第九十話 小さな灯
「ぐ……う……三分……は、持たなかったな。一番隊、攻撃用意!」
レオの苦し気な号令に、一番隊は各々の武器を構えなおした。
周囲に敵影が無いことを確認し、シディアも箱のほうへと注意を向ける。
直後。封魔の箱はガラスが割れるようにバラバラと崩壊し、形成していた魔力は霧散した。
ヒューゴとアリス、ミコト。彼らを乗せているレックスとメル。全員が漏れなく満身創痍のようすだ。
箱を維持するために、魔力を注ぎ続けていたレオも同様である。
「隊長たちがやってくれたぞ!」
「トドメは任せろ!」
控えていた一番隊員たちが、赤目に総攻撃を浴びせる。
その間、赤目はほとんど動きを見せなかった。滞空を維持している以上は意識はあるのだろうが、まるで眠っているかのようだ。
「あ……赤目が……」
「おい、落ちるぞ……!」
ざわめきが歓声に変わる中、赤目の身体はぐらりと傾き、地上へ落ちていった。
この時、シディアはあることに気づいた。
「いつの間に、こんな西まで来てたんだ」
カーラが赤目を足止めしていた位置から、大きく移動していたらしい。
ここは赤目の目撃情報があった場所のほぼ真上だ。光を拒絶するような大きく深い谷が、赤目の巨躯をゆっくりと飲み込んでいく。
「喜ぶのは早い、オイラたちも降りるぞ。回復手段があったら厄介だ。完全に動かなくなるまで油断はするな!」
「了解!」
深い谷の縁に、次々と赤竜が降り立つ。
レオとともに少し遅れてその列に加わったシディアは、フォルテの背から降り、遥か下の谷底を覗き込んだ。
真っ暗で何も見えない。相当に深い谷のようだ。谷底が海面よりも低いのは確実だろう。
とりあえず降りてみるか、と一番隊員たちが動き始めると同時に、シディアは両の瞳に魔力を込めていた。弱り切っているであろう赤目の魔力炉を、この距離で簡単に発見できるとは思っていなかったのだが。
「嘘、だ……なんで……」
「シディア?どした?」
隣に立つネオンの腕を掴み引き寄せ、フォルテの手綱を引いて、一人と一頭を伏せさせた。
気休めだろうと思いつつ、ローブをできる限り広げ彼女らを守るように覆う。
「みんな避けろ!」
シディアの必死の警告は、轟音によりかき消された。
火山が噴火するかのごとく、谷底から天に向かって灼熱の炎が噴き出したのだ。
これまでの経験から、敵が魔力炉を複数有している可能性は考慮していたはずだった。
封魔の箱発動時に確認した際に、見落としはなかったはずだ。あの時点で、赤目の魔力炉は下あごにひとつあるだけだった。それは確かだ。
しかし谷底に見た魔力炉は、先に確認した魔力炉とは明らかに別物だった。
赤目が身体に纏っていた魔力と同じ、禍々しく赤黒い光。
その光が波打つように強まり、魔力が爆発的に上昇するのを見て、咄嗟に回避行動を取ったのだ。
皆が炎に呑まれ、あちらこちらで悲鳴があがる。
シディアたちは炎を直接食らいこそしなかったものの、衝撃で吹き飛ばされ大岩に叩きつけられた。
「……ネオン、フォルテ、無事か?」
「あー、痛った……。うん、大した怪我はしてないっぽい。ローブさんきゅ~。フォルテも、足とか痛くない?……フォルテ?」
───フォルテが、震えていた。
ブルブルと分かりやすく全身を震わせる彼女の瞳には、恐怖が満ち満ちている。
それなのに、フォルテは逃げようとしなかった。逃げられないのではない、必死で踏ん張っている。シディアにはそう見えた。
「フォルテ……俺たちを置いて逃げてくれ」
首を優しく擦ると、フォルテは泣きそうな顔でこちらを見た。
「ひとりでキャンプに戻るんだ。できるだろ?」
フォルテだけがキャンプに戻れば、ウゴあたりが察してくれるだろう。その後三番隊がどう動くかまではわからないが、少なくともフォルテは保護される。
そうしてもらわなければ困る。絶対に、マチルダの元に帰すと誓ったのだから。
「こういう時は逃げるよう教育されてるんだろ。迷わず行け、逃げるんだ」
逡巡の後、フォルテは意を決したように飛び立った。
その後ろ姿をしばし見送り、ネオンとふたり、谷の縁に再び立つ。
「さてと。まずは、どうやって降りるか考えないとな」
「んー、さっきから音拾ってみてるけど、超~深いわこの谷。飛び降りるとかムリムリ。ただでさえ、誰かさんは脚ガックガクに震えてることだし?」
