第七十五話 いざ、黒竜狩りへ
黒竜の谷と呼ばれる地帯を、フォルテの背に乗り見下ろす。
眼下に広がるのは、シディアの想像を遥かに超える雄大な自然だった。
河川や滝などを挟んだ群島で成り立つ、清流と深緑の楽園。
これまで進んできた山や森より一段低い位置にあるその地帯は神秘的な空気で満ちていて、まるで違う世界に迷い込んだようだ。
針山に覆われ、限られた居住区でしか過ごせないベーヌス島とは比べ物にならないほどに広大でそして───美しい。
自分がいかに小さな世界で生きてきたかを、シディアは改めて実感として噛みしめる。
「黒竜の谷は凄いだろ。オイラも初めて見た時は興奮しすぎて、親父に怒られたもんさ。ちなみに、赤目の目撃情報があったのはあっちだな」
隣を飛ぶレックスの上でヒューゴが腕を伸ばし、西のとある地点を指し示した。そこには一際大きく深い谷が口を開けている。朝陽に照らされた黒竜の谷の中で、その場所だけが光を拒絶しているように見えた。
「で、今日の討伐対象はこっちってわけだ」
キャンプより北東に十数分。
湖のほとりで羽を休める、一頭の黒竜を発見した。湖にはいくつもの滝が流れ込み、谷に吹き降ろす風により常にさざ波が立っている。
「三番隊、あれで間違いないか?」
ヒューゴが声を掛けた相手は、丸眼鏡の青年ではなかった。四十代くらいと思われる男性隊員は、力強く頷いてみせる。
「はい、間違いなくあの個体です」
対象の竜は動き出す気配こそないが、眠っているというわけでもなさそうだ。
「やつらは、魔力の探知能力に長けている個体がほとんどだ。今オイラたちは、探知の範囲外ギリギリを飛んでる。少しでも高度を下げたらすぐに気づかれると思ってくれ」
シディア、アリス、ネオンが頷いたのを確認し、若き隊長は一番隊の面々を見渡した。
「よし、全員配置につけ。合図したら、高度を下げて一斉に仕掛けるぞ」
「了解!」
一番隊の全員で黒竜の上空に円を作る。
隊員はもちろん、赤竜たちも引き締まった、凛々しい表情だ。
ヒューゴが右腕を天に向かって突き上げた。突撃の合図だ。
「───さあ一番隊、狩りの時間だ!気合い入れていこうぜ!」
高度を下げた次の瞬間、黒竜が立ち上がるのが見えた。さすがの反応速度だ。
「これが……最強の竜……」
「黒……竜……」
初めて目の当たりにした黒竜の大きさと迫力に、シディアとネオンはしばし圧倒された。
狂暴化の兆候とやらは訓練を受けた者でないと正しく判別できないらしく、基本、三番隊が持つ専門知識らしい。もちろん、シディアたちにその知識は皆無だ。
兆候はまだ僅かに出ているだけと言われても、正直、狂暴にしか見えない威圧感である。
たじろぐシディアたちをよそに、弓や銃による一斉射撃が始まった。事前に決めていた作戦通りだ。
「くそ……気圧されてる場合じゃない、俺たちもやるぞネオン!」
「……ははっ。ウチとしたことが、ソーリーソーリー★よっしゃ、特大の一発、お見舞いしてやろーじゃん!」
手綱を操り、更に高度を下げる。真正面から竜と向き合う日が来るとは、なんとも勇者らしくなってきたではないか。今撃ち込むのは、仲間の狙撃手だけれど。
「魔力をたーーっぷり込めましてからの~、───超★弾!」
ライフルから撃ち出された弾丸は、黒竜の胸あたり、ど真ん中に突き刺さった。
いくら対竜特攻の武器でも、使い手の力量が足りなければ傷一つつかないという話だったが、明らかに弾丸がめり込んでいる。シディアの耳に届く呻き声。これは効いていると判断していいだろう。
痛かったのか、はたまた気に障っただけかは知らないが。
全方向から攻撃を受ける中、黒竜の瞳にネオン───シディアとフォルテも含めた二人と一頭が映ったのを、シディアははっきりと見た。
黒竜がわずかに口を開く。隙間から漏れ出るは───緑色の、炎。
「まずい……フォルテ、上昇だ!」
