第九十五話 生まれながらの王
「いよいよ、か」
陽が沈んでなお賑わう城下町の明かりを見下ろし、リベルカトゥス王・シルヴェストはひとり呟いた。
二日後に迫ったリベルカトゥス建国祭の準備に、役人を中心とする国民たちはもちろん、臣下たちも東へ西へと奔走してくれている。
毎年行われている伝統的な祭りだが、今年は少しだけ、時期を早めることにした。
せっかく好転していた国内の治安が、竜王の件でまた荒れ始めているからだ。
こんな時だからこそ、祭事は必要だとシルヴェストは考える。
国内外の不安を取り除くべく、警備は万全。あえて大げさなまでに強固にする予定だ。
他国からの観光客も多く見込んでいる。周辺諸国で話題になるほどの大盛況───が理想ではあるが、少なくとも滞りなく平和に終わらせる必要がある。リベルカトゥスは安全な国だと、国外に知らしめなければならない。
「狩りがない時期ならば、ヒューゴも招待できたのだがな」
こればかりは我儘を通すわけにはいかないし、開催時期を早める選択をしたのはシルヴェスト自身なのだから仕方のないことである。
今日会えたのだからそれで良いか、などと考えながら、手元の書類に目を通す。
つい先ほど文官から提出された、竜王絡みと思われる犯罪をまとめた最新の統計だ。相変わらず子どもの犯罪数が多く、鬱々とした気持ちになった。
悪は隙をついて入り込んでくるものだ。とくに子どもたちにとって、飢えや愛情不足は心の隙を生むのに十分すぎる理由になる。
皆が豊かに暮らせる、平和な国を作らねば───。
ぴくり。突然、シルヴェストの両耳と、二本の尾が反応をみせた。
「なにか───入り込んだな」
建国祭の準備に多忙を極める、リベルカトゥス王城。
無人の部屋に突如として現れた女は、おもむろに胸元から小瓶を取り出した。
小さく鼻歌を歌いながら、足取り軽く歩を進める。
「ふんふんふーん♪建国祭で振る舞うお酒は、どーこかなぁ♪」
祭りがあると聞けば、参加したくなるのが悪魔というものである。そうでもない?
ううん、きっとそう、と。女───ティラミスは頷く。
賑やかで華やかで、楽しさと笑顔に溢れている。そんな場所を混乱に陥れてこそというものだ。
(だって、ボクがそう思うからねぇ♡)
そんな悪魔のルンルン気分を、急速に萎ませる姿があった。
国王シルヴェスト、その猫である。
「ほう、酒が目当てか。たしかに建国祭で振る舞われる酒は美酒ぞろいだ。お前のような賊の舌には勿体ないほどのな」
「えぇ……っ!?」
思わず驚きの声をあげながら、ティラミスは慌てて飛び退る。
気配が、なかった。
周囲が無人であることを確認してゲートから出たはずなのに、いつの間にこんな近くに───?
一方、シルヴェストのほうは冷静そのものだ。動揺を隠せずにいるティラミスを素通りし、ティラミスの背後の空間に迷いなく剣を振り下ろした。
その空間にグウェルバートが作ったゲートを、難なく斬り捨てたのである。
「うそぉ……ボクの上司ってば、最強とか言われてる魔法使いなんだけどぉ~?あの人のゲートを、剣だけで破壊?そんなの、できるわけ……」
頬を引きつらせるティラミスを、シルヴェストは冷たく睨みつけ淡々と言い放つ。
「こういうのが得意分野でね。なんなら、お前を守っているその魔力の盾も斬ってみせようか」
シルヴェストが剣先を向けると同時に、武装した猫妖精が複数人、ティラミスの背後を囲む。リベルカトゥス王国騎士団の精鋭たちだ。
さすがに分が悪いと判断したティラミスは、即座に逃げの姿勢をとった。
「手厚い歓迎なのに、ごめんねぇ~。勝てない戦いはしない主義なの。バァイ、イケメン猫王サマ♡」
窓から素早く逃げ出したティラミスを、騎士たちが追う。
護衛に残った騎士とともに、室内を点検しようとしていたシルヴェストの猫耳が、今度は羽音をとらえた。聞き覚えのある翼の音だ。
間髪を入れず、ティラミスが去ったのとは別の方向の窓を壊しながら、室内に突っ込んでくる生き物。それは───傷ついた一頭の赤竜であった。
「新手か!?陛下、私の後ろへ!」
「いや、朕の顔見知りだ。手を出すでない」
警戒する護衛騎士を制し、シルヴェストは倒れている赤竜に歩み寄った。
ぼろ雑巾のようなその姿に、胸を痛めながら呼びかける。
「レックス。そなたはヒューゴの愛竜・レックスであろう。何があった?」
片膝をつき、そっと頭を撫でてやると、レックスはほんの少し頭を起こした。口の端に、何か光る物を加えている。
その小さな光物がなんなのか、シルヴェストはすぐに思い至った。
初めてヒューゴに会った日。森で彷徨っていたところを助けられたあの日。
