沈む葛藤
「鳶さん、何か……?」
戯張がおずおずと声をかける。
黒装束を身に纏っている鳶と呼ばれた男は、天幕の入り口で立ち止まって、それ以上足を進めようとはせず、淡々とした口調で喋りだした。
「すまんな、戯張、話し込んでいるところ。その娘さんの容態はどうだろうか?」
鳶に目を向けられて、稜迦は思わず身を強張らせた。けれどあの時、気を失う前、確かにこの男に救い出された事を思い出して、稜迦は身を正す。
「あ、あの……あの時は、危ないところを助けて頂いて、本当にありがとうございます」
稜迦の言葉に黒装束の男は表情を変える事なく、コクリと一度頷いた。そして、入り口から稜迦たちの所まで静かに歩いてくる。
鳶は目の前まで来ると、流れるような動作でその場に腰を下ろした。
「いや、随分と酷い様子だったので……気がかりだったが……すまない、しんどいだろうが、訊きたい事がある……話してもらっても大丈夫だろうか?」
鳶は冷たい印象を受ける顔付きとは裏腹に、稜迦に対して気を遣う様に喋る。稜迦は少しだけ身体の力を抜いて「はい」と返事をした。
「そうか、すまない……娘さんは何故、あの場所に居たのだろうか? あの男たちの集団に拐われていたのか?」
黒装束の男の質問に稜迦の肩は震えてしまい、戯張を見る。すると、戯張も疑問に思っているのだろう、何故と言うような顔を稜迦に向けていた。
稜迦の視線は戯張からも外れ、下を向く。そうすると、カガイの毛皮が目に入った。
「……我らは、來郷と言う集団で、王の影として朱国を護る為に動いている。……怪しい者ではない。悪いようにはしない、どうか話してもらえないだろうか?」
なかなか口を開かない稜迦をどう捉えたのか、鳶が話しかけてくる。
稜迦は自分の心臓が重く鳴っているのを感じる。
手は細かく震えた。
「……あ、あの……黎国と朱国の新しい関所、まで……義兄を捜しに参りまして……突然……でしょうか……襲撃があって……そ、その際……あの方々に……拐かされてしまい……あ、あの場所に……」
稜迦は言葉に詰まりながら、しどろもどろに喋る。頭の中は混乱を極めていた。どうしたらいいのか分からない。
カガイがあの男たちと手を組んで、稜迦を利用し、何かを企んでいるかもしれない事を、口にできない。
でも、それ事態まったくの嘘かもしれないのだ。杞憂し過ぎているのだろうか。
話すべきなのだ。間違いであっても、その可能性があるかもしれないのならば。しかし、頭では分かっているのに、稜迦の中にある感情がそれを押し止めてしまう。
口にしてしまうと、カガイとのすべてが終わるような気がした。
もしも、本当に稜迦を利用しようとしていたのであったなら、カガイはどうなってしまうのか?
国を裏切るような事をしでかしているのならば、きっと無事ではいられないはず。
死罪などになるのだろうか。
そう思うと、稜迦の胸の奥は深い闇でいっぱいになる。
「関所……」
鳶が考えるようにポツリと声を出したので、稜迦はビクリと肩を震わした。
「奴ら、随分と派手に動いているな……。娘さんは戯張の義妹だったか……? もともと朱国に? どうやって関所まで来たのか?」
頭の中が冷静ではなかった為、稜迦はまるで鳶に尋問されているように錯覚してしまい、サァと顔色を悪くする。
その様子を見ていた戯張が慌てて稜迦の代わりに事情を話した。
「ーー……そうか、鴛鴦之契……太子が立案した政策だったか……? 事情は理解した。では、関所まで来たのは、娘さんのご夫君が案内したのだろうか?」
鳶の問いに稜迦はもう言葉を出せず、ただコクンとひとつ頷いた。
鳶は黙りこくり、思案するように顎に手をやる。
「蜘蛛が帰って来ない事が気になるが……、娘さん、奴らに囚われた時、何かを耳にしてはいないだろうか? 思い出せる範囲でいい」
稜迦は動けなかった。頭を縦にも横にも振ることができず、石のように固まってしまう。
そんな時、戯張の静かな声がした。
「鳶さん、随分と稜迦の加減が悪いようなんです。そろそろ休ませてやってください……」
鳶はそれを聞くと、両手を上げる。
「すまない。気が回らなかった。娘さん、しばらくここで養生した後、関所まで送り届ける。もう、安心してもらっていい。本隊が近い内に戻って来るだろうから、先に関所まで伝言役を送ろう。ご夫君もさぞや娘さんの身を案じているだろうから」
鳶が稜迦に話しかける。
稜迦は一瞬、息が詰まり返事ができなった。
鳶は稜迦の返事を待たず立ち上がり、「邪魔をした」と呟いて天幕から出ていく。
稜迦は瞬きもせず、それを見ていた。
