7 朝の喧騒は異変の調べ
その日、半鬼の少年は外から聞こえる喧騒に目を覚ました。
少年には、小さいながらも部屋が一つ与えられている。隣室では加賀美夫妻が寝ているはずだ。
夜具を避けて上半身を起こし、外から聞こえる僅かな声に耳を傾ける。殊更騒がしい訳でもないのに、それでいてどこか焦燥を感じるような声音で男達が話している。
「おい、この傷じゃ助からないぞ。都から魔術医を呼ぶか?」
「既に息をしていない。今からじゃ間に合わんだろう」
「なぁ! そんな事より、これ、やっぱり誰かにやられたんだよな……じゃねぇと、こんな傷の付き方しねぇよ……」
一体何の話をしているのか。内容に対する見当は付かないが、明らかに尋常な事態でない事は伝わってくる。
夫妻を起こさぬよう気を配りながら、少年は忍び足で襖を開いて縁側へと出る。
裸足で出る事になるが、そればかりは致し方無い。
極力地面に足を付けぬよう、少年は爪先立ちで縁側から庭へ下りる。そのまま僅かに助走を付け、霊子によって補助された跳躍で家を囲う塀を飛び越える。
少年が下り立った場所から十数間離れた位置に、不自然な人だかりができていた。
時刻としてはまだ早朝と言って差し支え無い時間のはずだ。この寂れた村でこの時間帯に――どう考えても異様な光景だった。
「何かあったんですか?」
少年が集団に近付いて問うと、口で言うより見た方が早いとでも言うかのように、人だかりが左右に割れて少年の視界を確保する。
「え……」
そこには、横たわった男の身体があった。
異様なのは、腹部の衣が切り裂かれ、そこから夥しい量の血が流れている点か。地面に広がる赤黒い血溜まりは既に乾いており、出血からかなりの時間が経っている事が分かる。
「何が、あったんですか……」
少年の声を掻き消すように、遠くから叫ぶ声が聞こえる。
「おい! 村長を連れて来たぞ!」
駆け寄って来る人間の男。その横を並んで走っているのは、恰幅の良い壮年の男だ。恐らくこの男が村長なのだろうが、その割には随分と若く見える。
「見せてみろ」
人だかりの中を割って入り、死体を検める村長。
「夜討ち……この者は?」
村長の問い掛けに、元からこの場にいた内の一人が応じる。対応の早さからして、恐らく村長の下で働いている者だろう。先に現場に向かい、野次馬が場を荒らさないよう見張っていたのかもしれない。
「農民です。単身で暮らしている妖狐で、村の外れの方に居を構えていたのですが……村長、これは一体……?」
「恐らくこの場で斬り殺されたのだろう。だが、真っ当な農民であれば夜間にこんな場所を出歩く理由は無い。だとしたら、何者かに呼び出されていたのかもしれん」
「厳戒態勢を敷きましょう。下手人は村の中にいる可能性が高いです」
村長と共にやって来た男が焦燥に駆られた声を上げる。
「夜間は衛士に見回りをさせよう。ひとまず、この場は我々で処理する。皆の者、どうか下がってくれ」
村長がそう言うと、周囲に集まっていた野次馬が次々と帰っていく。残ったのは村長と、村長と共にやって来た男と、元からいた数名の者達だ。彼らは皆同様に、村長の下で働く者達なのだろう。
「おい、聞こえなかったのか? 村長は下がれと言ったんだ」
「え? あ、すみません……」
ひとり呆然自失の体だった少年は、その場から去るべく歩き始める。その時、
「おい、坊主!」
「え?」
駆け寄って来た加賀美が、息急き切って口を開く。
「起きたらいなくなってるから驚いたぞ! 何処へ行ってたんだ」
「え、えっと……」
何処、と言われてもすぐそこなのだが。
取り敢えず、事のあらましを説明するしかない。そう思い、少年は口を開いた。
「一度家へ戻りましょう。律花さんも一緒に説明します」
「……待て、何かあったのか? なら、先に俺に話してくれ。あいつに伝えるべきかどうかは俺が判断する」
「どうしてですか?」
「今、あいつにはできる限り負担を掛けたくない。不安を煽るような事はしたくないんだ」
加賀美の真剣な眼差しを見れば、反論の余地などあろうはずも無かった。
「分かりました」
× × ×
「もう、二人共何処行ってるのかしら」
卓の上に並んだ朝餉を横目で見遣り、律花は深い溜め息を吐く。
