第百四話 万病の薬
起床したオリヴィアも交えての、賑やかな夕飯の後。
「姉様、まだ起きてても大丈夫なの?」
心配そうに顔を覗き込むアリスに、姉オリヴィアはにっこりと笑顔を見せた。
「海底に来てから、なんとなく調子がいいの。地上より魔力の回復が早い気がするのよね。もう少しだけなら大丈夫そうかなって……いいですか、師匠?」
「空気……と言っていいかはわからないけど、リヴの魔力炉と海底の環境は相性がいいみたいだね。リヴが起きていたかったら、今日くらいはいいんじゃないかな。少しでも違和感があったら、すぐに言うんだよ。無理は禁物だ」
師の回答に、姉妹は揃って顔を輝かせる。
「せっかく起きていられるのだし……シディアとアリスの話をもっと聞きたいな。新しい仲間の話も。ネオン───って、わたしもそう呼んでいいかしら?」
「ふぇっ、あっ、はい、お好きに呼んでもらって、大丈夫っつーか、その」
あまりにもらしくない歯切れの悪い受け答えに、シディアはネオンの顔をまじまじと見た。
どうやら極度の緊張状態らしい。あの飄々としたネオンもこんな表情をすることがあるのかと驚く。なんとも新鮮だ。
アリスが「ええ……」と困惑の声を漏らした。
「な、なんかネオンじゃないみたい……どしたの?」
「あー、姉さんのファンだって言ってたっけ、そういえば。ここまでとは聞いてなかったけど───おーいネオン、もうちょっと肩の力抜かないと倒れるぞ」
「い、い、いや、何言ってんの双子。ウチってば超~いつも通りだし、うん」
ぎこちない口の動きでなんとかそこまで述べた後、「ほ、本物だ……聖女オリヴィア様が……ウチと喋ってるぅ……」などとブツブツ呟いているネオンは、いったん放っておくことにして。
姉に冒険譚を語りたいのもやまやまだが、まず確認すべきことがあった。
「ギャビン先生。先生は、レザビスの事情をどこまで知っていたんですか」
シディアの唐突な質問にも、ギャビンが動じる様子はない。
「内乱状態だと知っているにも関わらずキミたちに言わなかったのか、という質問かな?だとしたら、かいかぶりすぎだよ。さすがに海底の事情には明るくない」
大げさに両手を広げ肩をすくめてみせたギャビンだったが、すぐに「そうだね」と頷いた。
「誤解を与えないために、僕の能力を明かしておこう。リヴとエルはとっくの昔に知っている話だけど───僕の情報収集力の高さは、鳥たちのおかげなんだ」
「鳥……スィルヴィだけではなく?」
「そう。世界中の、あらゆる鳥類から情報をもらうことができる。魔王の魔力に侵されている投石鳥なんかは、ちょっと無理があるけどね。そして当たり前だけど、海底に鳥はいない。事前に政治事情を把握するなんてできっこないんだよ」
そういうことだったのか。あれこれ納得のいく答えに礼を述べ、同時に疑念を抱いたことを謝罪する。
シディアの謝罪を快く受け入れたギャビンは、ラファエルに地図を持って来させた。
今日、本屋で購入したレザビスの地図である。
「事前には何も知りえなかったとはいえ、一応ここに来てから得た情報が少しはあるよ。明日から動き出す前に皆で共有しておこう。リヴも把握しておいてほしい」
まず、政治事情について。
シディアたちも知っている通り、レザビスは王政派と民権派で事あるごとに意見が対立し、内乱状態にある。
王政派は女王アムピトリテの統治、女王をはじめ王室が政治のトップに立つことを良しとしている派閥だ。
女王アムピトリテは、海底全域において絶対的な権力を持っている。決して民が抑圧されているわけではなく、国全体が女王を讃え敬いひとつになることで、レザビスは古くから治安を保ってきたのだ。
しかし、その政治に異を唱える者たちが現れた。それが民権派である。
「キミたちが会ったシプレっていう民権派の代表だけど、生まれてすぐ伯爵家を出て、郊外で長らく療養していたらしいね。伯爵家を継がせるために、最近呼び戻されたみたいだよ。まあ、街で小耳にはさんだ噂だけどね。ちなみに明日キミたちが行く屋敷は、このエリアにあるはずだ」
場所や建物の確認も交えながら、ギャビンの話は続く。
民権派は、政治は国民が主導で行うものだ、と主張している派閥らしい。要は政治の決定権は女王ひとりではなく、国民全員にあるべき、という考え方だ。
民権派の代表であるシプレは、実権を握ったあかつきには、魔力量や種族による差別を無くすと公言している。
