遠雷
「鳶! 巌鉄様がどこにいるか知らんか!?」
蜘蛛の声が聞こえて鳶は手入れをしていた小刀から視線を上げる。
兵が行き交う隙間をぬって、蜘蛛がこちらに駆けて来る姿が目に入った。
「そこの天幕の中だ」
鳶は近くまで来た蜘蛛へ顎をしゃくって天幕を示す。そのまま蜘蛛は天幕に足を向けようとするが、怪訝な顔をして振り返った。
「なんだ?」
「鳶、どうした?」
鳶の声に対して蜘蛛も同じように疑問を返してくる。そんな蜘蛛に鳶は軽く口の端を上げて笑った。
この男とは幼い頃から共に過ごして来たが、毎度このようなところに驚かされる。
顔にも態度にも出していないのに人の感情の動きとやらをうまく感じ取るのだ。気になると今のように声をかけてくる。
考えなしに突っ込んでくる時もあるので、うっとおしいと思うこともあるのだが、蜘蛛のそんなところに救われた時もあった。
そんな蜘蛛に向かって軽く肩をすくませただけで、鳶は武器の手入れを再開する。
蜘蛛は頭をかきながら首を傾けた。
「戯張のことか? お前、何かと世話を焼いていたからな……心配か?」
蜘蛛の言葉に鳶はまた肩をすくませた。
「いや……戯張も覚悟はあるだろうよ。ただ奴の中で決着がつかんだけだ。どんな形にしろ、これで終わるのであれば踏ん切れるんじゃないか」
「じゃあ、何だ?」
蜘蛛が再び疑問を口にした時、鳶の視線がわずかに動く。それに合わして蜘蛛も視線だけを動かした。
その先に見えた人物を目に入れてから、蜘蛛は鳶に視線を戻す。
「中央から来た武将だったか? 梁咸の人間が中央にいるのも珍しいな。気になるのか?」
遠い向こう、黒い甲冑を着込んだ兵たちが横切って行く中、その先頭を歩いていた男、郷怛がこちらに顔を向けようとしたので鳶は視線を元に戻した。
手に持っている武器に視線を落としながら、先ほど目にした男が天幕に入って来てからの軍議を思い返すーー。
「ーー此度の騒動、黎国の人間を使った、県令による謀略の可能性がございます」
「地方官がか?」
郷怛の言葉に対して、几に肘をついたまま巌鉄が問うた。
一斉にざわめきが起こる。
郷怛は厳格な表情をつくって、巌鉄に向き直る。天幕の中で、ざわめきを掻き消すように郷怛の大袈裟な声が響いた。
「左様でございます。地方を預かる官でありながら欲に溺れたのでしょう。黎国阿州から玄州に流れる物資を横領するため、職に溢れた元黎国兵を雇い、賊と見せかけ金品を強奪していたとみています。県令の懐に入る数と、黎国兵に入る数とで揉め事があったのでしょう。御しきれなくなった黎国兵がそのまま真の凶賊となり、今回の騒動となった様子、これは捕らえた黎国兵からの証言です」
郷怛の言葉を聞いていた來郷の兵たちの間で、不穏な空気が漂う。
隊長格の人間は皆ようように顔を見合わせ、巌鉄に目を向ける者もいた。その中でも疑心を含んだ目で郷怛の話を聞いていた羊雀は、顔を動かして何かを言いたそうに巌鉄へひときわ鋭い眼光を向ける。
巌鉄はそんな羊雀を一瞥すると、軽く手を上げて制す。険しい顔を正そうとはしなかったが、しぶしぶといった様子で羊雀は続きを話す郷怛に視線を戻した。
「來郷の迅速な追跡があり、黎国兵も追い詰められております。して、玄州刺史のお達しにて私に賊の討伐が命じられた次第……」
「なにを……!」
ガタンと大きな音を発てて羊雀が椅子から立ち上る。その目には見るからに憤怒の色が混じっていた。
郷怛は言葉を切って横目で羊雀を見る。
「ここまで賊を追い込んだのは我ら來郷だ、そちらが上の命で動いていようと引くことはないよ! この騒動で同胞が手にかけられているんだからね! それにーー」
「あ~……いいえ、そのような意味ではございません」
羊雀の声を遮り、郷怛から間延びした声が出る。羊雀が顔をしかめると、郷怛は先ほどまでの規律した態度から一変し、肩の力を抜いて煩わしそうに顔を歪ませた。
「そんな、まさか、今さら來郷に手を引いてもらい、我らのみで今回の騒動を収めるなど、とてもとても……勿論、來郷にも手をお貸し頂きたい」
郷怛は黙したままの巌鉄に向けて、意味ありげに視線を移す。
巌鉄は几から肘をついたまま、目線だけで郷怛に先を促した。
「窮地に陥った鼠は巣に帰るもの。県令である甘剋の私邸に間者を放ったところ、鼠が逃げ込んでいると報告がございました……」
