒されるかの勝負だった。
「捕またぜ...オーバーヒール!」
掌底が腹に突き刺さった。
内臓が潰れる感覚。
胃液が逆流する。
体がくの字に折れた。
ーその瞬間、俺はゼルディアスの左腕を両手で掴んだ。
離さなかった。
激痛の中、指が食い込むほどに。
「離せー」
遅い。
発動した。
オーバーヒール。
回復魔法の過剰照射。
傷ついた細胞を修復するのではなく一暴走させる。
相手の体内で。
「ぐ、おおおおっ!!」
ゼルディアスの左腕が膨張した。
血管が浮き上がり、皮膚の下で何かがれている。筋繊維が断裂と特生を時にり返し一破壊と治癒の矛盾に肉体か耐えきれず、左腕から黒い血が噴き出した。
右手で俺を殴り飛ばした。
今度こそ本気の一撃。
俺は壁まで吹き飛んで転がった。
骨が何本が折れただろう。
だが代償は払わせた。
左腕はだらりと垂れ下がり、たが動いていない。
ヒール
ヒール
ヒール
回復、回復、回復。
流石にあんな攻撃を何発も耐えられない。
短期決戦。
その言葉が俺の頭によぎった
極大呪文
かつて最初の四天王ゼノヴァを倒したように。
三重のヒールが骨折を繋ぎ、内臓を修復し、体を戦える状態に引き戻す。
痛みは消えない。
だが動ける。
極大呪文。
あの日の再現ではない。
一年の研鎖が上乗せされた、今の俺の全力。
=両手に光が集まった。
白ではない。
金。
太陽の色。
凝縮される。
空気が振動し始めた。
残存魔力のほぼ全てを注ぎ込んでいく。
ゼルディアスが動いた。
潰れた左腕を庇いながら。
右拳に闇を纏わせー迎撃の構え。
あれを撃たせまいと距離を詰めてくる。
たが俺の方が速い。
金色が臨界に達した。
視界が白く染まる。
拳を振りかぶった。
魔王の最後の突進。
放った。
金光が流となって玉座の間を買いた。
ゼルディアスを呑み込み一背後の壁を、天井を、その先の空を一光が突き抜けていった。
轟音が遅れてきた。
城が震える。
崩落する音。
粉塵が舞い上がって何も見えない。
俺は立っていた。
立っているのがやっとだった。
魔力はほぼゼロ。
指先の感覚がない。
「やった...のか...?」
粉塵が晴れていく。
金色に焼かれた玉座の間は半壊していた。
壁は消し飛び、空が見える。
夕焼け。赤と紫が混じった空。
その空の下に一影があった。
瓦礫の中。
仰向けに倒れた巨体。
角が一本折れている。
右半身の鎧は吹き飛び、焼け焦げた肌が晒されていた。
胸が上下している。
生きている。
目が開いた。
夕空を見上げて。
沈黙が長かった。
右手が持ち上がって夕日を遮った。
顔に影が落ちる。
そして一その手が降りた。
力なく。
「...見事だ。」
声に怒気はなかった。
憎悪もなかった。
ただ一認める声だった。
「あの小童がここまでやるとはな。」
体が起こせないのだろう。
首だけをたすきに向ける。
「さあ殺せ。勇者よ。」
「ゼルディアス..お前と会えてしかった」
敵としてではなく、生物として。
同じ世界を救おうとした者として。
「ありがとう」
とどめを指す直前何が大きな影があること気がついた。
ゼルディアスではないさらに大きな影。
俺は既視感を感じた。
大群。
人間の大群だった。
あの時の仇を取らんばかりに前回よりも大群を連れてやってきた。
「今かよ...」
地平線を埋め尽くしていた。
鎧の群れ。
軍旗。
松明。
万一いや、それ以上。
大陸中の兵力をかき集めたかのような大軍勢が魔王城に迫っていた。
整然とした行軍。
復讐に燃える足音。
ゼルディアスが倒れたまま空を見て、それから迫り来る軍勢を見た。
低く笑った。
血混じり。
「はっ.....律儀な連中だ。わざわざ葬式に来おったか。」
瀬死の魔王城。
結界は消失し防衛戦力は壊滅状態。
今攻め込まれれば一城は落ちる。
リーゼが四天王との戦いで片腕から血を流しながら駆け寄ってきた。
空を見て顔が青ごめる。
「嘘でしょ.....あれ全部人間!?」
セラは息が上がっていた。
銀髪が乱れている。
同じ光景を見た。
足が止まった。
フィオナは冷静だった。
だからこそ声が硬い。
「最悪のタイミングね。魔王を倒した直後の消耗した瞬間を狙ったーいえ、偶然でしょうけど。」
ゼルディアスは俺を見上げた。
血走った目。
しかしその奥にあるのは一敵意ではなかった。
「行け。あれを止められるのは貴様しかおらん。」
「ゼルディアスよ。魔力を少し分けてくれ、極大呪文であいつらを吹っ飛ばす」
ゼルディアスは目を見開いた。
それから一盛大に笑い出した。
血を撒き散らしながら。
「はっはっはっは!敵に魔力を乞うか!貴様...正気か?」
笑いは止まらなかった。
ひとしきり笑って、やがて息をついた。
呆れたような、しかしどこが清々しい顔。
「..好きにしろ。」
右手を持ち上げる。
もはや握力など残っていない。
だが魔力はまだあった。
