第百三話 備えあれば
宣言通り、シプレは侍女に命じて魔法具代の五十万ヤージュを支払わせると、シディアが呆気に取られているうちに本屋を出てしまった。
店主への挨拶もそこそこに慌てて追いかけ、彼女を呼び止める。
「あの、ありがとうございました!でも、どうして!?」
真珠の貴婦人は、それを待っていたように優雅に振り返り、にっこりと笑った。
「先ほど街道でお会いして、すぐに本屋で再会ですもの。なにかのご縁かと思いまして」
「いや、それだけで、あんな大金……」
困惑するシディアを眺め、シプレは「ふふ」と口もとに手を当てた。
「慎重で聡い方ですのね。ええ、お察しのとおり、無償でとは言いませんわ。わたくし、あなたに頼みたいことがありますの。先ほど、ばあやが会計を済ませている間に従者の方からお伺いしました。シディア様は、冒険者として旅をしていらっしゃると」
追いついて来たラファエルを横目で見る。結局、レザビスではシディアの従者として動くことにしたようだ。
そのほうが立場の説明は圧倒的に楽に済むだろうし、姉オリヴィアについても下手に勘ぐられず過ごせるというものだ。理にかなった絶妙な嘘と言えるだろう。
問題は、シディアのほうがボロを出さないよう気をつけねばならないことくらいである。
「依頼に応じて、仲間とともに各国へ足を運んでいるところです。俺に頼みたいこと、というのは?」
「わたくしの、護衛を務めていただきたいのです」
「護衛、ですか」
「護衛といっても、付きっきりである必要はありません。泊まり込みも強制しませんわ。屋敷は王族や貴族が多く住むエリアの中にありますから、治安は守られていますし。街中で活動することが増えてきたもので、その際に同行していただけたら大変助かりますの」
「活動……というと?」
「あら大変。わたくしとしたことが、自己紹介もせずにお話してしまうなんて」
こほん、とあらたまった咳ばらいをすると、シプレはドレスのスカートを軽くつまみ上げる。人魚でも人間でも、貴婦人の礼の仕方は変わらないようだ。
白いスカートの裾からのぞく、純白の鱗が眩しい。
「わたくし、伯爵家のシプレと申します。半年ほど前から、民権派の代表を務めておりますの。どうぞ、お見知りおきを」
こちらも改めて全員を紹介しながら、シディアは脳をフル回転させていた。
民権派。本屋を教えてくれた女性が言っていた、王政派と民権派というやつだろう。
名称からして、王政派が女王アムピトリテ側なのは間違いない。ということは、民権派は女王の政治に異を唱える集団、ということだ。
そして、目の前の淑女はその代表だという。
───うん、本来なら関わらないに越したことはない。
しかし既に関わってしまった。高額な魔法具を奢ってもらう、なんていう最悪のかたちで。
使い捨てという特性が故に、魔法具は店主が歴史書に使用してくれた後だ。返品するという選択肢はもう無いのである。
これらが有無を言わせないための策だとすれば、シディアは既にシプレの手の平の上だ。腹をくくるしかないらしい。
「なにかご用事があってレザビスにいらしたのでしょう?こちらを最優先で動いてほしい、とは言いませんからご安心なさって。詳しいことは明日、屋敷でお話しましょう」
柔らかく丁寧な口調だが、シプレの言葉には人を自然に従わせる力強さがあるように、シディアには思えた。伊達に政治派閥の代表を務めているわけではない、ということなのだろう。
「民権派のどなたかにこちらを見せれば、屋敷まで案内してくださるはずですわ。それでは、ごきげんよう」
シディアの手に白い貝殻のペンダントを握らせ、真珠の貴婦人とその侍女は、軽やかに去っていったのだった。
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「───と、いうわけでして。以上が、師匠と離れていた間の出来事です」
ギャビンに淡々と報告するラファエルの声を聞きながら、シディアはきょろきょろと室内を見回していた。
巨大な貝と岩を利用して作られた一軒家は、外見こそ奇抜で驚いたものの。室内は地上の家屋と似たような造りであった。
ただし、家具や照明は全て貝や珊瑚、そのほかシディアが初めて見る素材でできているようだ。なんとも興味深い。
「ありがとう、エル。疲れているところ悪いけれど、夕食の準備をお願いしていいかい?リヴが───今は寝ているけれど───エルの料理を食べるのを楽しみにしていたからね」
