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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
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積もりゆく

 勢いを緩ませた雪が、ひらひらと降ってくる光景を見ていた郷怛は、ふと口許を歪ませて笑みをつくる。


 馬の鞍に積もる雪を払いながら、愉快そうに視線を動かせた。

「気性は小胆。見た目は花のかんばせや如く……」

 白い息を吐き出して、ぽつりと独り言をつく。

 その目線の遠い先には、巨漢と武装した女の、二人の連れ添いを並べた女がいた。


 はぁぁ、と郷怛は笑みを浮かべたまま大きなため息を吐いて、その女の姿を目線だけで追う。

「そう急がれると……ついつい追いかけたくなるねぇ……」

 喉の奥でクックッと笑って、郷怛は近づいて来た部下の兵に気付くと、おどけた様子で喋りかけた。


「おい見たか? あのあどけない容貌の女がカガイの女房だぞ? あれがあの無頼漢にあれやこれやされていると思うと……たまらんねぇ、ちょっと政策に文句言って来ようか」

 稜迦が通り過ぎて行った方角を指差して、郷怛は悔しそうに笑う。

 喋りを聞いていた部下が怪訝な顔をして郷怛を見るが、当の本人はそんな視線を意に介さぬ様子で、顔に浮かべていた笑みを冷笑に変える。

「路傍の石が、偶然にも貴人を乗せた馬車を転がすのだから、人生は愉快で恐ろしいもんだぁ……あぁ~嫌だ嫌だ」

 郷怛の独り言は白い息と共に、その場に溶けて見えなくなった。



 ◇



 稜迦はふるりと身震いをする。

 全身に鳥肌が立ち、稜迦はそっと空を見上げた。

 雪が降る光景は、どこか静かで、いつも物悲しさを感じていたものだが、周りの喧騒の前にはその感情も消え失せてしまう。

 ガチャガチャと甲冑を鳴らして慌ただしく動いている周りの兵たちから、独特の緊張感が感じ取れた。

 このような物々しい雰囲気に慣れていないせいか、稜迦も知らず知らずの内に緊張して身体が固くなってくる。

 それでも視線を動かして、ある人物を探した。


「……あの、義兄さんは今どこに……?」

 ためらいながら発せられた稜迦の声に、隣を歩いていた羊雀が顔を向ける。そして羊雀も顔を動かして周りを見渡すが、目的の人物は見当たらなかった。


「さて、しばらく姿を見てないね……恐らく鳶たちと一緒にいるんだろうけど……カガイ将軍のところに着いたら捜して連れてくるよ」

 羊雀はそう言って稜迦の背中を優しく擦る。

 羊雀の気遣いに、稜迦は感謝を込めて顔に笑みを浮かべようとするが、どうやってもそれはぎこちなく見えた。

 どうしようもなく、稜迦の顔には不安がこびりついて離れない。


 そんな稜迦を見ていた羊雀は視線を前に戻し、小さな声でポツリと喋りだした。

「すまないね……」

「え?」

「戯張を家族のもとに帰してあげれないままでさ……」


 羊雀の言葉に稜迦は声を詰まらせた。

 戯張の現状は、決して羊雀の、來郷のせいではない。戯張自らが選んでいると判っているけれど、何と返してよいのか判らず、稜迦は咄嗟に言葉が出なかった。

 けれど、そのまま羊雀は続ける。


「わたしは女の身だけれど、剣を持って戦に出るからさ……家を守り、子を生んで、男の無事を待つ女を経験したことは無いけれど、それがどんなもんか想像だけはできるよ」

 黙ったまま言葉を聞いていた稜迦に、羊雀は再び顔を向ける。

「……戯張を死なせないように、約束する」

 稜迦は声を詰まらせたままだった。

 羊雀の言葉はうわべではなく、心から誓ってくれているのだと思えた。その瞳がとても真摯に見えたから。


「……ありがとう、ございます……」

 稜迦は震える声で、絞り出すように声を出す。

 こんな状況の中で、戯張の周りにこのような人がいてくれて、本当に良かったと思える。

 戯張は元々は敵国の人間で、今もなお、自分たちに害をなしている者たちの仲間だったと知っているはずなのに、そんな人間に対して、心を配ってくれることが嬉しかった。


「しっかし、なぁんで兄ぃは來郷と一緒に行くんだろうな!? 奥方さまも知らなかったんだろ? まったくよ~兄ぃはいっつも好き勝手に動くから困っちまうな! 奥方さまと一緒に帰ったらいいのによ! まったくよ~困っちまうな、なぁっ奥方さま!?」


