ほどける
「ーー來郷が関わるとなると、あちら側も動きにくくなるのでは?」
日も昇りきらない明朝、関所に設けている政務室で青丹は戒趙からの報告を受けていた。
何者かの襲撃があった日から今まで、ろくに休息を取っていないにも関わらず、戒趙はいつもと変わらずに平坦とした口調で喋る。
若い頃から、この男の疲れた姿を目にした事が無い青丹は、最初の方こそ不思議がっていたが、今ではもう気にもしなくなっていた。
「いや、どうだろうな……あの男がそれで動きを潜めるだろうか……」
青丹は静かに呟くと、思案していた頭を上げて戒趙に顔を向ける。
「それで、來郷の使者からは以上か?」
「はい、襲撃者は黎国の残党兵で間違いございませんでした。來郷が奴等の拠点を強襲したところ、カガイのーー」
「うおおおぉぉぉぉ! 親父殿ぉぉお!」
戒趙の声を遮り、地を揺るがす勢いで政務室にトウシナが転がり込んでくる。その勢いでまたもや扉が壊れたのを目にして、青丹は思わず眉間を揉んだ。
「トウシナ、お前はもう少し加減を学べんのか?」
「それどころじゃねぇだろ親父殿! 奥方さまの居所が判ったんだって!? それはどこなんだよ! こんな時に兄ぃはどこ行っちまったんだよ!?」
「トウシナ、うるさいぞ、落ち着け」
騒ぐトウシナを冷やかな目で見据えて、戒趙は変わらぬ口調で喋る。
「來郷が奴等の拠点を強襲したさいに、拐われたカガイの奥方を見つけ、來郷の野営地にて無事保護しているとの事です。して、郷怛が行っている襲撃者たちへの尋問ですがーー」
「ぬあああぁぁぁぁ! だからよぉ! 軍師殿! 奥方さまはどこにいるのか訊いてるんだって! あぁ! 兄ぃはどこにいるんだよ!」
絶叫しながら戒趙に掴みかかるトウシナを目に入れて、青丹は思う。
自分の周りには疲れを知らん男たちが集まったな、と。
そんな事を考えながら、自分たちの裏で蠢いている影の動きを予測するべく青丹は髭をひとつ撫でた。
◇
指先どころか、身体の全てがガチガチと震えている。身体の疲れはもう限界を越えている筈なのに、稜迦は眠りに付く事ができなかった。
うつ伏せに横たわる、意識の無いカガイを見ている事で必死だった。
ゆっくりと息をするたび上下に動くカガイの身体を見ていないと安心ができない。カガイの背中に巻かれている白い布から滲む血が、余計に稜迦をそうさせた。
ふと、カガイから小さな低い呻き声が漏れる。
すぐ横にいた稜迦は慌ててカガイへと手を伸ばすが、思わず肩に怪我を負っている方の腕を動かしたせいでズキリと身体全体に痛みが走ってしまう。
それでもカガイまで手が届いたので、そのままカガイの額に触れた。
熱を持ったカガイの身体からじんわりと汗が流れる。先程、額に触れた時よりも熱くなっているように思えた。
「う、うぅ……」
堪える事ができず、稜迦は目に涙を溜めて静かに泣き出した。泣きながら水に濡らした手拭いでカガイの額の汗を拭う。
來郷の野営地に何者かによる襲撃があった直後、本隊が戻ったことにより、あの後、騒ぎは瞬く間に収束を見せた。
しかし応戦のかいなく、襲撃者をただの一人も仕留めれなかったという。
逃走のさい、黎国の残党兵と同じように幻姜草の煙を使われた事と、襲撃者たちにとって闇夜の助けもあったのだろうが、來郷の勇士たちの腕を掻い潜って逃げ出せたその手腕は、ただ者ではないと予測させた。
「……稜迦! ここにいたのか……!」
静かな、けれど焦りを含んだ声が聞こえて、稜迦は後ろを振り返る。天幕の入り口から戯張が顔を覗かせていた。
「天幕に様子を見に行ったら稜迦がいないもんだから心臓がひっくり返りそうになったよ……稜迦、お前も休まないと駄目じゃないか」
声を潜ませて戯張は稜迦へと歩み寄る。稜迦は弱々しく頭を横に振った。
「に、義兄さん……カ、カガイ様の……ね、熱が、下がらない、の……」
泣いているせいか稜迦は吃りながら喋る。その姿は小さな子供のように見えた。
「……稜迦……お前も熱があるんだ、肩の怪我だってあるし……頼むから休んでくれ」
戯張は悲痛な顔をして、手を伸ばし、稜迦を抱え上げようとするが、その手を稜迦は拒んだ。
「お、お願い……わ、わたし……ここに、ここにいないと……わ、わたしのせいで、カガイ様が……」
稜迦は俯き、ボロボロと泣き続ける。涙を流すその目は虚ろに見えた。
あの時の稜迦を見るカガイの目が忘れられない。
カガイは意識を失う前まで、稜迦を視界に入れ続けていた。
痛みゆえか、歪んだ表情をしていたカガイは、まるで稜迦を責めているように思えた。
