第九十四話 竜の因子
身体に、力が入らない。
ヒューゴがかけてくれた輝け、英雄たる者よ、自分でかけた身体強化、どちらも効果がきれてしまった。それに加えて、蛇神の祝福の拘束がアリスの全身を縛り上げる。
ミコトも魔力量が少ない体質とはいえ、アリスのほうがさらに少ないのだとシディアが言っていた。
だから今この状況で、一番動けるのはアリスのはずだ。自分が動かなければいけないのに、と必死にもがく。
じわじわと首を絞めつける大きな手。それを覆う、鱗のような鎧の固い感触。
もがいても、もがいても、それ以外に何も感じられない。
息が苦しい。胸が痛い。つらい。
それに、すごく眠い。父の魔法具を落としてしまったからだろう。
動けない。敵わない。悲しい。
頭がぼーっとする。眠い。意識を手放してしまいたい。
ああ。これ以上、あたしが頑張る必要なんて───。
「諦め、るな、アリス」
絞り出すような声にアリスの意識は引き戻された。ヒューゴの声だ。
「そんな奴より、オイラの、プロポーズのほうが、素敵、だっただろ」
口を開くだけでも苦し気なヒューゴを、竜王は鼻で笑う。
「プロポーズとは、求婚のことであろう。くく……我でもわかるものをキサマ自身がわからぬとは、まったく愚かな。隊長然としていても、やはり童は童か」
ついに声をあげて笑い出した竜王に、ヒューゴは訝し気な視線を投げる。
「何の、話だ……何が、おかしい」
「それは自らの心に聞いてみるがいい」
玉座のふもと、意識なく倒れているミコトに、竜王は顔を向けた。
魔力の流れを見るのが不得意なアリスですらわかる。竜王の中の、爆発的な魔力の高まり。これは───。
「───っ!」
火事場の馬鹿力というやつだろう。
拘束されていたはずの、ヒューゴの脚が動いた。必死に駆ける少年の瞳に映るのは、たったひとりの大切な───。
「ヒューゴ……ミコト……!」
灼熱の炎の柱は、アリスの叫びすら吞み込まんとする勢いで二人を包み込む。
炎が消えた時、あたりは嘘のように静かだった。
聞こえるのは滝の音と、溶かされた玉座の氷から滴り落ちる水音。
ミコトを守るべく覆いかぶさっていたヒューゴが、小さく呻き声を漏らした。
「ふん。氷で威力が弱まり命拾いしたか。ならば、冥途の土産に教えてやろう。キサマがこのアリスとかいう小娘に惹かれたのであれば、それは「竜の因子」であろうよ。赤竜と似た、親しみ深い魔力の匂いに引き付けられたにすぎん」
何の話か、わからない。竜王はいったい何を言っているのだろう。
眠い。眠いけれど、なんだかとても気になった言葉がある。
「竜の……因子……?」
うわ言のようなアリスの言葉に、竜王の瞳がこちらを見た。血のように赤い瞳。少しだけ憐れむような気配。
意識が沈んでいく中、冷やかさに呆れがトッピングされたような、そんな声を聞いた。
「はあ……。キサマも自分を知らぬのか。先ほどキサマが使っていた力───天竜のそれであろうが」
天竜。初めて聞くその単語は、アリスの耳に心地よく響いたのであった。
(てんりゅう……なんか、あったかい……)
アリスが微睡みに沈んでしまったのは、シディアの位置から見ても明らかだった。
ヒューゴとミコトは辛うじて息はあるようだが、完全に戦闘不能だ。
そして竜王の口から飛び出した「天竜」というワード。
レオから聞いた天竜伝説がますます現実味を帯びてくる。
(あの言い方……雷神は天竜だってことなのか)
そもそも雷神はシディアが名付けた通称であり、あれの正式名称ではなかった。
超常のなにかだとは思っていたが、まさか伝説の竜だったとは。
そちらの考察はいったん置いておくとして、ここでブラッドナンバーと「体質」の関係について思い至ったことがある。
ポートシーガルには大昔、北の国から亡命してきた妖精や半妖が大勢居ついたのだという話を、何かで読んだ覚えがあった。歴史には存在しないエピソードだ。
それこそおとぎ話の類だと思っていたが、本当に歴史上おこったことだとしたら?
