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魔王対談

数日が経った頃だろうか、俺たちは目的を忘れかけていた。


「んで、なんでここに来たんだっけ?」


リーゼが本の山から顔を上げて果れ顔をして出てきた。


「あんたねえ.....四天王ぶっ倒して死にかけて運び込まれたの忘れたの?」


セラは果物の皮を剥いていた。


「翼が治るまで動けないからってここでのんびりしすぎだよね私たち。」


実際その通りだった。

フィオナは「あと二週間は安静に」と告していたが、この三人はすっかり叡智の塔に馴染んでしまっていた。

リーゼは書庫に入り浸りで禁書を読み漁り、セラは塔の食堂で皿洗いのバイトを始め、翼はベッドでごろごろしながら塔の子供たちとカードゲームに興じていた。

完全に長期滞在者の生活である。

リーゼは本を閉じて指を立てた。

先生モード。


「整理するよ。残りの四天王はあと二人。ここに来た本来の目的は一」


セラは手帳をめくった。


「聖属性の協力者を探すこと、だよねフイオナさんに相談してみる?」


「ああ、そうだな。」


そうしてフィオナを呼んだ。

扉を開けて入ってきた。

今日は非番らしく、いつもの聖衣ではなく白いブラウス姿だった。

椅子に腰掛けて足を組む。


「体調のほうは順調そうですね。それで、改まってお話とは?」


聖属性の協力が必要なことを手短に説明した。

フィオナは黙って聞いていた。

説明が終わると目を閉じた。

少しの間。

それから目を開けて俺を見つめた。


「正直に申し上げます。私では力不足です。」


リーゼが身を乗り出した。


「えっ、でもフィオナさん大陸五本の指って一」


フィオナは苦笑した。


「それは人間の枠の中での話。魔王城の最終結界を破るには聖女クラスの力が要ります。そして聖女は現在この大陸に一人しかいませんただええ。あそこは教皇庁の管轄で、外部の人間が聖女に謁見するには教皇の許可が必要です。.....まず許可が下りませんけどね。」


「何かいい方法はないのか。」


誰も答えなかった。

それに対する答えはフィオナ含め何も思いつかなかった。





全員が寝静まった後。

俺は一人でこの先の展開のことについて考えていた。


「残る幹部は2人、展開的に言えば魔王城で二人ともと激突、セラ、リーゼが手下とタイマンで撃破、その間に俺が魔王と時間稼ぎか、そしたら連携力もそうだが個々の力が弱すぎるからそこが課題点か」


二人が寝ている間、何かできることはないのか。

深夜の治療室。

セラとリーゼは隣の部屋で寝落ちしていた。

灯りは月明かりだけ。

俺は天井を見つめながら思考を巡らせていた。

ーメタ的な未来予測。

それは俺だけが持つ異質な武器であり、同時に呪いでもあった。

知っているからこそ怖い。

ノックもなしに扉が開いた。

フィオナが手に湯気の立つカップを二つ持っている。一つを俺の枕元に置いた。

カモミール茶だった。


「眠れないでしょうと思って。」


フィオナは向かいの椅子には座らす、窓際に立った。月を見ている。


「昼間のあなたの目、戦う者のそれとは少し違いましたね。もっと先を見ている目。」


鋭い女だった。

さすがは叡智の塔筆頭聖術師というべきか。

観察眼が常人のそれではない。

フィオナは振り返らなかった。


「何をお考えですか?」


俺は前の世界のこととゲームのこと、そしてさっきのことを説明した。


「...というわけだが何かいい案はないのか?」


月を背にしたまましばらく黙っていた。

荒唐無稽な話のはずだが、笑い飛ばす気配はなかった。

ゆっくりと振り返った。その目には学者特有の知的好奇心が光っていた。


「異世界の物語をなぞる現実、ですか。.....正直、にわかにはじがたいですが。」


椅子を引いて座った。カップに口をつけて一口。


「でも辻褄は合う。あなた方の旅路があまりにも出来すぎていること、私も薄々感じていました。運命に導かれているというより、筋書き通りに動かされているような。」


フィオナはカップを置いて指で机を叩いた。

思考のリズム。


「個々の力の弱さ、連携の課題。それは正しい分析です。特にあの二人は実戦経験が圧倒的に足りない。

.....それで、あなたは自分には何ができるとお考えで?」


展開的なことを考えれば。


「..魔王と話す。」


幹部とはあったがまだ魔王と会っていなかった、少しでも会えれば何か変わるだろう。

そう考えていた。

フィオナら目を見開いた。

それから深くため息をついた。

呆れではない。

感心に近い何かだった。


「正気ですか。敵の親玉とお茶でもしようと?」


俺は首を横に振った。

そういう意味ではないと。

フィオナは頬杖をついた。


「.....いえ、わかりますよ。「物語」を変えたいんでしょう?決められた結末ではなく、自分たちの手で掴める結末に。」


夜風が窓をらした。

フィオナは立ち上がって書棚から一冊の古びた本を抜き出した。

埃を払う。

本を開いた。

中には地図が描かれている。


「魔王ゼルギウスは戦争を望んでいない。そんな説を唱えた学者が三百年前にいました。異端として火刑に処されましたが。私はその説を支持しています。」


とんでもないことをさらりと言った。

俺を真っ直ぐ見た。

聖職者ではなく一人の研究者の顔だった。


「ただし危険です。幹部を二人倒したあなたが魔王に接触を図れば、向こうは全力で排除にかかる。話し合いどころか門前払いでしょう。.....何か切り札がいる。」


月が雲に隠れた。

フィオナの言葉が暗がりに溶けていく。


「ない。ただ一つ作戦がある。作戦といってもただのギャンブルだかな。まず俺の装備を全て外していく。俺が都合の悪いことをいったらすぐに殺せるようにするんだ。まぁその前に門番に殺されるかもしれないけどな。」