どう償えばいいのか分からない。このままカガイが目を覚まさなかったら、どうしたらいいのだろう。
「わ、わたしの……わたしの、せいで……」
「稜迦……なにを言って……」
戯張は息を詰まらせて、虚しく手を漂わす。義妹の様子がただならぬ様に思えた。
「……邪魔するよ、……ああ、やっぱりここにいたんだね」
凛とした女性の声がカガイのいる天幕の中に響いた。
「羊雀さん……」
その声に振り向いた戯張が声を出す。羊雀と呼ばれた女はひとつ小さく頷いて、静かに天幕の中に足を踏み入れた。
「……夫人、ここはわたしが代わるから……少し身体を休めた方がいい」
柔らかい声が稜迦の耳に聞こえたが、頑なに稜迦は頭を横に振る。その身体に優しく触れる手を感じた。
羊雀の、剣を使うことに慣れた、勇ましく美しい手だった。
「夫人、貴女の旦那は歴戦の豪傑たるお人だ。そう簡単にくたばるような男ではない。大丈夫」
稜迦は俯いていた顔を殊更ゆっくりと上げる。そうすると、黎国の残党兵から助け出された夜に見た、凛々しい女の顔が目に入った。
「カガイ将軍にはできる限りの治療はしてある。心配だろうが、このままでは夫人も倒れてしまうよ。そうなると、こちらの面目がなくなる。だから、わたしたちの為にもここは休んでくれないかい?」
羊雀の静かな言葉に稜迦は一度カガイを見て、また羊雀を見た。
「カガイ将軍に何かあったら、すぐ夫人に報せる。約束する。夫人が眠っていても起こして報せる。安心しておくれ……それに、ほらご覧よ」
稜迦は羊雀が顎をしゃくった方に目を向けた。戯張の顔が見える。
「夫人を心配して戯張も休めていないんだよ、義兄の事も思って、ここは任せておくれ」
「羊雀さん……!」
戯張の焦った声を耳にして、稜迦は僅かに目を見開いた。確かに戯張の目の下にはうっすらと隈ができている。
稜迦はもう一度カガイを見て、落ち込むように俯いた。
「……ごめんなさい……お任せ、します……」
稜迦はまだ泣き止めない顔で力無く答える。羊雀は困ったように苦笑した。
「謝らなくても大丈夫だよ……しっかり養生しておくれ……さ、戯張」
羊雀の声に戯張は慌てて稜迦の身体を抱え上げる。
「すみません、羊雀さん……宜しくお願いします」
頭を下げて天幕を出て行く戯張に、羊雀はまた苦笑して手を軽く上げた。
天幕の外を出ると冷たい風が稜迦の頬を通り過ぎる。稜迦が思わず震えると、戯張が包み込むように抱え直してくれた。
稜迦に与えられた天幕に着いて、戯張はゆっくりと稜迦の身体を寝床に横たわらせる。
「……義兄さん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
稜迦の呟きにも似た弱々しい声に戯張は優しい笑みを向ける。
「謝ることなんて、何にもないよ。しっかり休んだら、色々と話そうな……」
戯張の声に稜迦は小さく頷いた。
「ちょ、ちょっとお待ちください! カガイ将軍!」
急に天幕の外で大声がしたと思ったら、入り口の覆いから大きな影が入って来た。
その姿を見て、稜迦は息を詰まらす。思わずといった様子で戯張も身構えながら立ち上がった。
「カ、カガイ、様……」
稜迦はよろよろと身体を起こす。
天幕に入って来た大きな影はカガイだった。天幕の中に立って稜迦を見つめていた。
「カガイ将軍! 無茶が過ぎますよ!」
その後ろから羊雀も天幕に入って来て、狼狽した様子でカガイに叫んでいる。
その声を気にする事も無く、戯張の姿も無いもののように、カガイはのそりと近付いて来て、稜迦の目の前に腰を下ろす。
カガイは稜迦の青褪めた顔をじっと見て、そして稜迦の手首に巻かれている白い布に視線を落とした。
「……すまなかった……」
稜迦はカガイの顔が微かに陰ったのが分かった。
「あの時、お前を……行かせるべきではなかった……」
カガイの低い声が静かに響く。稜迦は溢れ出てくる涙を我慢できなかった。
何故、この人を信じきれなかったのか。
自分はどこまで、愚かなのだろう。
「あ、ああぁ……カガイ様……ごめんなさい、ごめんなさい……う、うあぁ……ごめんなさい……! カガイ様が、け、怪我を……! わ、わたしの、わたしのせいで……!」
涙で歪んで見えるカガイに大声で叫んでいた。そこで稜迦は力尽きる。
稜迦がぱたりと倒れる瞬間、カガイも稜迦と同じようにぐらりと身体を揺らしたのが目に入った。
「りょ、稜迦! え? わ! ふ、二人とも!?」
「ええ!? 言わんこっちゃない!」
最後に耳に聞こえたのは戯張と羊雀の切羽詰まったような叫びだった。