亡命してきた妖精や半妖たちが現地の人間と子を成し、歴史を紡いでいった可能性も否定できない。
半妖は見れば半妖とわかるものだが、何世代にもわたって妖精の血が薄まっていったとしたら、どこまでが半妖と言えるのか。
集落をつくっていた犬妖精以外にも、妖精の血を引く者が数多くいるとしたら、あの港町で複数人が昏倒したのも納得がいく。
人ならざる要素をその身に宿しているにも関わらず、魔力量が少ない者。そんなある種の矛盾と言える特徴が、コセの言うブラッドナンバーの影響を受けやすい「体質」ということではないだろうか。
唐突に響いた音に、シディアは目を見張った。
高くか細い、それでいて透き通る───ヒューゴの指笛である。
直後、翼が風を切る音とともに、二頭の赤竜が姿を現した。
レックスとメルも見るからに辛そうだ。それでも大事な相棒のために力を振り絞って飛んできたに違いない。
降り立ったレックスは、心配そうにヒューゴに顔を寄せる。この時、ヒューゴからレックスに何かが託されたが、それに気づく者はいなかった。
気を失っているミコトを手際よくメルの背に乗せ、二頭は迷いなく飛び立つ。
それぞれの相棒以外は眼中にないかのような彼らの振る舞いに、竜王ドラグメデスは怒り心頭であった。
「許可なく我が城に踏み入ったうえ、礼すらなく立ち去ろうとは……!」
竜王の赤い魔力炉が、激しく輝く。
連発はできない大技だと思っていたが、こんな短い間隔で放つこともできるのか。もしくは今、それができるようになったのか。ブラッドナンバーが、戦闘開始時よりさらに馴染んでしまったのかもしれない。
その時。ミコトと赤竜たちを攻撃せんとする竜王の横顔めがけ、一本の槍が投げられた。
決して威力があるとは言えない、かろうじて頬すれすれまで届いた程度の弱々しいそれを、竜王はハエのごとく叩き落とす。
その槍は、ヒューゴが無理に無理を重ねて放った、最後の一撃であった。
動かなくなったヒューゴを見やり、盛大に舌打ちした竜王は、再度レックスたちに狙いを定める。
燃え上がった炎の柱は、今度は大盾に防がれることとなった。
レオが大盾を宙にぶん投げたのである。
赤竜たちはこちらを振り返ることなく、そのまま上空へと遠ざかっていったのだった。
「おのれ……おのれ人間どもめ!我が眷属であった赤竜を、あのように洗脳し使役するなど……!」
怒りでわなわなと震える竜王だったが、自身を狙う視線に気づき、その出所を探る。
見えない位置にいたはずのネオンが、シディアの視界の端に映った。
「あは、は……さすがに気づいた……さっきから人間人間って……ウチもいるっつーの……」
かなり動きづらそうだが、狙いを定めやすい位置まで無理やり歩いてきたらしい。額にも首にも大量の汗が滲んでいる。皆揃って無茶をしすぎだ。
「よく見ればキサマ、猫妖精であったか。だが、紛い物だな。人間の匂いが濃すぎる」
顔をしかめる竜王に、ネオンはニッと歯を出してみせた。
シディアは口を薄く開くことすら怪しいというのに、その力はどこから生まれているのだろうか。
「人間の匂いが濃い……か。それは、ちょっと……嬉しいかも、ね!」
言い終わると同時にネオンが持つ魔法銃から放たれた弾丸は、目にも留まらぬ速さで竜王の腕を撃ち抜いた。アリスの首を掴んで持ち上げている、右腕である。
「な、なんだ今の速さは……この我が、見えなかった、だと……?」
「超★弾・速度超特化・魔法弾バージョン。意地で食らわせてやったっつーの。あとは頼ん……だ……」
力尽き、ネオンは倒れ伏した。
竜王の腕に撃ち込まれた弾丸は風魔法を発動させ、黒い鎧ごと右腕を肘から切り落とす。
切り落とされた腕とともに、意識のないアリスの身体が地面に触れた、まさにその瞬間だった。
竜王の注意が逸れたことによるものか。はたまた、竜王の魔力が一定量を下回ったのか。
理由はこの際どうでもいいことだ。
取り戻した身体の自由をどう使うか、そこに皆の命がかかっているのだから。
おそらくチャンスは一度きり。その一度で決める術を、今のシディアは他に知らない。
ポーチから回復薬を取り出し、脇腹の傷に注いだ。
谷底に辿り着いた際、空になっていたボトルでさりげなく川の水を汲み、少量だが回復薬を作っておいたのだ。これで少しは動けるだろう。
治癒の痛みに耐えながら立ち上がり、両瞳に追加で魔力を込める。
竜王の魔力炉は、二つ。手前の一つだけが、赤く、赤く輝いている。
思い出せ。ポートシーガルで、アカツキの魔力炉に触れた感覚を。
赤い光が、シディアの瞳を刺すように強い光を放つ。痛みとともに、なにかがシディアの中にどっと流れ込んでくる。
皆が犠牲を払って、命をかけてくれたからこそ、この機がきた。これくらいしなければ、報いられない。
ここで躊躇していたら、勇者なんてきっと一生名乗れない。
「魂なんて捧げるわけないだろ。凡人だろうが、落ちこぼれだろうが。俺は───俺だ」
呑まれまいと、必死に自我を保つ。
シディアの身体を包んだ紫の炎が、左手の平に集まり凝縮されていく。
竜王ドラグメデスの赤い瞳に、星空のごとき炎が揺れた。
勇者の卵が力の限り叫ぶその魔法の名は───星の終わり、最期の灯火。
「───星火滅せんとして光を増す!」
第九十四話 竜の因子 <終>