フィオナは額を手で覆った。長いため息。


「作戦とは言いません、それ。」


だがフィオナは否定しなかった。

馬鹿げていると言つつ、頭の中で可能性を計算している。

そういう女だった。

指の隙間から俺を睨んだ。


「一つ聞きます。仮に魔王の前まで辿り着いたとして、何を言うつもりですか。「戦いたくない」?そんな言葉は使者を通じて何度も伝えられてきたはず。今

さら丸腰の男が一人来たところで」


言葉を切った。

自分で気づいたのだ。

使者では駄目だったのだと。

書簡でも伝聞でもなく、直接会って、目を見て話す。それしかないのだと。

本を閉じて机に置いた。

諦めたような、でも少し楽しそうな顔。


「止めても無駄でしょうね、あなた。」


廊下の向こうでセラが返りを打つ音がした。


「もし本当に魔王が戦争を望んでいないなら、多少なりとも話を聞いてくれるはずだ。なぜ魔王が世界を支配しようとするのかそれだけ知れれば大丈夫だ。話が終わったらここまで移動すればいい。どうやらワープできる呪文も存在してるらしいからな」


フィオナはワープの言葉に少し驚いた顔をした。


「帰還の巻物のことですか。....確かに存在しますが、あれは入手困難な代物ですよ。」


だがフィオナには当てがあったらしい。

引き出しから小さな木箱を取り出して開けた。

中に青白く光る巻物が一本。

フィオナには当てがあったらしい。

俺に放り投げた。


「塔の備品です。本来は旅人に渡すものではありませんが。」


随分あっさりだった。


「ただし条件があります。私も同行します。」


有無を言わさぬ口調だった。


「あなた一人で行かせて死なれたらあの二人が壊れます。それに一」


三百年燻っていた仮説を自分の目で確かめたい。

学者としての我儘です。

止めないでくださいね。

カモミールの湯気がゆらりと揺れた。フィオナの瞳に月光が差し込み、静かな決意が宿っていた。こうして、勇者パーティの知らないところで、もう一つの密命が動き始めた。


「この事はあいつらにも言う。」


この言葉を聞いた時。フィオナはじっと俺を見つめた。


「あのお二人にはどう説明するおつもりで?特にセラさん。正直に言ったら刺されますよ、あなた。」


「たしかに、どうするか…。」

あの二人を巻き込みたくない。俺の心の中は迷いがあった。

フィオナはその迷いを見透かしたように首を振った。


「巻き込みたくない、は傲慢ですよ。あの二人はもうとっくに当事者です。」


痛いところを突かれた。

ゼノファとの戦いで二人がいなければ俺は死んでいた。

今更「危ないから留守番」が通る道理はない。

フィオナがカップの残りを飲み干した。

静かな声。


「それに、あなたがいない間にあの二人が襲われたら誰が守るんです?魔王軍は四天王だけじゃない。」


正論だった。

ぐうの音も出ない正論。

俺は黙り込んでカモミール茶を啜った。

冷めていた。

苦い。

フィオナが立ち上がって窓辺に戻った。

夜明けが近い空がうっすら白み始めている。


明日の朝、四人で話しましょう。隠しごとは無し。それが最善です。おやすみなさい。」


扉が静かに閉まった。

残された俺は冷めた茶を見つめていた。

あの二人に全部話して、それでも来てくれるのだろうか。




朝になった


「二人とも、話がある。フィオナもいるか?」

ついてくると信じるしかない、二人さえ守れればそれでいい。

セラは寝癖のついた銀髪のまま治療室に飛び込んできた。

朝食のパンを咥えている。


「ふぁに?」


リーゼはその後ろから欠伸をしていた。


「朝っぱらから何よ....あたしまだ顔も洗ってないんだけど。」


フィオナは既に部屋にいた。

昨日と違い聖衣をきちんと纏っている。


「揃いましたね。ではたすきさん、どうぞ。」


三人の視線が俺に集中した。

パンを飲み込むセラ。

髪をかき上げるリーゼ。

背筋を伸ばしたフィオナ。

三者三様の朝の顔がやがて真剣なものに変わっていく。


「魔王と話に行くぞ」


そして俺は昨夜フィオナと話した事を全部喋った。

沈黙が落ちた。

重い沈黙だった。

パンの欠片がシーツの上にぽとりと落ちる音だけが妙に響いた。

セラがじっと俺を見ていた。

怒っているのか悲しんでいるのかわからない顔。

やがて。


「また一人で行くつもりだったでしょ。」


図星だった。

昨夜の段階ではそのつもりだった。

セラの勘は恐ろしい。

リーゼは椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。


「魔王に丸腰で会いに行くとか......正気じゃないって言いたいけど、お兄さんの「物語の知識」がそう言ってるなら一理あるのか。」


セラがすっと立ち上がった。

ベッドに座る俺と目線を合わせた。

真正面から。


「私も行く。」


やっぱりな、という顔。


「置いてったら許さないから。指切りしたよね?」


「…あぁ。なら今日いこう。」


リーゼが椅子からずり落ちた。


「今日!?」


フィオナは眉一つ動かさなかった。

むしろ待ってましたと言わんばかりに。


「善は急げですね。準備は撃っています。」


リーゼは信じられないという目でフィオナと俺を交互に見た。

昨日の夜から仕込んでたなこいつら、と顔に書いてある。

セラは逆に目がきらきらしていた。

冒険者の血が騒いでいる。


「行こう。善は急げだよリーゼ。」


リーゼが頭をがりがりと掻いた。

盛大なため息。

それからにやっと笑った。

覚悟を決めた顔。


「あーもう、わかったわよ!やればいいんでしょやれば!」