血が通っていないかのように、手足が冷たくなっている。喋らなかった事がどれ程のことなのか、落ち着いて判断ができない。
このままカガイに、稜迦が無事であったと伝わり、もしも、黎国の男たちの言っていた事が事実だったなら、カガイは稜迦をどうするのだろう。
夢の中で見た大きな背中を思い出し、そして身震いする。あの手に持たれていた刃は稜迦に向けられた刃だった。
顔を下げ、膝に掛けているカガイの毛皮を見る。その毛皮に手を置いた。稜迦の手は細かく震えているままだった。
「稜迦……」
戯張の静かな声が聞こえて、稜迦は思考の淵から帰ってくる。
戯張の方を見ると、心配そうな顔をして稜迦を見つめていた。
「大丈夫か? 酷い顔色だ……しばらく眠って、起きたらまた話そう」
戯張はそう言うが、稜迦は力無く頭を横に振る。
せめて戯張には言うべきなのだろうか。信頼できる。カガイの事を話して、力を貸してもらおう。……と思ったところで、不安が胸に去来した。
事情を知ってしまった戯張に災難が降りかからないだろうか? なぜ戯張がここにいるのかは分からない。何か理由はあるのだろうが、稜迦の事情を知ったら、きっと守ってくれる。それこそ命を懸けて。
でももし、それで戯張の身に何かあったら稜迦は耐えられない。
戯張は姉たちのもとに帰らなければならないのだ。
では、やはり鳶と呼ばれた男に話すべきなのだが、それもできない。
稜迦は震える手を戯張まで伸ばした。戯張はその手を両手で取って包み込む。
「大丈夫だ、稜迦。大丈夫。このまま居なくなったりしないから、どうか休んでくれ。稜迦の顔色が真っ青で俺は気が気じゃいられないよ。稜迦の身に何かあったら、楊翠にどやされちまう。まずは身体を癒さないと……」
稜迦を安心させる為か、戯張はひょうきんな口調で喋る。
稜迦はそんな戯張を見て、また一粒涙を流した。
◇
また雪が降りそうな、暗い空を見上げて郷怛は大きな欠伸をする。
関所の外れに位置する、木々を切り倒し拓けた場所で、積んである丸太に腰掛け、ひとつ息を吐く。
「あ~……面白くないなぁ……カガイの旦那はどこに行っちまったのか……」
一人ごちて、太股に肘を立て手で顔を支える。目を閉じてから、また息を吐いた。
すると、遠くから此方へと向かって来る足音が聞こえてくる。
郷怛は薄ら目を開けて、その足音の主を見た。
「郷怛将軍!」
憤った表情をしている宗偉が大きな声を出して呼びかけて来る。郷怛は身体を動かさず、近付いて来る宗偉をボゥとした目で見つめた。
「このような場所で何をしているのです? 尋問の指揮をお取りください」
郷怛の目の前まで来ると、宗偉は努めて平坦な口調で声を出す。郷怛はまるで気にした様子もなく、眠たそうな顔をして返事をした。
「もともと俺は平和主義なんです。血が苦手でしてねぇ、尋問は部下に任せております。若君たちも尋問に加わりましたし、少しばかり休んでも問題ないでしょう」
郷怛はそう言ってまた大きな欠伸をする。
宗偉は郷怛の態度に顔をしかめた。
「お戻りください……! 青丹将軍に進捗を報告する義務があるはずです」
「若ぎ……」
「軍の中にいる間、家は関係ありません。その呼び名は止めてください……!」
宗偉は鋭い視線で郷怛を見る。
郷怛はひとつ息を吐いて、ヒラヒラと手のひらを振った。
「あ~……了解しました。どうぞ先にお戻りください。俺も直ぐに参りますので」
郷怛の言葉に宗偉は足を動かさなかったが、しばらくして踵を返した。
「真面目だなぁ……、世の中面白く見えてんのかねぇ……」
去っていく宗偉の背中を見ながら、郷怛は呟く。その後ろで何者かの気配がした。
「どうなってる?」
宗偉の小さくなっていく背中を目に入れながら、郷怛は声を出す。
すると、郷怛の背後から返って来る声があった。
郷怛は返って来た声を聞き終えると、殊更大きく息を吐く。
「ああ~やれやれ……なかなか……。はぁ~どっこらしょ」
郷怛は気怠さそうに腰を上げる。
「お前ら手を加えてやれ。それで巧くいかない場合は、終いだ。他の者にもそう伝えろ」
郷怛が言い終えると、背後にあった気配は消える。
だらだらとした足どりで郷怛は歩き出す。
「あ~……カガイはどこ行ったかねぇ……」
郷怛は呟いて、つまらなそうに空を見上げる。
そうすると、灰色の雪が少しずつ舞い落ちてくるのが目に見えた。
「会いてぇなぁ~……見てえなぁ~……。今どんな顔してんだか…………ふっくっくっくっ……はっはははは、は、はぁ~あ……あ~眠いなぁ」
何度目かも分からない欠伸を出して、郷怛は不気味に笑う。
雪は段々と降る量を増やしていった。




