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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
24/47

縺れる

 身体に力が入らない。


 泣いては止め、泣いては止めを繰り返していたら、部屋の中は真っ暗になった。日が暮れて夜になったのだろう。

 稜迦は膝に埋めていた顔を上げて、じっと虚空を見つめる。


 あの時、もはや身体が限界だった稜迦は立っていられなくなって、プツリと糸が切れてしまったかのように膝から崩れ落ちそうになった。顔に傷がある男が何かを言ってきたが、ひどく耳鳴りがしていて満足に稜迦の耳までその言葉が届かない。

 会話ができない状態だと判断したのか、男たちはその場から早々に稜迦を元の部屋へと戻した。


 そして今に至る。


 泣き過ぎたせいなのか、喉がカラカラに渇いていた。そう言えば、と稜迦は自分が昨夜から何も口にしていない事に気付く。それでも、空腹は感じられない。


 また、稜迦はじんわりと目に涙が溜まり、静かに涙を流す。

 いつもめそめそしている自分が嫌いで、強くなりたいと願っている。けれど、今そのように思う事ができなかった。


 カガイにとって自分は必要の無い存在だった。

 あの男の言うことを信じてはいけないのに、その絶望的な考えが、ぐるぐると心の内を駆け回る。


 疑問が頭から離れない。

 男が言っていた計画とは何だろう。国を売るような男と、などと言っていた。カガイが国を売るような真似をしているのか。稜迦を使って。


 稜迦はぎゅっと身体を縮ませ、立てていた膝にもう一度顔を埋める。

 初めてカガイと出会った時を思い出した。

 驚いて、怖がって、離れて、ほんの少しだけ歩み寄れたと思って、また離れて、帰ってくるのをずっと待って、けれどまた怯んでしまって、泣きながら勇気を出せて、カガイと暮らした。


 カガイを思う。

 伝わりにくい稜迦の言葉を聞いてくれて、めそめそと泣く稜迦の涙を、渇くまで拭ってくれた。

 国境までの旅路で、カガイはその手で稜迦を守ってくれたのだ。


 だから、稜迦を裏切ったなどと言うあの男の言葉を信じてはいけない。カガイは稜迦を捨ててなどいない。

 信じなければ、カガイの妻なのだから。


 でも、本当に?


 カガイは、自分の妻になるのはどんな女でも構わないと言っていた。どのような計画かは分からないが、元々この為に鴛鴦之契で嫁いで来る女が必要だったのかもしれない。それがまたまた稜迦であっただけで。


 だから、稜迦が庶子であっても、それを黙っていたとしても、そんなものは問題でなかったのか。元々、利用する目的だったのであれば。

 カガイにとって計画は何よりも優先するものであって、稜迦はその道具でしかなかった。


「……違う……」

 カガイの傷痕だらけで大きな身体が怖かった。

「……違う……うぅ……」

 ひどく低い声も、鋭い目も、変わらない表情も、言葉少ないところも苦手だった。

「……ふ……ううぅ……」

 けれど、稜迦の作ったご飯をいつも残さず食べてくれる事が嬉しかった。眠る時、お休みなさいと言うと、ちゃんと唸りを返してくれる事が嬉しかった。稜迦が何かを言おうとすると、こちらに顔を向けてくれる事が嬉しかった。稜迦を義兄がいるかもしれないあの地まで連れて行ってくれるとカガイが言った時、本当に嬉しかった。


 ゆっくりとぎこちなくだが、夫婦と言う名の家族になると思っていたのだ。


 怖れてしまって、正直に自身の生まれをカガイに言えなかったのに。何かあるたび、堪えきれずカガイの前で泣いてばかりいるのに。稜迦はなかなか上手く気持ちを伝える事ができずにいるから、きっと不愉快な思いをしているはずなのに。

 カガイはそれでも、稜迦を自分の妻として見ていてくれていると思っていた。それが、故郷から離れ、この国で生きていく最大の心の支えだったのだ。

 でも、それが全て間違いだったならば……。

「……違う、違うぅ……!」

 疑心という水の中で溺れそうになりながら、稜迦はボロボロと涙を流して、絞り出すように声を発する。

 それを自分に言い聞かすように。



 ◇



 また荒々しい足音が聞こえてくる。

 稜迦は肩を揺らして、まだ涙の渇かない目で暗い扉を見た。軋んだ扉を開いて入って来たのは、先程と同じ稜迦を連れ出しに来た二人の男たちだった。

 稜迦は身体を強張らして、座り込んだまま壁際のぎりぎりまで後ずさる。男たちの淀んだ目が恐ろしく感じた。

 そんな稜迦の行動を目に入れて、鼻で笑いながら一人の男が近付いて来る。連れ出しに来た際、稜迦の手を縛っていた縄を乱暴に引っ張っていたその男は、グイッと稜迦の顎を無理矢理掴み、上を向かせる。