こうして朝食もそこそこに四人は塔の地下へ降りた。埃まみれの石階段を下った先に巨大な転移陣が広がっていた。

円形の紋様が床一面に刻まれ、中央に魔石が据えられている。

リーゼが魔石に触れた瞬間、顔色が変わった。

残存魔力のほぼ全てを注ぎ込む必要がある。

リーゼ青い顔で笑った。


「足りるかな......いや、足らせてみせるけどさ。」


転移先は魔王領の最寄りの森。

そこから先は徒歩になる。

帰り道はーリーゼの回復次第。

賭けだった。

いつだってこの旅はそうだった。


「みんな、ありがとう。当然フィオナもな。」


正直怖かった。

もし守れなかったらと。

もう後戻りはできない

リーゼの指が魔石を掴んだ。

詠唱が始まる。

塔全体が振動した。 壁の石がぱらぱらと崩れ落ち、

転移陣が青白い光を放ち始めた。

光はやがて白に、白はやがて金に。

四人の輪郭が滲んで一瞬の浮遊感。

内臓がひっくり返るような感覚。

それが収まったとき、足裏に感じていたのは冷たい石畳ではなかった。

湿った土。

腐葉土の匂い。

どこかで獣が吠えている。

膝から崩れた。

顔面蒼白。


「きっつ...魔力すっからかん......」


セラは剣の柄に手をかけて周囲を警戒した。

鬱蒼とした黒い木々が頭上を覆ってい

る。

森だね。.....空気が重い。

フィオナは聖印を胸に当てた。

祈りではない、探知術。


「近くに魔物の気配はありません。ただし北東に巨大な気反応。城ですね。」


木々の隙間から見えた。

遠く、黒い稲妻が走る空の下にそびえる漆黒の城。

禍々しいがーーどこか寂しげにも見えた。


「装備は置いてっているよな、そうじゃないと作戦が成り立たない」


セラがはっとして自分の腰を見下ろした。

剣はある。


「あ.....私、剣置いてきてない。」


リーゼは地面に座り込みながら苦笑した。


「あたしは杖だけよ。さすがにこれないと術使えないし。」


フィオナも平然と。


「私は聖衣だけですので問題ありません」


つまり丸腰は俺だけだった。

作戦通りではあるが、傍から見ればただの馬鹿である。

セラが剣をごと外して地面に突き刺した。

がしゃんと重い音。


「これでいい。私も丸腰。」


リーゼは目を丸くした。


「ちょ、セラ正気?」


セラはにこっと笑った。


「だって翼だけ裸なんてずるいでしよ。」


リーゼは数秒俺とセラを交互に見て、がくっと肩を落とした。

杖を放り投げる。


「はいはい.....もう知らない。どうにでもなれ。」


こうして四人全員が武装を解除した状態で魔王城へ向かうという、史上最も間抜けな作戦が始まった。




魔王城城門


森を抜けるのに二時間。

城門が見えた瞬間、空気が変質した。

肌がぴりぴりと焼けるような気。

門は黒鉄で造られ、見上げるほどに巨大だった。

そして、その前に一一門番がいた。

二体。

牛頭の巨人と、黒い鎧をった魔族の騎士。

牛人は巨大な戦斧を肩に担ぎ、魔族の方は細身の長剣を腰に伺いている。

どちらも四人の姿を認めた途端、殺気が膨れ上がった。

牛人の門番の地響きのような声。


「人間だァ......?こんなところにノコノコ来やがって。自殺志願者か?」


牛人が一歩踏み出しただけで地面が震えた。

四メートルはある巨体。

その影が四人を覆い尽くす。

リーゼの顔が引きつっている。


「ね、ねえ、やっぱ帰らない?」


セラは俺の袖を掴んでいた。

震えている。

それでも前に出た。

フィオは平静を装っているが指先が白い。

Aランク、おそらくSランク以上あるだろう。

流石に俺も鳥肌が立っていたが、彼女たちの前ではその姿を見せなかった。


「率直に言う、魔王と話がしたい。」


牛人の門番は鼻で笑った。

臭い息が風になって吹き付けた。


「話だァ?人間が王に話だと?笑わせんな。」


魔族の門番が牛人を制した。

細い目で四人を値踏みするように見ている。

特に俺、唯一の男を注視していた。


「.....丸腰か。罠にしては雑だな。」


牛人の門番が戦斧を地面に叩きつけた。

轟音。


「どの道殺しゃいいだろうが!」


魔族の門番が手を上げて牛人を止めた。

まだ考えている顔。


「待て。.....お前、その目。ただの人間じゃないな。」


殺気がわずかに緩んだ。

「物語」の知識が正しければ、この門番は知性がある。

交渉の余地があるとすればここだった。

牛人の方は駄目だ。

脳みそまで筋肉でできている。


「まぁ人間色々いますからね。魔王と話したって都合の悪いことを言えば殺されるんだし関係ないですよ。」


頼む入らせてくれ。

魔族の門番は目を細めた。

数秒の沈黙。

それから。


「.....面白いことを言う。」


口元が歪んだ。

笑みとも嘲りともつかない表情。

少なくとも即座に斬りかかってはこなかった。

牛人の門番は苛立たしげに足を踏み鳴らして。


「おい、何考えてやがる!通すのか!?」


魔族の門番は牛人に背を向けたまま。


「王は退屈されている。人間の道化が一人くらいいてもいいだろう。」


門が軋みながら開き始めた。

黒鉄の扉の隙間から赤黒い光が痛れ出す。

四人の背筋に緊張が走った。

門番の許可が出たのは魔王の元までの道のりであって安全の保証ではない。

魔族の門番はすれ違いざまに俺の耳元で囁いた。

冷たい吐息。


「せいぜい王を楽しませる。できなければ死より辛い目に遭うぞ。」


城内に足を踏み入れた。

石畳は赤く、壁には松明が燃えている。

人間の城とは真逆の色彩。

