第九十九話 人魚の国
「いや、あの国は魔力量で全てが決まる国だ。エルが一人で動こうとしたら、できることはかなり限られるよ。やっぱり、僕たちだけでは無理があるな……僕はリヴの傍から離れられないし」
シディアたちを追って、西の国・アダマソルに向かうことになる、少し前。
ラファエルが師に言われた言葉だ。
たしかに、魔力量で全てが決まる国ならば、魔力の無いラファエルはどこへ行っても門前払いどころか、人として扱われない可能性もある。
師・ギャビンは「うーん」と考え込むように目を閉じた。
「ばーちゃんなら、あれだけ長く生きてるんだから、コネのひとつやふたつありそうなものだけど……あーでも、女王アムピトリテとは犬猿の仲みたいな話、昔聞いたような……あっ!」
突然大きな声を出したギャビンは、椅子から勢いよく立ち上がった。
ちらりと傍らのベッドを確認する。オリヴィアが穏やかな寝息を立てていることに安堵し、師匠に視線を戻した。
「そうだよ、コネなら僕らにもあるじゃないか、なんで忘れていたんだ!ほら、聖剣の泉に向かった時に、リヴが助けた人魚がいただろう」
そういえば、とラファエルも記憶を引っ張り出す。
「困った時は呼ぶようにと、貝笛をいただきましたね。島主家の、オリヴィア様のお部屋にあるはずです」
「そうだった、そうだった。よし。頼まれてくれるかい、エル」
ギャビンからラファエルへの頼みは、大きく分けて二つあった。
一つは、オリヴィアの部屋から貝笛を探し出し、ギャビンに預けること。
もう一つは、シディアたち三人と合流し、ともに目的地へ来ること。
なるほど、とラファエルは頷いた。
シディアとネオンならば、魔力量としては申し分ないだろう。ともに行動すれば、かの魔法の国でも動きやすくなるはずだ。
「もし弟くんたちが手こずっていたら、エルが遠慮なくちゃっちゃと片づけちゃっていいよ。なに、経験を積むのは大事だけど、それはこれから、いくらだってできるからね」
ギャビンはそう言いながら、ラファエルに小さな魔法具を手渡した。
「これに魔力を少し込めれば、僕のいる場所がわかる。方角を指し示す、という感じかな。入国するまでのルートは先に教えた通りだけど、入国後はこれを使って落ち合おう」
「承知しました。では、急ぎ行動を開始します」
まずは島主家に戻り、貝笛を探さなければならない。
机の引き出しに保管していたような気がするな、と記憶を辿りながらドアノブに手をかけた。
ふと、先ほど手渡された魔法具が気になり、ラファエルはしばし手の中のそれを見つめる。
「どうしたんだい、エル」
不思議そうにこちらを見ているであろう師のほうは振り向かず、そのまま問いを投げた。
「私をここまで信頼してよろしいのですか?師匠」
もっと、返答には間があると思っていた。
しかしギャビンは、普段通りのテンポで答える。
「そりゃあ、世界にたった二人しかいない弟子の一人だ。もちろん信頼しているとも」
「そうしたほうが主にとって有益だと判断すれば、私は躊躇なく、あなたの情報を敵に売るでしょう。───それでも、信頼できると?」
久しぶりに怒られるだろうか。それとも、調子の良い誤魔化し方をされるだろうか。
二つに一つだと思っていたラファエルは、師の反応に面食らうこととなった。
「……ぶっ。あっははははは!」
ギャビンは吹き出し、文字通り笑い転げたのだ。
笑いすぎたために、ひぃひぃと息を切らす師を、ラファエルは理解できないものを見る目で眺める。
一通り笑ったあと、ギャビンは目の端から溢れた涙を指で拭った。
「はー、ごめんごめん。想定内のことを、あまりにも真面目な雰囲気で言うものだから。つい、ね」
「な……」
「そんなの、忠臣のキミがやりそうなこと、断トツの第一位じゃないか。むしろ、僕の情報程度でリヴが助かるなら安いものだよ。現実は、そううまくいかないけれどもね」
*****
「……というわけで、西の国までは銀の鷹に乗せていただきました。あとは皆さまがご存じの通りです。───ああ、潮の流れが少し変わってきましたね。先ほどお話した例の場所には、あと数分もあれば着くはずです」
シディアたちを追いかけてきた経緯をかいつまんで話したラファエルは、こう締めくくった。
勇者の卵一行───シディア、アリス、ネオン、ラファエルの四人がいるのは、「例の場所」に向かうケルピー船の中である。
よく晴れている、というほどでもないが、日差しも波も穏やかで、航海には良い天気だ。
「お客さん、本当にここでいいんです?」
