第百話 最初の関門
ざりざりと、靴底が白砂を踏む音がする。
音の聞こえ方、足を動かす感覚、物の見え方。なにからなにまで地上と大差がないことに改めて驚かされる。海底であることを忘れてしまいそうだ。
二つ目のカーブに差し掛かったところで、先頭を歩いていたラファエルが、ふいにシディアたちを振り返った。
「このまま道なりに行けば関所があるはずです。歩きながらになりますが、この海底都市・レザビスについてお話しておきましょう」
師匠の受け売りですが、とラファエルは言葉を繋ぐ。
「ここでは、魔力がすべてです。魔力量が身分証になるイメージでしょうか。魔力量が多ければ一目置かれ、少なければ行動が制限される。魔力が無い私など論外でしょう。トラブルを避けるためにも、基本は四人一緒に行動するか、二人以上で行動するのが安全だと考えています」
シディア、アリス、ネオンは同時に頷いた。
たとえ魔力量の件がなくとも、地上とはなにかと勝手が違うであろうこの場所で、単独行動は避けたい。
「とくにアリスとエル兄をひとりにするのは厳禁ってことか。となると……」
シディアの視線に、ネオンは任せろとばかりに片目を閉じてみせた。
「じゃー、アリスおいでおいで。ウチから離れんなよ★」
「うん、くっついとくー」
ネオンに抱き着くアリスを横目で見、「まあ、そうなるな」とシディアはラファエルに視線を戻した。
「エル兄は、なるべく俺が隣にいるようにするね」
「ありがとうございます。レザビスに滞在中は、シディア様の従者として振る舞ったほうが自然かもしれませんね」
「それは姉さんに申し訳ないというか……いいよ、いつも通りで」
四つ目のカーブを曲がった先に、関所はあった。
白砂の道が八つに分かれ、門に繋がっているようだ。門の前にはそれぞれ人魚が一人ずつ配置されている。入国可否を判断する役人だろう。
周囲には警備員らしき屈強な人魚が数人、等間隔で並んでおり、物々しい雰囲気だ。
そして、八つに伸びる白砂の道はというと。
「ヤバイ、めっちゃくちゃ混んでるー!」
いつもはうるさいとすら思うアリスの大声が聞こえにくくなるほどに、関所の前はごった返していた。
大半が海や水に関係していそうな見た目の妖精で、人間の姿は見当たらないが、シディアたちがいることを気に留めるようなそぶりはない。そんなことより早くレザビスに入国したい、皆がそう思っていそうな空気感である。
関所の前に到着して二分と経っていないが、いつの間にかシディアたちの背後にも後から来た妖精たちが列を成していた。混み具合だけ見れば、まるで祭りだ。
「うわっとっと」
「ネオン、押すなって」
「いやいや後ろから押され……あっ。ごめんシディア、足踏んだ」
「俺じゃないよ、違うヒトの足踏んだんじゃないか?ピンヒールで踏んづけられるなんて可哀そうに……って、あれ?アリスとエル兄は?」
押され押され、揉まれ揉まれているうちに、気づけばシディアとネオンの二人だけになっていた。
はぐれてしまうこと自体、もちろんよろしくはないが、今回は事情が事情である。
慌てて周囲を見回し、二人を探す。右から二番目の道付近に、アリスとラファエルの姿を見つけた。
───まずい。
シディアとネオンがいるのは、左端の道だ。
そして距離以上にシディアを焦らせる要因が、もう一つあった。
アリスたちは、シディアたちより遥か前方にいるのである。あと少しで関所についてしまうのだ。これは非常にまずい。
「アリス、エル兄!」
シディアの必死の呼びかけは、人混みのざわめきに虚しくかき消された。
さらに押され押されて、シディアとネオンは端へ後ろへと追いやられてしまうのであった。
一方、アリスの状況はというと。
(きゃーー待って、ヤバイヤバイヤバイ!ラファエルさんの顔……近っ!?どうしよ、あたし、騎士に守られるプリンセスになっちゃったんじゃ!?)