そして一奥から途方もない圧が押し寄せてきた。

心臓を直接握られるような重圧。

セラが小さく悲鳴を漏らし、リーゼは立っているのがやっとだった。

フィオナは歯を食いしばって。


「これが.....魔王の威圧......」


俺は場内を散策している時牛人のガードが俺たちの後ろについて歩く決まりだった。


「魔王の前に来ましたね。これ入ってもいいんですか。牛人さん。」


牛人の門番は不機嫌そうに顎をしゃくった。

謁見の間の巨大な扉を示して。


「俺に聞くな。王が決めることだ。」


扉の両脇に二体の悪魔像が立っていた。

侵入者を迎撃するゴーレムだろうか、赤い眼光がじっとこちらを見据えている。

牛人が扉に向かって吠えた。

人間の言葉ではない咆哮。

それが合図だったのか、扉がゆっくりと開いた一重力に逆らうように内側へ。

謁見の間は広かった。

天井が見えない。

黒曜石の床に赤い絨毯が玉座まで一直線に伸びている。

左右の壁際には魔族兵が整列していたが、誰一人として動かなかった。

彫像のように。

あるいは、動く必要がないほどの自信か。

玉座。

そこに一いた。

人型だった。

意外なほどに。

ニメートルほどの長身。

漆黒のローブを纏い、銀の王冠を戴いている。

顔は若い。

二十代後半に見える。

だがその眼だけは違った。

深紅の双眸が四人を見下ろしている。

「威圧ではない」一純粋な興味の色を帯びて。


「こんにちは、魔王さん、今日は少しあなたと話がしたい。」


調見の間に俺の声が響いた。

兵士たちは微動だにしない。

牛人が後ろで斧を構え直した音が聞こえた。

玉座の肘掛けに頬杖をついたまま、しばらく俺を眺めていた。

品定めするような目。

それから口を開いた。

低<、よく通る声だった。

「丸腰で四人。うち一人は聖術師か。」


一瞬で見抜いた。

全員の素性を。

魔族の兵士列の中から一人が進み出ていた。


「陛下、こやつらを一」


魔王が片手を軽く上げた。

それだけで兵士が黙った。

再び四人に目を向ける。


「よい。下がれ。」


兵列が左右に割れた。

道ができた。

玉座まで続く赤い絨毯の道。

魔王の深紅の瞳が俺を射抜いた。

口元にわずかな笑み。


「話、か。余に話をしに来た人間は三百年ぶりだ。大抵は剣を持って来るのだがな。」


「剣持ってたら魔王さんを討伐しようみたいになっちゃうじゃないですか。」


まずは少し冗談から始めようと、少し笑いながら話した。

魔王、全てを破壊するもの、という言い伝えが俺の頭の中で疼く。


「想像と違いますね、色々と。」


魔王が一瞬きょとんとした顔をした。

それから声を上げて笑った。

低く響く笑い声が玉座の間を震わせた。

兵たちが困惑している。


「討伐しようみたいになっちゃう、だと?人間、お前は余を何だと思っている。」


魔王は玉座から身を乗り出した。

興味を隠そうともしない。

魔王は笑いを収めた。


「想像と違う、とは?」


セラたちは息を呑んで見守っていた。

「全てを破壊するもの」と恐れられた存在が、冗談に笑っている。

この光景を誰がじるだろう。

フィオナは学者の血が騒いだのか目が爛々と光っていたが必死に自制している。

魔王が指先で玉座の肘掛けをとんとんと叩いた。

リラックスしているように見えた。

少なくとも表面上は。


「人間どもの言い伝えでは余は化物らしいな。角が生えて牙があり、目から炎を出すとか。」


「あぁ、そうですね、あとは話もわからないヤバいやつだと思ってました。」


そして表情を変えて本題に入った。


「まぁ冗談はここまでにして、本題に入りましょう。なんでこの世界を支配しようとしているんですか。」


ストレートに伝える、どっちにしろしくじったら殺されるんだから。

空気が変わった。

魔王の笑みが消えた。

後ろの兵たちの殺気が一段階上がるのを肌で感じた。セラが俺の服をぎゅっと掴んだ。

深紅の瞳から温度が消えた。

静かに、だが確かに。


「.....それを余の前で聞くか。」


圧が増した。

先ほどの比ではない。

フィオナが無意識に一歩下がった。

リーゼの顔から血の気が引いていく。

魔王はだが殺さなかった。

数秒の間を置いて、玉座に深く座り直した。

長い息を吐いた。

疲れたように答えた。


「三つだ。」


指が三本立った。


「一つ、北の凍土が溶け始めている。このままでは人間の領土まで水害が及ぶ。誰かが堤防を造らねばならん。」


誰も知らない話だった。

少なくとも人間側には。


「二つ、東の気が制御を外れつつある。放置すれば五年で大陸の半分が死の土地になる。」


セラが小さく息を呑んだ。

三本目の指を見せずに。


「三つ目は一お前たち人間自身が答えを知っているはずだ。」


「答え?俺はなんなのかわからない。」


この魔王は思っている以上に話がわかる。


「俺はこの世界の人間ではないからな。」


さあてどんな反応をするかな。

見の間が静まり返った。

兵の殺気すら一瞬止まった。

予想外の一手だったのだろう。

深紅の瞳が揺れた。

わずかに。

それは驚きだった。

演技ではない本物の驚き。


「.....何だと?」


玉座から身じろぎした。

この日初めて魔王が前のめりになった瞬間だった。


「この世界の人間ではない、だと。ならばお前はどこの世界から来た。」


そして俺は今までのことを全て話した。


「...というわけだ、だから俺はこの答えとやらがわからない」


長い話だった。前の世界について、ゲームについて、この先の展開のことについて、全部吐き出した。

