第九十六話 規格外な男
ウィレの村で話を聞いてから。否、アダマソルに到着した頃からだろうか。ずっと嫌な予感がしていた。
半日待てば馬車を用意できる、という村人たちの提案を丁寧に断ったのも、ただ待っているだけの時間が惜しかったからだ。
幸い、騎士団の遠征で野宿の経験はあった。たびたび仮眠を取って体力を回復しつつ走り続けたのは、間違いではなかったと。倒れ込む長身の少年を抱きとめながら、ラファエルは思った。
「あり、がと……エル兄……」
何もかも限界だったのだろう。
弱々しく礼を述べた後、シディアは気を失った。
「こんな状況でも感謝を忘れない。あなたはたしかに英雄の器でございます、シディア様」
全身を抱き抱えると、過去の記憶よりも重みを感じた。
もちろん身長が伸びたことが大きいだろうが、おそらく筋肉量も増しているのだろう。シディアの日々の努力を感じ、ラファエルは微笑んだ。
近くに大岩を見つけ、その後ろに隠すようにシディアをそっと寝かせる。これで戦闘に巻き込まれる心配は減るはずだ。
壁際の暗がりで既に冷たくなっている、人間や赤竜たちが目に入った。竜騎兵団の団員たちだろう。痛ましい光景だが、ベーヌス島主家の執事として、優先すべきことがまだ残っている。
(……後程、弔いは必ず)
周囲に視線を走らせ、次女・アリステアを探す。
その時、吠え続けていた竜王の声が、苦し気な呻き声に変わった。身体を覆う黒い鱗のような鎧が、ところどころ剥がれ落ちている。鎧を維持するための魔力が尽きかけているのだろう。
聞いていた話と随分外見が異なるが、討伐対象の「赤目」がこの男なのは、ラファエルにもなんとなく察しがつく。
その男のすぐ近く、足下付近に、彼女はいた。
仰向けに倒れぴくりとも動かないアリステアのもとに素早く駆けつけ、小さな身体を抱き上げる。
華奢な白い首に、くっきりと残る絞め痕。傍に転がっている黒い腕。彼女が何をされたのか、理解するにはそれだけで十分だった。
沸き上がる感情をぐっとこらえ、アリステアを丁寧に大岩の影に運び、シディアの隣へと寝かせる。
本来のラファエルならば、シディアたちの仲間だと知っているネオンも、同じように安全な場所へ避難させたに違いない。
しかし、今のラファエルは爆発寸前であった。その肩は怒りに震え、こめかみには血管が浮き出ている。
黒い男につかつかと歩み寄ったラファエルは、静かに一言問うた。
「……あなたが、アリステア様の首を?」
内なる何かに抗うように呻く男の耳に、その問いは届かない。
「ぐ、が……天竜を……我が手で……この竜王が……敗北など……」
どうやら、この黒い男は「竜王」らしい。もはや今のラファエルにとっては、どうでもいいことだけれど。
ラファエルは竜王の千切れた腕を持ち上げ、その手で竜王の頬をペシペシと叩いた。
「あの方の綺麗な首に、テメェの汚ねー手で傷をつけたのかって、そう聞いてんだよ」
それまでの品のある執事はどこへやら。
どすのきいた低い声と乱暴な口調に、一瞬、竜王は正気に戻ったようだった。
「な、なんだキサマ……無礼な───うぐぅッ!?」
突如、竜王の身体が吹っ飛んだ。ラファエルの回し蹴りが胴にクリティカルヒットしたのである。氷まみれの玉座に突っ込み、その衝撃で氷の花が砕け散る。
奇跡的にヒューゴは巻き込まれていないが、そもそも今のラファエルの視界に、知らない人間は入っていない。
「が、あ、……ガアアアアアア!!」
再び正気を失い吠えた竜王は、血の色の瞳を光らせる。
ミコトからコピーした適性魔法・蛇神の祝福をまたしても発動させたのだ。しかし。
ラファエルは玉座の上まで飛び上がると、かかと落としで竜王を地上へと叩き落とした。
割れた氷の中から玉座を持ち上げ、地に叩きつけられたばかりの竜王に向かってぶん投げる。
そう。竜王ドラグメデスは知る由もなかった。
この執事に、魔力量によって動きを封じる蛇神の祝福が、効くはずがないのだ。
なぜならラファエルは───この世界で例外中の例外と言われる、魔力を一切持たずに生まれてきた人間なのだから。