国内のパワーバランスがひっくり返る可能性を示すこの発言に、王政派が黙っているはずもない。口論が暴力に発展するのにさほど時間はかからなかったようだ。
アムピトリテとシプレ、初めは二人のあずかり知らぬところでぽつぽつと発生していた小さな喧嘩が、いまや女王直属の騎士まで出動する事態にまでなっているのだから恐ろしいものである。
「白い紐やリボンを目立つ場所に巻いてアピールしている連中は、民権派の中でも過激な奴ららしい。王政派も最近対抗して、赤いものをこぞって身に着けていたりするみたいだけど。どちらの派閥であろうと、関わらないに越したことはないな。白にも赤にも注意するように」
その過激な奴らから守ってほしい、というのがシプレからシディアへの依頼であるはずだが。今は考えないことにしよう。
そしてギャビンの話は、レザビスの事情から本題へと移った。
海底に来た目的───万病の薬とされる「人魚の泪」についてだ。
「俺も、人魚の泪については本で読んだことがあります。万病に効く特効薬、不老不死の妙薬なんて言われたりもしますよね。でも、伝承というか、人魚の国への憧れからくる夢物語だと……。というか俺が読んだ物語の中では、小瓶に入った光る液体や、特別な宝石だったりしたけど───ギャビン先生は人魚の泪が、儀式的ななにかだと?」
シディアの問いに、アリス以外の面々が頷きつつギャビンを見る。皆、一度は何かしらで見聞きしてきたのだろう。
きょとんとするアリスを尻目に、ギャビンは「いや」と首を横に振った。
「実は僕も確証があって来たわけじゃないんだ。でも、古い魔法書にそれらしい記述を見つけてしまってね。実在するかもしれないし、しないかもしれない。儀式の末に手に入るなにかかもしれないし、そうじゃないかもしれない。なんにせよ、あのまま何もせずセフィドの花の時期を待つよりは、よほどいいと僕は思ったんだよ」
たしかに魔力炉の異常が長く続けば、結果的に治せたとしても、何かしらの後遺症が残るリスクが高くなるだろう。
それに海底に来てからのオリヴィアは、地上より幾分か調子が良いらしい。もし万病の薬が手に入らなかったとしても、ここに来たこと自体は間違いではないはずだ。
ひとり寂しく地上で待っているであろう、スィルヴィには悪いが。
「さて、僕が手に入れられた情報はこのくらいだ。人魚の泪についての具体的な情報は、まだゼロと言っていい。さっそく、キミたちには情報収集を始めてもらおうと思う。実在することを前提で考えると、レザビスにとってかなり貴重なアイテムだ。もしかしたら、国が管理しているかもしれないね。王室の人魚、できれば女王アムピトリテに話を聞けるのが一番ではあるけど───」
「そう簡単には、謁見なんて許されないですよね……アポ無しだし……」
国は内乱の真っ最中。
そこに突然地上から来た、勇者の息子と娘を含む冒険者一行。
勇者にも魔王にも与しない中立国家を宣言していることも、女王アムピトリテが支持されている要因のひとつだと考えると、余計に───。
「なんじゃ、アムピトリテに会いたいのか?」
唐突に響いた少女の声に、シディアは危うく悲鳴をあげるところであった。
声の主───青薔薇の魔女・ブラウはシディアとネオンの間、テーブルのへりに腰掛け両脚をぶらぶらと揺らしている。
これには、さすがのギャビンも驚きを隠せないようすだ。
「うわあ!?急に生えてこないでよ、ばーちゃん!」
「ひどい言いぐさじゃのー。美味しそうな茶葉を分けてやろうと思ってわざわざ来てやったというのに。ほれ、そこのイケメン執事よ。茶を淹れるのは得意か?」
「これは……初めて見る茶葉ですが、とても良い香りですね。すぐにご用意します」
ラファエルは楽し気にキッチンに消え、ギャビンは祖母に詰め寄る。
「なんで!?どうやってここを!?エルに渡した魔法具以外では、追跡や魔力探知できないように、何重にも複雑な結界張ったばっかりなんだけど!?」
「うん、百くらいね……」
ようやく正気に戻ったらしいネオンが、ぽそりと呟く。
サプライズが成功して満足したのか、ブラウは孫に満面の笑みを返した。
「うむ、よくできた多重結界じゃったぞ。要塞とはよく言ったものよの。わし以外には突破できんじゃろう、安心せい」
そのよくできた結界をひとつも壊さず、全てすり抜けて魔力を探知した、ということらしい。まったくこの魔女は、相変わらずめちゃくちゃだ。
両手で顔を覆い盛大なため息を吐くギャビンに、一同は憐れみの目を向けるのであった。
第百四話 万病の薬 <終>




