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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
22/47

暗雲

「……やられたな」

 青丹は苦々しく声を出して、腕を組みながら唸る。


 何者かによる襲撃から一夜明けて、兵舎は騒然としていた。

 青丹は執務室の椅子にどかりと座って、こめかみを揉む。

「逃げた捕虜兵は十九名。内、七名は逃亡途中で確保。侵入して来た賊の人数はまだ不明ですが、襲撃の際、捕縛できましたのは六名。ただ、六名全員が尋問できる状態ではございません。これは応戦したカガイ将軍とトウシナ副将が大きな原因でございますな。勇猛果敢も過ぎると考えものです」


 坦々とした口調で報告を告げるのは、青丹自身が率いる宇天軍(うてんぐん)の軍師、戒趙(かいちょう)。如何なる時でも、冷静さを失わない切れ者で、青丹とは古くからの戦友でもあった。

 そんな彼からの皮肉の籠った言葉に青丹は苦笑する。


「此方の被害ですが、幸い死者は出ておりません。捕虜兵の解放を目的とした襲撃だったのでしょう。兵以外の負傷者は今のところ報告はございません」

「うん」

「門を閉めた刻から後の襲撃でございました。当時、門には二名の見張りがおりましたが、二人とも何者かに襲われ昏倒。そのまま内部より門は開かれたようです」

「門以外からの侵入経路は?」

「現在不明でございます。四面に展開している塀に鉤などを使って侵入した跡は見受けられません。例え二人がかりでも塀を登り切るのは至難の業でございます」


 青丹は眉間にしわを寄せる。考え込む時の癖で、髭を撫でた。

「やはり中か……」

 青丹の言葉に戒趙は表情を崩さないまま、静かに頷く。

「尋問が終わっておりませんので、全ては憶測ではございますが……捕虜の解放、逃走までがあまりにも迅速でございました、手引きした者がおりましょう」

 青丹は唸る。

 戒趙もそこで言葉を止めた。襲撃者の正体、捕虜を解放した目的が分からない以上、憶測の域を出ない。

 気を取り直した戒趙がその他の被害状況を報告しようと口を開いた時、大きな音をたてて部屋の扉が開いた。


「親父殿ぉぉぉぉ!」

「トウシナ、扉が壊れるぞ」

 転がるようにして部屋に入り込んできた巨体に、戒趙が平坦とした声で注意をするが、荒ぶるトウシナの耳には入っていなかった。

「畜生! 情けねぇ! 見つからねぇよ! 兄ぃは!? 兄ぃはどこだ!?」

「トウシナ、落ち着け」

 掴みかからんばかりの勢いで迫って来たトウシナを、青丹は両手を使って制す。

「落ち着いてなんかいられねぇよ! 敵はどこに逃げやがったんだ!? 奥方さまを助けねぇと!」

 トウシナは叫びながらバンバンと報告書が散乱している机を叩く。その度に机からバキバキと怪しい音が鳴った。


「それも含めて報告いたします、青丹様」

 戒趙はトウシナの騒ぎを意に介さぬ素振りで、また坦々と声を出し始めた。

「カガイの奥方である女人が、騒ぎの中に賊に拐われてございます。これはトウシナからの証言でございますから、間違いはございません。そうだな、トウシナ?」

 戒趙からの問いに、ブンッと音が鳴るぐらいの勢いでトウシナは振り返る。

「ああ! そうだよ! そんな落ち着いて言わないでくれやぁ! 軍師殿ぉ! 兄ぃはまだ戻ってねぇのかよ!? 早く奥方さまを助けねぇと! くそぉ! 俺がいながらふがいねぇ!」 


「トウシナ、幻姜草の煙を吸い込みながらも、賊を捕らえたのはお手柄だ。加減を考えろと思わんでもないが。因みに幻姜草の煙を吸い込こんでその後は、身体に異常は無いか?」


「だからよぉ! 軍師殿ぉ! それどころじゃないんだって! 奥方さまが拐われちまったんだぜ!?」

 トウシナは悲痛な叫び声をあげるが、戒趙はピシャリと言葉を遮る。

「賊の行方はまだ不明でございます。追手の隊を編成しておりますが、まだ有力な情報は得られておりません。襲撃の際、兵舎に火を掛けられ、消火作業に手間どりましたので、追手を差し向けるのにも時間が掛かってしまいました」