がばりと大きく開いた口から緑の炎が吐き出されるのと、シディアの指示はほぼ同時だった。
あわや呑まれるかと思ったその時、灼熱の炎の前に飛び出して来た者がいた。
一番隊の守り神・レオである。
「守りは任せてくれていい、どんどん撃ち込め!」
緑の炎は大盾に受け流され、さらに風に流れて消えていく。
周囲の様子が目に入った。炎を吐かれようが尾を振り回されようが、それによって怪我人が出ようが。手を緩めることなく攻撃を続けている一番隊の面々は、若者が大半ながら皆プロなのだと再認識する。
とくに、ミコトの弓の命中率と手数が恐ろしい。常人には考えられない角度からも撃ち込んでいる。相棒のメルと息が合っているのはもちろんのこと、常識の範囲を逸脱したバランス感覚だ。
鬼のよう、などと本人に言ったら気を悪くするかもしれないが、鬼気迫るものがある。一番隊の中でも、頭一つ抜きん出ているのは明白だった。
これは、シディアも負けていられない。
「俺だって……!」
右手で手綱を握りながら、左手で魔法銃を取り出した。
集中、集中。
適量に絞った魔力を指先に込め、引き金を引く。
放たれた魔法弾は黒竜の右目に着弾し、巨大な氷の花を咲かせた。
待っていたかのように、頭上から「やるぞ!畳み掛けろ!」とヒューゴの明朗な声が降ってくる。
「いざ奮い立て、勇士たち。我照らさん、その勇敢なる姿を。───輝け、英雄たる者よ!」
詠唱とともにヒューゴの身体から発せられた光が、一番隊全員を包み込んだ。
初めての感覚に、シディアは思わず手綱を離し、拳を握りまた開く。
身体強化魔法だとは聞いていたが、これほどまでとは。単純に筋肉が強化されたというより、身体の奥から力が引き出されている感覚だ。
力とともに、意欲も漲ってくる。
たった一回の詠唱で大勢を強化できるというのはもちろん、士気すら上げる効果があるとは驚きだ。
その代わり長時間は持たないとのことだが、それでも十二分にバケモノ級の適性魔法である。
まったく。勇者が本当に必要なのか怪しくなるほどには、世界はとんでもない英傑で溢れている。
ハッ、と自嘲気味に笑ったあと、魔法銃をしまい、代わりに剣を抜いた。シディアの魔力を吸い上げた透明な刃が陽光を反射する。ここからは接近戦だ。
最強の竜、黒竜。その太く硬い首を落とすのは至難の業だ。通常では不可能なことでも、武器と身体の両方が強化されている今なら───!
接近戦を得意とする隊員たちが、各々の武器を持ち黒竜に向かっていく中、皆の間を飛び抜け優雅に空を舞う赤竜がいた。ミコトの相棒・メルである。
しかしその背に若き副隊長の姿はない。
見ると、レオの大盾にいつの間にかミコトが乗っていた。弓はメルの背に置いて来たのだろう。二振りの短刀に持ち替えている。
「せーの───っと!」
レオが大盾を力いっぱいぶん回した。ミコトはその遠心力を利用して宙を飛び、黒竜に突っ込んでいく。赤竜のトップスピードを超える速度だ。
「グアァァァ……!」
ミコトを筆頭に、追いついたシディアや他の隊員たちにより、瞬く間に全身を切り刻まれた黒竜は苦し気な声をあげた。
メルの背に見事着地したミコトの、前髪の奥の瞳が光を放つ。
相手の魔力量に応じて動きを封じる、彼女の適性魔法・蛇神の祝福だ。
「……捕捉、成功」
黒竜がぴたりと動きを止め、数人がガッツポーズをする中、ヒューゴが嬉々として叫んだ。
「今だ、行け───アリス!」
「あたしの出番きたきたきたぁー!」
レックスの背から、戦鎚を手にアリスが飛び出す。タイミング良く獲物のほぼ真上にレックスを移動できたのは、ヒューゴの騎竜技術の賜物であった。
黒竜の左目だけがぎょろりと動き、アリスの姿を捉える。
(いくよ、雷神。あたしの初めての竜退治、つき合ってくれるでしょ?)
第七十五話 いざ、黒竜狩りへ <終>