 稜迦は咄嗟に抵抗しようとしたが、口許に竹筒を押しあてられ、喉に何かを流し込まれてしまう。


 一瞬水かと思ったが、独特の苦味を感じて、それに耐えきれず、稜迦は咳き込んでしまい口から吐きこぼした。


 竹筒の中身を飲ませていた男が舌打ちをする。

「おら、ちゃんと飲めよ……ったく、めんどくせぇ……」

「おい、そんな……ゆっくり飲ませろよ」

 身を捩って竹筒から口を離し、ひどく咳き込む稜迦に、男は再び竹筒の中身を飲ませようとするが、後ろにいたもう一人の男がそれを止める。

 チッと舌打ちをして、稜迦の顎を掴んでいた男はまた乱暴に手を離した。

 その拍子に稜迦はその場に踞り、咳き込みながら必死に息をする。まだ口の中に苦味が残っている飲まされた中身は一体何なのか? 得体の知れない恐怖に稜迦は身をガタガタと震わし、混乱する頭でその竹筒を見つめた。


「幻姜草の煙を吸ったんだろ? あれは毒みてぇなもんだから後遺症が出るんだよ。あんた、身体が辛いだろ? これは薬だ、今あんたに何かあったらまずいから、ちゃんと飲んでくれ」

 後ろにいた男がそう言ってきたが、稜迦は素直に聞けなかった。再度、口許に竹筒を持って来られたが、稜迦は露骨にそれを避ける。

 男の舌打ちがまた聞こえた。


「……ったくよぉ……。汚ねぇな、吐きやがって」

 竹筒を持った男は悪態を吐いて、稜迦を見下ろす。その視線はおのずと、稜迦が口から吐いたせいで、薬が染み込んで濡れている胸元へと落ちた。


「……おい、お前外で誰か来ないか見張ってろ」

 男は後ろにいるもう一人の男に声をかけて竹筒をコンッと地面に置いた。

「あ? 何だって? 何を……」

 後ろにいた男が訝しげに声を出したと同時に、稜迦の衣服は無理矢理に引っ張られた。稜迦は一瞬、頭の中が真っ白になるが、男の手が明らかにそれを目的として動いている事に気付いて悲鳴をあげようとする。しかし男の片手がそれを許さず、稜迦の口を覆った。


