入り乱れて
声を出すべきではなかった。
けれど、この人たちに何かあったら戯張はきっと悲しむのだろう。
こんな状況になっても、稜迦はそんなふうに思ってしまう。
「……うぅっ!」
男に腕を掴まれ、身体を起き上がされた。その際に感じた身体の痛みで、稜迦は苦し気に声を漏らす。
馬から落ちた時、雪が積もり柔らかくなっていた土と、身に羽織っていた衣服のお陰で、身体に来た衝撃は抑えられていたが、肩の傷が開いていた。
「恩徳っ!」
稜迦を掴み上げていた男が大声をあげる。稜迦が男の叫んだ方向に何とか視線だけを向けると、震え上がる程の恐ろしい形相でこちらに突っ込んで来るトウシナの姿と、その巨体に飛び掛かろうとする、熊のような男が見えた。
「トウシナ様……!」
稜迦は悲鳴のような声でトウシナの名を叫ぶ。
熊のような男に体当たりをされたトウシナは、そのまま二人で地面に勢いよく倒れ、転がった。
「があっ!」
トウシナが雄叫びをあげて、拳を思いきり振り上げ熊のような男の顔面に当てる。
トウシナの身体に乗り上げ、同じように拳を振り上げようとしていた熊のような男は、トウシナの拳を受けると、その大きな身体を物ともせず後方へ吹き飛んでいった。
「ーー恩徳!」
稜迦を掴んでいた男が、軋むような声で叫ぶ。腕を掴んでいた男の手の力が緩んだ気がした。
稜迦は咄嗟に男の腕から逃げようとする。けれど、それに気付いた男は忌々しく舌打ちをすると、稜迦の腕を捻り上げて、逃れようとする身体を留めた。
「ああっ……!」
捻り上げられた腕のあまりの痛みに、稜迦は悲鳴をあげる。ぐらりと視界が歪んだ。
「てめえぇぇ! よくも!」
トウシナが起き上がり稜迦の姿を再びその目に入れた途端、血を吐くような咆哮をあげて、再び男へと突進する。
「動くな!」
男が叫ぶと、稜迦の首筋にヒヤリとした物が触れた。
痛みで閉じていた目を開けると、ギリギリと音を発てて歯を食い縛り、憤怒ゆえに顔を歪めたトウシナの姿と、自分の首に押し当てられている刃が見えた。
ジクリと微かながら痛みが走る。その感覚に稜迦は背筋が凍った。
瞬間、トウシナに殴り飛ばされた熊のような男が、太い木の棒を振りかぶっている姿を稜迦は目にする。後ろから向かって来るその男に、トウシナは気付いていない。
「ーートウシナ様!」
稜迦の空気を裂くような叫びと、木の棒がトウシナの頭に叩き込まれたのは、ほぼ同時だった。
ーーが、トウシナはビクともしない。
自身の頭に思いきり打ち込まれた打撃など無かったかのように、凄まじい形相で稜迦を捕らえている男を射殺さんばかりに睨み付けている。
「なん……! なんだこいつは……!」
あまりに予想外だったトウシナの姿に、熊のような男は一瞬呆気にとられたように動揺した声を出したが、我にかえると再度腕を大きく振りかぶった。
だが、それよりも速くトウシナの手が動く。
「うおおりゃあああああい!」
「なんっ……!」
トウシナは大きく叫ぶと、勢いよく熊のような男の襟首を掴み上げ、片腕のみを駆使し男の身体を思いきり地面に叩きつけた。
自分の身体が浮き上がるなど想像もしていなかった熊のような男は、受け身を取ることもできず、背を強打すると、ヒュッと空気を漏らし、上手く息が吸えないせいでハクハクと口だけを動かした。
トウシナに受けた顔面への打撃もあり、顔を血で濡らしている男の姿は、瀕死のようにも見える。
あまりに痛々しいその姿に、稜迦は思わず顔を背けたくなった。
「恩徳っ!!」
「動くんじゃねえよ!!」
稜迦を捕らえている男とトウシナの叫びが重なる。
男は稜迦の首に、トウシナは熊のような男の首に矛の刃を突き立てていた。
「奥方さまにそれ以上何かしてみろ……! てめえら全員ブチのめしてやる! こいつの首が惜しかったらとっととその汚ねえ手を離しやがれ!」
トウシナは、今にも熊のような男の首に矛を押し込むのではないかと見える程に、声を荒らげて叫ぶ。
その姿に、稜迦を捕らえている男が僅かながら揺らいだように息を飲んだ。
「……っ! ぐ……っ馬鹿やろう! 樂幹! 迷うんじゃねえ!」
熊のような男が声を絞り出すように叫ぶ。
トウシナがその口を黙らそうと、再び男の顔面目掛けて拳を振り上げたときだった。
ヒュンッと鋭い音が鳴り、トウシナの拳に矢が突き刺さる。枯れた葉に降り積もった白い雪に、鮮明な赤が散った。
