第八十七話 嵐の前の
「こんなに早く再会するとは、締まらんのう」
櫓を漕ぎながら、猫爺がぼやく。
そう、シディアたちが乗っているのは、またもや猫爺の木船だった。
長生きしてまた乗せてくれ、なんて別れ方をしておきながら、たった数時間で偶然の再会を果たしたのである。
ぼやきながらも、猫爺はどこか嬉しそうに見えた。
「ははは、オイラたちとしてはラッキーだよ。ありがとな猫爺」
「竜騎兵団が来るたびに、猫爺に乗せてもらうことにしたらよくない?ウチらも、次来るときは猫爺指名で~!とか言って。ねー、シディア……あ、聞いてないやこれ」
「タビー市場で買った本か?ずいぶんと夢中で読んどるのぉ」
「シディアとしては、時間があったらもっと吟味したかったみたいだけどな。古本屋で「目が合った」歴史書らしいぜ」
皆の会話は、今のシディアの耳には届かなかった。
否、全く聞こえていないわけでもないのだが。例えるならば、水中にいながら水上の声を聞いているような。
(空飛ぶ魔法陣だけじゃなく、国の様々な仕組みに旅の魔法使いが関わってるのか、すごいな。種族や性別、容姿については……ほとんど書かれていない。猫妖精以外の種族なのは間違いないようだけど)
歴史書に魔法書を少し混ぜたようなつくりのこの本は、魔法使いの個人情報こそ教えてはくれないものの、シディアの知識欲を存分に満たしてくれる内容だった。
それこそ水中に沈んでいくがごとく、どっぷりと本の世界に浸るシディアと、和やかな会話を楽しむ他の面々を乗せて、木船は霧の中を進む。
そういえばこの霧は、時間帯に関係しているわけではないらしい。霧自体がほんの少し魔力を帯びているような気がするし、もしかしたらこれすらも、旅の魔法使いが───?
更にページを捲ろうとした、その時だった。静かな湖に、轟音がとどろいたのは。
音から少し遅れて、木船を強風が襲う。シディアは慌てて本を閉じ、ポーチの奥へと押し込んだ。
ミコトが立ち上がり、弓に矢をつがえた。ネオンもライフルの準備を整えている。
猫爺の身体を支えながら空を見上げるヒューゴの表情は険しい。
「ヒューゴ、今のってまさか……」
「ああ。シディアたちも昨日の戦闘で体験したもんな。黒竜が灼熱の炎を吐き出す時に、よく似ていた。音も、魔力の流れも。でも……」
ヒューゴが言いたいことはよくわかる。昨日体験したそれとは、比べ物にならない魔力の放出だ。
「猫爺、すぐにリベルカトゥスに引き返したほうがいい」
ヒューゴは波が穏やかになったのを確認し、猫爺を支えていた手を離した。調達したばかりの物資の袋を二つ、シディアと二人でそれぞれ「よいしょ」と持ち上げる。
「そ、そうしたいのはやまやまじゃが、こんな湖の真ん中で放り出すわけには……」
「大丈夫。迎えが来たからさ」
ヒューゴの言葉が合図かのように、霧の中から三頭の赤竜が現れた。レックス、メル、フォルテである。
ヒューゴ、ミコト、ネオンがそれぞれの竜に颯爽と飛び乗った。
シディアはフォルテに湖面すれすれまで降下してもらい、さらにネオンの手を借りながら背に跨る。急いでいるからこそ、格好をつけている場合ではない。安全第一である。
「乱暴な降り方でごめん。またな、猫爺!」
手を振る若者たちを見送りながら、老描は祈るように呟いた。
「……武運を」
先ほど感じた炎の、異常な魔力量。吐き出した主は、十中八九「赤目」であろう。
誰もその名を出すことはなかったが、そう思っているのがシディアだけではないことは、漂う緊張感から明らかであった。
「気配は、すぐそこだ。全員、油断するなよ!」
「了解!」
湖を越え、木々の間を抜け上空に出ると、その姿は間もなく目に飛び込んできた。
昨日討伐した個体より、はるかに大きい身体。
魔力量が自身の許容範囲すら超えて漏れ出ているのか、ヴェールのような赤黒い魔力を全身に纏っている。魔力の流れを見るのが不得意なアリスですら、これは容易に認識できることだろう。
そして沈みゆく太陽に負けじと輝く、血のように赤い瞳。
あれが───赤目か。
「隊長たち、うしろ気を付けて!」
女性の声に振り向くと、投石鳥が数体、こちらに向かって来るところだった。
奴ら、黒竜の谷にも生息しているのか。わざわざ赤目と一緒に襲ってくることもないだろうに───。
