第3話 魔女と騎士の出会い(2)
また別の日の夜。エルシリアは、ようやく片付けた魔物氾濫の跡地を背に、人気のない街道を歩いていた。魔物氾濫とは、暴走して危険度が上がった状態の魔物の群れのことである。本来ならば騎士団が総出で対処する規模であったが、彼女が先回りして魔物の魔核を断ち、群れの中心にいた上位種を消し飛ばしたため、被害はほとんど出ていない。村へ向かう途中の荷車が襲われてひっくり返っていたくらいだ。ちなみに彼女が駆けつけるのが間に合ったため、商人は無事であった(恐怖からか、気を失ってはいたが)。ついでに荷車も直してあげておいた。
「……疲れた」
小さく呟きながら、エルシリアは肩を回す。こうして誰にも知られないように魔物を討伐するのは何回目だろうか。誰にも感謝されないことには慣れているし、そもそも感謝されないように動いているのは彼女だ。そう思いながら歩いていた時。
「——待て」
背後から、一度聞いたことのある声が聞こえてきた。エルシリアの足がぴたりと止まる。ものすごく、嫌な予感がした。振り返るまでもなく、その声の主が誰か分かってしまったから。
「んげ」
恐る恐る振り返ると、思わず情けない声が漏れた。そこに立っていたのはやはり、以前結界を修繕しているところを見られた騎士だ。黒い髪に宝石のような蒼い瞳。まっすぐと彼女を射抜く視線。今回は、前よりもずっと警戒が強いように見える。
「またお前か」
「また、とは失礼ですね。私がどこにいようと勝手でしょう」
そう言いながら、彼女は踵を返す。これ以上尋問されてはたまったものではないと思い、全力でこの場を脱しようとした。しかし。
「甘い」
気づいた時には腕を取られていた。騎士は一瞬で彼女と距離を詰め、そのまま彼女の両腕を背中側に回し、拘束したのだ。
「ちょ、ちょっと。放してください」
抵抗すると、ぐい、と力を込められる。エルシリアは思わず息を呑んだ。片手で押さえられているだけなので簡単に解けそうだと思っていた拘束だが、思っていたよりもがっちりとしている。逃げようとすればそのまま地面に組み伏せられそうだと分かるほどに容赦がない。
「……っ」
「今度は何をした」
騎士の声は低い。エルシリアを疑っているというよりは、確信に近い響きを帯びていた。
「王都の外れの膨大な魔力反応が消滅した。しかも見てみれば、魔物の群れが壊滅しているではないか」
「…………」
「お前が関わっているな」
エルシリアはそっぽを向いた。完全に気配を消していたつもりだったのに、魔物を倒しきって気を抜いてしまったのだ。まさかこの騎士が、こんな王都の外れまで来るとは思わなかった。後をつけていたのかとも考えたが、それは流石に偶然だろう。何にせよ、この状況は最悪だ。
「……私はただの通りすがりの街人です」
「嘘を付くな。以前は魔女だと言っていただろう。それに、逃げようとするということは、何かやましいことがあるのではないのか?」
「それは……」
言葉に詰まる。腕を押さえる騎士の手の力が少し強まった。逃がしてくれる気はないらしい。魔法で強引に逃げようと思えばできるが、次に会う可能性が捨てきれない以上最善の策とは言えないだろう。
エルシリアは観念して、深々とため息を吐いた。
「……分かりました。話しますよ。ですから一旦これ解いてくれませんか?」
「最初から言えばよいものを……」
「言いたくなかったのですよ。面倒なことになるのは分かっていますから」
騎士は何も言わず、黙って彼女の腕を解放した。腕をさすりながら、ちらりと彼の顔を窺う。相変わらず真っ直ぐと彼女の目を見つめている彼の無言の圧力に耐え切れず、エルシリアは視線を泳がせながらしぶしぶ口を開いた。
「魔物氾濫が起こっていたので、倒しました」
彼の眉がわずかに動く。
「一人でか」