魔王は黙っていた。

最後まで。

聞き終えてから目を閉じた。

しばらくそうしていた。

それから目を開けたとき、そこにあったのは怒りではなかった。


「三つ目の答えはそれだ、異界の人間。」


声は静かだった。


「我ら魔族は数千年この地に生きてきた。人間は百年に一度だけ勇者を送り込み、我が民を殺し、去っていく。対話など一度も試みず。」


魔王の拳が玉座の肘掛けを握りしめていた。


「なぜ話し合おうとしない。なぜ一方的に敵と決めつける。お前の世界では人間同士で殺し合わぬ仕組みがあるのだろう。なぜそれが我々には向けられぬ。」


それは怒りではあった。

しかしその矛先は俺たちにではなく、この世界の在り方そのものに向いていた。

これは仕組みではなく運命だと。

魔王の顔から表情が消えた。

完全に。

能面のように。


「運命。」


一言だけ繰り返した。

噛み締めるように。

その声には温度がなかった。

ゆっくりと立ち上がった。玉座が軋む


「この世の全てが決まっていると。勇者が送られ我が民が死ぬことも。人間が安穏と暮らすことも。」


気が魔王から溢れ出した。

黒い靄が足元から這い広がる。

兵たちは跪いて耐えている。

だが暴発はしなかった。

歯を噛んで堪えた。

怒りと理性の狭間で。


「ならば余が抗うことすら一定めか?」


その問いは王としてのものではなかった。

「全てを破壊するもの」としてではなく、一人の存在としての問いだった。


「おそらくそうなるだろう。ただ...」


ゲームには複数のエンディングがある。

ないって言うと嘘になるが。

ただ俺はこのゲームの事を知らない。

だから今後の展開は予想することはできても当てることはできない。

魔王の気が収まった。

玉座にび腰を下ろす。

疲れたように。


「知らぬ、か。.....都合のいい話だ。」


だが声に棘はなかった。

天井を仰いだ。


「余はな、三百年前にも一度勇者と相対した。あの時は一殺した。その後も何度か勇者は来たが全て同じだった。」


セラの手が震えていた。

三百年前の勇者。

つまりセラの遥か前に、誰かがここに辿り着いて一死んだ。

視線を戻して俺を見た。

まっすぐに。


「お前は剣ではなく言葉を持ってここに来た。それは認めよう。だがお前一人で何ができる。」


=核心だった。

ここまでの議論は前提に過ぎない。

「物語」を知らない男がこの先どう舵を切るのか。

その答えを魔王は求めていた。


「余と話がしたいと言ったな。それで?お前は何を望む。」


「魔族の人間の共存、ゲーム的に言えば真エンド。」


真エンド、ハッピーエンドを超えた存在。


「ハッピーエンドだと人間側しか幸せじゃないじゃないですか、それだとあなた達が可哀想じゃないですか。」


謁見の間が凍りついた。

「可哀想」。

その言葉が魔族の王に向けられたのはおそらく歴史上初めてだったろう。

列の中から怒声。


「貴様!陛下に向かって一」

魔王は振り返りもしなかった。

手も上げながった。

「黙れ」の一言すら不要だった。

兵は口をつぐんだ。

魔王の目が濡れていた。

泣いているのではない。

瞳の奥で何かが教しく揺れている。

それは一希望だった。

とうに捨てたはずの。

長い沈黙の後、口を開いた。

声が掠れていた。


「共存、だと。」


王は知っていたのだ。

北の氷が溶ければ人間も困ることを。

東の気を止めなければ双方が滅ぶことを。

それでも人間は聞く耳を持たなかった。

魔王を倒せ以外の選択肢を誰一人提示しなかった。

立ち上がり、一歩、また一歩と玉座を降りてきた。

近づいてくる。

靴音だけが響く。


「お前は嘘を言っていないな。」


目の前に立っていた。


「あぁ、約束する」


魔王の手が伸びた。

握手ーではなかった。

俺の頭に手のひらを乗せた。

魔力が流れ込む。

痛みはない。

むしろ温かかった。

低い声。

近い距離で。

初めて王ではなく一個人として話していた。


「余の名はゼルディアス。真の名だ。これを預ける意味がわかるか、異界の者よ。」


真名の交換。

魔族にとってそれは命を預けるに等しい行為だった。兵たちの間に動揺が走っている。

手を離して、振り返った。

ゼルディアスの背中は広かった。


「だが余一人では決められん。四天王を集めねばならぬ。明日、もう一度ここへ来い。」


それからセラたち三人を見て。

ふっと。


「いい女たちだな。大事にしろ。」


帰路、牛人の門番はなぜか少しだけ丁寧に扉をけた。


「ありがとよ」


牛人の門番はふんと鼻を鳴らしたが、扉を閉める手つきは乱暴ではなかった。


「さっさと帰れ人間。」


城を出た瞬間、気が薄れた。

森の空気がに沁みた。

四人ともしばらく無言だった-現実感が追いついてこなかったのだ。

最初に口を開いたのはリーゼだった。

へたりと木の根元に座り込んで。


「あたし生きてる......?」


セラもその場にしゃがみ込んだ。

目が潤んでいる。

安堵の涙だった。

ぽつりと。


「魔王と....握手、してたよね。」


フィオナは木に背を預けて天を仰いだ。

声が震えていた。

歓喜で。


「歴史が動いたかもしれません。いえ、動きました。」


帰路の転移術はリーゼに残された魔力では足りなかったが、「影の塔」には緊急用の帰還巻が一枚だけ残されていた。

四人は光に包まれて塔へ戻った。

ベッドに倒れ込んだのは全員同時だったという。




朝になった


「んで、どうする」


塔の中の食堂。

