第九十八話 優しい夜に花束を
「ドクター・コセ、報告です」
今日も抑揚の少ない独特の声音が、コセの耳に届く。
冷たい月明かりが美しい、静かな良い夜にもまったく邪魔にならないこの声が、コセは好きだ。
「どうした、アカツキ。赤目はん、ようやっと折れてくれたんか?」
「……実験体D‐001───通称「赤目」との接続に失敗しました。アクセスを拒否された後、反応の消失を確認。仮称:人工ブラッドナンバー001・002と同様、魔力を遮断されていると推測します」
はー、と天を仰いだ。想定していた中で、最も嫌な結末だ。
「やっぱりか~。蜂ちゃんたちもデータ取ろ思て放ってみただけやのに、まさかの全滅やし。蜂だけに、泣きっ面に蜂ってか?竜騎兵団とかいう奴らの強さがイカレてるわぁ」
ネペンテス・ビーをアダマソルの森に放った後、ティラミスからの連絡で黒竜狩りの一族・竜騎兵団とやらが付近で活動していることを知ったのだ。
そんな厄介な存在がいると知っていたら、少なくとも西の国は選ばなかったのに。
とはいえ、運の悪さを嘆いても仕方がない。研究や実験に失敗はつきものだ。
絶滅した魔物を復活させるというのは、なかなかにロマンのある仕事だった。
さあ───次は何をして、自身と魔王を愉しませようか。
「切り替えてくでー、アカツキ。次や、次」
*****
竜王ドラグメデスを倒してから、約一週間。
数日間キャンプで休養した後、さらに数日をかけてウィレの村に帰還したシディアたち───最終的にキャンプにいた一番隊・二番隊・三番隊の混合部隊に加え、フィデル率いる猫妖精の医療チーム───は、手厚い出迎えを受けた。
三番隊の一人が伝令として先に帰還し、状況を伝えてあったからだろう。長も直々に出迎え、猫妖精たちを歓迎している。
驚くことに、フィデルたちが研究している流行り病の治療薬は、もうあと数日もあれば完成するだろうとのことだった。
帰還前に立ち寄ったキャンプで、四番隊と研究データを共有し合ったおかげですよ、などとフィデルは言っていたが、だとしてもとんでもない研究速度である。父ジョセフがこの場にいたら、目を輝かせて質問攻めにすることだろう。
「フォルテ!」
名を呼ばれたフォルテが走り出そうとして、シディアとネオンを振り返った。
「いっぱい甘えてこい。フォルテのおかげで俺たち助かったよ、ありがとな」
首を撫でてやると、フォルテはシディアの頬に自らの額を押し付けた。ちょっぴり強めのその挨拶に、少しだけ寂しさを覚える。
マチルダのもとに嬉しそうに走っていく後ろ姿を、ネオンと二人、微笑ましく眺めた。
「無事に帰せてホッとしたわー、マジで。レックスたちも元気でなによりっつーことで」
ネオンの言葉に頷きながら、家族や友人たちとの再会をそれぞれ喜ぶ、一番隊の面々を見渡す。
あの日。ミコトを乗せ谷底から脱出したメルが、キャンプ手前で力尽きかけた際、ウゴたち三番隊が駆け付けてくれたらしい。フォルテが先にひとりで戻ってきたため、異常事態として目を光らせてくれていたようだ。
瀕死だったミコトはウゴたちが回復薬などを駆使して応急処置をし、その後猫妖精たち医療チームの手によって一命を取り留めた。どれかひとつでもタイミングが遅れていたら危なかったかもしれない、という縞猫フィデルの言葉に、ヒューゴが見たこともない青ざめ方をしていたのが記憶に新しい。
ちなみにヒューゴもミコトも、既に普通に生活できるレベルにまで回復している。さすがの回復速度だ。
ヒューゴの愛竜・レックスは、三日間ほどシルヴェストのもとで世話になっていたようだ。
怪我の治療はもちろん、建国祭に乗じて美味しいものをたらふく食べ、たっぷり休養をとり、元気いっぱいでヒューゴのもとへと帰ってきたのであった。
**
「それでは。竜騎兵団の勝利を祝して、乾杯!」
その夜は、村をあげての宴が催された。
戦死者が複数人いる以上、どんちゃん騒ぎという雰囲気ではないが、勝利の宴には変わりない。
シディアは皆から少し離れたベンチで、ひとりジョッキを傾けた。中身はもちろん酒ではなく果実のジュースだ。
ここ数日で、ある程度気持ちに折り合いはつけたつもりだった。それでもやはり、ウィレの村の人たち───戦死者の遺族の悲しみを目の当たりにすると、悔やんでしまう。
もう少し、うまくやる方法はなかったのか。もっと、できることはなかったのか。
───その瞳で世界の真実を見るのがお前の役目じゃ。
去り際のブラウの言葉が脳裏に浮かぶ。
もし、この瞳の力で、竜王の魔力炉を速やかに破壊できていたら。でも───。
ブラッドナンバーに乗っ取られかけた感覚を思い出し、身震いする。
ポートシーガルで、魔力を込めなくても樹木人形の魔力炉が見えた時は、使いこなせるようになったのかと喜んだものだった。
しかし、実際は違った。今回同様、瞳がブラッドナンバーと接続していただけだったのだ。あの時は、シリウスの魔力で守られていたために暴走しなかったのだろう。物理的に距離があったことも幸いしたのかもしれない。
結局、両親にこの瞳のことはきちんと伝えられていない。言えば怒られるんじゃないか、という謎の後ろめたさが胸の奥から離れないのだ。
世界の真実とは、なんなのだろう。今の使い方は、間違っているのだろうか───?
