第八十五話 風は詩う
たわいもない会話から始まり、タビー市場での騒動の謝罪、黒竜狩りの一族の近況、魔王軍の動向についてひととおり話し終えた頃。シルヴェストはその力強い瞳を一際輝かせ、期待を込めてヒューゴを見た。
「竜騎兵団が危機的状況に陥っている中、ヒューゴが朕に面会を求めたということは、だ。ついに来たのだな、あの時の借りを返せる日が!」
シルヴェストという猫妖精がどういう人物なのか、更によくわかった気がする。
ヒューゴに恩を感じているのはもちろんそうなのだろう。それ以上に、かの王はヒューゴと対等でいたいのだ。恩には恩で、親切には親切で報いたい、真っ当な性分なのであろう。
少なくともヒューゴの前では「王」でなく、一人の「友」でいたいのだ。「友」として頼ってほしいのだ。シディアはそう解釈した。
そんなシルヴェストの想いが伝わっているのかいないのか。ヒューゴは普段と変わらない調子で回答を口にする。
「そんな大げさにしなくていいって。でも今日は、せっかくだから借り、返してもらうぜ。───情報、っていうかたちでな」
「ほう、情報か。我が国やアダマソル近辺に限れば、大抵のことは遅かれ早かれ朕の耳に入ってくるようになっている。さあ、何から聞きたい?」
何が聞きたいかと問われれば、シディアとしては個人的に知りたいことが山ほどあるわけだが、さすがに場をわきまえ自重した。
ヒューゴがミコトと頷き合い、ミコトが茶菓子から手を離し姿勢を正す。どうやら事前に打ち合わせていた質問があるようすだ。
「竜王───この単語について、できる限りの情報が欲しい」
ヒューゴの言葉に、シルヴェストは一瞬、動きを止めた。
口に運ぶ途中だったティーカップをソーサーに戻し「耳が早いな」と呟く。
「黒竜に連なる名称だ、というのはさすがに察しているようだな。事の発端は、宴会に招いた吟遊詩人の歌であった」
宴会のたび、国外から城に招く吟遊詩人が数人いる。中でもその人間の男は、よく招かれているように思う。
特別見目が良いというわけでもないが、爽やかな歌声が心地良いと、招待客に毎度評判がいい。民の間でも人気は高いようだ。「風の詩人」などと呼ばれることもあるとか。
その日の歌も語りも出来が良く、シルヴェストの耳を十分に満足させた。
誤って黒竜の谷深くに迷い込んだ男が、他の個体よりもはるかに大きい黒竜と対峙し、その威光に思わずひれ伏す。きっと貴方さまは竜王に違いない、と震える声で賛美の歌を捧げたところ、竜王はその慈悲によって男を無傷で家に帰した。男は竜王の素晴らしさを各地で語り継ぐ───そんな物語だった。
「雄々しく、異常なまでの魔力を持ち、凄まじい威圧感を放つ竜王か。なかなか興味深い物語だったぞ。初めて聞いた話だったが、そなたのオリジナルか?」
惜しみない拍手を贈った後、シルヴェストは軽い気持ちで尋ねた。作り話であるのが当然だと思っていたのだ。
しかし風の詩人は言った。
「いいえ、陛下。物語のように仕立ててはおりますが、大半が実話にございます。竜王は実在する。この目でたしかに見たのです」
歌に出てきた男は、風の詩人自身なのだと、彼は語ったのだった。
「その後も招かれた各地で歌ったようで、瞬く間に国内に竜王の物語が広まってな。ここひと月ほどで、竜王の人気はうなぎのぼりだ。ただ流行っている、というだけなら放っておいたのだが……実は少々、問題が起きている」
シルヴェストの合図で、傍に控えていた従者が数枚の書類をヒューゴに差し出した。
隣からシディアも首を伸ばして覗き込む。何かの統計値のようだ。
「それは今年に入ってからの、犯罪件数とその内訳だ。それ自体はとくに極秘というわけでもない。見て、気づくことがないか」
「うわ、この一か月でやたら増えてる……?」
「内訳は……盗難、脅迫、詐欺、誘拐未遂……このあたりが倍増していますね」
次の書類に、シディアは目を見張った。
罪を犯した者の性別や年齢等をまとめたその書類が示していたのは。
「子どもの犯罪が、急増しているんですか。どうして……」
その言葉に、ネオンが「あ……」と声を漏らした。ネオンだけでなく、ヒューゴもミコトも、おそらくシディアと同じ猫妖精を思い浮かべているに違いない。タビー市場で出会った、茶トラの幼い少年を。