 稜迦と羊雀の二人の会話をまるで耳に入れていなかった様子のトウシナは、空気を突き破る声を稜迦にかける。

 その声の大きさに驚きながらも、すぐに稜迦はトウシナを振り返った。

 

「は、はい……カガイ様のお怪我も、まだ治っておりませんのに……無理をなされては……」

 稜迦はカガイの背中の傷を思い、顔を痛ましげに歪ませるが、トウシナから返ってきた声は大笑いだった。


「ああ! 大丈夫だって、奥方さまよぉ! 兄ぃはほんっとに頑丈で誰よりも強いからよ! そんな心配しなくていいって! まあ、また怪我が増えてたから驚いたけどよ!」


 トウシナはあっけらかんと言うが、カガイのその怪我は稜迦を庇って負った傷だった。

 心配するな、など無理だ。

 稜迦は痛ましい表情を変えることなく、頭を横に振る。

「トウシナ様……でも、カガイ様はわたしを庇ったせいで矢を受けて……熱だってありましたし……以前のお怪我だって治りきっていなかったのに……なのに……」

 カガイが矢を受けた時、耳に聞こえたあの苦し気な呻き声が忘れられない。カガイが死んでしまうと思った。

「……あんなお身体で……また、なにかあったら……」

 稜迦の辛く滲むような声に、トウシナの笑っていた顔は徐々に困り顔になり、小さく唸った。

 すると、そんな様子を見ていた羊雀から抑えた笑い声が漏れる。


「夫人と将軍は仲睦まじいね。政策での婚姻だと聞いたけど、相性が良かったようだ」

 羊雀の言葉を聞いた瞬間、稜迦は驚いてそちらに顔を向ける。そこで目にした羊雀の表情は微笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべていた。


「お互いが大事に思いあっているからさ。良いことだね」


 稜迦は言葉を出せなかった。驚いた顔のまま、代わりに頬を赤く染める。

 他から見れば、カガイとそのように見えているのか。自覚が無かったせいか、どこか恥ずかしくなった。


「まぁ、夫人の気持ちも判るけどね。けれど、カガイ将軍は朱国でも音に聞こえた猛将だよ。そんなに不安になることもないさ」

 羊雀のその声に、トウシナから自慢気な喚声が出た。

「おお! その通りだぜ! 兄ぃは誰にも負けたことが無いからよぉ! 奥方さまも安心しなって!」

 嬉しそうなトウシナを見て、羊雀は口の端を上げて笑う。

「來郷(うち)にも猛者は沢山いてね、その中でも鳶とか……あとは、ここにいない別の隊に、中身が少々アレだけど腕の立つ男がいるんだよ。いつか手合わせ願いたいもんだね」


 稜迦は顔を二人に向けながら話を聞いていたが、それでも不安は拭いきれずに、顔は暗いままだった。

 見るからにカガイは屈強なのだろうと、稜迦でも判る。

 けれど、死なない訳ではない。

 カガイの身体中にある、数多の傷痕は武功の証なのだろうが、見るたびに痛々しく思う。

 武人なのだから戦に出て、傷を負うこともあるだろうし、その逆だってあることも理解できている。


 ただ、カガイが傷付くことが怖いのだ。

 