郷怛の言葉で、再びざわめきが起こる。
隅に立ち静かに話を聞いていた鳶は、胸中で正体の分からない引っ掛かりを覚えていた。
続く郷怛と戒趙、そして巌鉄の会話を耳に入れながら、消えない違和感の原因を探ろうとしてーー。
「ーーい、おい、鳶!」
「……あ?」
鳶がふと気付くと、蜘蛛が怪訝な顔を向けて頬をかいている姿が目に入った。随分と深く思い返していたようで、蜘蛛の声に気付かなかったようだ。
「どうした、ひどい顰めっ面だな。さっきの将と何かあったのか?」
蜘蛛の問いかけを耳に入れながら、鳶は再び視線を動かすが、もう先ほどと同じ場所に例の男の姿は見えなかった。
天幕の間を忙しなく動く來郷の人間と、ここ数日の間で増えた兵卒たちでごった返している野営地を見渡して、鳶は口を開く。
「……蜘蛛、今回の事どう思う?」
「んあ?」
気の抜けた声を出した蜘蛛に鳶は目を向けた。
「俺には、まるでこうなるように然らしめられているように感じる」
「勘か?」
「違和感がないか?」
「どんな?」
蜘蛛は首を捻った。
「黎国の残党兵の他に何かが潜んでいるとは感じていたが……それが県令だと可能性が出てきても釈然とできん……」
「と言うと?」
「何者かの都合通りに進んでいるように思える」
鳶の言葉を聞いて蜘蛛はきょろきょろと辺りを見回す。
「その何者かが県令を貶めようとして、今回の騒動になった?」
「……分からん、まだ何かあるような気がする」
鳶は息を吐きながらそう言うと、カチリと小刀を鞘に納めた。
蜘蛛はしかめた顔のままの鳶を見つめ、ふと上へ顔を上げる。遠くの空から雷鳴が聞こえた。
◇
「ふおおおぉぉう! こりゃすまねぇぇぇ!」
天幕の中に入って来たトウシナは、響く声を上げて大慌てで転がるように外へと出て行く。その拍子に外で何かが崩れ落ちる音が盛大に聞こえて来た。
そんなトウシナから、カガイは目の前の白い肩へ視線を戻すと、最後の仕上げを施し手を離す。
「終わったぞ……」
カガイがぽつりと呟くと、稜迦は急いではだけていた衣服を元に戻した。赤い顔をして、おろおろとカガイと天幕の出入り口を交互に見る。
「あり、ありがとうございます……ト、トウシナ様をお呼びした方が宜しいでしょうか……?」
襟を正し、赤い顔のまま稜迦はカガイへ向き直った。
カガイが肩の包帯を巻き直してくれたのだが、今回も稜迦の顔は気恥ずかしさからか朱色に染まっていた。カガイへは背を向けているのだが、その光景をトウシナに見られて、さらに稜迦の顔は赤くなる。
「いや……構わん……」
低い声で一言そう言うと、カガイは大きく欠伸をする。その姿が、まるで山の中に住んでいる大きな獣のようだなと、稜迦はぼんやりと思う。
そしてカガイは疲れているのではと思って、心が曇る。わずかに戸惑いながらもカガイへと手を伸ばした。
「カ、カガイ様、わたしもカガイ様の傷の手当てをさせて、あの、させてください」
もしかしたら断られてしまう事が怖くて、稜迦はつい早口でカガイへ言葉をかけた。
カガイが何かを言おうとして口を開くが、そのまま言葉を出さずにゆっくりと閉じる。稜迦は感情の読めないカガイの顔を見つめながら、伸ばした手を空中に留め返事を待つ。
そうすると、カガイが微かに息を吐く動作を見せてから、小さく頷いた。
その瞬間、知らずに強張っていた表情からほっと安堵の表情に変わり、稜迦は嬉しげにいそいそとカガイの傍に寄り、身体に巻いている包帯を取ろうとする。
「……稜迦、今いいかい ? ……っあ、すまない取り込み中だったか!」
「あ! 義兄さん! い、今カガイ様の包帯を替えるところだったの! ど、どうしたの?」
丁度その時、戯張が天幕の中に入って来て、稜迦とカガイの二人の様子を目にすると慌てて踵を返そうとしたものだから、釣られて稜迦も慌ててしまい、出て行こうとする戯張に吃りながら言葉をかけた。
「あ、あぁ、そうか、そうだな、じゃあ後で……あぁいや……もう時間が無いかもしれない……稜迦、話しておきたい事があるんだ」
戯張はカガイを気にしながらも、真剣な面持ちで稜迦へ向き直る。
稜迦はドキリとした。稜迦も戯張に聞きたい事があるのだ。
ただ、戯張の何かを決意したかのような顔に、稜迦はふと不安を覚えた。