「お、おい! お前なにやってんだ!?」

 後ろの男が慌てて止めに入るが、男は止まるどころか倒れている稜迦の身体に馬乗りになる。

「構うもんかよ、どうせこの女は最後には殺す事になるかも知れねぇんだ、少しぐらい良いだろうよ」

 男の言葉に稜迦は目を見開き、もがいて逃げようとするが、男の身体の重さと後ろ手に縛られている縄のせいで抵抗ができない。

 稜迦はそれでも、頭を振って口を塞いでいる男の手から逃れようとした。男は欲を宿した目で稜迦を見て、嘲笑う。

「へっ……。散々、旦那だった野郎と楽しんでる筈だろ? わんわん泣き喚きやがってよ……敵国の男がそんなに良かったのか? てめぇを裏切るような男がよ」


 男の下卑いた言葉に、心の底で繋ぎ止めていた線が切り刻まれる。耳を塞ぎたかった。

 稜迦は自分でも知らないうちに、ボロボロと涙を流す。胸の奥がどうしようもなく痛い。


「まったく尻の軽い女だな。己の故郷を焼いた男に情を移しやがって……てめぇも裏切り者だ、せいぜい俺たちの役に立てよ」

 男の手が服の裾を割って入って来ようとする。嫌悪感で稜迦の全身に鳥肌が立った。

 脳裏に浮かんだ大きな背中が、ただ悲しい。


「ーーいやっ! 駄目だ! 樂幹(がくかん)さんに知られたら徒(ただ)では済まないぞ! 止めろ!」

 後ろで立ち竦んでいた男が、意を決したように声を出して稜迦に乗っている男を今度こそ止めようとした時、外から轟音が響いてきた。


 その音に驚いて二人の男は身体の動きを止めて扉を見る。

「何だ!? 何の音だ!?」

 焦った声を出して、男は稜迦から身体を離す。轟音の後、部屋の中にも大きく聞こえて来る程の人々の騒ぎ声が響いてくる。そして、慌ただしい足音が聞こえてきた。


「お前ら! 女を連れ出せ! 敵襲だ!」

 軋んだ扉を壊す程の勢いで部屋に入ってきた熊のような男は、衣服が乱れている稜迦を見て瞠目する。そして稜迦を襲おうとしていた男を目で射殺すように睨んだ。

「ーーま、待ってくだせえ! まだ何もしちゃいませっ……」

 男が全て言い終わる前に、熊のような男から拳が飛ぶ。顔面にそれを食らった男は勢いよく鼻血を吹き、呻きながらその場に踞った。

「くっそ野郎がぁ!」

 憎々しく声を出した熊のような男は、ガタガタと震えるもう一人の男を睨むと、「連れて来い!」と稜迦を指差し、早足で部屋を出ていく。


 青ざめてその光景を見ていた稜迦は、もう一人の男によって肩に担がれる。その際、稜迦は無意識にカガイに掛けてもらった毛皮を手に握り締めていた。


 稜迦を担いだ男が焦りながら部屋から出ると同時に、黒い影が横から飛び出して来た。

 男の短い悲鳴が聞こえたと思ったら、稜迦の視界は反転する。重い衝撃が背中に来て、男の肩から落ちたのだと分かった。


「畜生が! この野郎!」

 野太い叫び声が聞こえる。痛みを堪えていた稜迦が霞む視線を上げると、熊のような男と黒装束の男が刃を交わしているのが見えた。すぐ傍では稜迦を担いでいた男がうつ伏せで倒れている。

「畜生! 誰だ! てめぇら!」

 熊のような男が叫びながら刃を振るう。黒装束の男は素早い動きでその攻撃を避けていた。

 黒装束の男がくるりと身を翻すと、短い刃が三本飛び出し、熊のような男の腕に突き刺さる。

 熊のような男は悲鳴をあげて、手に持っていた剣を落とした。食い縛った口から絞り出すような声が漏れる。

「ぐぉ……! 糞がぁ!」

 熊のような男が態勢を整える前に、黒装束の男は刃を向けて突進してくる。が、そこに煙玉が投げ込まれた。


「恩徳(おんとく)! 逃げろ!」

 どこからか叫び声が聞こえた。熊のような男は歯軋りをすると、その場から煙に紛れて走り出す。

 黒装束の男はその後を追いかけようとするが、稜迦の咳き込む声が耳に入り、その足を止める。一瞬、熊のような男が逃げていった方向を見るが、直ぐに稜迦の口に布を当て、稜迦の身体を抱えて、その場から走り出した。



 喧騒から離れた場所で稜迦は黒装束の男から身体を離された。立っていられなかったので、その場に力無く座りこむ。

 ひどく咳き込んで、喉がヒリヒリと痛い。上手く呼吸ができず、咳き込む合間に、ハッ、ハッ、と短く息を吸った。

「おい、水だ、飲め」

 苦し気に息をする稜迦の傍らから低い声が聞こえる。染みる目を開けると黒い影が見えた。その黒い影から革袋が差し出されるが、稜迦の身体はそれを拒否してしまう。先程の男のせいか、恐怖があった。

 黒い影の男は、自分の手のひらに革袋から水を出して見せると、そのままグイッと飲む。

「ほら、ただの水だ。飲め」

 稜迦は男と革袋を交互に見てから、革袋に口を近付ける。「ありがとうございます」と弱々しくお礼を言うと、ごくりと一口水を含む。そのまま渇きに身を任せて、夢中で水をゴクゴクと飲んだ。


「あんた、一体……」

「鳶(とび)!」

 稜迦の背を擦り水を飲ませながら、黒装束の男は口を開くが、その声に被せるようにして叫ぶ声が響く。ガサガサと草木を掻き分けて、その場に人影が現れた。


「無事かい? 奴ら、幻姜草を持っていたようだね。逃走した者は西軍が追っている。やはり、蜘蛛が帰るまで待った方が良かっ……おい、どうしたんだい、その娘は?」

 凛々しい女の声がした。稜迦は視界が揺れる中、その声の主を見る。男のように武装しているが、美しい女が驚いた表情で稜迦を見ていた。


「分からん。奴らの拠点にいたようだが、仲間ではなさそうだ」

「見りゃ分かるよ。酷いね、縛られているじゃないか……あんた、大丈夫か? どうしてこんな所にいるんだい? もしや、奴らに拐われたのか?」

 黒装束の男に言葉を返しながら、女は痛わしげな視線を向けて、稜迦の後ろ手に縛られている縄をほどこうとする。

「なんだいこりゃ……随分きつく縛られているじゃないか……ちょっと待ってな、すぐに取ってやるからね」

「あ、ありが……」

 掠れた声で稜迦がお礼を言おうとした時、ガサガサと足音が聞こえてきて、もう一人、男がその場に現れる。


「ああ、お前も無事だったか。どうだ、例の男には会えたのか?」

「いえ……それが……」

 現れた男に黒装束の男が声をかける。沈んだ声音で返事をした男を見て、稜迦は身体が固まった。

 色んな事が立て続けに起こり過ぎて、頭がついていかない。それでも、今出せる精一杯の声で稜迦は叫んでいた。


「に……義兄さん……!」


 義兄である、戯張が目の前にいた。  

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