シルヴェストが目を伏せ、重いため息をひとつ吐いた。
「竜王の名がひとり歩きし、宗教のような扱いになってきている。娯楽の域を飛び越えようとしているのだ。魔王を神と崇めるカペル教も厄介だが、それとはまた違う厄介さがあってな。それがまさに、シディアが指摘した───子どもだ。貧民街の子どもや若者たちの間で、竜王に傾倒し犯罪に手を染めることが、ある種のステータスのようになってしまっているらしい」
沈痛な面持ちで語るシルヴェストの話を聞きながら、シディアは最後の書類に目を通した。被害者の内訳だ。
観光客ばかり狙っているというわけでもなさそうだが、率はそこそこ高い。ただでさえ種族の違いという壁があることを考えると、たしかにこれは頭が痛い問題だろう。
「朕が王位についてからは、治安が良くなったと他国に評判だったのだがな……。ここからは他言無用だが、組織立った動きもちらほら報告があり、警察に探らせている。貧民街の子どもらを捕まえたところで、あ奴らも竜王の名のもとに利用されているだけかもしれん、という話だ。これから重犯罪が増えてくる可能性も高い。タビー市場で出会った警官たちは、大方、その関連の捜査中だったのだろうよ」
出会ってすぐ、三毛猫スピカの第一声を思い出す。やけに気が立っていたのは、知らぬ間にシディアが捜査の邪魔になるようなことをしたからだろうか。
たとえそうだとしても、それだけで逮捕されるのは理不尽極まりないけれど。
「朕が竜王について知っていることは、これで全てだ。満足のいく回答だったか?」
シルヴェストの問いかけに、ヒューゴは少し考えた後、頷いた。
「十分だ、これで繋がった。───竜王は、赤目ってことだな。根城にしている谷も、三番隊の報告と一致する。その凄まじい威圧感ってやつと異常なカリスマ性が、特殊な能力や魔法じゃないといいけど……ってところか」
よくわからない悪寒がして、シディアはほんの少し身を震わせた。
吟遊詩人の歌に出てきた竜王の特徴と、事前に聞いていた赤目の特徴が似通っているとは思っていた。ヒューゴの確信を持った一言が、「異国の治安を揺るがす物語」を「討伐対象という現実」へと押し上げたのだ。
敵を知るに越したことはないはずだが、聞けば聞くほどシディアの中で恐怖が膨らんでゆく。
「兵を貸してやりたいところだが、先に語った状況なのでな。いつ何が起こるかわからぬ以上、下手に国外に戦力を割くことはできない。今貸し出せるような貧弱な戦力では、一番隊にとってはかえって足手まといであろう。だが───ヒューゴの友として竜騎兵団が心配なのは事実。人数は心許ないかもしれないが、回復魔法が得意な者を選抜しておこう。必要時に伝令を寄越すといい」
「それは助かるよ。ありがとう、シルヴェスト」
少し談笑した後、茶会はお開きとなった。
シルヴェストはなんとも名残惜しそうだったが、従者が言うには別の客人を待たせてしまっているらしい。シディアたちとしても今日中にキャンプに帰るためには、そろそろ帰路につかなければならなかった。
「ヒューゴ」
去り行く友の背に声をかけたのは、引き留めたかったからではない。そうではないのだが、従者の視線が痛い。後で小言ならいくらでも聞いてやるさ、とシルヴェストは開き直った。
呼び止めたのはヒューゴだけだったが、他の三人もともにこちらを振り返る。
ヒューゴの幼馴染で、一番隊の副隊長でもある少女。一度剣を交えてみたいが、以前それを言ったら「死ぬ気か」とヒューゴに止められた。失礼な話だ。
国内の同族とはどこか違う魂を感じる猫妖精。
戦士と呼ぶにはまだまだ頼りない、勇者ダリアの息子───彼の不思議な瞳について、いつか話せる日が来るだろうか。
彼らからヒューゴに視線を戻し、シルヴェストは静かに告げた。
「落ち着いたら、勇士マルクス───そなたの父上の墓に、また花を供えに行く」
「ああ、その時は美味い酒も供えてやってくれよ。親父、酒好きだったからさ」
太陽のような友の笑顔に、猫の王は切に願う。
どうかその輝きが、陰ることのないようにと。
第八十五話 風は詩う <終>