戦闘と呼べるのか怪しいほどの、一方的な蹂躙は、ほどなくして幕を閉じた。
トドメをどうやって刺したのか。というより、どの攻撃がトドメであったのか。それはラファエル本人にもわからないことであった。
無言で崩れ行く黒い塊を見つめながら、シディアはほんの少しだけ、竜王に同情した。
気を失っていたせいで戦いは全く目にしていないが、状況を見ればわかる。
谷壁や地面はボコボコ。巨大な石造りの玉座は台座から離され、ゴミのように転がっている。
そして汗だくなうえに、どことなくすっきりした顔のイケメン執事。───暴れたな、エル兄。
「申し訳ありません、最低限の荷物で来たもので回復薬などの持ち合わせがなく……皆さまご無事でしょうか」
嘘のようにいつも通りになったラファエルが、倒れている面々の様子を伺う。
皆ボロボロだが、なんとか意識は取り戻していた。ただひとり───ヒューゴを除いては。
「みんな、どうしよう……ヒューゴが」
涙混じりのアリスの声に、シディアも身体を引き摺るようにしてヒューゴの元へと急ぐ。
ラファエルが確認したところ、辛うじて息はあるようだった。だが、瀕死なのは間違いない。
───嫌だ。
ヒューゴの太陽のような笑顔と、亡き親友の笑顔が浮かび、溶け合い、消えていく。
嫌だ、嫌だ。もう───失いたくない。
ヒューゴを真剣な表情で見つめていたラファエルが、すっと立ち上がった。
「私が回復薬を取ってまいりましょう。壁を上って、竜騎兵団のキャンプに行けば……」
その時だった。ラファエルの言葉を遮るように、女性の声が降ってきたのは。
「バカ、それじゃ間に合わねーだろ。すぐに治療しねーと死ぬぞそいつ」
聞き覚えのある、やさぐれた口調。
仄かに漂う、青臭い煙の匂い。
「スピカ……?」
顔を上げたシディアの瞳に映ったのは、昼間にリベルカトゥスで出会った三毛猫の警官だった。煙草をくわえ、肩に警棒を担いでいる。
「姐さんを呼び捨てとはなにごとにゃ! さんをつけろにゃー!」
白猫アルバが毛を逆立てシディアに抗議するが、その頭にはもちろん三毛色の拳骨がお見舞いされるのであった。
スピカとアルバの他にも、猫妖精が三名。
皆、ひとつの箱のようなものに乗って宙に浮いている。見た目はただの巨大な紙箱だが、これも魔法陣で動いているのだろうか。
「ちなみに、ここにいるのは半分だ。もう半分は上で負傷者の治療をさせてる。よーし、治療開始だてめーら。重傷者優先しろよ」
「なんで警官のあなたが仕切っているんですか」
スピカの後ろにいた猫妖精が不満気に口を開いた。こちらも聞いたことのある男性の声だ。
「うるせー、とっととやれ。文句ならアタイを現場指揮官に任命した、シルヴェスト陛下に言いな」
男性は釈然としないようすでスピカを一瞥し、箱から飛び降りると、真っ直ぐにヒューゴの元へと近づいてくる。
聞き覚えがあるはずだ、とシディアは思った。よく見ればその猫妖精は、国王シルヴェストに謁見した際、傍にいた従者だったのである。
ヒューゴとレオの治療が開始されたのを見て、シディアはほっと胸を撫で下ろした。
とくにヒューゴは重傷度合いからして安心するのはまだ早いのかもしれないが、戦闘が終わったのだという実感がようやく湧いてくる。
ふと重要なことを思い出し、シディアは「あっ」と声を漏らした。
「アリス、ブラッドナンバーは?どこかに落ちてないか?」
「うわ、ほんとだ、忘れてた!」
「前みたいに魔王軍が回収に来たら厄介だ。早めに確保しておかないと……」
焦る双子に、ラファエルがそっと目くばせをする。その視線が示す先には。
「お~い……ごーめん、マジでぜんっぜん動けないんだけど……ブラッドナンバー、ここ~。ウチの顔の上ぇ~。スピカおねーさんが拾ってくれたみたい~」
猫妖精のひとりに回復魔法をかけてもらいながら、顔を覆う紙を気怠そうに指差すネオンがいたのだった。
少し離れた場所で、スピカの猫耳が彼女らの会話をキャッチする。
「ったく。自分の手柄にしとけって言ったのによ。あのバカ黒猫」
第九十六話 規格外な男 <終>




