第8話:裏社会の影と、新たな役職
翌朝。オフィスは始業前から異様な空気に包まれていた。
「……というわけで、一身上の都合により、本日付けで退職することになった。短い間だったが、皆、世話になったな」
顔面を土気色にし、目の下に濃い隈を作った課長が、フロアの中央でボソボソと退職の挨拶をしていた。
当然の結果だ。会社の経費を長年にわたって巧妙に横領していた決定的な証拠を突きつけられ、昨晩のうちに泣きながら辞表を出さざるを得なかったのだから。
「ええっ、課長が突然!? 一体どうして……」
「何かヤバい不祥事でも起こしたんじゃないの?」
「昨日、豪徳寺不動産の社長も急に辞任したってニュースになってたし、絶対何かあるわよ……」
ざわめき、ヒソヒソと噂話に花を咲かせる社内をよそに、俺は自分のデスクで涼しい顔をしてブラックコーヒーを飲んでいた。
その後、役員会議を終えた部長から正式なアナウンスがあった。
進行中だった豪徳寺不動産との大型プロジェクトは、急遽、俺――冴島宗一が「プロジェクトリーダー(課長代理)」として引き継ぐことになったのだ。
昨日、豪徳寺との契約条件を、自社に圧倒的有利な内容でまとめ上げた(正確には強引に承諾させた)手腕が高く評価された形である。
「結衣くん。君には今後、俺の専属アシスタントとして動いてもらう。頼めるか?」
「はいっ! 私でよければ、精一杯頑張ります!」
周囲の社員たちは「あの窓際族の冴島さんが、いきなり課長代理!?」と驚愕の視線を向けてきたが、実力を見せつければいずれ黙るだろう。
大賢者の演算能力と現代のITツールを組み合わせれば、この程度のプロジェクトなど、数日で終わらせることができる。
◇ ◇ ◇
数日後。
俺の目論見通り、プロジェクトは【思考加速】と【未来予測】を用いた完璧な市場戦略により、前代未聞の莫大な利益を叩き出していた。
結衣も俺の指示の意図を的確に汲み取り、優秀な右腕として目覚ましいスピードで急成長している。
「ふぅ……今日も完璧な仕事でしたね、冴島さん! 先方の役員も大絶賛でしたよ!」
「ああ、ご苦労だった。少し遅くなってしまったな。今日はタクシーで帰るといい。経費で落としておく」
すっかり日が落ちた夜の八時。残業を終え、オフィスビルのエントランスを出たところで結衣と別れる。
しかし、タクシーに乗り込む彼女の背中を見送った直後、俺の脳内に展開し続けていた『索敵魔法』が、けたたましく危険を告げた。
(……結衣の乗った車の周囲に、複数の敵対反応。先日の尾行の連中か!)
俺はすぐさま【情報解析】で得ていた豪徳寺不動産の裏の顔を思い出した。
あの会社は、ただの悪徳不動産ではなかった。裏で『半グレ』と呼ばれる反社会的勢力と深く繋がり、彼らの非合法な資金洗浄の窓口として機能していたのだ。
俺が豪徳寺のトップを潰し、不正な資金ルートを完全に断ち切ったことで、莫大なシノギを失った裏社会の連中が報復に動いたらしい。
そして、彼らはあろうことか、ターゲットを俺ではなく、俺の身近で一番の弱者である「結衣」に定めたのだ。
「……愚かな。大賢者の逆鱗に触れるとはな」
怒りで視界が冷たく研ぎ澄まされていく。俺はネクタイを少し緩めると、監視カメラの死角となる誰もいない暗い路地裏へと足を踏み入れた。
「車で移動しているとはいえ、この程度の近距離なら、今の肉体でも反動による負荷は少ないだろう」
深く息を吸い込み、魔力回路に強大なエネルギーを強制的に通す。
足元に青白い魔法陣が展開され、路地裏の空気がビリビリと静電気を帯びたように震え始めた。
「――【空間転移】」
俺の姿は夜の闇に溶け、一瞬にして結衣の現在地へと跳躍した。
裏社会のクズどもに、文字通り「次元の違う」恐怖を教えてやるために。




