第23話:崩れ去る虚栄。武闘派英雄たちのヤケクソの突撃
数十センチの厚みを持つ鋼鉄の城門が、ただ手を触れられただけでサラサラと砂に変わり、風に吹かれて消え去った。
その光景を城壁の上から見下ろしていた英雄たちは、もはや言葉を発することすらできず、全身の毛穴から脂汗を吹き出させて立ち尽くしていた。
「あ、あぁ……」
勇者アレンの喉から、情けない呻き声が漏れる。
彼らが絶対の自信を持っていた数万の王国軍。精鋭の重装歩兵も、宮廷魔術師団も、一滴の血も流すことなく、たった数秒で全員が地面に這いつくばらされた。
軍隊という「壁」を失った今、大賢者と彼らを隔てるものは何一つない。
砂塵が舞う中、崩れ去った城門の跡から、漆黒の魔導ローブを纏った青年がゆっくりと王都の内側へと足を踏み入れてきた。
その顔は26歳まで若返り、見慣れない異国のスーツを着ている。だが、あの見下すような冷たい眼差しと、周囲の空間そのものを歪ませるほどの圧倒的な魔力の圧力は、彼らが誰よりもよく知る「大賢者」のそれだった。
「……待たせましたね。さあ、最高の『宴(処刑)』を始めようか」
俺の低く静かな声が、城壁の上の彼らの耳元で直接囁かれたかのように響く。
「ひぃぃっ!?」
「く、来るな! 悪魔め! 近づくんじゃないわよォォォッ!!」
精霊使いの女、エリスが半狂乱になって絶叫し、その両手から巨大な炎の竜巻を発生させた。
彼女は俺の姿を見ることすら耐えられず、眼下の俺に向けて、城壁の上からその炎の竜巻を全力で叩き落としてきた。
「エリス、やめろ! 単独で魔法を撃つな!!」
黒魔術師モルガンが制止するのも聞かず、エリスの放った炎の竜巻は、周囲の石畳をドロドロに溶かしながら俺の頭上へと迫る。
精霊の加護を受けた、国宝級の魔力を込めた極大炎魔法。直撃すれば、人間など一瞬で炭化する熱量だ。
だが、俺はポケットに手を入れたまま、頭上に迫る炎の竜巻を退屈そうに見上げた。
「……火遊びが好きなら、自分の家でやりなさい」
俺が視線を向け、軽く【空間固定】の意志を込めた瞬間。
俺の頭上数メートルの空間で、荒れ狂っていた巨大な炎の竜巻が、まるで映像を一時停止したかのようにピタリと空中で静止した。
「え……?」
「な、なんで……! 私の炎が、止まって……ッ!」
エリスが信じられないというように目を見開く。
俺は小さくため息をつき、静止した炎の竜巻に向かって、ふぅ、と軽く息を吹きかけた。
「【魔力還元】」
シュゥゥゥゥ……ッ。
巨大な炎の竜巻は、俺の吐息に吹き消されるロウソクの火のように、シュルシュルと音を立てて手のひらサイズの小さな火の粉にまで縮小し、そのままパチンと弾けて消滅してしまった。
「あ、あぁ……嘘でしょ? 私の最強の精霊魔法が、ため息で……?」
「お前の精霊魔法は、魔力の出力調整が絶望的に下手だった。だから俺が、常に背後で指向性を絞り、威力を収束させる補助をかけていたんだよ。俺のサポートがなければ、お前の魔法などただのライターの火だ」
「ヒィッ……!」
冷酷な事実を突きつけられ、エリスは腰を抜かして城壁の床にへたり込んだ。
「エリス! 怯むな!! 相手は魔法使いだ、距離を詰めれば魔力障壁ごと物理で叩き割れる!!」
エリスの無様な姿を見て、ようやく正気(という名の狂気)を取り戻した竜騎士バルトが怒号を上げた。
彼は背中に背負っていた巨大な竜槍を抜き放ち、城壁の上から眼下の俺に向けて、数十メートルの高さを直接飛び降りてきた。
「死ねェェェッ! 賢者ァァァッ!!」
落下の勢いと、竜騎士特有の全体重を乗せた必殺の急降下突き。
その矛先は、真っ直ぐに俺の脳天を捉えていた。同時に、横方向からは分厚い筋肉の鎧を纏った【拳闘士】ガルドが、城壁を駆け下りて音速のラッシュを仕掛けてくる。
「もらったァ! 魔力障壁を張る隙など与えん!!」
上空からは竜騎士の必殺の槍。側面からは拳闘士の音速の拳。
魔法使いにとって、詠唱する隙も与えられない至近距離での同時物理攻撃は、通常なら死を意味する。彼らも過去に、この連携で数々の魔将を屠ってきたという絶対の自信があった。
――だが、それはあくまで「この世界の常識に縛られた魔法使い」の話だ。
俺はポケットに手を入れたまま、上空から迫るバルトの槍先をチラリと一瞥した。
「【重力反転】」
俺の周囲の空間だけ、重力のベクトルが「下」から「上」へと完全に逆転する。
