第11話:絶望のハッキング。大賢者が暴く「5年前の真実」
最強の隠密スキルは見破られ、必殺の毒刃は自身の腕を粉砕し、最後の切り札であった毒霧はただの風で吹き飛ばされた。
薄暗い路地裏で、折れた右手を押さえながら膝から崩れ落ちた暗殺者ゲイルは、目の前に立つ26歳の若造を見上げ、全身をガタガタと震わせていた。
「ヒィッ……あ、あぁ……ッ」
彼の喉から漏れるのは、もはや言葉にもならない恐怖の呻きだった。
暗殺者として数え切れないほどの命を奪ってきたゲイルは、他人が絶望し、命乞いをする姿を山ほど見てきた。だが、いざ自分が「絶対に勝てない理不尽」の前に立たされた時、人間がどれほど無力で惨めな存在に成り下がるかを、今、身をもって思い知らされていた。
「さて。これで手札はすべて切りましたか? 暗殺者殿」
俺が静かに革靴の足音を響かせて一歩を踏み出すと、ゲイルは悲鳴を上げ、無事な左手を使って無様に後ずさりをした。
「ば、バケモンだ……貴様、一体何者なんだ!? ザンクの言っていた通り、悪魔か何かの化身か!?」
「悪魔? 失礼な。俺はただの、日本で働く一般のビジネスパーソンですよ」
俺は冷たい眼差しで地面に這いつくばるゲイルを見下ろし、右手の人差し指を軽く彼の方へ向け、そのまま下へと振り下ろした。
「【重力支配】」
「ガハァッ!?」
瞬間、ゲイルの全身に見えない数百キロの鉛がのしかかった。
彼は防ぐ間もなく、アスファルトの地面に顔面から激しく叩きつけられた。カエルが車に轢かれたような無様な姿勢で四肢を広げられ、ピクリとも動くことができなくなる。
重圧で全身の骨が軋み、彼の口からゴボッと鮮血が吐き出された。
「あ、ぐぁ……! 体が、骨がミシミシと……っ!」
「さあ、ゲイル。少し仕事の話をしましょうか。お前がここ数年、貴族や平民を金で暗殺してきた『裏帳簿』と、顧客の『リスト』はどこに隠してある? それと、お前たち英雄を裏で操り、特権を与えて甘い汁を吸わせている黒幕の正体を教えろ」
俺の事務的な問いかけに、ゲイルは血を吐きながらも、暗殺者としての最後の意地か、あるいは雇い主への恐怖からか、ギリッと歯を食いしばって口を閉ざした。
「ふ、ふん……殺せ。私を殺したところで、この国の闇は消えん……。誰が、喋るものか……ッ!」
「そうですか。なら、無理に喋らなくても結構ですよ」
俺は躊躇なく、冷徹に言い放った。
「俺は現代社会のコンプライアンスと個人情報保護法を遵守する男ですが、相手が裏社会のクズなら話は別だ。……喋らないなら、直接、お前の脳みそからデータを引き抜かせてもらう」
「な、なに……?」
俺は這いつくばって身動きの取れないゲイルの頭部に、そっと右手をかざした。
手から発せられる淡い魔力の光が、ゲイルの頭蓋を透過して脳髄へと直接伸びていく。
「【精神支配】――そして【記憶解析】」
「ア、アァァァァァァァァァッ!!? ギィィィヤアアアァァァッ!!!」
ゲイルの言語に絶する絶叫が、路地裏に響き渡った。
もちろん、周囲には幾重にも【防音結界】を張っているため、この断末魔のような悲鳴が外の通りに漏れることは一切ない。
大賢者の膨大な魔力が、ゲイルの脳細胞の一つ一つに直接侵入し、記憶を司るシナプスを無理やり繋ぎ変え、必要な情報を強制的に『ダウンロード』していく。
異世界の住人であるゲイルにとって、それは文字通り魂をヤスリで削り取られ、頭の中に無数の虫が這い回るような、筆舌に尽くしがたい精神的苦痛だった。
「あ、あああ……やめろ、やめてくれェェ……! 頭が、割れる……ッ!!」
「大人しくしていろ。無駄な抵抗をすれば、脳の回路が焼き切れて廃人になるぞ」
俺は冷徹に告げながら、彼の脳内に蓄積された膨大な記憶のデータフォルダを、現代のハッカーのように高速で検索・閲覧していく。
「……なるほど。見つけたぞ。暗殺の依頼書や裏帳簿の隠し場所は、王都の地下水路の奥にある第三アジト。隠し金庫の罠の解除パスワードは『栄光の光』か。くだらん」
「アァァ……ッ」
「さらに、お前たち10人の英雄を裏で操り、表向きの特権を与えて裏稼業の汚れ仕事をさせている黒幕は……やはり、王族の一部か。第二王子の派閥だな。……王国の腐敗も、ここまで根深いとはな」
次々と俺の脳内に引きずり出される情報の断片。これで、ゲイルを社会的に抹殺し、さらには黒幕である王族を失脚させるためのエビデンスのありかは完全に特定できた。