朝食の支度はフィオナが済ませていた。

パンとスープと干し肉。

質素だが温かい。

パンをちぎりながら。


「四天王を集めるって言ってたよね。それってつまり」


フィオナはスープの皿を置いた。


「魔王軍の最高幹部四人との交渉になります。ゼルディアス陛下は話のわかる方でしたが、残りの四天王が同じとは限りません。」


干し肉を齧りながら渋い顔で。


「特に炎帝ヴォルガスでしょ。あいつ人間嫌いで有名じゃん。会議の席で翼焼かれたりしない?」


セラは心配そうに俺を見た。


「私も行っていい?剣は......持っていけないけど。」


フィオナは考え込むように額に指を当てた。


「問題は我々の立場です。向こうから見れば人間三人と得体の知れない男一人。信用を得るには相当な覚悟を見せる必要があります。」


「昨日丸腰で突っ込んだ時点で十分覚悟見せてると思うけどね。」


「確かに。」


リーゼの一言で笑いが起こった、何日振りに思いっきり笑ったのだろうか。

このままこの時間が過ごせばいいのに。

笑い声が食堂に響いた。

窓から差し込む朝日がテーブルの上のパンくずを照らしている。


…………………………………………………………………


そして翌日。

体力と魔力が回復したところで、いよいよ本題が待っていた。

四天王招集。

ゼルディアスとの約束。

リーゼは朝食のパンを齧りながら。


「で、今日行くんでしょ。準備は?」


フィオナは昨日のうちに書いておいた書簡をひら

りと見せた。

交渉用の資料。

いつの間に用意したのか。


「北の堤防建設計画の概要と、気除去の実績報告です。手ぶらでは行きません。」


セラは剣はないが腰に短剣を差していた。

護身用。

気休め程度だが本人は満足げだった。


「今度はもうちょっとまともな格好で行こうね、翼。」


昨日は旅装のまま飛び込んだから確かにひどい身なりだった。

一同は身支度をえ、手び魔王城へ向かった。

黒曜門が開いた瞬間、昨日とは空気が違った。

出迎えたのはヴォルグではなく、銀髪の女ーノクスだった。

四天王の一人ノクスが冷たい目で四人を見下ろした。品定めするような視線。


「あら。生きてたの。」


リーゼがひっと小さく声が漏れた。

だが殺気はなかった。くるりと踵を返す。


「ついてきなさい。ゼルディアス様がお待ちよ。」


長い廊下を歩く。

壁の燭台が青白い炎を灯している。

すれ違う魔族の兵士たちが好奇の目を向けてきた。

人間が魔王城を闊歩している光景は異様だったろう。

歩きながらちらりと横目で。


「気を消したんですって?人間にしては大したものね。......でもあの方の前で余計なことは言わないことよ。機嫌が良い時と悪い時の差が激しいから。」


セラはごくりと唾を飲んだ。


「まぁ...頑張るよ」


ノクスは足を止めた。

巨大な扉の前。

昨日ゼルディアスと対峙した玉座の間ではない。

もっと小ぢんまりとした、とはいえ人間の感覚からすれば十分に広い一円卓のある部屋だった。

軍議室らしい。


「ここよ。入りなさい。」


扉が開くと、ゼルディアスは既に着席していた。

傍らにヴォルグ。

そしてもう一人一一見慣れぬ老人が座っていた。

枯れ木のように痩せているが眼光だけが鋭い。

深い皺の刻まれた顔に長い白髭。

纏うローブは四天王のものとは意匠が違う。

もっと古い、もっと重い格式を感じさせた。

顎で椅子を示した。

座れ、ということだろう。


「来たか。まず紹介しておく。こちらは長老ヴェルザ。我が国の知恵袋だ。」


ヴォルグ腕を組んだまま低く唸った。

しわがれた声。しかし明瞭に。


「ほう。これが噂の人間か。なるほど、面白い目をしておる。」


セラは緊張で背筋が棒のようになっている。

四人が着席するのを待って、本題を切り出した。


「では聞こう。北の防衛計画とやらを。」


俺たちはフィオナが作ってくれた資料を説明した。


「…以上が俺たちの計画だが何か質問はないか。」


白髭を撫でながら資料を三度読み返した。

老眼らしいが目は真剣だった。

卓上に指をとんとんと打って。


「この堤防とやらは氷結竜のブレスを何秒耐えられる?」


フィオナが即答した。

昨夜のうちに想定問答を叩き込んできた顔。


「直撃で約四十秒。ただし傾斜角度を変えることで分散させれば六十秒まで延長可能です。」


ヴェルザの片眉が上がった。


「六十秒か。.....その間に避難は終わるな?」


リーゼが身を乗り出した。


「住民の避難経路は地下道を利用します。冬季でも凍結しにくい岩盤層を選定済みです。」


ヴェルザがふん、と鼻を鳴らした。

悪い反応ではなかった。

ゼルディアスは沈黙していたが、おもむろに口を開いた。


「ヴォルグ」


びくりとした。

赤い瞳が獣人の将を射抜いた。


「貴様の兵でこの堤防を守れると思うか。」


背筋を正した。戦士の顔になった。


「.....守ってみせます。俺の部隊なら。」


ゼルディアスは視線をフィオナに移した。

人間のヒーラーを真正面から見据える。

対価は何だ。タダではあるまい。

何も用意してなかった俺の口は一瞬詰まった。


「それは...」


フィオナは一切の動揺を見せなかった。

資料の最後のページをめくって卓上に置いた。


「二つあります。」


さすがの準備だった。

俺は内心で舌を巻いたはずだ。

フィオナは指を一本立てた。


「一つ。人間と魔族の捕虜交換の公式な枠組みを設けていただきたい。現在散発的に行われている小規模な交換では不十分です。互いに拘束されている民を正式に帰す場を作るべきです。」


