第百二話 真珠の貴婦人
「さっそくオリヴィア様と師匠と合流したいところですが、その前にレザビスの地図を調達せねばなりません。事前に準備できなかったからと、師匠に頼まれていまして」
ラファエルの言葉に、シディアは顔を輝かせた。
(地図、ってことは……もしかして、レザビスの本屋に───!?)
しかし膨らんだシディアの期待は、一瞬で萎むこととなった。
「都市部の入り口に、観光案内所があるそうです。そこで無料で配っているようですので、何部かもらっていきましょう」
なんだ。本屋じゃないのか。
がっくりと肩を落としながら、皆に続いて歩き始めた、その時だった。
通行人の女性の肩と、シディアの腕がぶつかってしまったのだ。
「ご、ごめんなさい!」
はずみで女性の手元から落ちてしまったものを、慌てて拾い上げる。
手のひらサイズの、白い貝殻───裏がミラーになっている。手鏡のようだ。
「ぼーっとしていて、すみません。割れていないといいんですが」
手鏡についてしまった砂を軽く払い、女性に差し出した。
白いドレスに、白い肌。白に近い、淡い銀の髪。ドレスの裾からは純白の鱗と尾ひれがのぞいている。
一歩後ろに侍女らしき老女が控えていることからみても、身分の高い女性であろうことが容易にわかる、気品あふれる淑女であった。
「失礼、わたくしも不注意でしたわ。傷ひとつついていませんから、お気になさらないで」
柔らかな笑みを浮かべるうら若き貴婦人にぺこりと頭を下げ、シディアは仲間たちの後を追ったのであった。
その後。
純白の貴婦人はしばらくの間、走り去るシディアの後ろ姿を見つめていた。
「……ばあや」
「はい、お嬢さま」
「わたくし───運命の出会いをしたかもしれませんわ」
**
観光案内所に辿り着いたシディアたちは、一枚の張り紙を前に途方に暮れていた。臨時休業を報せる張り紙である。
「えー、閉まってる!」
「あれじゃん?内乱ってやつの影響的な?」
なお、周囲にいくつか店はあるが、それらも軒並み臨時休業のようだった。
そこへ、天の助けが舞い降りた。通りすがりの人魚の女性が、見かねて話しかけてくれたのだ。
「あらまあ、観光?残念ねー、つい昨日、この辺りで王政派と民権派のトラブルがあって、あちこち巻き込まれたって話でね。ちょっとした喧嘩っていうか小競り合いだったのが、周りにいた人魚たちが余計に煽って、大ごとになっちゃったみたい。女王陛下直属の護衛騎士・フォーマルハウト様も駆けつけたってウワサよ。嫌ねえ、最近こんなのばっかりで。ところで、何かお探し?おばちゃんでよかったら案内するわよ」
相槌を打つ暇もないほどの勢いで一気に話し終えると、人魚の女性は地上の若者たちを見回した。
アリスとラファエルにも笑いかけているあたり、魔力量で差別するようなタイプではないらしい。少なくとも、悪い人魚ではなさそうである。
ラファエルから送られた視線に、シディアは肯定の意味で頷き返した。執事は一礼した後、あらたまって口を開く。
「実は、レザビスの地図を探しておりまして。おおまかで良いので全体像がわかるようなものがあると、ありがたいのですが」
「地図ね。そこの角を曲がったところの本屋なら、今日も開いてるのを見たわ。個人経営の小さい店だけど、さすがに地図は何種類かあるはずよ」
ついに。ついに来た。
念願の本屋の入り口で、シディアは感動のあまり立ち尽くしていた。
(これが、人魚の国の本屋……!)
