8 凶徒
「待ってください」
半鬼の少年の呼び掛けに、少女は間を置いてから振り返る。
「やはりまだいたのね。まぁいいわ。それで、私に何か用かしら」
「……場所を移しましょう」
往来の只中で話す内容ではない。
彼女の方も少年の意図を察したのか、素直に従った。
人気の無い建物の裏へ二人は移動した。奇しくもそこは、先日少年が彼女と話した場所と似たような条件が揃っていた。
建物の影に入り、周囲に誰もいない事を確認した上で、深紅の髪を持つ少女が口を開く。
「言いたい事があるのなら早くしてくれないかしら。私もあまり時間が無いの」
「分かりました、すぐに済ませます。――この村から出て行ってください」
少女は眉を顰める。
「どういうつもりかしら。この村に留まるのは私の自由でしょう? 貴方にそんな物言いをされる筋合いは無いし、その要求にはどうあっても応じかねるわ」
少年は、この事件と彼女の関連性について確証を得た訳ではない。故に、彼女を村から追いやる事が根本的な解決に繋がるかどうかは不明瞭だ。しかし、だからこそ。
少年は事件の解決に協力する手段を持たない。だからこそ、彼女がこの事件に関わっている可能性が少しでもあるのだとしたら、少年は自分のできる限りの事をやるまでだ。
当然、少年とて彼女が簡単に出て行くなどとは端から思っていない。
「……今朝、民家の方で事件がありました」
少年の口からその事を聞くと思っていなかったのか、彼女は一度だけやや驚いた表情を浮かべ、それから声を落として応じる。
「……えぇ、聞き及んでいるわ」
「率直に聞きます。貴方は、何も知らないんですか?」
彼女の表情が、僅かに歪む。焦りや怒りのような感情ではなく、居た堪れないといった表情だ。
「――詳しい事は何も。殺された男が妖狐である事くらいよ」
その物言いに不審なものを感じ、少年は重ねて質す。
「先日言っていた事と、何か関係があるんですか?」
「貴方に伝えられる事は無いわ」
考える素振りも見せずに、彼女はそう断言する。
「分かったのなら、貴方も疾く離れなさい。事が及んでからでは遅いわよ」
「…………」
去って行く少女の後姿を見ながら、少年は胸の内で舌打ちする。
どうやら彼女は、どうあってもこの村を出て行くつもりは無いらしい。
無論、何の目的も無しにいる訳ではないだろう。だが、その目的がまるで掴めない。彼女が悪意を持ってこの村に訪れたのか、それすらも。もしかすると、彼女は本当に今回の件とは関係が無いのかもしれない。
やがて彼女は見えなくなり、少年は露店へと戻った。
× × ×
日が西の山間へと沈み、夜の帳が下り切った頃。夜具の温もりに包まれたまま、半鬼の少年は目を覚ました。
周囲から一切の音は聞こえない。隣室では加賀美と律花が眠っている。
この時刻であれば外から音が聞こえないのはいつも通りの事なのだが、今日の静けさに今朝の事件が影響を及ぼしているのも、また確かな事だろう。
覚醒してしまった事を内心悔やみつつ、寝たままの姿勢で視線を巡らせ、少年は戦慄した。
右の視界に、違和感があった。それは昨日鷹取で体験した現象と全く以て同じものだった。
少年が目を向けたのは今いる部屋から見て縁側の方だ。当然そこには襖が設けられており、その襖はしっかりと閉ざされている。にも拘らず――、
ぼんやりと、だが確実に、人の形が見て取れた。距離が離れているのか、その影はかなり小さく映った。
影は、ただ直立している訳ではない。
――膝立ちになり、目の前の地面に向かって幾度も得物を振り下ろしているように見えた。
不安と焦りが少年の背筋を走り抜けたのは、殆ど同時だった。
夜具を払い除け、身体を起こす。
部屋の襖を開け放ち、霊子に依る補助を得た跳躍で塀を飛び越える。
いる。
疎らに並んだ民家の内、やや離れた位置にある一件。その民家の中で、少年の右の視界に映る人型の影が両腕を上げては振り下ろしていた。
少年は迷う事無く、入り口の戸を蹴破った。
人型の影の正体は、すぐさま視界に入り込んだ。
玄関からすぐ近くの場所で、人間と思しき男が下に組み敷いた鬼族の女を、手元の短刀で何度も突き刺していた。
鈍い音と共に白刃が胸を貫く度、倒れた鬼族の鮮血が飛沫となって撒き散らされる。少年の位置から見る限りでは、鬼族の女は到底無事とは思えない。
派手に戸を蹴破り音を立てたため、当然の事ながら人間の男は少年に気が付いた。
やおら首を回らせ、少年の事をその両目で捉える。
鋭い眼光だった。と言っても、その鋭さは尋常な人間が持ち得るものでは決してなく、一目見ただけでそれと分かる、狂気に満ちた鋭さだった。
大量の返り血で衣を汚した男は、それまでのゆっくりとした挙動からは想像も付かない程の速度で、少年へと飛び掛かった。
家屋の中まで入っていなかった少年は、横へ飛び退きそれを回避する。
少年にとってその攻撃を回避するのは造作も無い事だった。無論、相手の速度は不意打ちであれば到底避け切れるものではなかった。
少年がそれを訳無く避けられたのは、偏に少年の右眼に変化が起きたからだ。
先刻までは遮蔽物を度外視して対象を視認するのみだったが、相手の挙動に合わせ、少年の右の視界には先んじて男の動きが映された。
何故こんな現象が起きるのか、その理由はまるで分からないが、少年の右眼にはなにがしかの能力が宿っていると見て間違い無い。
攻撃を避けられ、勢い余って倒れ込む男。しかしすぐに体勢を立て直し、少年へと向き直る。
狂気の眼差しを向けられ僅かに怯んだが、少年の方もすぐさま構える。
一瞬、少年は懐の短刀を意識した。だが、流石に躊躇われた。
まず間違い無く、この男が件の下手人だろう。どうも正気とは思えないが、それでも一応はこの村の民である。殺める訳にはいくまい。
先に仕掛けたのは下手人の方だった。
だが、攻撃が繰り出されるまでの時間、攻撃の来る方向、攻撃の手段、それら全てが分かっていれば、如何に速くとも避け切れない事は無い。
後方へ飛び退り、下手人の刃を回避する。足下へ霊子を集める。攻撃が外れ、相手が体勢を崩したところで、補助された跳躍で一気に彼我の距離を詰める。
跳躍中に繰り出した、全体重を乗せた空中での回し蹴り。少年の素足が下手人の頭部を捉え、横方向へ蹴り飛ばす。
純血の鬼族には数段劣るが、少年は只人を凌駕する身体能力を有している。
四間程の距離を転がり、意識を失って下手人は止まった。
「…………」
息を吐く暇などあろうはずも無い。
少年は急ぎ先程の民家へと戻る。
鬼族の女は、紛う事無く息絶えていた。