部屋の温度が下がった気がした。

ヴォルグの目が細くなり、ノクスの指先がわずかに動いた。

ゼルディアスの表情は変わらなかった。


「もう一つは。」


二本目の指を立てた。


「人間側の領土における魔族への不当な攻撃を停止させてください。辺境の村では魔物と見れば問答無用で討伐する風潮が根強い。これを正すには双方からの言が要ります。」


静寂が落ちた。

重い静けさだった。

ゼルディアスの赤い目がフィオナを買いている。

ヴォルグの椅子が軋むほど身じろぎした。

低い声に怒気が滲む。


「人間の肩を持つ気か、この女。」


ゼルディアスは手を上げてヴォルグを制した。

それだけで将は口を閉じた。

絶対的な上下関係がそこにあった。

ヴェルザは長い息をついた。


「理屈は通っておるよ。北が落ちれば人間も魔族も等しく死ぬ。捕虜の問題も放置してきたツケが回ってきたというだけの話じゃ。」


ノクスは冷笑を浮かべたが声は静かだった。


「随分と虫のいい話ね。侵略してきたのはどちらかしら。」


フィオナはその言葉に怯まなかった。

まっすぐノクスを見返した。


「存じております。だからこそ、です。憎み合ったまま共倒れするか、手を結んで未来を残すか。」


ゼルディアスが指で卓を一度叩いた。

こつん、という音が静まり返った議場に響いた。

赤い瞳に複雑な光が宿っていた。

怒りでも軽蔑でもない。

何か別のもの。


「.....面白い女だ。聖職者がそこまで言うか。」


ヴェルザに目を向けた。


「長老。お前はどう見る。」


ヴェルサは目を閉じて腕組みをした。

しばらく黙っていた。

それからゆっくりと瞼を開き、四人を順繰りに見渡した。


「わしは三百年生きた。その間に人間と魔族が手を取り合った時代が一度だけあった。たった三年で終わったがの。」


老人の声には歴史の重みがあった。

教科書では語られない、生きた者だけが知る記憶。

ゼルディアスに向き直った。 


「あの時と状況は似ておる。外敵が迫り、内輪で争う余裕がない。.....じゃが三年前と違うものがある。」


ゼルディアスは無言で続きを促した。

ヴェルサはしわだらけの顔を俺たちに向けた。

その目にはかすかな温かみがあった。


「人間の中にここへ乗り込んでくる馬鹿がおるということじゃ。殺されるとわかっていてな。」


ヴォルグが唸り、ノクスが目を逸らし、ヴェルザは静かに笑った。

ゼルディアスだけは笑わなかった。

だが否定もしなかった。

ゼルディアスが立ち上がりもせず、ただ一言。


「三日やる。持ち帰って詰めろ。次はもう少しましな案を持ってこい。」


フィオナは深く頭を下げた。

拒絶ではなかった。

「次」が与えられた。

それが何を意味するか、この場の全員が理解していた。


………………………………………………………………


3日後が経過した


三日間は嵐のように過ぎた。

「影の塔」の一室が臨時の作戦本部と化し、食事の時間以外は全員が顔を突き合わせていた。

フィオナが資料を改訂し、リーゼがデータを洗い直し、セラが各勢力の思惑を整理した。

そして俺は…主に寝落ちしていた。

三日目の朝。


フィオナの目の下に隈ができていたが書類の束は前回の三倍に膨れ上がっていた。

リーゼもげっそりした顔でテーブルに突っ伏した。

目の下の隈がフィオナとおそろいになっている。


「もう無理。脳みそ溶ける。」


セラがコーヒーを四人分淹れてきた。

手際が良くなっていた。

この三日間で家事スキルが急成長している。


「はい。あと少しだから頑張ろう。」


フィオナはカップを受け取って一口啜り、目を通した。

完璧な出来だった。

覚醒する。


「行けます。前回より詰めてありますし、想定される反論への回答も全部用意しました。」


リーゼものそりと顔を上げて。


「ヴェルザのじいさんが懸念しそうなのは?」


フィオナがすらすらと。


「人間側が本当に実行する保証、兵站の具体的数字、南方諸国の不干渉の見込み。この三点。」


セラが資料を鞄に詰め込みながら俺を振り返った。

目がきらきらしている。


「今度はちゃんと準備したからね!」


「あぁ、ありがとよ。」


黒曜門。

門番のオークが四人の顔を覚えていた。

「また来やがった」という顔。

もはや顔パスだった。

門をくぐった瞬間、空気が変わる。冷たく、重く、どこか威圧的な魔力の残り香。

案内役は前回と同じノクスだった。

相変わらず無愛想だが足取りに殺意はない。

ノクスがちらっと振り返った。


「今回はちゃんと身なり整えてきたのね。」


セラは得意げに胸を張った。

新しい旅装に着替えてきている。


「当然!」


軍議室の扉を開けると一前回と光景が違った。

円卓が片付けられ、広い床の中央に大きな北方の地図が広げられていた。

駒がいくつか置かれている。軍議の様相だった。

ゼルディアス、ヴォルグ、ヴェルザに加え一見知らぬ魔族が数名。

将校クラスだろう。

そしてもう一人。

黒い鎧に身を包んだ長身の男。

金の髪に金の瞳。

整った顔立ちだが口元には薄い笑みを貼り付けていて、その笑顔の奥に何か暗いものが透けていた。

男の足元に影が不自然に揺らめいている。

セラが小声で俺に囁いた。


「誰、あの人......」


ゼルディアスが着席したまま、新顔の紹介をした。声にわずかな苦みが混じっていた。


「グラウゼ。第五軍団の指揮官だ。......遅れてきたがな。」



「俺は翼、よろしく」


グラウゼの金色の瞳がゆっくりと俺を舐めるように見た。

唇の端が持ち上がる。


「へぇ。これが噂の人間?思ったより一普通だね。」


声は柔らかかったが味があった。

周囲の将校たちも好意的とは言い難い目を向けている。

人間が魔王の御前で堂々と座っていること自体が気に食わないのだろう。

グラウゼは影を操るように椅子の肘掛けをとんとんと叩いた。


