第21話:宣戦布告。数万の王国軍と、単騎の大賢者
グランツヴァル王都、王城の最上階。
円卓の会議室では、飛竜騎士団を別世界(現代日本)へと送り出した竜騎士バルトが、勝利の美酒を味わうべく高価なワインを傾けていた。
「がはははっ! 今頃、あの幻術士が隠れ潜んでいる別世界の街は、俺の飛竜どものブレスで一面の火の海になっている頃だ! どんなに強力な魔術師だろうと、守るべき拠点を無差別に焼かれれば必ず隙を見せる!」
「ああ。奴が絶望と怒りで我を忘れて飛び出してきたところを、我々が総力を挙げて叩き潰せばいい。……5年前のあの日のように、な」
勇者アレンもまた、安堵と傲慢さが入り混じった笑みを浮かべて頷いた。
彼らにとって、自分たちの保身のために見知らぬ世界の数百万人の命を焼き払うことなど、靴の裏の泥を落とす程度の認識でしかない。
大賢者の生存という恐怖から逃れるためなら、いかなる非道な手段も正当化されると信じて疑わなかった。
だが、その下劣な祝杯は、バンッ! という扉の激しい破壊音によって無残に打ち砕かれた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
会議室に転がり込んできたのは、別世界への侵攻部隊の指揮を執っていた飛竜騎士団の部隊長だった。
だが、その姿は出撃時の勇ましいものとは似ても似つかない。
全身の鎧は恐怖の汗と失禁で濡れそぼり、目を見開き、口から泡を吹きながら、まるで悪魔から逃げ惑うように床を這いずり回っている。
「な、何事だ!? 部隊長、なぜ貴様一人だけが戻ってきた! 他の飛竜どもはどうした!!」
バルトが血相を変えて立ち上がり、部隊長の胸ぐらを掴み上げた。
しかし、部隊長は焦点の合わない目を宙に彷徨わせ、ガチガチと歯の根を鳴らしながらうわ言のように繰り返すだけだ。
「消えた……消えた……ッ! 百頭の飛竜が、数秒で……空中でミンチにされて、光の雨でチリ一つ残らず消滅した……ッ!!」
「は……? 何を馬鹿なことを言っている! 幻術でも見せられたか!?」
「バルト、下がれ。こいつの精神は完全に崩壊している」
黒魔術師モルガンが眉をひそめ、部隊長に『精神安定』の魔法をかけようと杖を伸ばした。
――だが、その瞬間。
部隊長の瞳孔がカッ! と見開き、彼の口から、彼自身のものではない『低く、絶対零度に冷え切った別の声』が響き渡った。
『――俺の帰る場所を脅かした罪は、決して死だけでは償わせない。お前らが最も恐れる絶望を与えに、俺が直接そっちへ行ってやる』
「「「なっ……!?」」」
それは、大賢者が部隊長の脳内に【精神刻印】の魔法で焼き付けた、明確な『宣戦布告』のメッセージだった。
その声は、ただの音としてではなく、円卓に座る英雄たちの脳髄を直接鷲掴みにするような、圧倒的な魔力の圧力を伴って会議室を揺らした。
「け、賢者……ッ!! ま、間違いない、あいつの声だ!!」
「ヒィッ! あいつが来る! 本気で、私たちを皆殺しにするために!!」
精霊使いの女が頭を抱えて悲鳴を上げ、剣聖ライオネルすらも顔面を蒼白にして愛剣の柄を握りしめた。
飛竜部隊の全滅。そして、別世界からの宣戦布告。
大賢者がこれまで行ってきた「コンプライアンス監査」のような回りくどい追い詰め方は終わりを告げた。彼は今、紛れもない『殺意』と『絶望』を携えて、この本拠地に直接乗り込んでこようとしているのだ。
「う、動揺するな!!」
勇者アレンが、震える声を必死に張り上げて叫んだ。
「相手はたった一人だ! こちらには王国軍数万の兵力と、俺たち英雄がいる! 王都の正面ゲートに全軍を展開しろ! 奴がどこから現れようと、一歩も中へ入れるな! 王国の全魔術師をもって、迎撃の結界と砲陣を敷けェェェッ!!」
アレンの悲痛な号令により、グランツヴァル王国はかつて魔王軍の総攻撃を受けた時すら凌ぐ、王国史上最大の防衛態勢を敷くこととなった。
たった一人の「かつての仲間」を、この世から完全に消し去るために。
◇ ◇ ◇
王都グランツヴァルの正面を飾る、巨大な城壁と大門。
その外側に広がる広大な平原には、今、地平線を埋め尽くすほどの王国軍が布陣していた。
最前列には、身の丈ほどもある巨大な鋼鉄の盾を構えた重装歩兵が、隙間なく壁を作っている。
その後方には、長槍を構えた数千の騎馬隊。
