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てる子  作者: 雨傘 香介
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[狂躁の中の愁訴]

[狂躁の中の愁訴]




 他の家庭の食卓がどうなっているか、私は分からない。聞く気も持ち合わせていない。

 ただ、幼い頃からこの異色(他人から見れば)な食卓で育った私には『それ』が普通だと認識している。

 食卓とは一家団欒と囲み食事をする場所だ。そこは通常の家庭と一緒だと思う。

 食卓に並ぶのは至って質素で家庭的なものである。ここも一般の家庭と大差ないと思う。

 ここからが実に妙ちきりんなのだが、私はこれを毎日見て溜め息を吐く。これが私の一家団欒の形。

 パパの横に座るママ。そしてママの前に私、私の隣にさと子さんが食卓を囲む。ママは毎日パパに食べさせたり、必要以上に体をくっつけたりしている。

 娘が父に対して異常行動をしているのにもかかわらず、さと子さんは『二人とも仲が良いわね』だなんて抜けた発言をするもんだから、私は毎度憤怒の情を持って食べ漁るしか出来ない。

 狂人達の食卓はまさに狂人的だ。そして私も狂人であるものの、この三人には到底及ばないとそう思っている。

 ――てる子、そんなにがっついて食べるのは端ないですよ。

 きっと睨めつけるように私を見つめるママ。その目付きはいつも従容と見下している。私を娘だとは思っていないのだろう。

 ――ママは人のことを言えないよ、おじいちゃんにべたべたくっついて、端ないのはママの方だよ。

 おじいちゃんとはパパのこと、だが家ではパパと呼べないのでおじいちゃんと呼んでいる。

 ――これは娘としての愛情表現よ、それにパパは疲れているの。少しでもお役に立ちたい娘の心情を察しなさい、てる子。

 ママはそう言ってパパの首許あたりに頭をなすり付けるようにして載せた。にんまりと幸せそうな顔をして目を瞑る。私にはママのパパに対する所作が邪魔で目障りで仕様がなかった。

 その間、パパ(おじいちゃん)は苦笑いして、さと子さん(おばあちゃん)の方を見ていた。さと子さんがパパに気づくと、

 ――ふふ、本当に仲がいいのね。

 とまた抜けたことを言って、さと子さんは顔を綻ばせた。

 私は憎しみや恨み、はたまた意味のない嫉妬を色混ぜた瞳でパパを見た。

 パパはいつものように呑気な笑みを作り続けている。







 パパは文芸編集者と言う肩書きで、出版社に勤務している。どう言う仕事か私はその詳細を知らないが、そのお陰か私の家(正確にはパパの書斎)には多種多様な小説が集まっている。

 パパの書斎はパパが一人になる唯一の場所で、きちんとまとまった書類や読みかけの小説が置いてある机の前で、やっとパパは寛げる。

 それは必要以上にママが引っ付いている為だ。ママは今でも一緒に風呂に入ろうとするし、今でも一緒に寝ようとする。ニ十四歳の娘が何かする度、磁石のようにくっつくのだから、パパは毎日大変である。

 パパにとって書斎は一人の時間を楽しめる。この書斎はママでもさと子さんでも入れないようになっている。それは書斎の扉に鍵が掛っているからだ。

 けれど、

 私は特別に出入りが出来る。

 ――おじいちゃん、中に入っていい?

 象牙色の扉の前で――書斎の前で私はパパに問うた。

 ――てる子かい? 入っていいよ。

 私は肌身話さず持っている合鍵で、施錠していた扉を開けた。

 ――新しい小説が読みたいだけど。

 本来の理由は違う。ただ、おじいちゃんと――パパと二人っきりになれる時間が欲しいだけだ。なので小説と言う関係を繋ぐ媒体を用いて、書斎の中に入らなければいけない。

 小説は感動を与え、疑似体験に酔わせるが、私にとって数ある小説はパパとの関係を繋ぐ為にしか存在していない。著者が聞いたら泣くかも知れないが、現実は至ってシンプルかつ実用的に取捨選択されている。それがたまたま小説だったこと。

 ――新しい小説かい? そうだなぁ今は新人作家の小説しかないよ、しかもコピー。

 そう言ってパパは古そうな椅子にもたれ掛かり、幾枚かの紙をちらつかせた。そしてやんわりと微笑む。私はどきりと胸が跳ねた。あまりにも魅力的に見えた為だった。

 ――でも、おじいちゃんが新人作家の小説を読むなんて珍しい、よね。

 私は段々と紅潮していくのが分かり、私はパパを直視できなくなって床板にそよそよ目を泳がせた。

 パパは新人作家の小説を極力読まないようにしている。生まれたての小説が嫌いなんだ、とパパは言っていたことがある。だから私も新人作家など眼中になかった。

 ――ふふ、自分でもびっくりさ。けれどあの著名な××が絶賛したんだよ、この新人作家を。誰でも興味を持つし、文壇ではこの新人作家の話で持ちきり、出版業者もおお慌てで新人作家と契約を結ぼうと食事の誘いやらで天手古舞てんてこまいさ。

 そこで区切り、一息つくとパパは話を続けた。

 ――でもそれ以前に、噂の新人作家ってのが僕の弟なんだよ。

 ――パパの弟?