あまりの衝撃的な光景に稜迦の心臓は跳ね上がる。息をするのさえ忘れ、叫び声も出ない。
「なんだぁ!?」
トウシナが地に響くような声を出して、矢が放たれた方角に顔を向けると、幾人もの武装した男たちが草影から躍り出て来た。
「樂幹! 恩徳! 無事か!?」
草影から出て来た男の一人が叫ぶと、矢をトウシナに向けてつがえる。
「ーーやめてっ!」
矢が放たれた後の光景が安易に想像できて、稜迦は叫んだ。男に身を封じられているため、まともな身動きを取ることができなかったが、力の限り男の手から逃れようと身を捩る。自分に当てられている刃が首に届き、血を流していたが気付きはしなかった。
あの夜の、稜迦を庇って矢に倒れたカガイの姿が脳裏に甦り、ただ恐ろしかった。
けれど、稜迦の悲鳴は届かず、男から矢がトウシナへ放たれる。稜迦の口からは音の無い悲鳴があがったが、想像していた最悪の光景は訪れなかった。
「うおりゃっ! どうりゃあっ!」
トウシナは放たれた矢を手甲で弾き飛ばす。そのまま勢いよく腕を振りかぶり、辺りにあった拳ほどの石を矛を使い、矢を放った男に向けて投げ飛ばした。
それを男は避けることができず、思いきり顔面に当たると、血を吹きながら後ろへと倒れる。
「このっ……! 化けもんが!」
熊のような男が叫ぶと、隙をついて腕をトウシナの首にかける。そのまま締め上げようとするが、トウシナは身体全体を使い、またしても熊のような男を地面に叩きつけた。だか、熊のような男の腕はトウシナの首から外れることはなく、体勢を崩したトウシナの身体も共に地面に転がることになる。
「樂幹! 先に行け!」
熊のような男から叫ばれ、稜迦を捕らえていた男が一瞬迷いを見せたが、それも束の間のことで、稜迦を担ぎ上げて、その場から走り出そうとする。
「ーートウシナ様!」
熊のような男と攻防を繰り返しているトウシナに向けて稜迦は叫んだ。刃を抜いてその攻防に入ろうとする男たちがいる。稜迦は男の腕から逃れようと、がむしゃらに暴れだす。
この状況で自分に何ができる訳でもないのに、トウシナに襲い掛かる男たちをどうにかせねばと思った。
「離して! 離してください! トウシナ様!」
「うおおおおお! てめえええええ! 連れて行かせるかよおおおおお!」
トウシナは目を剥くと、斬りかかって来た男数人を矛の一閃で投げ飛ばした。
「このっくそが! 樂幹! 早く行け!」
どうにかトウシナの動きを封じようと、熊のような男はトウシナへと必死に掴みかかる。
人間離れした怪力を見せるトウシナだったが、幾人の男たちと相手取り、稜迦のもとへ走り出すことは困難の様子で、雄叫びをあげながら斬りかかって来る男たちを蹴散らしていた。
「トウシナ様!」
稜迦は離れて行くトウシナの姿へ懸命に手を伸ばす。己のせいでトウシナが殺されてしまうと思い、叫んだ声は空気を裂くように悲痛を孕んで聞こえた。
「放て!」
刹那、何処からか男の声が響く。
稜迦がその姿を捉えるより前に、数多の矢が飛んで来てトウシナに襲い掛かっていた男たちに突き刺さる。
稜迦を抱えていた男から息を飲んだ気配がした。
「申! 董朴!」
矢を受けてその場に崩れた者たちに向かって、男は名を叫んだ。
その叫びをかき消すように、武装した兵卒が騎乗して一斉にその場へと駆けて来る。稜迦と樂幹と呼ばれた男を除いて、他の者たちは囲まれる形となった。
「トウシナ殿!」
兵卒の一人が叫ぶと、トウシナに掴み掛かっていた熊のような男に向かって一閃を放つ。
「恩徳! 避けろ!」
「くそっ!」
その一閃をかわして、熊のような男は悪態を吐きながら地面へと転がる。
「ああ!? 宗偉か! ありがとよ!」
その場に現れた年若い将に向けてトウシナは叫ぶと、勢いをつけて稜迦と男のもとへ突進しようとする。が、またしても熊のような男に飛び掛かられ、二人して地面へと崩れ落ちた。
「樂幹っ行け! 走れ!」
「ーーくそが! 見捨てて行けるか!」
稜迦の耳に血の滲むような声が聞こえた。
もはや、その場は乱戦と化す。
怒号と咆哮が行き交う中で、何故いきなりこのような事態になったのか判らず、混乱した思考のまま稜迦は男の腕の中で藻掻いた。
「ーー稜迦っ!?」
聞き親しんだ、けれど切羽詰まった声が稜迦の耳に響く。
その声が発せられた姿が視界の遥か先に見えた。
稜迦の名を叫んだであろう戯張の姿と、來郷の面々。
そして、カガイの姿が稜迦の目に映った。