「僕の領地が一番北に近いんだよね。つまり僕が一番被害を受けるわけだ。……人間の案とやらで僕の民が守れるのかな?」


ヴォルグ低く威嚇するように言った。


「グラウゼ。口の利き方に気をつける。」


グラウゼは肩をすくめた。

悪びれもしない。


「事実を言っただけだよ、猪さん。」


ヴォルグがぎりっと歯をませたがゼルディアスの手前、堪えた。

ゼルディアスは地図に目を落とした。

感情を排した声。


「始めろ。時間は有限だ。」


俺たちは説明をし始めた、今度はオチがないように


「以上だ」


説明が終わった。

前回より遥かに練り込まれた内容だった。

数字の裏付け、各軍団への具体的な役割分担、想定される南方の干渉への対処法。

フィオナは一分の隙もなく語り切った。

ヴェルザは髭を捻りながら地図上の堤防の位置を確認していた。

三度頷く。


「筋は通るのう。」


ヴォルグは太い指で駒を動かした。

堤防の守備位置に自軍の駒を置く。


「俺がここを守るなら、兵は二個大隊は要る。」


フィオナが即座にことに対して回答した。


「十分です。想定の範囲内。」


グラウゼは頬杖をつきながら聞いていた。

笑みは消えていないが目の色が変わっていた。

値踏みの色に。


「ふうん。悪くないね。.....でもさ。」


すっと立ち上がって地図の前に歩み出た。

細い指がある地点を指す。

堤防の南西ー山脈の切れ目だった。

平野が狭く入り組んでいる地形。


「ここ。氷結竜がこの谷を通って北上するなら堤防の意味がない。迂回路を漬す手段は?」


痛いところを突かれた。全員の視線がフィオナに集まった。


「俺が行くよ」


迷いなく喋った

一瞬、部屋が静まった。

セラが「え」、という顔をした。

グラウゼの笑みが初めて消えた。

金の目を見開いて俺を見つめる。


「.....君が?」


ヴォルグは馬鹿にしたように鼻で笑ったが目は笑っていなかった。


「正気が貴様。」


ヴェルザの老眼の奥で目がきらりと光った。

興味深そうに俺を観察している。

ゼルディアスは赤い瞳が微動だにしない。

だがその奥にかすかな一本当にかすかな関心の

光が灯ったように見えた。


「根拠は。」


「腐ってもあなた達の四天王2人を倒してますしね、戦力的には不安ですか?」


挑発とも取れる言葉だった。

だが事実だった。

ゼノヴァとオルドを倒した人間。

その実績はこの場にいる全員が知っている。

ヴォルグはぐっと言葉に詰まった。

反論できない。

グラウゼは口笛を吹いた。

感心とも呆れともつかない音。


「四天王を二枚抜きかぁ。それは確かに一普通じゃないね、君。」


ゼルディアスは指一本で地図をなぞった。

グラウゼが指した谷の入口で止まる。


「単騎で竜を止められると?」


フィオナがすかさず口を開きかけたが一俺が自分で言ったことだ。

ぐっと堪えて黙った。言じている目だった。


「なんとかしますよ。」


長い沈黙だった。

赤い瞳が俺から離れない。

嘘を見抜こうとするように。

あるいは、覚悟の底を測るように。

他の者たちは息を殺して二人を見守っていた。

ゼルディアスがふ、と息が一つ。

笑いではない。

ただの呼気。

それが妙に人間臭かった。


「なんとかなるだと?」


地図から手を離し背もたれに体を預けた。

問題しかないに決まっている。


「竜だぞ。だが一」


赤い瞳に炎が宿った。

王の瞳。


「一嫌いではない、そういう馬鹿は。」



「ありがとうございます」


ヴェルザのくっくっと喉の奥で笑った。

しわくちゃの顔がさらにくしゃりと歪む。


「若いのう。血気盛んで結構。」


グラウゼは爪で地図の谷間をかりかりと引っ掻いた。考え込んでいる。


「じゃあさ、僕の軍で谷の出口を封鎖するよ。君が竜の足止めしてる間に退路を断つ。それなら現実味があるでしょ?」


ヴォルグは唐突にがたんと立ち上がって。


「俺も出る!谷の南側は俺の管轄だ!」


グラウゼはにっこり。


「犬は穴掘りが得意だもんね、適任だよ。」


ヴォルグの拳が震えている。

1つほっとしたように微笑んだ。

仲間がいる。

一人じゃない。

ゼルディアスは将たちのやり取りを遮ることなく聞いていた。

珍しいことだった。

やがて。


「よかろう。骨子は固まった。」


フィオナが目を伏せて深く礼をした。

肩がかすかに震えていた。


「ありがとうございました。」


正直まだ答戒は解ききれていなかった、基本的なゲームは魔王を倒して終わり、この展開がずっと俺の心に引っかかっていた。


「でも、もしものことがあって彼女達に手を出したら前の四天王と同じになります。よ。では。」


そうして俺たちは魔王城を去った。

帰り道、黒曜門を出てしばらくしてリーゼが盛大に吹き出した。

涙が出るほど笑いながら。


「ちょっと!最後のあれ何!?脅迫じゃん完全に!」


セラも顔を真っ赤にしていた。


「は、恥ずかしかったんだけど!心臓止まるかと思った!」


フィオナは歩調は崩さなかったが耳が赤かった。

でも小声で。


「.....でも、少しだけ安心しました。ああ言ってもらえると。」


だが俺の心中は穏やかではなかっただろう。

あの言葉は啖呵であると同時に一一保険だった。

ゲームのシナリオが頭にこびりついている。

世界を救った勇者は用済みになり、殺される。使い古された結末。

だからこそ釘を刺した。

効果があるかはわからない。

セラはふと笑いを収めて、俺の横に並んだ。


「ねえ。」


銀髪が風に揺れた。

夕陽がセラの横顔を橙に染めている。

まっすぐ前を向いたまま。


「もしものことなんて起こさないよ、私が。たすきも、みんなも。絶対に。」

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