騒がしい
「黎国の残党兵じゃないって言うのかい?」
羊雀は腕を組んで、疑問をすぐさま口に出す。
軍議を行うために用意された天幕の中で、自らが発した言葉のことを羊雀に問われた鳶は、野営地で起きた襲撃を思い返していた。
「違和感があった……襲って来た輩は黎国の奴らと腕の質が違う……ように感じた」
「勘か?」
「勘だ」
鳶が羊雀へと答えた声に、その場にいた別の來郷の男が問うと、きっぱりとした口調で鳶はまた声を返す。
そしてその場にいた全員が考えるように黙り込む。勘など不確かなものだと言って一蹴はしなかった。鳶という男の戦闘における勘は、恐ろしく当たるからだ。
もともと來郷の中において、鳶の戦闘能力は飛び抜けて非凡であり誰もが認めるもので、それを疑う者はいない。
その鳶の勘で、これまで幾度も窮地を脱している事実があった。
「しかし、もしそうだとしたら、残党兵の他にも我らの敵がいると言う事だな」
また別の男が、その場にいる全員に問い掛ける。野営地に夜襲をかけて来た集団は黎国の残党兵だと誰もがそう思っていた。
「幻姜草を使って逃走した経緯は同じだ。もともと幻姜草など稀少なもので、めったに手に入るものではない筈。残党兵がそれをどうやって手に入れていたか疑問であったが、偶然にしてはいささか……」
その場で一番年嵩の男が出した言葉は的を射ていた。
幻姜草はその効果が高く戦などで重宝される反面、稀少であるがゆえに、手に入れる事は決して安易ではない。
「残党兵に何者かの後ろ楯があるのでは? 協力者からの襲撃だったとも考えられる」
「その可能性はあるな」
「いやいや待て待て、何者かが残党兵に肩入れしていたとして、どれほどの利点がある? もはや朱国にとって奴らは賊と化しているし、一体いくつの集落に被害があったか……」
様々な意見が飛び交う中で、羊雀は大きく息を吐いた。
「つくづく、夜襲をかけて来た奴らを捕らえれなかったのが惜しいね……西軍は……巌鉄様はまだお戻りになられないのかい?」
「知らせがないな……あの方に限って最悪な事態にはなっていないだろうが……少々遅いようにも思える」
羊雀はまた大きく息を吐く。
拠点を強襲したさい、逃走した残党兵に追手をかけていたが、その集団がまだ野営地に戻らないでいた。
その追手を指揮していたのが來郷の長、巌鉄。
來郷の強者たちを率いる勇猛果敢な人物だった。
「こちらに不測の夜襲があったんだ、あちらにも何かしらの事があったのかもしれないよ……蜘蛛を一度出した方がーー」
羊雀がすべてを言い切る前に、丁度良く蜘蛛本人が天幕の中に慌ただしく入って来る。その様子にその場にいた皆の視線が蜘蛛に向いた。
「なんだ、隊長たちはほとんどここに揃っていたのか……! 巌鉄様が戻られたぞ!」
蜘蛛の言葉に羊雀はパッと顔を明るくする。
「良かった、ご無事だったんだね。他のみんなも怪我は無いのかい?」
蜘蛛の言葉を受けて、ぞろぞろと巌鉄を出迎えるため天幕から皆が出て行く中、羊雀は蜘蛛に尋ねる。
「深手を負っている者はいませんよ、皆無事なようです。ただーー」
ほっと息を吐いた羊雀だったが蜘蛛の区切りを付けた言葉に怪訝な顔を見せる。羊雀の後ろに続いた鳶も疑問を顔に浮かべて蜘蛛の次の言葉を待つ。
「ただ、宇天軍の兵卒たちも一緒のようです」
それを聞いて、羊雀と鳶は互いに顔を見合わせる。
事は随分大きくなっていると思えた。
◇
温かい粥が喉を通っていく。
稜迦は、ほぅ……と安堵の息を出した。
「ゆっくり食べな、稜迦。足りなかったらまた持って来るから」
そう言って戯張は優しく笑う。その顔を見て稜迦はまた安堵できた。
「ありがとう……義兄さん」
幾日ぶりかの食事が身に染み渡る。稜迦は戯張が持ってきてくれた湯気が立っている粥をありがたく思いつつ、少しずつ口に運んだ。
「え……と、カガイさんは……起きそうにないな」
先ほどから小声で喋っている戯張が、ちらりと稜迦の隣で泥のように眠っているカガイを見て、そしてカガイの分である椀に入った粥を見る。
稜迦もカガイに視線を落とす。
ずいぶん前からカガイは眠ったままだった。きっと身体が辛かったにも関わらず、稜迦の傷の手当てをしてくれて、そして辛抱強く稜迦の話を聞いてくれたのだろう。
あの時、ずっと握り締めていたカガイの手を、稜迦は辿々しくも、そっとひとつ撫でた。
儒郭の邸に怪我を負って帰って来た時も、カガイはよく眠っていた。起きて食べ、起きて食べを繰り返して、そしてすぐ動き出す。
怪我が完治していないのにカガイは王城に出掛けるものだから、随分と肝を冷やしていたなと、稜迦はあの時の事をふと思い出していた。
稜迦は粥が入っている椀をそっと置いて、甲斐甲斐しくカガイに掛かっている毛皮を掛け直し、カガイの額を手拭いで拭いてから、また椀を持ってちまちまと粥を食べる。