「それはネオンも同じだろ」
「あはは、バレてるかー」
なんとなく。本当になんとなくだった。
どちらからともなく、シディアとネオンは手を繋いだ。
───俺たちは、ひとりじゃない。
悪寒も恐怖も和らいではくれないけれど。
温かな火が胸に小さく灯ったような、そんな気がした。
「こんな場面でイチャイチャできるとか、余裕だなお二人さん」
「ねー、言ったでしょ、レオちー。二人での訓練とか増えてから、あからさまに距離近いんだよねぇ」
聞き慣れた声に振り向くと、レオとアリスのニヤけ顔が目に入った。
いまだ無意識にネオンの手を握っていることに気づき、シディアは慌てて手を離す。
アリスたちの後ろから、ヒューゴとミコトも歩いてきた。皆、赤竜は置いていくようだ。
「ベリーはキャンプに帰らせたよ。飛ぶのが精いっぱいって感じだったが、フォルテについていったから大丈夫だろう」
「レックスとメルはもう限界みたいだ。飛ぶことすら怪しいから、あっちの草むらで休ませてる」
シディアがポーチから取り出した回復薬と、レオが持っていた回復薬を使い、めいめい傷を癒す。これで、手持ちの回復薬はゼロだ。
改めて周囲を見回し、状況を確認した。
そこらで伸びている一番隊員や、その相棒と思われる赤竜は複数いるものの、見当たらない者も数多くいる。ヒューゴたちもそのあたりは既に確認してきたようだ。
「遠くまで吹き飛ばされたか、何人かは既に……いや。谷底に落ちた奴らもいるかもしれないな」
改めて、深い谷を覗き込んだ。
谷底に感じる魔力は、先ほどから強まり続けている。
他の隊員の回復を待っている余裕はなかった。谷底にいる「アレ」を今のうちになんとかしなければ、きっと取り返しのつかないことになる。
届くかどうかは別として、まずは遠距離攻撃を仕掛けてみるか。
しかし落下した隊員に当たったりしたら───。
「───来い、人間ども。足場くらいは用意してやろう」
唐突に響いた得体のしれない声に、危うく腰を抜かしそうになった。
同時に谷壁が動き、ところどころが隆起して、岩石と土が混ざったような塊がいくつも出来上がった。階段と呼べるほど気の利いたものではないものの、降りるための足場として有用なのは間違いない。
「……はは、来いとさ」
「なんだ、今の……念話、ってやつか……?」
さすがの一番隊も、想定外の事態に面食らったようだった。
そんな中でも、隊長の切り替えと判断は早い。
「人と言葉を交わせる黒竜がいるなんてな。ウゴや研究チームが喜びそうだ。───行こう。レオ、しんがりを頼む」
深く、深く。闇に潜るように、一行は谷底へと降りていく。
足場を利用して降りる、と言葉にしてしまえば一言だが、実際はそう簡単なものではない。
それを軽々とこなす彼らはやはり凄い。我が妹ながら、アリスはもっと凄い。なにせ、シディアを背負った状態で降りているのだから。
「どしたの、さっきからあたしの顔じっと見て。今更、ネオンのほうが良かったとか言わないでよー……っと」
「そ、そんなこと言うわけないだろ」
視界が良いとは言えない中。足場から足場へ飛び移りながら、兄をからかう余裕すらあるらしい。
やはり身体能力の差は、月とすっぽんどころではないなと改めて実感した。例え百回生まれ変わってもこうなれそうにはない。
いつだったか、「シディアとアリスは、母様のお腹の中で話し合ってから生まれたのね。俺は魔力をもらう、あたしは足の速さをもらう、みたいに」と楽しそうに話していた姉オリヴィアを思い出す。
双子に生まれたはずなのに、シディアとアリスの共通点はあまりに少ないのだ。
唯一顔だけは似ているが、それも身長差や男女差やなんやかんやで全体の印象が違いすぎるせいか、似ていると言われることもあまり無い。
双子のくせに凸凹兄妹だ、なんて言われることも、もはや慣れたものだ。
姉の想像はきっと少し違うのだ、とシディアは思う。
母の胎内で行われていたのは平和な話し合いではなく、慈悲無きじゃんけん大会だったのではないか。
そしてシディアは、じゃんけんに負けまくってこうなったのではないか。そう、思ってしまう。
それにしても───妹に背負われて敵前に登場する勇者の卵とは、これいかに。
第九十話 小さな灯 <終>