「シディア様。黒竜肉の香草焼きをお持ちしました」
ふいに話しかけられ、我に返った。
にこにこと笑みを浮かべるラファエルが持つ皿からは、なんとも言えない美味しそうな香りが漂ってくる。
「移動続きでお疲れでしょう。お代わりもありますので、存分にお召し上がりください。いやはや、さすがは幻の肉、焼きがいがありました」
「ありがとう。……って、ん?この肉、エル兄が焼いたの?」
「はい。村のご婦人方に焼き方のコツを教わりながら、少々お手伝いを。先にアリステア様にもお渡ししてまいりました。十人前は食べる!と張り切っていらっしゃいましたよ」
「そ、そっか。いただきます」
キャンプでも野営中も、見るたびに働いていたこの執事は、いったいいつ休んでいるのだろうか。
今夜くらいは主君の弟の権限を使って、強制的に休ませる必要があるかもしれない。そんな権限があるのかは知らないが。
そういえば、働き者すぎるこの人に聞きたいことがあったのだ、とシディアは思い出した。
「なんだかんだ聞きそびれてたけど。エル兄は、なんで俺たちを追いかけてきたの?母さんに言われた?それとも騎士団の仕事とか?」
「いえ、師匠の指示でまいりました」
「ギャビン先生の……まさか、姉さんになにか───?」
シディアの問いにラファエルは顔を曇らせた。落ち着いてからお話するつもりだったのですが、と前置きし、オリヴィアの現状を伝える。
「そんなひどい状況なのか……そうだ、バーゼルは?三日月島に腕のいい薬師がいるんだ。彼に頼めば───」
シディアの提案に、ラファエルは残念そうに首を横に振った。
「私も、セフィドの花から作る薬の話は聞いております。しかし、今すぐには無理なのです。花の時期は真夏の一時のみ。咲き始めるまで二月近くはかかるでしょう」
「あ……」
あの時。母ダリアの分だけじゃなく、姉オリヴィアの分も採取できていたら。
ついそんな考えが頭を過ぎるが、意味のない後悔だ。
摘み取ったセフィドの花は一日で枯れ、作られた薬の期限は持って二、三日。オリヴィアに会うまでは到底持たなかっただろう。
「師匠が仰るにはひとつだけ、可能性があると」
ラファエルが語るギャビンの策に、シディアは耳を傾けた。
正直、眉唾に思える。それでも、他にないならそれを目指すしかない。
「……というわけでして。慌ただしいですが、早いうちに目的地へ赴きたく」
「そうだね、姉さんのピンチだ。明日にでも出発しよう」
大きく頷くシディアの肩を、ふいに掴む手があった。同時に、背後から酒の匂いがふわりと漂う。
「えー、シディアたち、もう行っちゃうの~?早くな~い?」
完全にできあがったレオが、ジョッキを片手に、目に涙を溜めて佇んでいた。
「また酔っぱらってんのか、レオは」
まったくこの男は。酒を飲むたびにこれでは、ヒューゴたちも大変だ。
ふらつくレオをラファエルがさり気なく支えたところで、レオを追いかけてきたらしい面々が追いついてきた。アリス、ヒューゴ、ミコトである。
「レオちー、出迎えの列の中に彼氏がいなくて、まーた寂しくなっちゃったって」
「もう少しで薬完成するんだから、もうちょっとの辛抱だぜ。な?レオ」
ここ数日、レオが何度も悔し涙を流していたのを、シディアは知っている。
一番隊の全員で帰還できなかったことを、守り神として悔やんで悔やんで、悔やみきれないでいる。
ヒューゴもミコトも、それぞれの立場で責任を感じていた。
それでも彼らは、前を向こうとしている。未来へ進もうとしている。
今夜くらいは、レオのジョッキを取り上げずともいいのかもしれない。
カラ元気だろうがなんだろうが。馬鹿みたいに騒いで笑って、そんな時間が癒しになることだって、きっとある。
一方。アリスたちの背後でもう一人、慰められている少女がいた。
「よーしよしよし。ヒルデちゃんならだいじょーぶだって。ね?」
「……うん」
頭をわしゃわしゃと撫でるネオンの手を振り払おうともせず、唇をきゅっと結んでヒルデは俯いていた。
「また来るからさ。その時は幻空間で、新しい弾の試し撃ちでも付き合ってよ」
「……ぱんけーき」
「ん?」
「パンケーキも、また一緒に食べるですか」
ああ、いつぞや特訓の礼にとシディアがご馳走した、クリームたっぷりのパンケーキか、と思い至る。ネオンだけでなく、その場の全員が笑顔になった。
「うんうん、いくらでも食べよ~ぜ★」
ネオンの言葉に大いに頷きながら、アリスがシディアを振り向く。
「その時も、シディアのおごりでね!」
「なんで俺!?」
若者たちの笑い声が、夜の風に溶けてゆく。
温かな香りが皆を包み、木の葉は軽やかに舞い、満天の星は優しく瞬く。
新たなる旅路に、祝福の花を添えるように。
第九十八話 優しい夜に花束を <終>