 私は驚きのあまり、パパと口が滑ってしまった。私は家の中でパパとこれまで呼んだことがない。昔から注意を促されて育った私には、重大な失敗をしてしまったと慌てた。

 パパはそんな私の心配をよそに、原稿用紙(コピー紙)に目を通して、『まぁ、アイツの――夏彦の小説良く読んでたからなぁ、新人作家って感じがしないんだよね』と顔を綻ばせていた。私はそんなパパの笑みに、手引き網のように引き込まれいく感じがした。







 噂の新人作家――夏川龍彦なつかわ たつひこが私の家の呼び鈴を鳴らしたのは、緑葉が色鮮やかに彩り始めた秋の中頃。

 パパが弟の為にと、普段は食べられないような立派な洋食をこしらえている丁度その時だった。

 パパ(おじいちゃん)とさと子さん(おばあちゃん)は食卓に料理を並べていたので、私が龍彦さんを連れてくるハメになった。勿論ママはおじいちゃんに引っ付いているので使いものにならない。

 私が錠前を外し扉を開けるとそこには、髪の長い男が頼りない笑みを浮かべて立っていた。

 ――あ、あぁ、そのこんばんわ。

 ゆっくりと右の手の平を見せて、男はそう言った。

 ――龍彦さんですか?

 言わずもがなであったものの、私は一度も龍彦さんと面識がなく、万が一別人だった場合の確認である。念には念を。

 ――うん。僕龍彦だよ、えっとてる子ちゃん? 可愛くなったね。

 調子の狂うゆったりとした口調。黒い服の胸元までかかる髪は男が有する髪と言うより、女性の髪で作ったかのような艶のある美しい緑髪のウィッグと言う印象がある。自毛であるなら勿体無いような気がする。

 ――そうですか、それでは上がって下さい。

 他人行儀にそして事務的に私は龍彦さんを上がらせ、食卓へと導いた。

 ――龍彦! おめでとう!

 食卓の入口からパパの――おじいちゃんの声がしたかと思うと、クラッカーの音と紙吹雪が食卓に散った。パパとママ、そしてさと子さんが出迎えていた。

 ――いやぁ、嬉しいね、こんな盛大に祝って貰えるなんて。

 気恥ずかしいと言うように頭を掻いて、龍彦さんは少し俯いた。顔が赤くなっている。

 ――それじゃ、早速晩御飯にしましょうね。龍彦さん、どうぞここに座って。

 さと子さんはそういって龍彦さんを誘導した。龍彦さんはすいません奥さん、と言い座った。私達もいつもの場所に腰を下ろした。

 狂人達の食卓に噂の新人作家が囲む。

 龍彦さんはママのことをどう思うのだろうか、私はそこらへんが気に掛った。たぶん龍彦さんは狂人ではなく、普通の人間だと思う。今後あるかないかの一般人の介入に私は胸が踊る気分だった。普通の人間の反応を私は見てみたかった。そして私は確証が欲しかった、三人は『狂人』だと言う確証が。

 ――パパのお料理、本当に美味しい。ほら、パパも。

 ママは龍彦さんを気にも止めず、いつものようにうっとりとした目で料理をパパの口許に運んだ。

 ――うーん、少し味が薄いね。

 仲睦まじい新婚夫婦のような情景が目に映り、私は胸が締め付けられたようになり、気を紛らすように隣に座るさと子さんを――おばあちゃんを見た。

 ――美味しいわね、パパの料理は。

 おじいちゃんもおばあちゃんもいつものような狂人ぶりを発揮している。龍彦さんの――一般人の介入など狂人には関係しないのだろうか。

 私は龍彦さんの方へ視軸を合わせた。龍彦さんなら、違う反応を示してくれる。狂人だと思い、顔を顰めて三人を見てくれる。そんなことを切に願いながら。

 ――いやー、昔と変わらず熱々ですね、兄さん達は。

 私は目を点にした。そしてふと思った、龍彦さんも狂人だ。この異常な食卓の中、成り立たないはずの二人を疑問も持たずに言うのだから、狂人に違いない。私はそう確信した。

 さと子さんが陽気に龍彦さんに話かける。

 ――そう言えば龍彦さんの小説、拝見しましたよ。『狂人』だなんて物騒なタイトルで少しびっくりしましたよ。

 ――え? あ、はぁすみません奥さん。

 龍彦さんはまた頭を掻いて、顔を赤めた。

 ――そうそう、てる子ちゃんも龍彦さんの小説を読んだのよね。

 さと子さんが急に話をふるから、私は口に入れたばかりの料理でむせた。

 ――へぇ、てる子ちゃんも。

 龍彦さんはきらきらと目を輝かせて私を見続けていた。その目はなにか意見が欲しいと言わんばかりの勢いをしており、龍彦さんは思わず前傾姿勢になっている。

 ――えっと、あの、面白かったです。

 これはパパの弟だからとか、お世辞とかではなく素直な気持ちだった。

 ――そう? それは良かった。けれどかなり内容がドロドロしていたけれど、もしかしてそう言うドロドロしたの好みなの?

