第九十一話 竜王
「あれ、ネオンー?何かあったー?」
先に進んでいたネオンがふと立ち止まったのに気づき、アリスが声をかけた。薄闇の中だが、鼻と猫耳がひくひくと忙しく動いているのが見て取れる。
「なーんか下から、水の匂いがするんだよね~。水が流れる音も」
「え。まさか谷底は海に繋がってたりしないよな?」
「んーん。匂いからして海水じゃないのは確実っつーか。真水の川とかそっちっぽい。滝っぽい音もするかも……地下水的なやつ?」
港町出身の猫妖精が言うなら間違いはないだろう。
谷底に水が溜まっている可能性に注意しつつ、一行は先を急いだ。
辿り着いた谷底は、意外にも灯りが灯されていた。屋根こそ無いものの、自然の中というよりは、どこか建造物を思わせる空間に戸惑う。
岩だらけのごつごつとした地面には、血管のごとく細い川がいくつも流れていた。
アリスの背から降り、視線で流れの元を辿る。谷底から五メートルほどの高さから、滝が流れ落ちていた。ネオンの耳が拾った音はこれだろう。
滝はシディアたちから見て奥側の谷壁を覆うように広がっており、静かで繊細なその流れは、上質なレースカーテンを思わせる。
そして滝を背にした、巨大な石造りの玉座。
玉座を囲うように流れる川も、背後の滝すらインテリアの一部とでも言わんばかりの存在感を放つ男が、悠々とそこに座していた。
黒竜の鱗をそのまま纏ったような鎧。漆黒の長髪。血のように赤い瞳。
気品と威厳を兼ね備えた堂々たる佇まいが、彼が「王」であることを主張している。
「───来たか」
男が言葉を放つと同時に、玉座の真横からミコトの短刀が男の首を狙う。
シディアは彼女が駆けだしたことにすら気づけなかった。あれが、ミコトの本気なのかと息を呑む。
しかし、その切っ先が喉元に届く直前、男は刃をビタリと止めた。二本の指で挟んだだけで攻撃の勢いを完全に殺してしまったのである。
「……っ!」
すかさずもう片方の腕を振り下ろそうとするミコトを、男は指で挟んだ刃ごと、軽く投げ飛ばした。
玉座から立ち上がることすらせず、ミコトの奇襲に対応してみせたのだ。
「まったく、蛮族のような挨拶をする小娘よ。ふむ……人の言葉を話すには人型のほうが都合が良いな。成程、猫妖精どもが人型での交渉を好む理由に、ようやく合点がいった」
感覚を確かめるように手を握ったり開いたりしている男を見つめながら、シディアは全身の震えをおさえるのに必死だった。
本当に、これが「赤目」なのか───?
変わったのは姿かたちだけではない。ただでさえ災厄レベルだった魔力量が、更に増幅している。まさに今この時も、成長し続けているのだ。
ミコトがふらりと起き上がるのを横目で確認し、ヒューゴが男に問う。
「お前は───何者だ?」
問われた男は、少々拍子抜けしたように見えた。「なんだ知らぬのか」と言いたげである。
「心の奥ではわかっているであろうに、型通りの誰何とは。……まあいい」
さらりと顔に垂れた艶やかな長髪をかき上げ、男は人間たちを見据える。見下している、という表現のほうが近いだろうか。ただそれだけなのに、とてつもない威圧感だ。
「我は、竜王ドラグメデス。我が城に足を踏み入れ、不遜にも我を倒さんとする人間どもよ。キサマらには我の偉大さを前にひれ伏し、この栄光を語り広めることを許す」
「竜王……」
竜王の物語。シルヴェストに聞いた、風の詩人の話を思い出す。
吟遊詩人によって語られる、竜王のカリスマ性とやらがもし、魔法だとしたら。
その可能性はシルヴェストはもちろん、シディアたちも考えついたことである。
魅了魔法───各国が禁じている、精神に干渉する魔法だ。禁止魔法であるぶん詳しくは知らないが、語り広めることで発動するものがあってもおかしくはない。風の詩人は眷属になるなどの契約を交わしたのだろう。
その偉大さだの栄光だののせいで、いったい何人のリベルカトゥスの子どもたちが犯罪に手を染めたと思っている───?