朝、目が覚めてすぐの事。半鬼の少年を起こすべく隣室へ向かった加賀美は、「少し出てくる」とだけ伝え、大慌てで家を飛び出して行った。
少年の部屋へ行ってみると、加賀美が飛び出して行った理由は律花にもすぐに分かった。
昨日の今日でこれなのだから、あの少年は見た目に似合わず落ち着きが足りないと言うか、どうも予想外の行動に出るきらいがあるようだ。
加賀美も加賀美で、思考する前に行動を起こしてしまう癖がある。少年がただ単に厠へ行っているだけの可能性も、あの段階ではあったと言うのに。
律花は少年が家に来た当初、加賀美とは真逆な性格の彼が、果たして上手く付き合っていけるのか心配だった。だが――、
性格は大いに違えど、相性は存外に良いのでは、と、今になって律花は感じている。
昨日加賀美が少年へと説教をしていた際、律花に強く言われた時の加賀美の困った表情が少年のそれに似ていた事を、律花はよく覚えている。
(案外、似た者同士なのかもね)
律花は頬が緩むのを堪えられなかった。
そこで、家の入り口である木造りの戸が開いた。
「すまないな律花。急に飛び出したりして」
中に入って来たのは、案の定、加賀美と少年の二人だった。
「僕が勝手に外出していたんです。すみませんでした」
隣で深々と頭を下げる少年を見て、律花は思わず笑ってしまう。
「全く、これだから男の子は……ふふっ、大丈夫よ。早くご飯にしましょう」
年を鑑みればあり得ない話ではあるが、その一瞬、律花には二人が親子のように見えた。
× × ×
(やっぱり、普段とどこか雰囲気が違うような……)
通りを往く村民の様子が、どこか浮き足立っているように感じる。
混乱を防ぐため、恐らく村長はまだあの事件を公表していないはずだ。にも関わらず往来を見るだけで違和感を感じるのは、あの場にいた者からの言伝で話がある程度広まっているからか。
少年は一人露店にいた。加賀美は来ていない。品を仕入れに向かったため、暫くは少年のみで店番をしなければならないだろう。
民家の並ぶ区画で起こった事件について、少年が分かる限りの事を加賀美には伝えた。とは言っても、はっきりと分かっていたのは『殺されたのが村の外れに暮らす妖狐の農民である』という程度の事だったのだが。
話を聞いた加賀美は、ひとまずこの件を律花には知らせない事にしたようだ。今は余計な心配事を増やしたくないという、夫ならではの気遣いだった。
それに反対する理由は少年には無かったし、これと言って知らせる必要も無いように感じた。事件が起きたという事実を伝えたところで、高々村民一人にどうこうできる話ではないだろう。
不安は不安だが、少年とて自分が動いたところで何の解決にも繋がらない事は重々承知している。
平和な村だと思っていた。
目の前の往来を眺めつつ、少年は頭を押さえて嘆息する。
平和な場所だったはずだ。行き交う者達の不安を湛えた表情を見れば、それは容易に想像できる。
まず間違いなく、下手人は単身だと思われる。平和は、ただ一人の凶行によっていとも容易く崩れ去った。案外、そんなものなのかもしれない。だとすれば、平和と謳われている地の殆どは、ただ運が良いだけと捉える事も可能だ。平和を崩し得る存在が、運良くその地に居合わせなかったというだけの話なのかもしれない。
あの場での会話を聞いた限り、今夜からは厳戒態勢が敷かれるらしい。
少年にできるのは、早くに犯人が縛に就くのを祈る事くらいか。
少年はこの時まで、今回起こった事件は極めて凶悪だが、それはただ八狩にそれ程の凶徒が潜んでいただけに過ぎないと考えていた。しかし――、
「あ……」
往来を歩く村民達の中に深紅の頭髪を持つ少女を認めた時、少年の脳裏にはある疑惑が浮かび上がった。
突如として村の外から彼女が訪れた翌々日に、今朝の事件は起きた。思い返せば、あの少女の言動は尋常なものではなかった。
彼女の話を聞いた際の少年は戯言だと聞き流してしまったが、確かに疑ってはいた。――何らかの企みがあるのではないか、と。
思考を巡らせば巡らす程、怪しく映る深紅の少女。
そも、この辺境には滅多に無い来訪者と、『滅多に』どころかまずあり得ない殺害事件の起こる時期が重なるなど、偶然と呼ぶには些か無理がある話だ。
店を空ける事になるが、少しの間であれば構わないだろう。
あの少女には、問わねばならない事がある。