 龍彦さんが書いた『狂人』は残酷な描写もある。けれどそれ以前に狂人達の心理描写が私に何かを訴えかけていた。






 ストーリーは概ねこうだ。

 狂女に恋をして、いつしか自分が狂人となってしまう主人公。狂女の美しさはその狂気で保たれていると知ると、主人公は永続的な美を狂女に約束した。美を保たつ為には狂女を殺めるしかないと考え至った主人公はその考えに従い殺めてしまう。永続的な美を得た狂女を主人公は命尽きるまで愛した。肉が腐ろうと骨になろうと主人公は愛し続けた。

 その中で主人公の心理は、究極的に狂気に満ちている。そこに私は胸が高鳴り、遂には読み終わるまで小説から目を離せなかった。

 ――ドロドロとした内容が好みと言うより、愛に狂うストーリーをあまり見たことがなくて。

 ――ふふ、まぁ、狂気染みた愛なんて現実では絵空事だよ。現実はもっとシンプルに成り立っている。ただ狂気に見るか見ないかの違いだよ。

 龍彦さんは落ち着いた口調でそう結んだ。その落ち着いた物言いは、新人作家と言うよりかは威厳のある文学者のそれであった。

 狂気に見るか見ないか――もしそうならママやパパ、さと子さんは狂人ではないのかも知れない。

 私が狂人だと決めつけるから狂人であり、私がただそう思っているから――そう思いたいから、狂人に見えたのか。

 狂人の食卓、これは私の目線である。

 もしかすると他人からの目線では私の食卓はただの食卓、当たり前の食卓かも知れない。

 私は他人の視線をいつも気にしていた。この家族は歪だと、狂人だと思っていた。けれど自分の考えが全てではない。

 他人はあまりにも違う私達の食卓を見て狂気に思うかも知れない。だが、私から他人の食卓を見れば、あまりにも違う食卓が映る。そしてそれが自分と違うからと言って狂気に見れば、他人の食卓は狂気に彩る。

 その差――心懸け次第である。

 そうするとママとパパは狂気的な愛し方をしているのではなく、当本人からすればそれがもっとも普通な愛し方なのかも知れない。

 ――龍彦さん、それでは普通の愛とは何ですか?

 私は色々と思案した結果、龍彦さんに問うた。すると龍彦さんはママとパパを見て微笑み、

 ――普通の愛なんてないよ。そして狂気染みている愛もない。

 と言った。龍彦さんはコップの水を飲み込む。

 ――愛する二人には普通なんて尺度は得られない。勿論狂気的な愛の尺度も得られないだろう。それは第三者が勝手に『普通』や『狂気的』と決めることだからだ。愛し合う二人にとっては、普通や狂気的なんて関係しない。ただ、相手を思い、相手に思われていたい衝動が言葉となり、動きとなった時、それが一般大衆的な尺度に収まるか収まらないかの違いが普通か狂気かってこと、だと僕は思っている。

 雄弁を尽くす龍彦さんはそこまで言い終わるとゆっくりとした動作でコップの水を飲み干した。

 新人作家のお祝いパーティーはそれから狂人的なあるいは一般的な食卓で、慎ましく行われた。ママはパパだけを、パパは龍彦さんには一切話しかけずいつも以上にママの相手をしていた。さと子さんと私は龍彦さんとずっと他愛のない話をしていた。

 夜は更け、窓の向こうから強い風が声高に通り過ぎる。

 暗い部屋、電気スタンドは淡い光をぽつりと灯している。

 私はベッドに臥していた。眠ろうと目を閉じている。序でに耳も塞いでいる。

 けれど、

 塞いだ耳から小さく泣いた音が入り込んでいた。その泣いた音は隣の部屋にいるさと子さんの鳴咽するそれであった。

 ――あ、あぁ、ううぅ、うくぅ。

 吐くような声が苦しく荒ぶ。

 いつまで続いたか、私が眠りに着いたのは、鳴咽が狂気染みた哄笑に変わってからだった。

 いや、もしかすると狂気的ではなく普通の高笑いかも知れない。そこら辺は第三者の私が決めることである。

 けれど、それは私にはどうでもいいように感じた。狂気的であろうが普通であろうが、私には一切が関係しないように思えた。目を瞑る、隣の部屋から声がした。意識の遠くの方から――ずっと。





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