第八十六話 覚悟の狼煙
時々、昔の夢を見る。
───結婚する気も、子作りをする気も無いだと?この親不孝者め!
───正気か?お前はたった一人の跡取りなんだぞ?
───考え直しなさい、レオ。愛のない結婚なんて、珍しい話でもないわ。
両親も、親戚たちも。誰一人として理解を示してはくれなかった。
別に、同性が好きだという気持ちを認めてほしかったわけじゃない。
跡取りのことだって、王都の孤児院から養子を数人迎えて育て、適性のある子を擁立できればと考えていた。
しかし何一つとして、例外は認められなかった。ウィレの村より小さな、あまりにも閉鎖的なあの村では、村民にとっての「普通」が何よりも優先された。
異性と結婚しない、血の繋がった子を持たないというレオの選択は、彼らにとって非難すべき「悪」でしかなかったのだ。
(もう……関係ない話だけどな)
今朝の夢を未だに引き摺っていることをなんだか情けなく感じ、レオは自らの顔面を平手で打った。
軽めに叩いたつもりだったが、近くにいた一番隊員数名に「な、なにごと?」と驚かれてしまい、非常にばつが悪い。わざとらしい笑顔で誤魔化し、その場を離れた。
キャンプの端、小高い丘の上に座り、大盾を取り出す。昨晩、見回り中に目をつけていた場所だ。
もちろん物見台ほどの高さはないが、それなりに見晴らしがいい。何より、空を遮るものがない。こういう開放感のある場所が、レオは好きだった。
広場から、「今日これ食べれるの!?やったー!」というアリスの弾けるような声が聞こえてくる。
昨日狩って今日の昼に解体した、黒竜の肉の話だろう。
幻の肉とも呼ばれる高級肉・黒竜の肉は、黒竜狩りの一族にとって貴重な収入源だ。
大半は保存し村へと持ち帰るが、一部は功労者、すなわち竜騎兵団がその場で食して良いことになっている。
少し前に、レックス、メル、フォルテの三頭を伴い、一番隊のひとりがヒューゴ達を迎えに行った。赤竜は賢い生き物だ。とくにレックスとメルは簡単にそれぞれの主を見つけて連れ帰れるはずだが、付き添いは念のためというやつである。
そろそろ合流し、キャンプに向かっている頃だろうか。昨日活躍してくれたシディアとネオンにも、ぜひ食べさせてやりたい。
ヒューゴのことだ。きっと物資とともに、リベルカトゥスの土産話も持ち帰ってくるだろう。賑やかな夜になりそうだ、とレオはひとり微笑んだ。
今夜は赤目との決戦前夜。皆の士気を上げるためにも、こういう祭りは必要なのだ。
静かに風が流れていく。空の色が、薄青から茜色へと移っていく。自然の優しさに心癒されながら、大盾を丁寧に磨き上げる。
この大盾は、実は魔法具だ。不要な時は別空間に収納しておけるので、いつどこにでも容易に持ち運べる。別空間とはなんなのか?それは考えないことにしている。とくに不便が無いからだ。
そういうのは考えたいやつか、頭脳担当に任せておけばいい。そう、例えば───。
「───こんなとこにいていいのか?三番隊隊長さんよ」
視線は大盾に向けたまま、背後の人物に声をかける。
昼過ぎに目覚めたばかりの彼が、既に職務に復帰していることをレオは知っていた。まったく、真面目すぎるのも考えものである。
ウゴは脚をかばうように、ゆっくりとレオの隣に座った。ところどころ巻かれている包帯が痛々しい。
「り、臨時隊長、くらいでお願いしますよ。さ、さすがに自分には、荷が重すぎます……」
「そうかあ?凄かったぞ、ウゴが起きたって聞いた時の、三番隊の喜びようは」
「め、目が覚めた途端に、みなさんがこぞって回復薬を口に突っ込んできて……溺れ死ぬかと思いました。現状の把握くらい、さ、先にさせてほしかった……」
「ずいぶん慕われてるな」
「べ、便利屋なだけですよ。今回臨時隊長を引き受けたのも、他に誰もやりたがらなかっただけで……マチルダさんが赤目にやられた例の調査だって、しょ、書類仕事を押し付けられたせいで、連れて行ってもらえませんでしたし」
「次期隊長として期待されてるんだろ」
「いえ、副隊長のアルバートさんを差し置いて、じ、自分なんかが」
「何言ってんだ。順当にいけばアルバートさんの年齢なら、マチルダ隊長より先に引退だろ」
大盾を磨く手を止め、隣を見る。
より一層もじもじしながら、懸命に話題を変えようと、丸眼鏡の下で視線を泳がせる気弱な青年がそこにはいた。想定以上に自己評価が低すぎて心配になってしまう。
「れ、レオさんこそどうなんですか」
「一番隊は二人ともオレより若いからなー、そうそう役目は回ってこないだろ。あるとしたら、たとえば……将来、ミコトが産休に入る時とか?」
絞り出した例は半分冗談のつもりだったが、ウゴは至極真面目くさった表情で丸眼鏡の位置を直し、「なるほど」と頷いた。