今もなお増幅し続ける竜王の禍々しい魔力を感じながら、ぐっと拳を握りしめた。
大抵の魔法は、使用者の魔力量に応じて強さを増すものだ。魅了魔法の効果が強まれば、何が起きるかわかったものではない。
ぼろぼろになったカーラの姿が脳裏をよぎる。
そうだ。絶対にこんなものを世界に放ってはいけない。今ここで、倒さなければならない。
「ひれ伏さない、って言ったら?」
シディアの問いに、眉一つ動かさず竜王は答えた。
「ならば───死ね」
全員が戦闘態勢に入るとともに、シディアは両目に魔力を巡らせた。
これまでの敵と同じ、血のように赤く光る魔力炉がひとつ。ブラッドナンバーによって作り出されたものに違いない。そして、その奥にもうひとつ。空中戦で潰した下あごの魔力炉と合わせて、合計三つということになる。
「魔力炉、心臓の位置に二つ!少しずれて前後に並んでる!」
「おっけー、了解!───超★弾!」
ネオンの弾丸を皮切りに、一斉攻撃を仕掛ける。
「いざ奮い立て、勇士たち。我照らさん、その勇敢なる姿を。───輝け、英雄たる者よ!」
「身体強化───レベルサード!」
シディアも抜剣し、魔法石とともに柄を握り込み魔力を吸わせた。透明な剣身が冷気を纏い輝く。
覚悟は決めた。ヒューゴの魔法の効果も後押ししてくれている。
───身体の震えは、もう無い。
皆の攻撃をため息まじりにいなしていた竜王ドラグメデスの赤い瞳が、魔法剣を振り下ろさんとするシディアの姿を捉えた。
「ほう……キサマ、勇者の意思を継がんとする者か」
竜王の首から下を覆う鎧、手の甲部分から太い棘が一本、鋭く伸びる。クリスタルソードとぶつかると、剣と剣を合わせたそれと同じ刃音が響いた。
力の限り切りつけたものの、棘の表面を削ることすらままならない。
硬すぎる。そう感じたのも束の間。虫を払うがごとく軽い動きで、シディアの身体は後ろに弾き飛ばされてしまった。
なんとも運の悪いことに、飛ばされた先に待っていたのは、鋭利に尖った岩だった。空中でそれに気づいたところで、着地点をずらせるほどの身体能力がシディアにあるわけもない。
ローブの守りがあるとはいえ、速度と当たり所を考えると、それなりの怪我は負うだろう。
思わず目を瞑ったシディアだったが、救いの神───否、守り神は彼を見捨てなかった。シディアが着地したのは、レオの大盾の上だったのである。
「ふう、間に合った」
「ごめん、ありがとう。昨日から助けられてばっかりだ」
体勢を整え、剣を握りなおしながら竜王を観察する。
シディアはまだしも、ミコトやアリスの攻撃ですら、ほとんど効いているようすがない。
何かしら策を講じなければ勝てないだろうが、あまり悠長にもしていられない。シディアの瞳に映る二つの魔力炉は、今こうしている間にも、輝きを増すばかりなのだ。
「ようやく馴染んできたな……こう、か」
竜王が呟くと、赤い魔力炉がひときわ強い光を放った。
───また、あれがくる!
「離れろ!」
その時竜王の近くにいたアリス、ヒューゴ、ミコトのうち、シディアの叫びに瞬時に反応できたのはミコトだけであった。
灼熱の炎が竜王を中心に炎の柱となり、周囲を流れていた川を干上がらせる。
「アリス!」
「ヒューゴ!」
炎に焼かれ倒れ込む二人にも、それぞれに駆け寄るシディアとレオにも、必死に弾丸を撃ち込み続けるネオンにも、竜王はとくに興味を示すことはなかった。
かの王の興味は今、自身の内にある力にのみ向けられている。
「ブラッドナンバーといったか。魔王の力の残滓なのであろう?我を乗っ取ろうとした意思は即刻すり潰し、力のみ奪ってやったわ。ついでに姿も借り受けてみたが、そのままだと幼すぎるが故、ちと成長させた。魔王め、童を器として用意させるとは、なんとも趣味の悪いことよ」
ネオンの弾丸とミコトの刃をはじき返しながら、淡々と語る竜王ドラグメデスの顔は、たしかにポートシーガルで見た魔王の姿───少年ローガンによく似ていた。髪色などは異なるものの、成長した姿と言われればそう見える。ただ────。
(なんだ……?もっと似てる顔を知ってる、ような……)
そんな中。
シディアに支えられぐったりとしているアリスの腕や頬を、いくつもの小さな稲妻が走り抜けていた。
内なる声が、アリスの脳を揺さぶる。
───起きろ。地竜に負けるなど、あってたまるか。
第九十一話 竜王 <終>




