第9話 騎士の正義(1)
ここ数か月で、王都の空気が変わっている。
以前から魔女という存在は恐れられていた。強大な魔力を持ち、一般人には理解できない術を使用し、長い歴史の中で数々の厄災を引き起こしてきたと語られている。それらの噂は、人々の中に漠然とした不安を残していたことは事実だ。
しかし、最近のそれはもはや不安とはいえなかった。この国を取り巻く環境は年々悪くなっている。不作や魔物の増加、物価の高騰などの影響で、人々の暮らしには余裕がなくなっている。だからこそ生まれたのが、魔女に対する恐怖、そして——憎悪。
「魔女を捕えろ」
「魔法を使う者を監視しろ」
「怪しい者は王都から追放するべきだ」
そのような声は日に日に大きくなっている。きっかけは、王女の首飾り盗難事件や、その後に続いた魔女による犯罪の数々だ。本当に罪を犯し、魔法を悪用した魔女もいる。しかしそれはほんの一部である。にもかかわらず、人々は一括りにした。
攻撃対象は、魔女、魔術師、魔力を持つ者。
魔法で作られた薬を売る店に石が投げ込まれた。杖を持っているだけの老人が罵声を浴びせられた。子どもたちは「魔法を使う者には近づくな」と言い聞かせられた。
そうした空気は日常の中に広がっていく。誰かが誰かを疑い、誰かが誰かを告げ口し、昨日まで笑って隣にいた者が、翌日には監視の対象になる。
その中心で、『赤月の魔女』の処刑を阻害した魔女の存在が、悪の象徴として語られ始めていた。
◇ ◇ ◇
「また異動ですか」
騎士団の一室にて、エリアス・レインは目の前の書類を見つめていた。そこに描かれている名前は、彼もよく知る騎士の名前である。
「辺境警備隊への配属だ」
「本人の希望ではないようですね」
彼がそう言うと、上司は沈黙を選んだ。それが答えであるようなものだ。
エリアスは拳を握りしめる。最近、こういったことが増えた。魔女狩りに反対する者や過剰な取り締まりに異議を唱えた者、証拠のない逮捕を拒否した者たちは、次々と表舞台から消えていく。表向きは適材適所だとか地方の人員不足だとか本人の希望による異動だとか言われているが、騎士として長く王城にいる彼には分かる。これは、上層の人間にとって邪魔な存在が掃除されているだけだ。
騎士団の中枢部は、今や完全に腐りきっている。
魔女関連の報告は妙に早く承認され、逆に慎重な調査を求める申請は、理由もなく差し戻される。現場で見た事実よりも、上層部からの言葉が優先されるようになっていた。さらに誰の言葉であるかも曖昧なままに、命令だけが降りてくる。そしてその命令に逆らった者から順に、遠い土地へ飛ばされる。
辺境や港町、山岳の警備。人員が少ないから、などと名目は立派だ。だが実際には、王都から邪魔な存在を追いやるための口実に過ぎない。
「……随分と分かりやすいな」
「何か言ったか?」
「いいえ」
エリアスは書類を閉じた。
以前の彼なら、騎士団の圧に呑まれて魔女という存在をもっと疑っていたかもしれない。しかし今は違う。あの森の小屋にいる、一人の女性を知ってしまったから。
王城の結界を誰にも知られないように修復していた。魔物から子どもを救った。病を治す薬を作っていた。そして彼女は、それらを誇ることすらしなかった。
広まっている魔女の噂の出所を辿れば、いつも同じだ。魔女を王都から排除したい者、真実を調べられると困る者、魔女を口実に権力を固めたい者。魔女が本当に危険かどうかなど、彼らにはどうだっていいのだろう。ただ重要なのは、民衆を怯えさせるための分かりやすい敵だけ。
「……」
エリアスは窓の外に目を向ける。最近、王都周辺で噂されている存在がいる。処刑されるはずだった魔女を救った犯罪者だ。多くの人間達は、新たな危険な魔女が現れたと恐れている。
恐らく、その魔女というのは彼女のことだろう。彼女が何を考えて行動しているのか、全てを理解できたわけではない。だが少なくとも、彼女が人を傷つけるために力を使うようなものではないということは確かだ。それは、誰よりも理解しているという自信がある。
だからこそ、余計に腹が立つ。彼女のような者を守るためにあるはずの騎士団が、今は彼女を追い詰める側に回っている。現場で魔物と戦う者よりも、傲慢に椅子に座り命令を作る者の声の方が大きい。民を守るための組織のはずが、いつの間にか組織にとって都合の悪い真実を隠すためのものに成り果てている。
このままでは、消される対象は幅広くなるだろう。ちょっとした証言や疑問を持つ者、そして真実を見た者は、順番に潰されるに違いない。
誰もこの現状に声を上げない。上げれば、次は自分が飛ばされるからだ。家族がいる者は黙り、昇進を望む者も黙る。目を逸らしてやり過ごす者ばかりが残り、正直者が消されていく。
「……」
彼もまたその一人であることを痛いほど実感している。その痛みから目を逸らすように、机に置かれた別の書類に目を落とした。
ある巡回報告である。そこには、王都近郊で起きた小さな異変がいくつも並んでいた。結界の微細な乱れや魔物の出現頻度の増加、薬草の採取地での異常な枯れ。だが、どれも「問題なし」と押し切られている。この報告は、「魔女による犯行」へと改ざんされてしまうのだろう。
報告を握り潰した者は、何事もなかったような顔をして、救世主のふりをして民の前に立つのだろう。
腐っていると思うたびに、エリアスは奥歯を噛みしめた。怒りと同時に、彼の脳裏には別の顔が浮かぶ。森の小屋で、丁寧に薬草を束ねていた女。自分のことを語る時には、少し視線を落とす魔女。誰にも知られずに人々を救い続けているあの人。
彼女はきっと、この騎士団の実情を見ても、怒るよりも先に悲しむのだろう。それが苦しいから、なおさら守りたいのだ。




