第4話 魔女であることの罪
始まりは、小さな事件だった。
王家に代々伝わる首飾り。魔力を宿した美しい宝石が付いた、王族の証とも言われる大切な品が、王女の部屋から消えたのだ。当然王城は騒然となり、犯人探しが行われた。
そして数日後に、一人の魔女が捕らえられた。彼女は魔法を使って城へ侵入し、首飾りを盗んだことを認めた。十分な証拠があり、彼女の家から王女の首飾りも見つかったらしい。
しかし、事件が解決してそれで終わり、ということにはならなかった。
——魔女が、王家の宝を盗んだ。
この出来事は、やがて人々の怒りと憎悪を沸き立てることになる。
「やっぱり魔女は信用できない」
「魔女なんてみんな同じだ。ろくでもない考えを持っているに違いない」
「魔女という存在そのものが我々に害を及ぼすんだ」
そしてそれらの考えは、瞬く間に王都中に広がった。
◇ ◇ ◇
その日、エレノアは研究塔の一室でいつものように薬草の調合をしていた。ここは、彼女に与えられた研究室である。仮にも宮廷魔術師として認められ、魔術研究を担っている以上、最低限の待遇はあった。もっとも、この身分がどれほど脆いものかを彼女は知っている。
魔女が大きな罪を犯したという話は当然彼女の耳にも入っている。この後に何が起こるのか、彼女は大まかに予想していた。昔から何度か経験したことだ。魔女の誰かが魔法を悪用したり間違いを犯したりすると、そのたびに「魔女」という存在そのものが疑われる。
彼女が深々と息を吐いたその時だった。扉が、乱暴に押し開かれた。
「『銀月の魔女』!」
怒鳴り声と共に、数人の騎士が研究室へ踏み込んでくる。エルシリアは手を止めて、騎士らに目だけを向ける。
「……何の用ですか」
先頭に立っていた男は、彼女を一瞥すると鼻で笑った。
「王命だ。お前には、ただちにこの研究室を明け渡してもらう」
男の言い方には、命令を伝える者としての威厳ではなく、ただ彼女を見下していると分かる不快さだけがある。しかしエルシリアは、男の言葉に特に驚くことはなかった。
「王命が出た理由を聞いても?」
「魔女が王家の宝を盗んだからだ」
「……それに私は一切関わっていません」
彼女の返答に、騎士は肩を竦める。
「お前が関わっているか関わっていないかはどうでもいい。お前のような魔女が、王都のすぐ傍に研究室を与えられていること自体が問題なのだ。民が不安に思うだろう」
吐き捨てるような男の言葉に、エルシリアは瞬きをした。宮廷魔術師として、様々な罵倒を受けながらも王都の防衛や魔術の研究に尽くしてきた。それでも、結局はこの扱いだ。
怒りよりも先に、胸の奥に小さな痛みが走る。その痛みに気付かないようにして、彼女は笑った。そんな彼女を訝しむように見た騎士は、言葉を続ける。
「さっさと荷物をまとめろ。ここはもうお前の居場所ではない」
その言い方があまりにも露骨で、初めから彼女を追い出したくて仕方がなかったのだろうということがよく分かる。
別の騎士が、机の上の魔導書を乱暴に指で弾いた。
「こんなものも持っていく気か?」
「勝手に触らないでください」
エルシリアが言うが、男は聞き流す。
「魔女の道具なんぞ、どうせろくなものじゃない。王都に災いを呼ぶ前に出ていけ。お前みたいな危険な女が、これ以上ここにいることは許されない」
その声には、嫌悪と侮蔑が混じっていた。エルシリアは、机の上に置いていた薬草の束をそっと手に取る。
騎士たちは、彼女が怒鳴り返すとでも思っていたのだろうか。淡々と荷物をまとめ始める彼女の様子を見て、気に入らないとでも言うかのように先頭の騎士が舌打ちをする。
「さっさとまとめろ」
「聞こえていますよ。それに、急かされるほどの荷物はありません」
「減らず口を」
男は苛立ったように吐き捨てた。そして、扉に向けて顎をしゃくる。
「これは王命だからな。逆らえば不敬罪だと思え」
王命。その言葉だけを盾にして、彼らはここまで傲慢になれるのか。エルシリアは、彼らに気づかれないように少しだけ目を伏せる。
壁棚を見ていた騎士の一人が口を開いた。
「随分と物を溜め込んだものだな。魔女らしい」
