第1話 魔女が夢を抱いた理由
エルシリアが初めて魔法を使ったのは、三歳の春のことだった。
庭に咲いていた今にも枯れてしまいそうな花。せっかく冬を越せたのに、誰からも見向きされなくなった小さな白い花に、彼女は小さな手を伸ばした。
「……かわいそうに」
幼い少女は、ただそう思った。誰にも見られていなくて、誰からも期待されていない花。だけどこの花は、まだ生きたいと思っていた。
少女は願った。どうか元気になって、と。
すると、淡い光が庭を包んだ。次の瞬間には、枯れていた花は他のどの花よりも美しく咲き誇っていた。
これが、彼女と魔法の始まりだった。しかし彼女に魔法の才能があると分かっても、誰も喜ぶことはなかった。
「……気味が悪い」
少女の実の母親は、彼女の手を見つめながらそう言った。
「三歳でこれほどの魔力……普通ではありません」
「まさか、魔女の血が?」
父親の声には、愛情ではなく恐怖が混ざるようになった。まだ幼かったエルシリアは、その日から自分を見る周囲の目が変わったことに気づかなかった。
十歳になる頃には、エルシリアの才能は王都中に知られていた。魔法学院史上最高の魔力量を所持し、千年に一人が得ると言われるほどの魔法適正を持ち、失われた古代魔法すらも再現できる知識を持つ。誰もが称賛するはずの実力を持っているにも関わらず、彼女を襲ったのは冷たい罵声だった。
「子どものくせに生意気だ」「どうせ禁忌魔法にでも手を出すんだろう」「力を持ち過ぎた人間は不幸を呼ぶ」
責められるというよりは、恐れられることの方が多かった。教師たちは彼女を腫れ物のように扱い、同年代の子どもたちのほとんどは彼女と距離を取った。
誰かに魔法を教えれば、「いつかその力で人を傷つける」と言われた。誰かを助ければ、「何か裏があるに違いない」と言われた。何もしなければ、「役立たずの魔女」と言われた。
何をしても、何かをしていなくても、エルシリアは疑いの目を向けられ続けた。それでも、彼女は人のことを嫌いになれなかったのだ。
「困っている人がいるなら助けるべき」
彼女が『魔女』であると分かってからも、彼女に優しくしてくれた唯一の存在であった亡き祖母から、そう教えられてきたから。
そのため、彼女は十六歳の時に、王都を襲った大規模な疫病を治療してみせた。
原因不明の病と言われ、治療魔法が効果を発揮せずに多くの人々が倒れていた。王宮魔術師たちですら匙を投げた病を、エルシリアは三日で解明した。新しい治療魔法を構築し、薬を調合し、夜も眠らずに患者の元へ通った。彼女によって多くの命が救われ、誰もが彼女に感謝する。
……ということはなく。
「お前が原因ではないのか?」
最初に言われた言葉が、これだった。何を言われたのか理解できなかったエルシリアは目を瞬くことしかできなかった。
「こんなに都合よく病が治るなんておかしい」
「魔女が病を広げて、自分で治しただけでは?」
「恩を売って、いずれ国を支配するつもりかもしれない」
彼女に救われたはずの人々も、彼女を疑った。堪え切れなかった彼女は必死に弁明しようとした。
「違います。私はただ……」
「黙れ」
一人の男が吐き捨てるように言った。
「魔女の言葉など信用できるか」
この時から既に、エルシリアの中では何かが壊れてしまったのかもしれない。
十七歳の時には、魔王が復活する兆候を誰よりも早く察知した。古代文献を読み漁り、魔力の流れや大地の異変などを分析して確信を抱き、王国へ報告した。しかし、返ってきた答えは「不安を煽るな」という言葉だけ。
「また魔女の戯言か」
「王国を混乱させたいのか?」
「自分の力を誇示したいだけだろう」
エルシリアは反論せずに黙った。何度説明しても、必死に証明しても、誰も信じてくれない。彼女の上辺だけの力を見て恐れ、彼女の心を見ようとしない。
その日の夜、エルシリアは誰もいない場所で一人涙を流した。
「……どうして。私は、ただ守りたいだけなのに」
夜空へ問いかけても、当然答える者はいなかった。彼女はとにかく泣いた。悔しくて、何度も何度も胸の奥を掻きむしられるような感覚を味わった。
しかし涙が尽きた頃には、不思議と頭が冴えていた。
「……ああ、そう。そういうことね」
ぽつり、と誰もいない場所で彼女の声だけが響いた。
誰も信じようとしない。誰も認めようとしない。誰も彼女の言葉を真っ直ぐに受け取ろうとしない。ならば、もう期待するだけ無駄だ。
エルシリアの心が変わったのはこの時からだったのだろう。侮辱されても以前ほど傷つかなくなり、直接罵倒されても肩を竦めて笑える。「魔女のくせに」と吐き捨てられても、むしろそれを利用してやろうと思えるようになった。
死を恐れなくなったのも、その頃だった。どうせこの世界は、彼女が生きているうちは誰も彼女を見ようとしないのだから執着する意味はない。せっかくなら、死ぬことを利用してやればいいと、少しだけ意地の悪い考えも芽生えた。
「いいわよ。そこまで言うなら、魔女らしく死んでやる」
生きている間に理解されなくてもいい。しかし何も残さず殺されるのは腹立たしい。そう思い始めた彼女は、日記を書き始めることにした。
『もし、私が死んだ後にこれを読んでくれる人がいるなら、どうか最後まで読んでください』
最初のページにはこう記した。誰かに助けを求めるための言葉ではなく、ただ未来に向けて挑戦状を送るのみ。
今は笑っていればいい。今は好きに罵ればいい。最後に笑うのは、自分なのだから。