 戒趙の抑揚の無い報告に、トウシナは絶望を含む叫び声をあげながら、頭をガシガシとむしった。

「拐われたのは、カガイの奥方だけか?」

「はい、青丹様。捕虜の他に、その方のみとなります」

 青丹は深く眉を寄せ、怪訝な顔をする。

「何故……」

「詳しい理由は不明でございます。賊の意識を戻させて只今尋問を行っ……」

「んん……? 扉が壊れていますがぁ……大丈夫ですか? これ?」


 戒趙の言葉を遮るように発せられた声に、全ての視線がそちらを向く。壊れてしまい、開いたままの扉の前に立っていたのは、郷怛であった。


「何の用だ? 郷怛」

 壊れた扉を不思議そうに見ていた郷怛は、戒趙の問いに、あぁと忘れていたように返事をして、姿勢を正す。


「失礼致しました。任により、捕縛しました賊の尋問を開始いたしましたので、報告に参りました」

 郷怛の言葉を聞いて、戒趙は顔をしかめる。

「何を言っている? お前にその様な任を任せた覚えは無い」

 郷怛はハァと息をつき、正していた姿勢を緩めて力を抜く。そして面倒くさそうにダラダラと喋り出した。


「そりゃあ、俺にその任を下したのは戒趙殿ではなくて、丞相ですからねぇ……あぁ、これが書状です」

 郷怛はゆっくりとした動作で、書状を懐から取り出し、疑念に満ちた眼差しを向けて来る戒趙を通り越して、青丹に手渡す。


「この地に置いて、私が滞在している間、不測の事態が起こった場合、それを率先して調べるのが、私の任になると……そこに丞相が難しく書かれておりますので」

 郷怛の気力の無い喋りに対して、戒趙は冷たく言い放つ。

「待て。何故、今までその書状を出さなかった?」

 郷怛は戒趙の方を振り向いて、肩をすくませる。

「何故……、そりゃあ、丞相のご命令です。不測の事態が起こった時のみ、丞相の! 権限で! 私に! それを! 発令すると……上の方々の考えは、私には判りませんので……たかだか一介の兵卒である私は命令に忠実に従うのみです」

 声の発音に合わせながら、一歩一歩近付いて来る郷怛を見据えて、戒趙は眉をひそめる。


「……成る程な。確かに丞相殿の印がある……。それで? 今から、お前が尋問すると?」

 青丹の問いに、郷怛は再び青丹を振り返って、姿勢を正す。

「いいえ、今からではなく、私の配下がもう始めております。なかなか口を割らないので、少々手荒になっておりますが……」

「分かった。その任を違う者に代わらせる。お前たちには別の任を与えよう」


 青丹の言葉に、郷怛は再びだらっと姿勢を崩す。

「あ~……良い方法だとは思いますがぁ……今、私に命令を下せるのは青丹殿ではございません、そこの書状に書いてある通りです」

「此処の責任者は俺だ。俺に従ってもらう」

 間髪入れず鋭い言葉を放つ青丹を見て、郷怛は困ったように頬をかいた。

「私はね、任務は何だっていいんです、何だってやりますよ……ただ、私は責任がありますのでね……きちんと課せられた責務を全うしなければなりません……そして、きちんと丞相にも報告しなければならないんでね……青丹殿、貴方だってその大事さが分かるでしょう? 私は丞相に嘘はつけませんよ……権力者なんて、どこの時代でも恐ろしいもんですからねぇ」

 郷怛の言葉を青丹は無言で聞き続ける。

「私は任務に誠実なんです。青丹殿も、早く任務を終わらして、無事、ご家族のもとに帰らないと……病弱な奥方様に何かあってからじゃ、遅いですし……ね。そうでしょう?」


 青丹は髭を撫で付けながら、郷怛を見続ける。郷怛も気力の無い目で、その視線を受け止めていた。


「……おぉい!」

 そして、その睨み合いを切るかのように、地に這う低い声が響く。

「郷怛、てめぇ……黙って聞いてりゃ、好き勝手にべらべらと喋りやがって……!」

 そのまま射殺せそうな目を向けて、トウシナは郷怛に掴みかかった。郷怛は片目を見開いて、満面の笑みを向ける。

「あぁ! トウシナ! お前には感謝してるんだ! よくぞ、俺の妻を守ってくれたな、おい!」

「うるせぇ! この糞野郎が!」


 激昂するトウシナを静めるように、青丹はその場に響く声を、けれど酷く静かな声を、出した。

「トウシナ、下がれ」

 青丹に命令されたトウシナは、食い縛った歯をギリギリと鳴らして、郷怛から一歩一歩離れる。

「郷怛」

 青丹の呼び声に、つまらなそうな顔をしていた郷怛は、はいと返事をして青丹に視線を向けた。

「賊の尋問は任せる。が、お前たちとは別の人間も尋問に加える。こうなってしまった以上、迅速に対処せねば、愛しい我が家に帰還する事もままならんからな。なぁ、そうだろう? 郷怛よ」