「……これはすべて研究資料です」
「魔女が何を集めているのかに興味はない」
反論すると、乱暴に言い捨てられる。また別の騎士は、実験台の上にある試薬瓶を指で弄んでいた。瓶が揺れて、危うく倒れかけている。
「危ないのでやめてください」
エルシリアが言うと、男は嗤った。
「危ない? 危険なものを置いておくなど、やはり魔女は信用できん」
その一言に、彼女は一瞬動きを止めた。その言葉を反芻するように目を瞑り、そしてゆっくりと息を吐く。
「……分かりました。荷物をまとめるので、一旦出てください」
彼女の声は静かだった。静かすぎて、かえって不気味なほどに。騎士たちは鼻を鳴らし、部屋を出て行った。
一人残されたエルシリアは、魔導書を胸の前で抱える。この部屋にあるもののほとんどは、王国の安全や発展のために必要だったもの。それらにはもう、価値を見出せそうになかった。
彼女が研究室を後にすると、待っていた騎士らは満足げに頷いた。
「ほら、さっさとしろ。王都から出る準備もしておけ」
「二度と面倒を起こすなよ」
彼らの言葉を聞きながら、エルシリアは何も言わなかった。彼らの態度は最後まで変わることはない。彼女を追い出すことを当然の権利だと思っており、今まで王都を護ってきた彼女に対して礼の一つも言わない。そして、彼女はもうこういう扱いに慣れ過ぎていたから。
「……そうですか」
ただ、一言だけを返した。
王都を出る日。エルシリアが手に持っていた荷物は、長年使ってきた愛用の魔導書たった一つだった。一応研究室から持ち出しておいた実験器具等はすべて置いてきた。もう必要ないから。
生まれてからずっと過ごしてきた王都。しかし門を出る時に彼女を待っていたのは、穏やかな別れではなかった。
「魔女が出ていくぞ!」
「これでやっと王都が綺麗になる! 二度と戻ってくるな!」
「疫病を撒いたのもお前じゃないのか!」
浴びせられる、怒りや憎悪に満ちた声。エルシリアはただ黙って歩いた。反論しても意味はなく、説明しても届かない。人は信じたいものしか信じないのだから、魔女の言葉は雑音に過ぎないのだろう。
一つの石が彼女に向かって飛んでくる。頬に当たって、小さな痛みが走った。
「……」
エルシリアは足を止め、頬に手を当てた。すると、周囲から笑い声が上がる。
「痛いのか? 魔女でも血は流れるんだな」
「人の皮を被った化け物め」
彼女が反撃してこないことに味を占めたのか、次々と石が飛んできた。肩や腕、背中に鋭い石が当たる。皮膚が裂けて血が流れても、エルシリアは何も言わず、身を守ろうともしない。
悲しくはない。慣れているから。……そう思おうとしたけれど、少しだけ胸が痛む。
石を投げている人々の中には、彼女が救った人間も多くいるだろう。救ったはずの人間から、これほどの悪意を向けられている。
「……仕方ないか」
エルシリアは小さく呟き、そしてまっすぐと前を向いて歩き出した。
◇ ◇ ◇
王都から少し離れた木深い森。この場所には魔物も多く生息するので、人が寄り付かない。
エルシリアはそこに小さな小屋を作った。せっせと木を集め、魔法で加工し、数日かけて完成させる。小屋自体はとても質素であり、他には小さな暖炉と薬草を育てる庭を作った。
「悪くないわね」
彼女は椅子に座って、窓の外を見る。森は穏やかだ。誰も彼女を恐れることはなく、誰も彼女を疑うこともない。鳥の声や風の音が柔らかく小屋を包み込んでくれる。
その日の夜、エルシリアは暖炉の前で一冊の日記を開いた。
『王都から追放された』
一行を書き始め、次に何を書くかを考え、筆を動かす。
『でも、特に困ってはいない。むしろ、静かで王都よりも快適なくらいだ』
そこで一度筆が止まった。本当は、少しだけ寂しくて悲しいけれど、もう慣れてしまったことだから。それに、彼女が寂しいと言っても、誰も魔女である彼女の傍にはいてくれないだろう。
彼女は首を振って雑念を払い、文字を書き進めた。
『人は私を必要としない。ならば、私も人に期待することはしない』
『そう遠くない未来に、自分達の選択を省みたらいいわ』




