プロローグ
鐘の音が鳴っていた。
王都の中心にある大広場にて。普段ならば賑やかな声で満ちているその場所は、今は異様な静けさに包まれている。集まった人々の視線の先にあるのは、高い位置にある処刑台だ。その場所では、今までに何人もの罪人が処されてきた。そして今日、新たな罪人が一人裁かれる。
——『銀月の魔女』。世界を滅ぼそうとした悪しき魔女。数多の厄災を招いた元凶。人々を欺き、大勢を殺めた怪物。
そんな数多の二つ名を持つ最悪の魔女は、ゆっくりと処刑台に向かって歩いていた。その両手足には魔力を封じる枷が、首元には罪人であることを示す黒い首輪が付けられている。
普通の人間であれば、訪れる死に怯え恐怖に震えるだろう。泣き叫び、命乞いをする者もいる。しかし、魔女は笑っていた。
「……何がおかしい」
隣を歩く騎士が、不快そうに呟いた。彼もまた、魔女を憎んでいる一人である。幼い頃から、魔女は災いを呼ぶ存在だと聞かされてきた。その中でも『銀月の魔女』は、多くの人間を苦しめてきた悪魔であると。
この魔女は、なぜ死を前にして笑っているのか。彼には理解することができなかった。
「いえ。おかしいわけではありません」
魔女は首を横に振る。腰まで伸びた銀色の髪が、日に照らされて淡く輝いた。その灰色の瞳は美しいが、どこか虚無を宿している。魔女は目の前の群衆ではなく、もっと遠い場所を見ているようだった。
「少し、嬉しくて」
その言葉に、騎士は眉を顰めた。
「今から処刑されるというのに?」
「ええ。だって、私の夢が叶う日ですから」
騎士は言葉を失った。魔女の言葉が聞こえたらしい周囲の民衆からも、ざわめきが起こる。
「頭がおかしいのか」「やはり狂った魔女だ」「死を恐れないなんて……」
嫌悪や怨嗟の視線が向けられても、魔女は一切気にする様子を見せない。むしろ、どこか満足そうに微笑んだ。
——そうだ、これでいい。これで、すべてが予定通りに終わる。
自分が死ぬ日。自分という存在が消える日。それは、自分が初めて正しく評価される一歩である。
人間とは不思議な生き物だ。生きている英雄には疑いの目を向ける。力ある者を恐れ、才能ある者を妬むくせに、死んだ英雄には惜しみなく称賛を送る。失われた才能を惜しみ、かつての過ちを悔いる。
だからこそ、彼女は決めたのだ。自分は、生きている間に理解されなくてもいい。自分が死んだ後、何年かかってもいいから、誰か一人でも「彼女は偉大だった」と言ってくれるなら、それでいい。
「魔女エルシリア」
高台から声が響く。国王直属の裁判官であるらしい。
「お前は国を混沌に陥れ、多くの人々を虐殺し恐怖に陥れた」
淡々と罪状が読み上げられる。その間も、魔女は穏やかな笑みを絶やすことはない。
「最後に何か言い残すことはあるか」
裁判官の問いに、広場が静まり返った。誰もが、魔女の断末魔や怨嗟の言葉を期待しているのだろう。民衆の視線を受けた魔女は、小さく笑った。
「ええ。言いたいことはたくさんありますが……」
彼女は空を見上げた。それにつられた人々も顔を上げる。雲一つない青空は、魔女の死を歓迎しているかのように澄んでいる。
「あなたたちは、この選択を後悔してくださいね」
誰も、彼女の言葉の意味を理解することができなかった。民衆は嘲笑し、騎士たちは呆れ、裁判官は首を振った。
炎が高く舞い上がる。
「私はやっと——偉大な魔女になれる」
灰が空に昇る。悪しき魔女が消えた、と人々は歓声を上げた。
この日、世界で最も偉大な魔女が死んだということを知る者は、どの程度いたのだろうか。
読んでくださりありがとうございます!
彼女らの物語を見届けていただけると幸いです。