瀕死の体から最後の残り火が絞り出される。
掠れた声で。
「持っていけ。この老いぼれの残り滓でよければな。」
「おうよ。ありがとうな。」
魔力をもらい魔王にとどめを刺した。
光が落ちた。
静かに。
ゼルディアスは抵抗しなかった。
目を閉じて一最期に何か呟いたように見えた。
聞こえなかった。
魔王ゼルディアス。
討伐。
その瞬間、城全体から魔力の波動が消失した。
支配が終わった。
セラは涙が頬を伝っていた。
声にならない声。
故郷の仇。
世界の脅威。
それが今、終わった。
リーゼはセラの肩を抱いた。
何も言わなかった。
言えなかった。
だが感傷に浸る時間はない。
地平の大軍勢は確実に近づいている。
あと数十分。
冷たく。
感動は後。
「翼、魔力は足りる?あの規模を相手取るなら」
ルネは顔面蒼白で。
しかし目は真っ直ぐ俺を見ていた。
「わ、私も.....手伝います。全部じゃなくていい。ほんの少しでも。」
「お前らも...ありがとう」
魔力を受け取り俺はとっておきの呪文を放った。
極大光呪文
魔王を倒した時以上の光。
巨大な矢が複数に向かって発射された。
光が収まったあと。
あたりを見わたす。
全てが壊れていた。
世界が。
魔物が、人が。
「セラ!リーゼ!フィオナ!ルネ!」
必死に彼女たちの名前を叫ぶ。
アフラマズダ。
光と裁きの極致。
放たれた光の矢は無数に枝分かれし、大地を薙ぎ、軍勢を呑み一そして。
何も残らなかった。
焦土。
えぐれた大地。
川が蒸発し地形が変わり果てている。
人も魔物も関係なく。
区別なく。
静寂。
風だけが吹いていた。
焼けた土の匂い。
返事がない。
もう一度叫ぶ。
声が枯れるほど。
喉が裂けるほど。
足を動かした。
瓦礫を越え、崖を越え、かつて城があった場所を歩き回る。
銀の髪を探す。
赤毛を。
金髪を。
青い瞳を。
見つからない。
誰も。
風が吹いた。
灰が舞い上がる。
その中に一何か光るものがあった。
拾い上げる。
銀色の髪留め。
見覚えがある。
セラがいつもつけていたもの。
それが何を意味するのか。
理解するのに、少し時間がかかった。
「ゲームは。セラは?クリアじゃないのか。あれ?あはは」
この世界はゲームではなかった。
ずっとゲームだと思ってたが違かった。
現実だった。
紛れもない。
元々おかしいと思っていたよ。
ゲームなのにレベル機能もない、セーブもない、展開もおかしい。
ずっと言い訳を考えていた。
魔王、「全てを破壊する者」。
その肩書きが脳裏をよぎる
「あ、そうだったのか、俺、ヒーラーでもなんでもなかったのか。」
ゼルディアスから名前を預かったその時から。
格段に魔力が跳ね上がっていた。
その時からずっと魔王に近づいていたんだろう。
「魔物も人間も全部いなくなっちゃったな。…結局何が正しかったんかな」
答える者はいない。
当たり前だ。
空は皮肉なほど青かった。
雲一つない快晴。
世界を焼き払った後とは思えない穏やかさ。
髪留めを握りしめた手からカが抜けた。
ぽとりと落ちそうになって一握り直した。
それだけが、ここにいた証だった。
生きた証。
…………………………………………………………
どれくらいそこに立っていただろう。
日が傾き始めていた。
風が冷たくなってきた。
足元を見れば影が長く伸びている。
自分の影。
たった一つの。
腹が減った。
喉が渇いた。
人間だから。
生きているから。
どんな化け物になろうと腹は減る。
世界は静かだった。
何年経ったのだろうか俺は全てを元通りにする為に魔導書をひたすら読み漁っていた。
全てを変える呪文ニグゼルファ
これを打てば世界は元通りに戻るはず。
「これで、全て、元通りになるんだな」
何年という表現すら正確ではなかった。
季節が巡り、川が流れ直し、森が芽吹き一その間ずっと、廃墟と化した古代図書館の地下書庫に籠もっていた。
埃に埋もれた禁書の山。
誰にも読まれなくなった魔導の遺産。
ニグゼルファ
時間回帰と再構築の複合術式。
理論上は世界の始まりまで巻き戻して全ての生命を復元できる。
ただし一代償は術者の存在そのもの。
魔力は足りていた。
いや、足りすぎていた。
あの日世界を半分消し飛ばしてから、器は底が見えなくなっていた。
ゼルディアスから継いだ力。
皮肉にもそれが今、世界を救う鍵になっている。
書庫の最奥。
苔むした石の台座に古い羊皮紙が一枚。
そこに記された術式を何百回となぞった指先は、もう人間のものとは呼べない色をしていた。
詠唱すれば終わる。
唱えれば俺という存在は消える。
静かな地下室に水滴の音だけが響いていた。
ニグゼルファ
全てが光に包まれる。
これでも通りに...
玉座に座っていた。みたことあるあの風景で、牛人が俺のことをゼルディアス様と呼んで慕っている
全てがわかった