凄まじい勢いで降下してきていたバルトは、俺の頭上数メートルの空間に突入した瞬間、まるで目に見えない巨大なトランポリンに激突したかのように空中で「ビターン!」と跳ね返された。
「ぐはァッ!?」
そのまま、バルトは自分の落下の勢いと反転した重力の相乗効果により、空の彼方へ向けてロケットのように打ち上げられてしまった。
「バルトォォォッ!?」
側面から迫っていた拳闘士ガルドが、上空へ消えていくバルトの姿にギョッとして動きを止める。
だが、彼はすぐに気を取り直し、俺の顔面に向けて岩をも砕く拳を乱打してきた。
「よそ見するな! 俺の拳は音をも置き去りにするぞ!! オラオラオラオラァァァッ!!」
一秒間に数十発。空気を引き裂き、衝撃波を生み出すほどの音速のラッシュ。
確かに、生身の人間が放つ打撃としては見事な速度だ。
だが、大賢者の【思考加速】と【動体視力】をフル稼働させている俺の目には、彼の拳の軌道はまるでハイスピードカメラで撮影されたスローモーション映像のように、退屈なほどゆっくりと見えていた。
俺はポケットに左手を入れたまま、右手だけを出し、ガルドの放つ全ての拳を、手のひらで軽く「パシン、パチン」とはたき落としていく。
「なっ……!? バカな、俺の音速の拳が、片手で、しかも完全に防がれているだと!?」
「音速? 笑わせるな。現代日本の戦闘機はマッハ2で空を飛ぶ。……それに比べて、お前の拳の初速はマッハ0.8程度だ。止まって見える」
俺の現代物理学を用いた冷酷な分析に、ガルドは顔を真っ赤にしてさらに拳の速度を上げようとする。
俺は小さくあくびを噛み殺し、彼の渾身の右ストレートの軌道に合わせて、右手の中指と親指で輪を作った。
「お前が前衛でタンクとして立ち回れたのも、俺が常に【物理耐性強化】と【動体視力ブースト】のバフをかけ続けていたからだ。本来のお前は、ただの筋肉ダルマに過ぎない。……身の程を知れ」
パチンッ。
俺の指先が、迫るガルドの拳の表面を軽く弾く(デコピンする)。
そこに込められた極小の『空間圧縮爆発』が、ガルドの拳に触れた瞬間、凄まじい衝撃波を発生させた。
「ガギァァァァァァァァッ!!!!」
ガルドの右腕の骨が、指先から肩の関節までメキメキと音を立てて粉砕され、彼は悲鳴を上げながら数十メートル後方へと錐揉み回転しながら吹き飛んでいった。
そして、城壁の堅牢な石積みに激突し、血を吐いてそのまま白目を剥いて気絶する。
「あ……あぁ……っ」
城壁の上でその一部始終を見ていたアレンとモルガン、そしてエリスは、絶望に顔を歪めて後退った。
彼らが「自分たちの実力だ」と思い上がっていた武力と魔法。
それが、俺という存在の前では、文字通り児戯にも等しいものでしかなかったという現実。
俺が背後で支え、必死に彼らを「英雄」に仕立て上げていたのだ。
その支えを失った彼らが、本気の大賢者に勝てる道理など、天地がひっくり返っても存在しない。
「……さて。次は誰の番ですか?」
俺が冷酷な視線を城壁の上に向けると、彼らは恐怖で喉を引き攣らせた。
だが、その時。
「……退け、お前たち」
絶望に支配された城壁の上で、ただ一人、静かに前に進み出た男がいた。
腰に帯びた長剣をゆっくりと抜き放ち、俺を見下ろす男。
かつて、この王国で俺に次ぐ実力者と言われ、その剣術の才だけで英雄の座を勝ち取った男――【剣聖】ライオネルだ。
彼は脂汗を流し、手が震えているのを必死に隠しながら、俺に向けて剣の切っ先を向けた。
「貴様の魔法が、規格外であることは認めてやる。……だが、俺の剣は、この5年間でさらに鋭く、さらに重く研ぎ澄まされた。貴様の小賢しい魔力障壁ごと、この俺の『最強の剣撃』で両断してくれる!!」
ライオネルの全身から、凄まじい闘気が立ち昇る。
彼が構えた剣の周囲の空気が歪み、空間そのものを切り裂かんとするような鋭い殺気が俺へと向けられた。
「ふむ。5年間、酒と女に溺れていた割には、少しはマシな闘気を練れるようになったようですね」
俺はポケットに両手を入れたまま、退屈そうに彼を見上げた。
剣聖の誇る、空間すら両断するという究極の奥義。
「いいでしょう。ならば、その『最強』とやらを、正面から受け止めてあげましょう。……来なさい、ライオネル」
大賢者の底知れない余裕の前に、剣聖ライオネルの決死の剣撃が、今まさに放たれようとしていた。