地上の本屋とそう大きくは変わらないが、天井まで伸びる背の高い本棚と、隅で揺れている海藻が印象的だ。人魚たちはそもそも水中に浮いているので、高さはとくに気にならないのかもしれない。海藻は観葉植物の位置づけだろう。
先ほどの女性の言葉通り、こぢんまりとした店だが、きちんと分類・整頓され棚に収まっている本たちはどこか誇らし気に見える。
髭を生やした老人───否、老人魚の店主は、地上からの客を快く迎え入れてくれた。
地図を探している旨を店主に伝えるラファエルの背後で、シディアはアリスとネオンに交渉という名の泣き落としを試みる。
「すぐ、本当すぐ決めるから!一冊だけ選ばせてくれ……!頼む……!」
「はいはい、そう言うと思ってたよ。いいよね、ネオン?」
「うん、全然時間は余裕ありそうだし。その代わり、地図はウチらが勝手に決めるから、文句言うなよ~」
「もちろん!」
さっそく、歴史書の棚に並ぶ本の背表紙に目を通す。
話す言葉は地上と同じでも文字の書き方が異なる可能性を心配していたが、幸い、読める文字で書かれているようだ。古典はこの限りではないかもしれないが。
気になった数冊を覚えておいて、お次は魔法書の棚に移動する。
持ち金は既にレザビスの通貨・ヤージュに換金してあるものの、ここであまり使うわけにはいかない。長期間の滞在になる可能性もあるからだ。
悩みに悩んだ末、慎重に吟味した一冊の歴史書をレジに持っていくと、店主は「おお、これか。いい勉強になるよきっと」と嬉しそうに会計に応じてくれた。
「お客さん、レザビスは初めて?」
「はい、人魚の国の本屋に来れるなんて夢みたいです。ところで、俺たちが呼吸できているとはいえ、ここも水中ですよね?海底の本は、特殊な紙でできているんですか?それとも、保存の魔法を全冊かけてあるとか?」
前のめりで質問を浴びせる若者が眩しく映ったのか、老齢の店主は目を細めた。
「ほう、君は本が好きなのか。そうだね、地上の本を手に取ったことはないが、紙もインクも製法は全く異なると聞いているよ。君たちからすれば、特殊な紙、特殊なインクってことになるだろうね。───ああ、そうか。大事なことを伝えていなかった。地図もこの本も、地上には持ち出せないけど、かまわないかね?」
思わず「ええ!?」と全員の声が重なる。これはラファエルも初耳だったようだ。
シディアはかなりのショックを受けながら、なんとか言葉を絞り出す。
「な、なんで……レザビスの法律で禁止されている、とかですか?」
「いやいや、そんなことはない。べつに国家機密が載っているわけでもあるまいし」
「じゃあ、どんな理由で……?」
「物理的な問題でね。地上の空気に触れたら、すぐボロボロに崩れてしまう紙なのさ」
店主は皴の刻まれた指で、とんとん、と軽く歴史書の表紙を叩いた。
どうりで、とシディアは思った。レザビスのことを詳細に書かれた書物が極端に少ないのには、ちゃんとした理由があったのだ。
謎に包まれた海底都市を紐解こうと思うならば、直接足を運ぶしかない。ただし、シディアたちも使った入国ルートを知っている人間こそ稀であろう。なんとも研究者泣かせの都市である。
放心するシディアを見て申し訳なくなったのか、店主は「うーん」と唸りながら髭を撫でつけた。
「もし、地上に持って帰りたいのなら。保存の魔法を定期的に掛け続けるか、特別保護仕様にするかの二択だね。一応うちも、やってはいるけど……」
「特別保護仕様……?」
「国の機関が売り出してる使い捨ての魔法具で、特別な保護魔法をかけるのさ。えーっと、どこにしまったっけなあ」
店主はカウンターの下をごそごそと漁りながら、話を続ける。
「特別保護仕様にすれば、地上に持ち出してもこのままの状態を保てるんだよ。なんと、効果は永久ときた。もちろん、意図的に魔法を解かない限りは、だがね」
「永久保護……!?すごいですね」
「すごいだろう?その代わり、値が張るんだよ。仕入れ値が高いうえに、うちみたいな小さい店は、地上からのお客さんは滅多に来ないもんでね。常にひとつしか仕入れてなくて……お、あったあった」
引っ張り出されたのは、形も大きさもしおりのような魔法具だった。
シディアはごくりと唾を飲む。
「値が張る、んですよね……お、おいくらなんですか?」
「君のような若い子に言うのは申し訳ないくらいの値段なんだが……五十万ヤージュだね」
「……ごじゅう、まん」
シディアの持ち金では到底足りない金額だった。ネオンとアリスの持ち金含め、手持ちの資金をかき集めたとして、十万ヤージュにも届かない。
ここに来る途中でいくつか店を見たが、地上と比べて物価がべらぼうに高いなんてことは無さそうだった。実際、買おうとしている歴史書は二千ヤージュだ。
法律で禁じているわけではないとはいえ、これは実質の持ち出し抑制ではあるのだろう。多少流れるのは良しとしても、あまり気軽にポンポン地上に持ち出されるのは困るのかもしれない。
「どうする?買うのやめとくかい?」
覗き込んでくる店主の、心配そうな視線がつらい。
どうする。海底に滞在している間だけ読めるとしても、買う価値はある。ある、が───。
とりあえず何か言わなくては、と口を開こうとした時だった。
シディアの手に、そっと重なる華奢な手があった。真珠のような光沢のある手袋には見覚えがある。
「まあ、素敵な表紙の歴史書ですこと。その魔法具もご入用なのですね?」
「え、えっと……?あ、さっきの、手鏡の!」
街道でぶつかってしまった純白の淑女が、いつの間にかシディアの隣に立ち微笑んでいた。
店主は貴婦人の登場に大層驚いた様子だ。座っていた椅子ごとひっくり返りそうな勢いでのけ反っている。
「し……シプレ様!?な、なな、なんでこんな小さい店に」
「まあ、そんなに驚かないでくださいまし。わたくしだって読書を嗜みますのよ」
茶目っ気たっぷりに頬を膨らませてみせた後、シプレと呼ばれた若き貴婦人はしおり型の魔法具を上品な仕草で手に取った。
「この魔法具の代金、五十万ヤージュでしたか?わたくしがお支払いしますわ。───ばあや」
「はい、お嬢さま」
本屋の前を通りかかった人魚が飛び跳ねるほどの、特大の「えええーーー!?」が響き渡ったのは、言うまでもない。
第百二話 真珠の貴婦人 <終>