 青丹の言葉に郷怛はポカンとした顔をして、そして口角を上げてニヤリと笑う。

「あぁ~そうですねぇ、その通りです。他の事を差し置いて、今、尋問に余分な人手を割く事は賢明な判断です。……これで、此方も別の行動に人を割けますよぉ、本当に有り難い事です」


 郷怛はそう言って礼をとり、緩慢な動作で部屋を出て行こうとする。その郷怛を戒趙の鋭い声が押し止めた。

「待て、郷怛。お前にも幾つか訊きたい事がある」

「はい、何でしょう?」

 問われる事が、本当に不思議そうな様子で、郷怛は戒趙に向き直る。

「お前の奥方は何故、あの様な場所にいた?」

「場所……? あぁ、襲撃の時の話ですか? 私の馬の世話を頼みましてねぇ、まぁ……不馴れていますが、私の言う事を忠実に行ってくれるんです。働き者の良い娘でしょう?」

 郷怛は如何にも自慢気に、笑いながら答える。そして、顔だけをトウシナに向けた。


「だからよ、トウシナ。本当に感謝してるぜ。俺の妻を賊から守ってくれてよぉ。襲撃があった時は、気が気じゃなかったからさぁ!」

 トウシナは顔を憤怒の色に染め上げる。それを面白そうに見ながら、郷怛は続けた。

「あぁ、妻から聞いたよ……カガイの奥方が、お前の隙をついて連れ去られたんだろ? 賊に見初められたのかもなぁ、こんな場所に若い女がいるから……可哀想になぁ……トウシナよぉ、気を落とすなよ? 俺も全力で捜索するからな! ……ところで、カガイは今どこにいて何をしているんだ?」

 さも心配そうに言う郷怛に、痺れを切らしたトウシナは拳を突きだした。その勢いがある拳を、郷怛は素早い動きでかわす。


「ぶあっはっはは! 怖ぇなぁ! おい!」

 まるで郷怛がはしゃいでいる様に見えて、トウシナは我慢ができなかった。その郷怛の顔面目掛けて勢いよく振り上げた拳を、青丹の一喝が止めた。

「やめんか! トウシナ! ……郷怛、お前の奥方にも話を訊きたい。此処まで連れて来れる状態か?」

「あぁ、申し訳御座いません。妻は早々に儒郭まで帰らせました」

「何だと?」

 郷怛のあっけらかんとした物言いの言葉に、戒趙が声をあげる。

「しょうがないでしょう? 泣いて此処に居たくないと喚くのです。私も危険だと判断しましたので、部下に送らせました。私はこう見えて妻思いなんです」

 戒趙が郷怛に厳しい目を向ける。郷怛はその視線を受けて苦しそうに笑った。

「何故です? たかが、女一人じゃないですか。事情も何も知らんでしょう? 危険な場所から遠ざけたい思いは、夫ならば当然でございしょう? もし、青丹殿だったならば奥方様が同じ様な状況の場合、解決するまでこのような場所に留まらすと?」

 助けを求める様に、郷怛は青丹に問いかける。青丹は静かに息を吐いて、手を上げた。


「もうよい……。郷怛、尋問の進捗状況は逐一、俺に報告しろ。下がれ」

 郷怛は気怠さそうに息を吐いて、もう一度礼をとり、部屋から出て行こうとする。その背中に戒趙は言葉を投げた。

「郷怛、もうひとつ訊く。何故、今回の任に自分の奥方をわざわざ連れて来た?」

 郷怛は戒趙に振り向いて、当然のように答える。

「愛し合う夫婦は片時も離れんもんでしょう? 新婚なんです、そこは大目に見てくださいよ」

 そう言って、郷怛は今度こそ部屋を出て行く。

 トウシナの苛立った声と、壁に穴を空ける音が響いた。


「……やはり、中でしたな。あの男を使って、何を企んでいるのか……」

 戒趙が静かな声で青丹に呟いた。青丹はその呟きを耳に入れながら、郷怛が出て行った扉を見据え、髭をひとつ撫でた。



 ◇



 また、ちろちろと白い結晶がカガイの目の前に落ちて来る。

 カガイは馬から降り、身を屈めて地面を探る。こうした山の中で動物の通って行った跡を見付けるのは、カガイにしてみたら容易かった。無論、人を含めて。


 カガイは息を殺して腰に下げていた斧を手に取る。気配を消し、足音を消し、目に捉えた獲物まで忍び寄る。そして、カガイに気付いたその獲物は、時既に遅く、カガイの手に捕まり、斧をその首に当てられる。


 カガイに捕らえられた瞬間、その獲物は「ぐっ……」と息を詰まらせた。

 そして、カガイは低い声で言う。


「來郷か……」

 捕らえた獲物は、あの時の蜘蛛と名乗った男だった。

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