第14話 傷ついた魔女(2)
「……慣れていらっしゃるのですね」
「何度か手当の経験があるからだろう」
そう言いながら、彼は布を新しいものに替えた。傷口付近の血を拭う時には、傷に触れないように神経を尖らせてくれているのが分かる。彼女が痛みを感じてうめき声を上げると、すぐに彼の手は止まった。
「痛むか」
「……少し」
「今は我慢してくれ」
冷たい言葉のように聞こえるが、彼の動きは先程よりも更に優しくなった。
足元まで拭われると、ようやく自分がどれほど汚れていたのかを知った。血だけではなく、汗や灰などがこびりついていたのだろう。エリアスはそれらを一つずつ落としてくれている。
その横顔があまりにも真剣で、エルシリアは何も言えずにただされるがままになっていた。
「こんな風になるまで、何をしたんだ」
眉を寄せながら呟いた彼の言葉に、彼女は答えない。彼はそれを責めることなく、最後にもう一度額を拭うと、少し乱暴に息を吐いた。そして、静かに口を開く。
「……王都近郊の街が壊滅したそうだ。魔女が人々を皆殺しにした、と」
エルシリアは目を閉じる。騎士ならばその話を知っていて当然だ。そして彼は、その「魔女」が誰を指しているのかに気づいているのだろう。
「君がそんなことをするはずがない」
熱で曖昧な意識の中でも、彼の言葉ははっきりと届いた。
「……違うなら、違うと言え」
「言いましたよ。ですが、誰も信じようとしませんでした」
かすれた声で言うと、エリアスは拳を強く握った。
「俺は、君を信じる」
「……ありがとうございます。そう言っていただけるだけで、十分です」
そう言って微笑むと、彼は黙り込んだ。怒りを飲み込むように、歯を噛みしめているのが分かる。しかし彼は、それ以上は何も追及してこなかった。
彼は汚れた布を新しいものへ替えながら言う。
「……そうか。君が話したくないのなら、それでいい。寝て、早く治せ」
その言葉に、エルシリアは思わず笑った。
「それは、命令ですか?」
「ああ。騎士命令だ」
笑い声が漏れる。自然な笑みを浮かべることができた。彼女の笑い声を聞いたからか、エリアスの肩から力が抜けたのが分かった。彼はそれを悟られたくないのか、すぐに顔を背ける。
「……飲み水はどこにある」
「そちらの棚に置いてあります」
彼は立ち上がって水差しを取り、杯へ注いだ。手際はお世辞にも器用であるとは言えない。水をこぼして小さく舌打ちをして、それでも黙って作業を続けている。その一つひとつに彼の真面目な性格が表れているようで、エルシリアはぼんやりと彼を見つめた。
エルシリアは彼に支えられながら、上半身を起こす。
「ほら、飲め」
「ありがとうございます」
優しく杯を差し出されたので、唇を寄せると彼はそっと杯を傾けた。喉を通る水は、乾いた身体に染み渡るようである。彼女がむせないように、彼は片手で背を支えたまま、飲み終えるのを待ってくれていた。
「もう少し飲めるか」
「はい」
彼女が頷くと、彼は再び杯を傾ける。こぼれた雫を指で拭いとる仕草は、慣れていないと伝わってくるけれどとても丁寧で、心が温かくなった。
「エリアスは……こういうことも、できるのですね。意外です」
「失礼だな」
そう言いながらも、彼は口元を緩めていた。そんな彼を見ていると、彼女もつられて笑みを浮かべる。
「エリアス。ありがとうございます」
心からの感謝を伝えると、彼は目を逸らして小さく喉を鳴らした。微かに頬が赤らんでいるような気がする。
「俺は、君に礼を言われるようなことはしていない。君がこのような傷を負う前に、君を助けられたら良かったのだが……」
苦しそうに言った彼に対し、エルシリアは首を横に振った。
「今、こうしてお傍にいてくださるだけで、十分です」
笑みを浮かべると、彼は黙り込んでしまった。そしてのそのそと彼女から離れると、寝台の脇に椅子を引き寄せてそこに腰を下ろした。
「……帰らないのですか? お仕事の方は……」
「こんな状態の君を置いて、帰るわけがないだろう」
あまりにも迷いがないので、エルシリアは目を丸くした。そして、笑みをこぼす。
未だに身体は怠く頭も痛むが、一人でいる時よりも遥かに楽になっていた。エリアスがそこにいてくれるからだろうか。彼がいるだけで、彼女の心は穏やかに凪いでいく。
やがて、彼女の意識はゆっくりと沈み始めた。瞼を半分閉じている彼女を見て、彼は言う。
「……俺は、君のそばにいる。だから……」
彼はそこで言葉を切り、少し視線を逸らした。
「死なないでくれ」
エルシリアは、熱で霞む視界の中で彼を見た。真面目で、少し不器用で、いつもまっすぐな人。彼と出会ってから、彼女の心は大きく変わった。
「……努力しますね」
「信用ならんな」
少し、彼の口元が緩んだ。ほんのわずかな変化だが、確かに笑っている。その笑顔を目に焼き付けてから、エルシリアは目を閉じた。
眠りに落ちる直前、彼の手が額に触れたのを感じる。優しいその手を感じると、どうしようもなく泣きそうになってしまう。
この人と、これ以上親密な仲になってはいけない。自分は魔女で、彼は騎士なのだから、自分と関わることで彼も不幸になってしまうかもしれないのだから。
そう分かっているのに、彼と共にいる日々が増えるたびに、彼との時間が愛おしいものになってしまう。
この夜だけでもいい。どうかこの人が、そばにいれくれますように。




