邪魔立て
「義兄さん……!」
稜迦は苦し気な声で叫ぶ。その声が届いたかは分からない。このどうしようもない状況で、義兄の心境を思った。
同郷の仲間たちを救いたいと願う戯張の心は、今どのような痛みを抱えているのか。
刃と刃が入り乱れる音を耳にしながら、稜迦は唇を噛み締める。目の前の男たちを見て、ただひたすらに悲痛な感情が胸の中に広がった。
「樂幹! 行け! 早く!」
「よせっ恩徳! 俺だけ行けるか!」
とても近い場所で締め付けられるような声が聞こえる。
稜迦がどうにか藻掻いて顔を動かすと、すぐ傍で稜迦へと片腕を伸ばし、ギリギリと歯を鳴らし顔に血管を浮かべるトウシナと、その巨体にのし掛かり、動きをかろうじて封じている熊のような男が、地面に崩れている光景が見えた。
「このままだと全員が殺られる! お前だけならまだ何とかなるだろ! 行け! 樂幹!」
熊のような男がトウシナとの攻防の中で懸命に叫んだ。
この叫びを耳に入れながら、稜迦を抱えたまま男は自身に斬り掛かってくる兵卒と渡り合っていた。
相手は騎乗しているのにも関わらず、その刃をいなし、男は兵卒の脇腹を斬り伏せる。
「俺はお前らの隊長なんだよ……! くそっ! くそがっ!」
「樂幹! 無駄に死ぬんじゃねえ! 行くんだよ! 行け!」
とても短い時間だったが、決断した男にとっては永遠の瞬間だったにも思えた。
敵の刃に倒れていく仲間たちの姿を目に入れながら、稜迦を抱えて男は走り出す。
「うおおおおおお! 奥方さまあああああ!」
トウシナが咆哮し、血管が切れるのではないかと思うほど顔を赤く染め、熊のような男を抱え上げ投げ飛ばす。
稜迦はそのトウシナの姿を木々の合間から目に入れた。
どんどんと遠くなる乱戦の場を、焦りと恐怖を纏って見つめる。震える声で叫んだ。
「ーーカガイ様!」
その声も届いたかどうか、分からなかった。
「ーー稜迦っ !!」
もう一度、戯張は張り裂けんばかりに義妹の名を叫ぶ。
遠くに見える視線の先に、朱国の兵と思わしき者たちと切り結んでいるかつての仲間たち、そして、稜迦を連れ去ろうとしている樂幹の姿があった。
「ーーだめだ! やめてくれ!!」
走り出そうとして戯張は叫んだ。その叫びは仲間たちを切り伏せようとする朱国の兵に叫んだ言葉だったかもしれないし、稜迦を危険に巻き込もうとする仲間への言葉だったかもしれない。
戯張の中には確実に言いようもない、怒りがあった。
その刹那、戯張の身体のすぐ真横から、重々しい何かが凄まじい勢いで空気を裂いて飛んでいく。
ーー何だ!? と戯張の頭が思った時に、その重々しい何かは、鈍く鋭い音を出して遥か先の木の幹に食い込んで止まった。
その衝撃に稜迦を抱えて走っていた樂幹の足が止まる。戯張も驚愕してそれを見た。
カガイが投げた手斧だった。
勢いよく手から放たれた武具は、カガイと樂幹の距離の間にある全ての木々を薙ぎ裂いて、樂幹が進もうとしていた先にある、重厚な大木に食い込んでよくやくその勢いを止めていた。
信じられないものを見た樂幹は、手斧が放たれたであろう方向に愕然とした顔を向けるが、動揺しながらも、その止まっていた足は再び走り出し山林の中へと入って行く。
「……来い」
カガイが僅かばかり戯張に目線をやってから重い声で呟くと、樂幹たちに向かって走り出す。
カガイの恐ろしいまでの腕力がおこした光景に、思考が止まっていた戯張はハッと我にかえると、その背中を追って走り出した。
戯張と同様に、驚きゆえか、時が止まったかのようにその場に留まっていた数人の來郷の者たちも、弾かれたように動き出して、乱戦の場へと既に駆け出していた鳶たちの後に続いた。
「兄ぃ!? ああっ畜生が! 邪魔だな! おめぇ!」
カガイがいつの間にかこの場に現れたことにトウシナは驚いて大声をあげ、そして苛立ちを大いに滲ませた雄叫びを目の前の者へと投げる。