ケルピー船の御者が、心配そうに若者たちを見回した。男性が多いこの職業には珍しく、壮年の女性である。
「はい。ここで合っています、ご心配なく」
「おばさま、ありがとう!」
ラファエルとアリスの爽やかな笑顔に、にっこりと御者も笑みを返す。
目的地に降り立ったシディアは、心配されるのも無理はないな、と周囲を見渡した。
アダマソル遠洋に浮かぶ、小さな名もなき島。かつて栄えた名残がところどころに残る港は、すっかり寂れてしまっている。
「さて、急ぎましょう。師匠に教わった出入口は、一日中開いているわけではないようですから」
ケルピー船を見送ると、ラファエルはすたすたと歩き出した。
後ろについて歩きながら、シディアはきょろきょろと辺りを観察する。
人気はないが、特段汚いとか、不気味だとかいうわけでもない。
「一昔前、貴族を中心に別荘地として栄えた港町です」
シディアの視線を察してか、ラファエルが唐突に解説を始めた。
「魔王復活以降、付近の海が荒れることがたびたびあり、人が寄り付かなくなったようですね」
ラファエルについてしばらく進むと、小さな灯台に辿り着いた。
灯台の中はがらんとしていて、真正面になにやら縦に長い、筒状の物が鎮座している。手前側は引き戸になっていて、乗り込めるようだ。
「な、なんだこれ……エル兄、さっき話してた移動方法って、もしかしてこれのこと?」
「仰る通りです。定員は六名らしいですから、荷物を加味しても全員同時で問題ないでしょう」
どうやら、猫妖精の国・リベルカトゥスの移動魔法陣とは違い、これそのものに乗って移動するわけではないようだ。
「移動魔法が人体に直接、強制的にかけられるって感じか。同時に六人までって、けっこう凄いと思うんだけど……」
「はい。騎士団にも移動魔法の使い手がいますが、動かせるのは自分自身のみ、かつ、短距離に限ると言っていました。自身以外の生物を移動させることはもちろん、それを複数同時にというのは、かなり高度な魔法でございますね」
ラファエルの回答に頷きながら、シディアは初めて三日月島に行った日のことを思い出していた。
バーゼルは魔法石ひとつで、自身を含めて三人を、街から自宅まで移動させてみせた。本人は「チマチマした魔法」などと謙遜していたが、あれはなかなかに高度な魔法のはずだ。本業が薬師とはいえ、伊達に妖精ではないということか。
そして移動魔法と言えば忘れてはならないのが、魔王軍最強の魔法使い・グウェルバートのゲートだ。わかってはいたが、やはりゲートは魔法の中でも別格なのだと改めて実感する。
四人はお世辞にも広いとは言えない筒状の空間に、詰め込まれるように乗り込み、扉を閉めた。
すると、一瞬で。
「うわ、すごい……」
「わーー、ヤバイねこれ!」
「マジか……」
シディアも、アリスも、ネオンも。三人揃って語彙力が低下するほどに、そこには神秘的な光景が広がっていた。
───人魚の国。地上では俗にそう呼ばれる、海底都市・レザビス。
おとぎ話の舞台のようなこの都市について、詳細に書かれた書物は非常に少ない。
まず目に入るのは、足下からゆるやかなカーブを描きつつ前方へと伸びる、きめ細やかな白砂の道だ。
周囲はサンゴや岩に囲まれており、色とりどりのイソギンチャクが踊るように揺れていた。
波間からきらきらと降り注ぐ日差しが、海面の動きに合わせゆらめく。
遠くに見える巨大な城は、海底全域を治める女王・アムピトリテの居城に違いない。
圧巻の光景にしばし見惚れていたシディアの隣を、クラゲが優雅に泳ぎながら通り過ぎた。頭にちょこんと小さなシルクハットを乗せている。
通り抜けざまにシルクハットを取って、ぺこりとお辞儀をされ、思わずシディアも「あ、こんにちは」と挨拶を返す。ただのクラゲではなく、クラゲの精かなにかだったようだ。
───え?クラゲ?
自らの周囲に海水が満ちていることに気づき、シディアは慌てて両手で口をふさいだ。
「お、溺れ……ない?あれ?」
不思議な感覚だった。水の中にいるにも関わらず、呼吸ができ、地に足がついている。まるで空気があるかのようだ。
「観光地や地上との連絡通路などは、水生生物ではない生き物も想定して作られていると聞いています。私も来るのは初めてですし、仕組みはまではわかりませんが」
「そ、そういうのは早く言ってよエル兄、心臓に悪いよ……」
言いながら、シディアは密かに決意を固めていた。
なんとしても機会を作って、この国の本屋に足を運ばねば、と。
第九十九話 人魚の国 <終>