「はい」
「証拠は?」
「魔物氾濫が起こっていたということを知っていることが証明になるのではないでしょうか。あなたは魔物が壊滅したということをご存じなのでしょう?」
魔物は死ぬと塵となって消滅するが、魔力反応や戦闘痕によって魔物がいたかどうかを判断することはできるはずだ。騎士は短く息を吐いて、彼女の顔をじっと見つめる。
「お前は、どうしてそんなことをしている」
「そんなこと、とは?」
「今回の件も、前回の件も。お前は誰にも知られぬように動いていただろう。どうして隠れているのだ」
彼の声は少し硬い。誰だって彼と同じように思うだろう。自分が成したことを人に知られたいと思うのが当然の心理だ。
「……別に、大した理由ではありませんよ」
「大した理由がないのに、魔物氾濫を一人で片づけるなどといった危険を冒すのか? 尋常な考えだと思えないな」
「ええ。私は普通じゃありませんし」
「だが、何故……」
彼はそこで言葉を切った。エルシリアは目を伏せる。また怪しい奴だと断じられると思ったが、次に発せられた彼の声には、意外にも呆れに近いものを含んでいた。
「……お前は、何者なんだ」
「ただの魔女ですよ」
「ただの、ではないだろう。お前の力は一般の魔術師よりも遥かに強いようだからな」
エルシリアは口を尖らせる。
「ではあなたは、私のことを何だと思うのですか」
「知らん。だが、怪しいのは確かだ」
「それはその通りですね」
あっさりと認めると、騎士はますます怪訝そうな顔をした。
「……本当に、お前が一人で魔物氾濫を止めたのか」
「そうです。一応」
「何故だ」
簡潔な問いに、エルシリアは少し黙った。夜風が二人の間を抜ける。遠くから、狼のものだと思われる遠吠えが聞こえてくる。
やがて彼女は、観念したように小さく肩を落とした。
「……放っておくと、人が死ぬので」
小さく呟く。彼女の言葉を聞いた後、騎士はしばらく何も言わずに、静かに彼女を見下ろしていた。その沈黙が妙に長く感じられ、居心地が悪くてそわそわしてしまう。
「次に何かをする時には、騎士団に知らせろ」
「嫌ですよ。それだけは嫌です。絶対に嫌です」
「……何故そこまで嫌なんだ」
エルシリアは視線を逸らした。
「面倒ですし、知らせたところでどうせ誰も私の言葉なんて信じないでしょうから」
思わず口に出すと、彼の目がわずかに見開かれる。彼女はそれを見て、余計なことを言ってしまったことに気付いた。しかし出してしまった言葉はもう戻らない。
「……そうか」
彼は短く言い、ようやくエルシリアから視線を離した。何かを考えているようだが、何を考えているのか彼女には分からない。
「次にお前に会った時には、もっと詳しい話を聞かせてもらう」
「ええ……。聞かないでください」
「必ず聞かせてもらう」
「嫌ですって。しつこい人は嫌われますよ」
「ふ。その程度の言葉で俺が怯むとでも?」
その返しに、エルシリアは思わず目を丸くした。そして、ほんの少し口元を緩める。
「あなたは変な人ですね」
「誉め言葉として受け取っておこう」
「どう捉えたら誉め言葉だと思うのですか……」
そんなやり取りの後、エルシリアはようやく踵を返した。これ以上ここにいると、また何か面倒なことになりそうだと思ったからだ。
「では、失礼します」
「待て」
「まだ何か?」
彼女が怪訝な顔をして振り返ると、騎士は変わらず彼女をまっすぐと見つめたまま言った。
「お前の名を教えてほしい。次に会った時、呼べるようにしておきたい」
エルシリアは瞬きながら黙る。それから、困ったように笑った。
「会う前提なのですね。ですが秘密です。教えてあげません」
彼女は軽く手を振り、そのまま夜の闇に姿を消した。騎士は彼女の背を見送りながら、しばらくその場から動かなかった。