水とパンの礼にと、ヒューゴに渡した宝玉だ。
もともとはシルヴェストのベルトに埋め込まれていた小さな宝石にすぎないが、その場で渡せる価値ある物はそれくらいしかなかったのである。
要らない、と頑なに断るヒューゴに、シルヴェストはこう言ったのだ。
「いつかそなたが危機に陥った時。例えば、そうだな───囚われて文も書けぬような状況もあろう。代わりにこの宝玉を届けさせるが良い。必ず、朕が助けになろう」
*****
胸の中心を、輝く紫の炎が通り抜けていく。
ぐらり。視界がまわる。背が、地につけられる感覚。
竜王ドラグメデスは悟った。これは───敗北か。
過去に一度だけ味わった、屈辱の苦味が蘇る。
我ら地竜の栄華は、すべて過去のもの。
わかっていた、わかっている。かつての栄光に縋ろうなどというわけではない。
だが───我は、王だ。
生まれながらの王。望まれ、崇められ、すべての頂点に立つ絶対君主。
我はふたたび、この地上の覇者となる。そのはずだ。そう在らねばならない。
竜王として、矮小な人間などに負けるわけにはいかぬ。
ましてや───あれは天竜だ。
あの娘に宿っているのは、我をかつて封印した天竜の因子、奴のカケラに他ならない。
あれを天から引き摺り下ろさねば。泣いて許しを請わせ、地に額を擦り付けさせねば。
それができなければ、大戦で命を落とした臣下たちに。その家族に。我を王と信じて死んでいった者たちに。いったいなんと言えばいい。
そうだ。敗北などあり得ない。断じて認めはしない。
竜王ドラグメデスは───彼らの王は、ここにいるのだから。
我の魔力炉は既に破壊された。
顎にあった、記憶を失くした黒竜としての魔力炉。左胸、中心近くにあった本来の魔力炉。二つともを失ってしまった。
だが、まだもうひとつある。下品で忌々しい赤い光が、まだ残っている。
(この力を更に取り込んで馴染ませ、完全に我のものとすれば……な、なんだ、キサマ……まさかまだ、意思が残って───)
竜王が倒れた直後、シディアも地面に身体を預けていた。
ポートシーガルの時と同じく、紫の炎はシディアの怪我を癒してくれたらしい。脇腹を含め、細かな擦り傷や切り傷も塞がっていて、どこからも出血している気配はない。
ただ、全身がひどく怠い。頭も靄がかかったようにぼんやりとしている。さすがに魔力切れのようだ。
周りも、誰も起き上がる気配は無い。拘束状態の中、あれだけ無茶をして動いたのだ、当然と言えるだろう。
それでも、竜王を倒せた。
そう───倒した、はずだったのに。
「……嘘だろ。もう勘弁してくれよ……」
シディアは嘆きながら、無理やりに上半身を起こした。
竜王ドラグメデスが、ふらつきながらも立ち上がったのが見えたからだ。
魔力炉の位置を少し外してしまったか。とはいえ、胸に風穴が開いているのにまだ動けるとは。
突如、竜王が吠えた。
ヒトの言語で怒鳴るのとは全く違う、まるで───獣の咆哮である。
(明らかに様子がおかしい……さっきまでの竜王とは、気配が……)
遥か頭上を見つめ叫び続ける巨大な狼が、シディアの脳裏をよぎる。
竜王も、ブラッドナンバーに取り込まれてしまったということだろうか。少なくとも、暴走状態にあるのは間違いない。
魔力も体力も何もかもが尽き、なす術なく竜王を見つめるシディアだったが、あることに気づいた。
竜王の左胸。血の色に輝く魔力炉が、はっきりと見えるのである。
「なんで……瞳に送る魔力なんて、もう残ってな……ううっ」
両目を刺すような激しい痛みに呻く。
それは、シディアの意思を無視して始まってしまった。
赤い魔力炉と共鳴したシディアの紫の瞳が、赤に浸食されていく。
強制的に魔力を注ぎ込まれる感覚に、吐き気を覚える。
何かが、胸の奥に作られようとしている。それは強く激しく輝く、赤い宝石に見えた。
「星よ、集まれ。光よ、収束せよ。尊大なる黒き竜に、鉄槌を……」
唇がするすると動き、勝手に言葉を紡ぐ。
自分が自分じゃない「なにか」になってしまったようで、ぞっとする。
あの夜と同じだ。ギャビンに止められた、あの時と。
このままでは、仲間たちが巻き込まれてしまう。
それなのに、シディアの唇は詠唱を止めない。
「天底の崩壊───」
万事休すか。
そう思い諦めかけた時だった。首すじに衝撃が走り、放ちかけた魔法が霧散したのは。
衝撃の正体は───シディアがよくよく知っている、優秀すぎる執事。彼が絶妙な力加減で叩き込んだ手刀であった。
「お許しください。この場合は少々手荒でも迷わず止めるようにと、師匠に言われたものですから」
第九十五話 生まれながらの王 <終>