さらにその後方、城壁のすぐ手前には、宮廷魔術師団が総力を挙げて構築した巨大な魔法陣が浮かび上がり、いつでも数万発の攻撃魔法を放てるよう待機していた。
そして城壁の上からは、勇者アレン、剣聖ライオネル、黒魔術師モルガン、拳闘士、精霊使い、竜騎士バルトという、残る全ての武闘派の英雄たちが、油汗を流しながら平原の先を睨みつけている。
総兵力、実に三万。
空を飛ぶ鳥すらも魔法の結界で撃ち落とされるほどの、異常なまでの過剰防衛である。
「……来るなら来てみろ、賢者。この圧倒的な軍勢の前に、貴様一人で何ができる」
アレンが聖剣の柄を握りしめ、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
どれほど強大な魔法使いであろうと、人間である以上、魔力には限界がある。数万の軍隊の突撃と、絶え間なく降り注ぐ魔法の雨を前にすれば、詠唱する隙すら与えられずに挽肉になるはずだ。
それが、この世界の『戦争』の常識だった。
だが、彼らは致命的に理解していなかった。
彼らがこれから対峙する相手が、この世界の常識など遠く及ばない、現代の科学概念と規格外の魔力を融合させた『理不尽の化身』であることを。
ピキィィィン……ッ。
静まり返った平原の中央。
王国軍の最前列からわずか百メートルほど離れた空間に、突如として一筋の光の亀裂が走った。
「来たぞォォォッ!! 構えろ! 全軍、迎撃態勢ェェェッ!!」
騎士団長が声を裏返して叫び、数万の兵士たちが一斉に武器を構え、盾を打ち鳴らして威嚇の音を鳴らす。
魔法陣が赤や青の危険な光を放ち、いつでも炎や雷を放てるよう臨界状態に達した。
バリィィィィンッ!!!!
空間がガラスのように砕け散り、巨大な光の扉が出現する。
そして、その眩い光の中から、一人の男がゆっくりと、まるで休日の散歩でも楽しむような足取りで歩み出てきた。
現代日本の仕立ての良いネイビースーツの上に、漆黒の魔導ローブを羽織った、26歳の青年。
右手はポケットに突っ込み、その表情は氷のように冷たく、そしてどこまでも静かだった。
「……大、賢者……ッ!」
城壁の上からその姿を確認したアレンの喉が、恐怖でヒュッと鳴った。
若返ってはいるが、間違いない。あの日、自分が背後から刺し殺した男の目だ。
俺は一歩、平原の草を踏みしめ、眼前に広がる数万の軍勢と、城壁の上の裏切り者たちを見上げた。
「……ふむ。随分と派手な歓迎委員ですね。ですが、俺の愛する『帰る場所』を脅かした罪の清算としては、まだスケールが足りない」
俺の低く冷たい声は、拡声魔法も使っていないのに、なぜか平原にいる数万の兵士と城壁の上の英雄たちの耳元に、直接囁かれたかのように響き渡った。
「ひぃっ!?」
「な、なんだあの魔力は……! 息が、息ができないぞ!」
ただそこに立っているだけ。
たったそれだけで、俺の全身から溢れ出す黄金の魔力の波長が、数万の軍勢の士気を一瞬にして押し潰した。
最前列の重装歩兵たちが、あまりのプレッシャーに膝をガクガクと震わせ、重い盾を取り落としそうになる。
宮廷魔術師団が構築していた魔法陣すら、俺の放つ異常な魔力干渉を受けてチカチカと点滅し、不安定な状態に陥っていた。
「う、動揺するな!! 相手はたった一人だ! 魔法部隊、撃てェェェッ!! あの男を跡形もなく消し飛ばせェェェッ!!」
城壁の上から、アレンが半狂乱になって絶叫した。
その命令を合図に、パニックに陥った宮廷魔術師たちが、一斉に攻撃魔法のトリガーを引いた。
ドドォォォォォォンッ!!!!!
空が真っ赤に染まる。
数千人規模の魔術師たちが放つ、炎、氷、雷、岩の巨大な魔法の雨。
それが、平原に立つ俺というたった一つの点に向け、まるで天変地異のような豪雨となって降り注いできた。
直撃すれば、巨大な山ですら消し飛ぶほどの圧倒的な破壊力。王国軍の誰もが、これで終わったと確信した。
だが。俺はポケットに手を入れたまま、頭上に降り注ぐ魔法の雨を退屈そうに見上げた。
「……この程度の花火で、俺を殺せると思ったのか?」
俺は右手をゆっくりと持ち上げ、空に向けて指をパチンと鳴らした。
現代兵器の概念と、大賢者のチート魔法。
数万の軍隊を「死者ゼロ」で完全に無力化する、前代未聞の防衛突破戦が、今、圧倒的なスケールで幕を開けた。




