第7話 魔女狩り
エルシリアは人の群れが嫌いだ。正確に言うならば、人の群れが作り出す空気が苦手だった。
一人ひとりと向き合えば、優しい人間がいることは分かる。困っている誰かに手を差し伸べる者もいる。小さな親切を忘れない者もいる。
だが大勢が集まった時、人は恐ろしいほど簡単に残酷になれるのだ。
「あいつは悪い奴だ」
と誰かが言うと、大した証拠がなくても誰かが後に続く。
「なら、殺さないと」
そしていつの間にか、傷つけることが正義になっている。エルシリアは、その流れを嫌というほどに知っていた。
その日、エルシリアはいつものように、己を偽って王都の街を歩いていた。森で暮らすようになってからも、彼女は完全に人との関わりを断ったわけではない。必要なものを買い、目に入った困っている人を助けるために、時々こうして街に降りている。
ただの薬師として歩いていると、人々は温かく迎え入れてくれる。苦みを感じないわけではないが、この一時の穏やかな日々を楽しむことにしていた。
しかしその日は、街に入った時から妙な胸騒ぎがしていたのだ。
「魔女だ! 魔女が処刑されるぞ!」
「これでまた世界が清くなるな! 魔女を殺せ、殺せ!」
聞こえてきた大声に、エルシリアの足が止まる。心臓が嫌な音を立てた。ざわめきは次第にひとつの渦となっていく。彼女は人々の流れに逆らわず、ゆっくりと歩き出した。
広場へと向かう道は、いつもよりもやけに長く感じられる。いつもは子どもたちが遊んでいるはずの場所には、大勢の人間がいた。皆が同じ方向を見て、同じ顔をしている。期待や恐怖、興奮を混ぜたような顔だ。
エルシリアは唇を結び、その中を歩いた。ただ胸騒ぎだけが強くなる。人垣の隙間を縫うように進むと、ようやく広場の中心が見えた。そしてそこにあった光景を見て、彼女は息を呑んだ。
処刑台がある。そしてそこに、一人の女性が縛られていた。長い赤茶色の髪に、緑色の瞳を持つ、まだ二十歳にも満たない少女。エルシリアは、彼女の顔に見覚えがあった。
「……リエナ」
小さく名前が漏れる。リエナは、かつて魔法学院で共に学んだ旧友だ。根暗なエルシリアとは正反対のような性格で、明るくて誰にでも優しくて、困っている人を見ると放っておけない。圧倒的にエルシリアの方が魔法の才能はあったが、人を愛する心なら、彼女の方が上だった。
昔、彼女に言われたことを思い出す。
『エルシリアはすごいね。私はエルシリアみたいにはなれないよ』
『どうして? 私は、リエナの方がすごいと思うけれど』
『だってエルシリアは、世界を救う魔法を作れるでしょう? 私は目の前の一人を助けることしかできないから、大勢の人を救えるエルシリアが羨ましいな』
笑いながら話していた彼女の声を、今でも覚えている。あんなに優しくて、人を愛していた彼女が今、処刑台に繋がれていることが理解できなかった。
「『赤月の魔女』の罪状を読み上げる! 王都の井戸に毒を流し、民を病に伏させた罪! 市場の穀物を腐らせ、飢えを招いた罪! 貴族の屋敷に忍び込み、家を荒らした罪! 王族所有の宝物を盗み、魔法に寄り王国を侮辱した罪!」
あり得ない。リエナがそんなことをするはずがない。彼女は、人の笑顔を見るために魔法を使うような子だった。だが、誰も彼女の罪を疑うことはない。
「ほら見ろ、やっぱり魔女は信用できない」
「あいつは最初から怪しかったからな! 泣いて許されると思うな!」
「魔女なんてみんな同じだ。親切そうな顔をしていても、裏では何をしているか分からない」
「さっさと燃やせ!」
「国に災いを呼び込む前に殺せ!」
罵声、怒号、飛び交う石。リエナが血を流すと、人々は笑う。
「散々人を騙して善人ぶっていた奴は、さっさと消えてしまえ!」
「今まで生きていたこと自体が間違いだったんだ!」
エルシリアが握った手が震える。リエナは顔を伏せ、涙を流していた。それを見た瞬間、彼女の中で何かがぷちんと切れる。
「……もう、見ていられないわ」
彼女の声は、風邪に溶けるほど小さかった。
その直後、広場の中央で、耳をつんざくような爆発音が響いた。轟音と共に白い煙が一気に噴き上がり、見物していた人々の悲鳴が重なる。
「な、何だ!?」「魔法か!?」「逃げろ!」
広場は一瞬で混乱に吞まれた。民衆は我先にと逃げ出し、兵士たちは剣に手をかけている。その隙を逃さず、エルシリアはローブを翻して煙の中を滑るように進んだ。
処刑台の上では、リエナが縄で縛られたまま、目を見開いていた。突然の爆発に怯え、何が起きたのかを理解できずにいるようだ。
「大丈夫よ」
エルシリアは優しい声でリエナに話しかけると、彼女はびくりと肩を震わせた。
「……誰?」
「今、説明している暇はないわ」
エルシリアは片膝をついて、リエナの手首を縛る縄に手を当てる。縄を断ち切って、次いで足首の拘束もほどいていく。それを見たリエナは息を呑んだ。
「あなたは……魔女なの?」
その問いは震えていた。恐怖と、助けられたことへの戸惑いが混ざっているようだ。エルシリアはじっと彼女の瞳を見つめる。その表情は怯えで満ちていて、頬は痩せている。こんな子を、人々は殺そうとしていたのだ。
「残念ながら、そうなの」
エルシリアが自嘲気味に言ったその時、兵士の一人が煙の向こうで叫んだ。
「いたぞ! 処刑台だ!」「逃すな!」
舌打ちをしたい衝動を押さえながら立ち上がって、リエナの前に身を屈める。
「立てる?」
「……っ、はい」
声はかすれていたが、リエナは必死に頷いた。エルシリアは彼女の手をしっかりと握り、空いている方の手を振る。すると処刑台の階段の下に灰色の霧が広がって、兵士たちの視界を覆った。足元を惑わせる簡単な幻惑だが、逃げる時間を稼ぐには十分だ。
リエナの手は冷たく、震えている。足元はふらついていて、何度も転びそうになるたびにエルシリアが肩を支えた。
「ごめんなさい……私、足が……」
「謝らなくていいわ。生きているだけで、十分よ」
その言葉に、リエナははっとしたように顔を上げた。エルシリアは彼女に微笑みかけながら、少しだけ背後を見る。
獲物がいなくなった処刑台では、松明の炎が燃え盛っていた。