そこまで考えて、シディアははっと息を呑んだ。
───「王」だからか。
それが竜王だというのか。
魔物が付き従うなんて、そんなのまるで───魔王じゃないか。
「カーラ、その怪我……!」
叫びに近いミコトの声に、慌てて先ほど声をかけてくれた女性を見た。一番隊のカーラだったか。索敵向きの適性魔法を常時展開できると聞いて驚いた覚えがある。
そのカーラの───右腕が、無くなっていた。半身が爛れ、片目も潰れている。隊服は半分が焦げ、もう半分は血で真っ赤に染まっていた。
乗っている赤竜も、やっと空中にとどまっている、という状態だ。ほぼ瀕死と言っていい。
思わず顔を逸らしそうになるのを、ぐっと堪えた。戦い抜いた戦士に、そんな無礼なことはできない。
「さっきの炎で燃やされちゃったから……切り落としたよ。全身燃えるより、よっぽどいーでしょ」
カーラは力なく笑う。その姿に、ミコトの中で何かが切れた。シディアの耳にプツンという音が届いた気がしたくらいには、わかりやすい反応だった。
メルの手綱を握りしめ、ミコトは赤目に突っ込んでいく。
「待ってミコト、すぐにレオたちが来る、接近戦はそれから……!」
「ああなったら止められないさ、オイラもいく。……よく引き付けておいてくれた、カーラ。キャンプに戻って治療を受けてくれ。───シディア、カーラを頼む」
ヒューゴとミコトが赤目に向かっていくのを見送りつつ、シディアは身を乗り出し、まずはカーラの赤竜に回復薬を注いだ。この高さから落ちたら、怪我の具合など関係なく普通の人間は即死だ。兎にも角にも、キャンプまで無事に辿り着いてもらわなければ。
「ごめんな。疲れてるだろうけど、もう少し頑張ってくれ」
次はカーラのほうだ。出血がひどい。失った腕を取り戻すことはできないが、せめて傷は塞がないと。
直接口に回復薬を含ませてやりたいところだが、お互い赤竜に乗った状態では難しい。
声をかけ、回復薬の瓶を投げて寄越すと、カーラは危なげなくそれを受け取った。半分を経口摂取した後、もう半分を目から腕へと流し伝わせる。さすがは一番隊員だ。相当なショックと痛みを負っているだろうに、ものすごい胆力である。
シディアがここまでの大怪我をしたとして、彼女のように冷静に対処できる自信は全くない。
───皆若いが、覚悟を決めてここにいる。
ヒューゴがティラミスに放った一言を、シディアは改めて噛みしめた。
カーラの治療を行う背後では、ネオンがお得意の散★弾で投石鳥に応戦している。
カーラとその赤竜が戦闘に巻き込まれないよう注意しつつ、キャンプの方向へ誘導を試みるのだが。
「隊長たちが来て、回復薬もらって、安心しちゃったのかな……。ちょっと、意識が、もう保てな……ごめ……」
「……っ!危ない!」
愛竜の上で気を失ったカーラの身体が大きく傾き、今にも転げ落ちようとしていた。
そのカーラに近づく投石鳥を一羽、魔法銃で撃ち落とす。
短時間フォルテの手綱を離すくらいは問題ないはずだ、飛び移るか?
いや、カーラの赤竜の状態を見るに、二人乗りは危険だ。しかもカーラよりも重い男が飛び乗ってくるなんて、負担が半端じゃないだろう。
キャンプまではまだまだ距離がある。どうする。安全なところへいったん着地すべきか。しかしここは黒竜の谷だ。投石鳥の相手もしながら、短時間で安全な場所なんて探せるのだろうか───。
考えるほうに集中していた。集中しすぎていた。シディアの悪い癖だ。
誘導方向とカーラの様子ばかり気にして、視野が狭くなっていたのである。
気づいた時には、シディアの顔の真横にくちばしが迫っていた。投石鳥の大きく鋭いくちばしだ。
(まずい、油断した───)
この距離なら剣を抜くべきだが、シディアの抜剣速度では到底間に合わない。
カーラと同じく片目を失う覚悟をした、次の瞬間。
一発の弾丸が、シディアを襲わんとしていた投石鳥の首を撃ち抜いた。声もなく、魔鳥は地上へと落ちていく。
「さすがネオン!助かった!」
仲間の心からの礼と賛辞に、黒猫はぴこぴこと耳を動かし、得意気に尻尾をくねらせた。
「言ったっしょ~?近づく敵は片っ端から撃ち落とすって★」
俺たちは、まだ知らなかった。
このあとに待っている───本物の地獄を。
第八十七話 嵐の前の <終>