確実に打撃を与えているのに、中々に倒れない男がトウシナの行く手を阻んでいた。
「俺も……こんなもん……柄じゃ、ねえ……」
自身の血にまみれた大男ーー恩徳と呼ばれていた男は、途切れ途切れに小さく呟く。
臭い言葉や、どこか暑苦しい台詞を吐くようなことはしない。そんな性格でもなかった。
だからか、恥ずかしげもなく耳が痒くなるような台詞を、スラスラとよく口から出していたあの男のことを、呆れて見ていた気がする。
そんな情熱的な男が、あの日から随分と暗い目をするようになった。笑うことも無くなり、その顔に陰陰とした影を落としていった。
変わっていくあの男を、自分は痛ましく思っていたのだろうか。
けれど、この道を選んだのは紛れもなく自分たちだ。
こうなる覚悟を決めておきながら、せめて、古馴染みのあの男は逃げ切れるようにと、恩徳は心のどこかで祈る。
祈ることなど、また自分の柄でもないことを、と思いながら。
「うおおおおおおりゃああああぃ!」
トウシナは吼えて、矛を力任せに薙ぎる。
刃は届かなかったものの、身体でそれを受けとめた恩徳は大きく横に吹っ飛んだ。ボキボキと鈍い音が身体の中から聞こえる。
トウシナは急いでそのまま駆け出す。稜迦を連れ去った男が消えた先へ、怒りで血走った目を向けて。
けれど、トウシナの足は先へと進めなかった。
吹き飛ばした筈の男が、また勢いよくトウシナへと突進してきたからだ。
「邪魔だって言ってんだろうがぁ!!」
トウシナは轟く声で叫んで、己の身体に突進してきて、動きを防ぐようにしがみついている恩徳の顔面に拳を打ち据える。
それでも恩徳の身体は倒れなかった。
「行かせるか……行かせるかよ……へっ…随分と、必死じゃねえか……朱国の、クソども……俺らの恨みを……思いしれ……!」
血を滴らせ、息も途切れ途切れに恩徳は苦い笑みを顔に浮かべ、言葉を吐く。
トウシナはギリギリと歯を鳴らす。怒りは頂点だった。
「てめえらの目的なんぞ知らねえが……!」
トウシナは矛を放り出し、両手で恩徳の胸ぐらを掴む。
「てめえらの恨みになぁ……!」
そのまま力任せに恩徳の身体を持ち上げていく。ブワリと額に汗を浮き上がらせた恩徳は、トウシナの腕を握り締めるが、びくともしない。
「奥方さまを巻き込んでいいわけ無えだろうがぁ!」
トウシナは思いきり頭を振りかぶると、戸惑うことなく恩徳の頭めがけて、それを振り落とした。
頭蓋骨同士がぶつかりあう、鈍い音が勢いよく響く。
トウシナからの頭突きを受けた恩徳は、白目を向き、とうとうその場に崩れ落ちた。
「トウシナ殿!」
いつの間にか馬から降りた宗偉が、トウシナの側へ駆け寄ってきていた。
「大丈夫ですか!? 怪我は……!」
トウシナの様子を見て、宗偉は焦ったように顔を歪ませる。トウシナの額は裂けたのか、血でしとどに濡れていた。
「おう! 宗偉よ、お前なんで……いや! それどころじゃねえ!」
トウシナは周りを見渡して、そして慌てて頭を振る。
トウシナの目には乱戦はほぼ終息しているように見えた。宗偉たち朱国の兵と、気付いたら來郷の面々もいる。
襲って来た黎国の男たちは、地に伏している者、縄をかけられている者もいた。
「奥方さまを助けねえと!」
トウシナは叫んで、稜迦が連れ去られた方角へ身体を向ける。
その場へしゃがみ込み、気を失った恩徳の息を確認していた宗偉が慌てて顔を上げた時、トウシナたちへ投げられた叫び声が響いた。
「避けろ!」
その声に宗偉が急いで振り返ると同時に、トウシナに襟首を思いきり引っ張られる。
宗偉の身体がその場から離れた瞬間、数多くのヒョウが倒れている恩徳の身体へと、勢いよく突き刺さっていった。
「なっ……!」
宗偉は息を飲み、急いで恩徳へと駆け寄る。