「じ、実は竜騎兵団に入る前は、レオさんが一番隊の副隊長だと思っていたんです。ミコトさんが副隊長だと知った時は、お、驚きました。隊長があの若さなら、け、経験値のある人を副隊長にするものだと……」
「なんだよオレを年寄りみたいに。まだ二十二歳だぞー」
「い、いえ、そういうつもりでは。若い方ばかりで構成されている一番隊の中では、こう、最も落ち着いているというか。ま、まとめ役に見えたので、つい」
ウゴがわざわざここにやって来た目的が分かった気がした。
隊長や副隊長の選出基準とは。隊長の器とは。今すぐではないとはいえ、マチルダという大きすぎる存在から、こんな自分が引き継いでいいものか。
彼なりに悩み考え、自身が納得できる理由を探しているのだろう。
おそらくそのヒントを得るために、レオと一対一で話す機会をうかがっていたのだ。
故郷を捨てて逃げ、竜騎兵団に拾われただけの男に、偉そうなことを言う資格はないけれど───。
「ミコトは……本当は一番隊の隊長に推薦されてたんだ。あの圧倒的な強さでな。で、オレが副隊長として補佐に就くはずだったんだよ。ヒューゴは二番隊の副隊長を任される予定だった」
ここだけの話な、と言うとウゴは驚きつつ慎重に頷いた。周囲を確認し、少し声を落とす。
「なんで、そうならなかったんです?り、理想的な布陣に思えますが」
「うーん。ヒューゴを二番隊に、しかも副隊長として置くのは勿体ないって意見が多かったのもあるけど……あいつらは、太陽と月の関係ってことかな。少なくともミコトにとっては」
「太陽と月、ですか?」
ウゴは顎に手を当て、ちょっぴり眉間に皴を寄せた。よくわからない、と顔に書いてある。
「オレは、ヒューゴが一番隊の隊長になって良かったと思ってるよ。皆が自然に後ろをついてくる。隊長を中心に、自然に協力し合う。慕われる力っていうのは、誰にでもあるわけじゃない。丸眼鏡の誰かさんにも、それが十分備わってると思うけどな」
顎から外した手を膝の上でもじもじさせ、「丸眼鏡の誰かさん」は上手い返しを考えているようだった。あるいは、話題を切り替えようとしていたのかもしれない。
しかし彼の口が開くより早く、茜色の空に白煙が一筋、立ちのぼった。───狼煙だ。
「れ、レオさん。あれは、まさか……」
「一番隊のカーラ───ヒューゴたちを迎えに行った隊員に、緊急用に持たせた狼煙だ」
二人の青年は同時に立ち上がった。
それぞれ、走りながら周囲に指示を飛ばす。
「一番隊、全員支度しろ!カーラの加勢に向かうぞ!」
「三番隊、一番隊の出撃補助!そこの君、回復薬をレオさんに数本渡してください!救護テントの拡大と水の確保!キャンプの守りも固めます!急いで!」
*****
「レックス。メル。フォルテ。おまえたちも感じたんだね?おまえたちはここにいて、ヒューゴとミコトを待ちなさい。大丈夫、もう少しで来るから」
心配そうにこちらを見るヒューゴの愛竜・レックスの首を撫で、ミコトの愛竜・メルに「お願いね」と目くばせする。
メルが頷いたのを確認し、カーラは自身の相棒とともに湖畔から飛び立った。
メルは冷静で合理的な判断ができる赤竜だと思っている。あの子なら、レックスが単独でこちらを助けようとしても止めてくれるだろう。彼には、我らが隊長を背に乗せるという大役を優先してもらわねば。
「───さて、と。」
空中から黒竜の谷を見下ろす。リベルカトゥスという国を興した猫妖精が何を考えていたのかは知らないが、かの国は黒竜の谷の中ほどにある。
暗黙の了解というやつなのか、出入口である湖に黒竜は寄り付かないらしいが、あの規格外───「赤目」にその常識が通じるかは怪しいところだ。
まずは、落ち着いて狼煙をあげる。狼煙といっても、火をつけるわけではない。魔力を込めれば煙が立ちのぼるように作られた、一族御用達の魔法具だ。これで、キャンプには伝わっただろう。ついでに、あちら側もカーラの存在を認識したに違いない。あとは。
「みんなが来るまで、引き付けとかなきゃね」
正直、純粋な戦闘力でいえば、一番隊の中では中の下といったところ。
カーラの武器は、弓の精度でも、剣の腕でもない。
敵の強さと位置が正確にわかる適性魔法「感知」を常時発動できることだ。範囲は限られるが、範囲内に入った敵は逃さないと自負している。
ああ、近づいて来る。ネペンテス・ビーの事件以降、魔力の許す限り最大限まで範囲を拡大し続けていた甲斐があった。
それにしても、アレが本当に黒竜だというのか。魔王にでも相対している気分だ。
悪寒と冷や汗が止まらない。それでも、震える手でクロスボウを構える。
アレは、災厄そのものだ。決して、谷から出してはならない。
一番隊の誇りにかけて。絶対に。
第八十六話 覚悟の狼煙 <終>