「それは、気合いを入れねばなりませんね。腕によりをかけて作りましょう」
機嫌良くキッチンに消えるラファエルの背中を見送り、ギャビンはシディアたちに向き直った。
「まずは、竜王の討伐お疲れさま。とくに弟くんは、黒竜狩りの一族との特訓で、物凄い成長を遂げたそうじゃないか。あとで詳しく聞かせてくれたまえよ」
「あ、はい。俺もギャビン先生に聞きたいことがありますし、後ほど」
頷きながら、ラファエルの報告の中にそんな内容があっただろうか、と内心首を傾げる。
本当にこの魔法使いは、いったい何をどこまで知っているのだろう。
「そういえば、スィルヴィは連れてきてないの?どこにもいないけど……」
アリスの質問に、ギャビンは寂し気に眉を下げる。
「さすがに海底に鷹を連れてくるのはリスクがありすぎてね。海の妖精たちは鳥類を毛嫌いするとも聞いているし。なにかあればジョセフ殿を頼るように言い含めて、家でひとり留守番してもらっているよ」
たしかに、呼吸ができたとしても、地上と何もかも同じというわけではないはずだ。この環境で鷹が不自由なく飛び回れるかどうかなんて、きっと誰にもわからないだろう。堅実な選択だとシディアは思った。
「それにしても、厄介なご婦人に気に入られちゃったね、弟くんは。よりにもよって、民権派の代表とは……。でもまあ、貴族とつながりができたこと自体は、動きやすくなって良かったんじゃないかな。そっち方面からの情報収集も期待できそうだし」
うんうん、と頷きながらギャビンはさり気なく、周囲にさっと視線を走らせた。
再会してからずっとこの調子だ。なにかを警戒しているような。
「ってか、結界張りすぎじゃね?って思ったんだけどー。備えあれば憂いなしとは言うけどさ、こんな大量に要る?」
口に出すタイミングを計っていた質問をあっさりネオンに奪われ、シディアは苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。
ネオンとギャビンは、ほぼ初対面だ。
アダマソルに向けて出発前。島主家でほんの少し顔を合わせはしたが、ギャビンが急ぎ帰宅するところだったため、簡単に挨拶を交わした程度である。
そんな相手に、遠慮なくズバッと聞けるのはネオンの長所ではあるのだが。
「へえ、キミには全部見えるのかい?この中で気づくとしたら、弟くんくらいだと思っていたよ。優秀な仲間が増えて安心、安心」
「結界?そんなにいっぱい張ったんだ、何枚重ね?五枚くらい?」
にこにこと尋ねるアリスに、シディアとネオンは顔を見合わせる。
またしてもシディアより先に、ネオンが口を開いた。
「んー、ステルスで張ってるのもあるっぽかったから、ウチが本当に全部見えてるかは怪しいけど───ざっと百くらい。超絶多すぎて、途中で数えるのやめたっつーの」
「ひゃ……ひゃく……?」
目を見開いて固まってしまったアリスの隣から、シディアも我慢できず口を挟む。
「いや本当に、多すぎませんか?ドン引きレベルですよこれ」
「毎日コツコツ頑張ったら、ちょっと増やしすぎちゃったかもねぇ。安全に越したことはないよ。キミたちの出入りには影響ないから、気にせず動いてもらってかまわないし」
へらへらと笑った後、若者たちの視線に気づきギャビンは表情を引き締めた。
「うん、僕がキミたちを呼び出した以上、誤魔化すのは良くないね。ちゃんと話しておこう」
ギャビンとオリヴィアがレザビスに入国した直後。この拠点に辿り着くまでのいきさつに、シディアたちは真剣に耳を傾けた。
「魔法による追跡───ですか」
いつの間にか、ラファエルも調理の手を止め会話に参加している。
シディアは「うーん」と重く唸った。
「せっかく貴族との繋がりができたし、そのエドガーさんって人魚にも直接お礼を言えるかなと思っていたけど……」
「エドガーには接触しないほうがいいだろうね。念のため皆、彼の名前を出さないように気をつけてほしい」
全員が大きく頷き、ギャビンは「リヴの様子を見てくるよ」と寝室へ向かった。
ラファエルもキッチンへと戻っていく。やけにファンシーなエプロン姿だったが、ツッコめるような空気でもない。
カーテンの隙間から、シディアは窓の外を覗いた。
地上とは違う、淡いオレンジに包まれた夕方の景色が広がっている。
数時間もしないうちに、月も星も無い、海底の夜がやって来る。
これまで感動すら覚えていた美しき海底都市が、にわかに空恐ろしく感じられたのであった。
第百三話 備えあれば <終>