ヒョウは首にも深々と突き刺さっていた。みるみる内に血溜まりができる。助かる見込みはない。
恩徳は絶命していた。
ガキンッと刃同士がぶつかり合う音が木霊する。
トウシナと宗偉が音の聞こえた方へ顔を向けると、鳶と何者かが斬り結んでいる光景が見えた。
その他にも、頭巾を深く被り、顔を隠した異様な雰囲気の集団がその場へと現れている。
その中の一人の手にヒョウが握られていて、恩徳に投げられたヒョウはその者が放ったのだと分かった。
「何者か!?」
その場で身構えていた來郷の中で、年嵩の男が叫ぶ。朱国の兵も突然現れた集団へ敵意を向けていた。
けれど、その問いに対して返ってきたものは言葉ではなかった。
恩徳へヒョウを放ったのであろう者と、その者の近くに居たもう一人が、両手に数多のヒョウを構えると、素早くそれを放つ。
自分たちに向けられたと刃だと認識し、その場にいた面々はそれを防ぐように身構えたが、その刃が届くことはなかった。
ヒョウは、來郷の者も朱国の兵の身体も通り過ぎ、黎国の男たちへと襲いかかっていた。
「なんてことを!」
あまりの光景に宗偉は叫ぶ。
來郷や朱国の兵と斬りあい、痛手を負っていたが、黎国の男たちにはまだ息があった。黎国の残党兵と対峙した場合、生け捕りにすることが第一の目的だったから。
またたく間に、黎国の男たちの命は奪われていた。
鳶と斬りあっていた者が、素早く鳶から距離をとる。
この者が直接刃を黎国の男たちへ向けようとしていたところを、鳶は防いでいた。
巌鉄に黎国の賊を生かして捕らえるよう命じられていたからだ。
相手が何者か判らないが、來郷と朱国の兵たちから緊張が沸き上がる。
「お静まりを」
その時、艶やかな声が響く。その場に不釣り合いな、静かな女の声音だった。
全員の視線がその声の主へと向く。
声を発した者は、その集団の奥から出てきた。
被っている頭巾の隙間から熟れた果実のような唇が見え、その形は弧をえがき、魅惑的な声が続く。
「我らは、朱国が主直属の師団。ここであなた方と刃を交える必要はございませぬ」
「これはどういうつもりだ?」
女の言葉に被せるように鳶が言葉を出した。その声には苛立ちが含まれる。
突然現れた集団に全てをかき乱された。その正体についても不信である。
朱国が主ということは、指し示す人物は王だ。だが、このような集団の存在など知らない。聞いたこともなかった。
すると、訝る鳶の心情に答えるかのように、女は赤い紐で結ばれた木札と牌をその手に掲げる。
牌に刻まれているのは龍の形。朱国が祀る師秦奘楼聖君。
そして木札に記されている名はーー月公春。
朱国太子の名前と朱印があった。
「お達しあって朱国に仇なす賊を刈り取りに参りました。ーー我らの志は來郷と同じところにございます」
その場に、僅かながらざわめきが起こる。
「同じ志……?」
無言の身体になった黎国の男たちに目をやり、訝る表情を崩さないままの鳶が呟く。その鳶から視線を逸らすことなく、女は微笑を浮かべた。
「我が君は、曇りのない刃を欲しているのです。錆ることのない刃を……」
その言葉が耳に届くと、鳶は微かに目を見開いて、女へ視線を向けた。
「おおい!」
そこに突然割り込んで、トウシナが叫ぶ。女の顔がゆっくりとトウシナへ向いた。
「何だかよく分かんねえけどよ! てめえら、もう抵抗のできねえ奴らに、随分な真似じゃねえか!」
トウシナは憤慨していた。恩徳たちに情など無いが、もはや気を失った相手に対し、気持ちのいいものではない。
加えて、当たらなかったとはいえ、ヒョウが投げられた近くに、宗偉がいたのだ。
「……そのお心、尊いものでございますが」
だが、女は静かな声音のまま言う。
「義烈も過ぎれば、己の身を滅ぼすことになりましょう……お気をつけなされませ」
答えた女の顔には微笑が浮かんだままだった。




