第24話:剣聖の堕落。失われた刃と「指二本」の真剣白刃取り
城壁の崩れ去った瓦礫の上。
竜騎士バルトが空の彼方へ消え、拳闘士ガルドが右腕を粉砕されて気絶する中。
ただ一人、大賢者である俺の前に立ちはだかった男がいた。
かつてこのグランツヴァル王国において、純粋な剣術の才だけで英雄の座まで登り詰めた孤高の剣士――【剣聖】ライオネル。
「……ふむ。5年間、酒と女に溺れていた割には、少しはマシな闘気を練れるようになったようですね」
俺はポケットに両手を入れたまま、退屈そうに彼を見上げた。
「ほざけ。俺の剣は、この5年間でさらに鋭く、重く研ぎ澄まされた。貴様の小賢しい魔力障壁ごと、この俺の『最強の剣撃』で両断してくれる!!」
ライオネルの全身から、青白い凄まじい闘気が立ち昇る。
彼が両手で構えた国宝級の魔剣『グラム』の周囲で空気が陽炎のように歪み、空間そのものを切り裂かんとするような鋭利な殺気が、俺の肌をチリチリと刺した。
ライオネルの剣の才能は、間違いなく「本物」だった。
魔王討伐の旅の序盤、彼の振るう剣は淀みがなく、風のように軽やかで、水のように澄み切っていた。俺も純粋に彼の剣技を美しいと思い、前衛として頼りにしていた。
だが、過酷な魔王軍の幹部たちとの戦闘を重ねるにつれ、彼は「ただの剣術(物理)」の限界に直面した。どれほど技術を磨こうと、巨大な魔獣の鱗は斬れず、広範囲の魔法攻撃には太刀打ちできない。
そのたびに俺が魔法で彼を強化し、敵の防御を削り、彼がトドメを刺すという構図ができあがっていった。
『なぜ、剣を振るうことしかできない俺は、後方で杖を振るっている貴様より弱いのだ……!』
いつしか、彼は俺の規格外の力に強烈な劣等感を抱くようになった。
そして、純粋な剣の道を究めることを放棄し、国宝の魔剣の威力と、俺のかけるバフ(強化魔法)の力に溺れるようになってしまったのだ。
あの日、彼が勇者の暗殺計画を黙認したのは、その耐え難い劣等感から逃れるためだったのだろう。
「いいでしょう。ならば、その魔剣に頼り切った『最強』とやらを、正面から受け止めてあげましょう。……来なさい、ライオネル」
俺の底知れない余裕に満ちた挑発に、ライオネルの顔が怒りと屈辱で赤黒く染まった。
「舐めるなァァァッ!! 賢者ァァァァァッ!!」
ドンッ!! と、城壁の石組みが爆発したかのような轟音が響いた。
ライオネルの姿がブレて消えた。
彼が放った神速の踏み込みが、俺の肉眼の処理速度を超えたのだ。
『剣聖奥義・絶空の刃』
それは、音速すら超える踏み込みから放たれる、文字通り空間の次元ごと標的を両断する必殺の一撃。
城壁の上の勇者アレンや黒魔術師モルガンすら、その剣閃の圧倒的な威力に一瞬だけ希望を見出した。
(いける! あの魔剣グラムの力と剣聖の奥義なら、どれほどの魔力障壁だろうと紙切れのように切り裂けるはずだ!)
だが。
彼らのその希望は、あまりにも残酷な現実の前に、コンマ一秒で粉砕されることになる。
「……力任せの、鈍い剣だ」
俺の目は、ハイスピードカメラのように彼の動きを完璧に捉えていた。
大賢者の【思考加速】と【動体視力超強化】の前に、音速程度の踏み込みなど止まって見える。
ギィィィィィィィィンッ!!!!!!