 表情が晴れない稜迦に、羊雀は苦笑する。

「まあね、待っている方の身になれば、そりゃそうだね……」

 羊雀はそう言って、また稜迦の背を優しく擦った。


 その言葉を聞いて、稜迦は俯きかけていた顔を上げる。

 稜迦を気遣ってくれる言葉に対し、沈んだ表情のままでいることを申し訳なく思う。

 けれど、どうしようもなかった。


「お! 兄ぃだ! ん? 軍師殿も一緒にいるじゃねえか」

 トウシナが大きな声をあげて、ブンブンと手を振っている方角に稜迦が目を向けると、そこにはカガイがいた。

 戒趙と喋っていたカガイがこちらに気付いて顔を向ける。

 稜迦は思わず両手で自分の頬を擦った。もうカガイは武具を身に纏っている。本当に來郷と共に行くのだ。その姿を目にして、あまりにも不安げな表情をしてしまったと思った。


「おおい! なんだって兄ぃは來郷と一緒に行くんだよ? せっかく奥方さまと帰れるってのによ! 俺ぁ聞いてねえぞ!」


「トウシナ、騒がしいぞ。カガイだけではない、俺も含めた宇天軍の兵も従軍する。お前はカガイの奥方を関所まで無事に護衛せよ」

「へっ!? そうなんかい?」


 何よりも速く、ズンズンとカガイに言い寄ったトウシナに戒趙が口を挟む。そして、その場で話し込み始めた二人の様子を一歩離れた場所で見ていた稜迦は、躊躇いがちにカガイに目を向けた。

 その視線に気付いたカガイも稜迦を見る。


「じゃあ、わたしは戯張を見つけてくるよ」

 羊雀はそう言い残して、稜迦の傍を離れて行く。それと同時にカガイが歩み寄って来たので、稜迦は僅かばかり身を固くした。


「……聞いたか?」

「え……? あっ、はい……! あの、カガイ様が向かわれる任務のことでしょうか……?」


 稜迦は一瞬、何の事を言っているのか判らず混乱したが、どうやら合っていたようで、カガイは小さく頷く。

 カガイや來郷がどこに行って何をするのか、稜迦は羊雀から説明を聞いていた。だから、そこが危険な場所であることも知っている。


 そして互いに無言になってしまった。


 言ってしまったらカガイは迷惑に思うのだろうか。

 戦や、軍の事は稜迦には判らない。稜迦の胸の内をカガイに言って、それでどうにかできるものでもないのだろう。


「……なんだ?」

 けれど、カガイは聞いてくれるのだ。いつも、こうやって。稜迦が言い出せずにいることを聞こうとしてくれる。

 だから稜迦は声を出せた。

「カガイ様の……お怪我が心配なのです……」


 カガイの顔が見れなくなって、稜迦は顔を下げてカガイの足元に視線をやる。


「そんなお身体で……行かれるのは、心配で……わたしは……行ってほしくないんです……カガイ様がまた怪我を負ってしまうかもしれないことが、嫌なんです……」

 まるで嫌だ嫌だと駄々を捏ねる子供のようだと思う。

 それでもカガイが口を開かないので、稜迦は続けた。


「あの方だって……ここに来られて……何かカガイ様に危ないことを、されないでしょうか……?」

 稜迦はおずおずとカガイの顔に視線を戻す。

 あの方とは、郷怛のことだった。詳しいことは判らないままであったが、カガイやトウシナが大怪我を負った理由に関わっているであろう人物が近くにいるのだ。

 そして、今回の騒動にも。


 ここに来るまでの途中、郷怛がこちらを見ていた事に稜迦は気付いていた。

 あの男もカガイたちと共に行くのだろうか。カガイはまだ他の者に、郷怛が裏で黎国の残党兵と繋がっているかもしれない事を話していないのだろうか。

 すべてが不安だった。


 稜迦が言ったあの方というのが、郷怛であるとカガイはすぐに判ったようで、それに対し僅かに唸った後、短く答えた。

「……解らん」、と。


 その言葉に稜迦は一気に眉尻を下げた。

 何故そんな身の危険がある場所にカガイも戯張も行ってしまうのだろう。

 もう、カガイの前でもその不安を出し切った表情を隠す余裕も無くなった。


「……お前には、情けない姿しか見せていないが……」

 すっかり狼狽している稜迦に向かって、カガイはぼそりと呟く。

「……ただ、俺は戦う事しか能がない……コレしかできん……」

 稜迦はカガイが何を伝えようとしているのか判らず、曇った表情のまま首を傾ける。そんな稜迦を見ながら、カガイは自分の腰にぶら下がっている武器を触った。


「……お前の義兄を守る……」


 そのカガイの言葉を聞いて、稜迦は動けなくなった。まさかと思って、小さな声を出す。

「カガイ様は……その為に、行かれるのですか……?」


 稜迦の問いに返ってきたのは、カガイの微かな頷きだった。

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