そんな稜迦を戯張は何とも言えない顔で見ていた。
「稜迦ーー……」
戯張が何かを言おうとした丁度その時、天幕の外がいやに騒がしくなる。
誰かが大きく叫んでいるようだった。
その声が段々と近付いて来るので稜迦と戯張が訝しんで天幕の入り口に目を向けると、大きな声と共にトウシナが天幕の中に転がりこんで来た。
「ト、トウシナ様!」
稜迦は仰天して叫ぶ。
「おああ! お、お、お、奥方さまぁぁぁ!」
稜迦を目に入れたトウシナが感極まったように叫び、どしどしと駆け寄って来る。稜迦はその勢いに、思わず手に持っていた椀を落としそうになった。
「え? え、な……! だ、誰?」
何が何だか分からない戯張に至っては、稜迦に近付いてくるトウシナを止めようと両手を広げて立ち上がろうとする。
けれど次の瞬間、追って来たらしい鳶がトウシナの巨体を止めようとその背に飛びかかり、その後ろでは羊雀の焦ったような呆れたような声が聞こえて来た。
「まったく、なんなんだいその大男は!? 夫人たちは無事かい?」
そう言いながら天幕の中に入って来る羊雀を尻目に、自身の背にぶら下がってる鳶を物ともせず、トウシナは目を見開いて稜迦の姿を凝視する。
そしてぶるぶると震え出したかと思えば、ガクリとその場に膝をついた。
「奥方さま……すまねぇ! すまねぇ! 俺が付いていながら、ふがいねぇ! そんな……怪我までさせちまってよぉ! 痛かったよなぁ! すまねぇ!」
トウシナは稜迦に叫び、滝のように涙を流して泣き出した。
トウシナが泣き叫んでいる姿を見て、稜迦の胸は酷く痛む。つられるように稜迦も目に涙を浮かべた。
「ト、トウシナ様……わたしなら大丈夫です……どうか、泣かないで……泣かないでください……ごめんなさい、トウシナ様……トウシナ様もご無事で、良かった……」
稜迦は泣くのを堪えようとして、けれどやはり失敗した。稜迦もボロボロと涙を流してしまう。
トウシナの背で成り行きを見ていた鳶は、ばつが悪いふうにゆっくりとトウシナを掴んでいた手をどけて、後ろの羊雀を振り返る。
佇んでいた羊雀は苦笑いを顔に浮かべて、僅かに肩を竦めただけだった。
そんな中、カガイがむくりと身体を起こす。
おうおうと泣いていたトウシナはカガイの姿を目に入れて、飛び上がって驚いた。
「ええ!? 兄ぃ! こんなところにいたのか! 兄ぃが戻らねぇもんだから俺は気が気じゃなかったのに! ……ああ!? 兄ぃ! その怪我はどうしたんだ!? 大丈夫なんか!? 何があったんだ!?」
カガイは喧しく騒ぐトウシナに目を向けて、そしてすぐ隣にいる稜迦に視線を移す。
トウシナも稜迦も、ぐずぐずに泣いている顔をしていた。
「トウシナ、大概にせよ。落ち着く事を知らんのか、お前は」
また別の声がして、天幕に人が入って来る。稜迦は声の主に視線を動かした。
稜迦が記憶を掘り返しても、見知らぬ人物だった。
歳は青丹と同じぐらいだろうか、暗い夜空に浮かぶ三日月のような印象の男は、僅かに呆れを表情に浮かべてトウシナをじとりと見る。
「だってよぉ! 軍師殿! いてもたってもいられなくてよぉ!」
トウシナは侘びるように戒趙に顔を向けて叫ぶが、戒趙は表情を変える事なく、小さくため息を吐いた。
「はっはっはっ! 俺より図体のでかい男は初めて見るが、姿違わず豪快なやつだな!」
大きな笑い声を出して、入り口の覆いから顔を覗かしている男がいた。
さっぱりと剃り落としているのか頭に毛は無いが、揉み上げから顎、そして口の周りに髭を蓄えているやや年嵩の男は、トウシナより身体は小さいのだろうが、カガイより大きく見える。
くすんだ色の甲冑を身に纏っているその男は、偉丈夫という言葉が似合っていた。
「申し訳ない、巌鉄殿。……トウシナ、知り合いとは言え女人の寝床に勢いよく入るな……カガイ、行方が知れんと思えば……その怪我の事も訊かせてもらうぞ」
戒趙は顔を覗かして笑っている男に一礼してからトウシナの首を掴んで立たせると、稜迦に身体を向け目を伏せて一礼し、カガイに声をかけた。
「しかし今は事情を訊くより、夫人共々、双方身体を休める方が先決だろう、出るぞトウシナ」
「お、お、待ってくれ! 軍師殿! あぁ~! 奥方さまぁ! 兄ぃぃ!」
トウシナの巨体を引きずるようにして戒趙は天幕から出て行く。
呆気にとらわれていた羊雀と鳶も我に返ると、稜迦たちに目配せをして天幕から出て行った。
ポカンとその光景を見ていた稜迦も、カガイの手が自分の方に伸びて来たことにより、ハッと我に返る。
カガイは手で稜迦の頬を拭ってから、すぐ側にあった己の分である椀を手に取ってバクバクと粥を食べ始めた。
トウシナを止めようとしていた体勢のままだった戯張は、気が抜けたように長く息を吐き出したのだった。