城壁の上に、鼓膜を破るような金属の激突音が響き渡った。
凄まじい衝撃波が周囲に吹き荒れ、城壁の石の床がメキメキとひび割れて陥没する。
砂塵が舞い散る中、アレンたちは固唾を飲んでその結果を凝視した。
「ば、馬鹿な……ッ!?」
土煙が晴れた先で、ライオネルが驚愕のあまり目を剥き出しにし、ワナワナと全身を震わせていた。
彼が全身全霊を込めて振り下ろした、魔剣グラムによる最強の奥義。
それが、俺の頭上わずか数センチの位置で、ピタリと静止していた。
俺は左手をポケットに入れたまま、右手の「人差し指と中指の二本」だけで、ライオネルの剣の腹を挟み込むようにして受け止めていたのだ。
「あ、あぁ……? 剣が……動か、ない……?」
ライオネルが顔を真っ赤にして腕に血管を浮き上がらせ、渾身の力で剣を押し込もうとする。だが、俺の二本の指に挟まれた魔剣は、万力で固定されたようにミリ単位すら動かない。
「魔力障壁ごと両断する、と言いましたね」
「なっ……!?」
俺は指先で剣を挟んだまま、冷酷な目でライオネルを見つめた。
「確かに、お前の持つその魔剣の『空間を切り裂く特性』は、単なる魔力の壁なら容易く貫通したでしょう。……だから俺は、壁を張るのをやめた」
「じゃあ、なぜ……素手で、俺の魔剣が……っ!」
「簡単な物理学ですよ。お前が剣を振り下ろす『運動エネルギー』と全く同じ強さの『逆方向のエネルギー』を、指先に集中させた魔力でぶつけ、相殺しただけです」
「……は?」
「つまり、俺は魔法の盾で防いだのではなく、お前の全力の剣撃を、ただ『素の筋力(魔法強化済み)』で受け止めたということです。……お前が頼り切っているその魔剣の威力は、俺の指二本分の筋力と等しい」
「あ、アァァァ……ッ!!」
その言葉の真意を理解した瞬間、ライオネルの目から光が消え、絶望のあまり口から涎が垂れた。
魔力を持たない彼が、唯一大賢者に勝っていると信じていた「物理的な破壊力」。それが、魔法使いであるはずの相手の指二本に完全に抑え込まれたのだ。
これ以上の屈辱があるだろうか。
「ライオネル。お前の剣の才能は、確かに本物だった」
俺は剣を指で挟んだまま、ライオネルに死刑宣告を下した。
「旅の序盤、お前の振るう剣はもっと速く、鋭く、そして美しかった。もしあの頃のお前が、純粋に剣の道だけを極めてこの一撃を放っていたなら、俺もこれほど容易く白刃取りなどできなかったかもしれない」
「え……?」
俺の言葉に、ライオネルがハッとして顔を上げる。
「だが、お前は魔法の力や巨大な魔獣の力に圧倒され、自分の剣の限界に絶望した。そして努力を放棄し、俺のかけるバフ魔法と、その魔剣グラムの『力任せの破壊力』に溺れてしまったんだ」
「ち、違う……! 俺は……!」
「お前が魔将を斬れたのは、魔剣の暴走する威力を俺が背後で制御し、お前の肉体が耐えられるように強化していたからだ。……己の技を磨くことを忘れ、武器の威力に振り回されているだけの今の鈍い剣など、俺には絶対に届かない」
俺は指先に込めた魔力の性質を、防御から『破壊』へと切り替えた。
「俺のサポートを失い、剣士としての魂まで腐らせたお前の剣は……こんなにも脆い」
パキッ。
俺が指先に軽く力を込めた瞬間。
国宝級の強度を誇るはずの魔剣グラムの刀身に、蜘蛛の巣のような無数の亀裂が走った。
「や、やめろ……! 俺の、俺の剣がァァァッ!!」
ライオネルが悲鳴を上げた時には、遅かった。
パァァァンッ!!
まるで薄いガラス細工を叩き割ったかのように、魔剣グラムは俺の指先から粉々に砕け散り、銀色の破片となって空中に四散した。
「ア、アアアァァァァァァッ!!!」
手元に折れた柄だけを残されたライオネルは、自身の魂そのものを砕かれたかのような絶叫を上げ、そのまま膝から崩れ落ちた。
自分の剣技を信じられなくなり、力に溺れた結果、その力すらも通じずに全てを失った。
「俺の……俺の剣が……俺の、全てが……」
彼は虚ろな目で宙を見つめ、ガクッと力なくうなだれた。
もはや彼から、闘気はおろか生きる気力すら感じられない。
彼は物理的に殺されるよりも残酷な、剣士としての『完全な死』を与えられたのだ。
俺は折れた剣の破片を踏み越え、地に這いつくばるライオネルの横を通り過ぎた。
残るは、城壁の上でその一部始終を震えながら見下ろしていた、二人だけ。
「……さて。前衛の物理職は、これで全滅ですね」
俺の視線の先。
そこには、恐怖で杖を取り落としそうになっている【黒魔術師】モルガンと、あまりの絶望に足がすくみ、聖剣を杖代わりにしてようやく立っている【勇者】アレンの姿があった。
「モルガン。アレン。……次はどちらが、俺を楽しませてくれますか?」
大賢者の冷酷な微笑みが、残された二人の英雄の心臓を鷲掴みにした。