さりげなく人混みから守ってくれる想い人の腕と、整った横顔を交互に見、アリスはうっとりと夢見心地であった。
手がアリスの肩に直接触れないよう気を配りながら、小柄なアリスが潰されないようガードしてくれている。
大きく進行方向を乱されず関所に確実に近づけているのも、おそらくラファエルのおかげだろう。
嬉しい。もはやデートと言っても過言ではない。「いや過言だろ」と脳内のシディアが呆れた顔でツッコミを入れてくるが、無視することにする。
でもこの夢のような時間がずっと続いたら───心臓が止まると思う。たぶん。
「少々まずいことになりました。シディア様たちの位置をようやく把握できましたが、かなり後ろにいらっしゃいます。どうにかこの列を一度抜けて、合流しなければ」
ラファエルの言葉にはっと我に返り、アリスは周囲を見渡した。関所はもう目と鼻の先だ。
「で、でも、この人混みから抜け出すのは……力ずくはダメですもんね?」
アリスが桃色の戦鎚をちらつかせると、ラファエルは「ふふ」と表情を緩めた。
「そうですね。アリス様のお力は、本当に必要な時までとっておいてください。その際は、僭越ながら頼らせていただきます」
ぎゅう、と心臓が絞られる感覚に、アリスは思わずうずくまりそうになる。
彼の一挙手一投足に、心がかき乱される。
(こらえて、こらえて。お願いだから爆発しないで、あたしの心臓)
とんでもない爆音を奏で始めた心臓を、なんとか鎮めようと頑張っている間に、ついにアリスたちの順番がまわってきた。役人の前に立ったのである。
役人の蔑むような視線に、アリスはごくりと唾を飲む。
そうだった。魔力量ですべてが決まる国。魔力量が身分証になる国。
役人がため息を吐き、近くにいた警備員に目くばせをした。屈強な人魚の警備員が近づいてくる。
このまま、つまみ出されてしまうのだろうか。魔力量が少ない自分たちは、この国では存在価値すらないのだろうか───。
その時だった。
すっと、警備員とアリスたちの間に割り込む少女がいた。
鮮やかなロイヤルブルーのワンピース。華やかに巻かれた金の髪。
フリルたっぷりの傘は畳まれ、小さな手に握られている。
「おばあちゃん……?」
アリスの呼びかけに魔女は微笑み頷くと、涼しい顔で役人に向き直った。
いつの間にか、警備員はもとの位置に戻っている。
「この二人は、わしの連れじゃ。もちろん通って良いな?」
「あ……青薔薇の魔女様のお連れ様でしたか。ようこそ、海底都市レザビスへ」
それまでの冷たく蔑むような視線や態度が、ブラウの登場で一変した。
警備員たちは緊張の面持ちで背筋を伸ばしているし、役人はわざとらしい笑みを浮かべながら、妙に低姿勢でへこへこしている。
あんな大人にはなりたくないな、と思いながらアリスはブラウの後について関所を通り抜けたのだった。
「お、アリスはっけーん★シディアー、こっちこっち!」
ネオンの指す方向にアリスとラファエルの姿を認め、シディアはほっと息を吐いた。
シディアたちは関所をあっさり通り抜けられたものの、二人が入国できていなかったり、なにか酷い目に合わされてはいないかと気が気でなかったのだ。
こちらに気づき手を振るアリスの隣に、人形のような少女がいたことには、大層驚いたけれど。
「ブラウ!?……じゃない、ブラウさん!なんでここに」
「面倒じゃな、ブラウで良いぞ。もちろん観光じゃ、観光」
いまいち状況が呑み込めないシディアの横から、アリスが口を挟む。
「あのね、あたしたちだけじゃ追い出されそうだったんだけど、おばあちゃんが助けてくれたんだよ」
「はい。あのままでは入国拒否され、二度と関所に近づくことすら許されない雰囲気でした。ブラウ様。改めまして、御礼申し上げます」
ラファエルが頭を下げ、思わず全員がそれに倣った。
ブラウは「堅苦しいのは要らぬよ」とすぐに若者たちに頭を上げさせると、畳んでいたフリルの傘を広げた。海底に一輪、ロイヤルブルーの花が咲く。
「レザビスには、たびたび遊びに来ていてな。今回も海底観光を楽しみにしておったのじゃが……なんとも、きな臭いな。お前たちも巻き込まれんように、せいぜい気をつけるのじゃぞ」
「きな臭いって、何がです?」
シディアが尋ねると、純血の魔女はこちらを見た。
きょとんとした顔で数度、瞬きを繰り返す。
「なんと、知らずに来たのか。海底都市レザビスは今───内乱の最中じゃぞ」
第百話 最初の関門 <終>