だが、俺の【記憶解析】はそれだけでは終わらない。
もっとも重要な、俺自身に関する「5年前の記憶」の深層ファイルへと、さらに深くダイブしていく。
「……さて。本題はここからだ、ゲイル」
「ヒィィ……! もう、やめてくれ……! 何もかも、話す……!」
「5年前。魔王討伐の凱旋の日。お前は俺の背後にはいなかったな。……だが、俺を殺す計画については、当然一枚噛んでいて、全てを知っていたはずだ」
俺がその記憶の扉を魔力でこじ開けると、ゲイルの脳裏に焼き付いていた「あの日の光景」が、俺の視界にも鮮明な映像としてフラッシュバックした。
◇ ◇ ◇
――視界に広がるのは、王城のバルコニー。
眼下には、魔王討伐の偉業を成し遂げた俺たち英雄パーティを称える、数万の民衆の歓声が地鳴りのように響き渡っていた。
ゲイルの視界(記憶)は、バルコニーの少し奥まった暗がりに位置している。
そしてその先には、民衆に手を振る一人の男の背中があった。
大賢者であった俺の背中だ。
ゲイルの記憶の中の俺は、仲間たちを立てるために一歩下がり、穏やかな笑みを浮かべていた。
そして、その俺の背後に、音もなく忍び寄る一つの影があった。
眩いばかりの純白の鎧を身に纏い、手には魔王を討ち果たしたとされる『聖剣』を握った男。
光り輝く金髪と、誰もが憧れる端正な顔立ち。
かつて共に笑い、魔王から世界を救うと誓い合ったリーダー。
――【勇者】だ。
ゲイルの記憶の映像の中で、勇者の顔は、民衆に見せる爽やかな英雄の顔ではなかった。
それは、どす黒い「嫉妬」と、地位を独占しようとする「強欲」に醜く歪んだ、悪魔のような表情だった。
『お前がいる限り……俺は、永遠に二番目の英雄だ。消えろ、賢者』
勇者の口元がそう動き、次の瞬間。
彼の手にある聖剣が、何の躊躇いもなく、無防備な大賢者(俺)の背中から心臓を貫いたのだ。
ズブゥッ!!
俺の体が崩れ落ちる。その鮮血が純白のバルコニーの床を赤く染める。
ゲイルはそれを影から冷静に見届けていた。彼は勇者から事前に「後始末」を依頼されていたのだ。賢者の血の痕跡を拭い去り、魔王の残党による暗殺だったというアリバイ工作を完璧にこなすために。
◇ ◇ ◇
「…………」
俺は静かに手を離し、【記憶解析】の魔法を解除した。
頭を鷲掴みにしていた激痛から解放されたゲイルは、白目を剥いて痙攣し、口から大量の涎を垂らしながら荒い息を吐いていた。
「そうか。……やはり、一番の目立ちたがり屋で、一番強欲で、一番実力のなかったあの男が実行犯か」
勇者。
戦闘では常に俺が【絶対防御】や【筋力超強化】のバフをかけ、彼が派手に剣を振るう舞台を整えてやっていた。彼が民衆からチヤホヤされるのを、俺は裏方として微笑ましく見守っていたつもりだった。
だが、あの男の矮小なプライドは、魔王討伐という最大の偉業において「自分が賢者のサポートなしでは何もできなかった」という事実を、どうしても許容できなかったのだ。
自分が真の、唯一絶対の英雄として王国の権力を握るために。俺という存在は、邪魔でしかなかったということだ。
俺の胸の奥底で、静かに、だが決して消えることのない冷たい怒りの炎が再び燃え上がった。
「ゲ、ゲホッ……ハァ……ハァ……」
地面で痙攣していたゲイルが、焦点の合わない目を必死に動かし、俺の顔を見上げた。
脳髄を直接弄られた影響で、彼の思考回路はズタズタになっていたが、それでも暗殺者としての本能が、今更になって「ある事実」に気づかせたようだ。
俺が放つ、底知れない冷酷な魔力の波長。
そして何より、先程ゲイルの脳内から「5年前の凱旋の日の記憶」をピンポイントで引きずり出し、まるで自分のことのように怒りを露わにしたこの若造の振る舞い。
「お、お前……まさか……その魔力、その目……。あの時、死んだはずの……」
ゲイルの喉がヒュッと鳴り、絶望に満ちた掠れ声が漏れた。
「気づくのが遅いですよ、ゲイル。お前たちは、本当に俺がいなければ何もできない烏合の衆だったな」
俺はスーツのポケットから手を出さず、氷のように冷たい声で見下ろした。
その見下すような絶対的な強者の視線は、かつて彼らが頼り切り、そして恐れていた「あの男」と完全に一致していた。
「け、賢、者……ッ!! バカな、ありえない! お前はあの時、確実に心臓を貫かれて……ヒィィィィッ!!」
死んだはずの大賢者が、全盛期の姿で若返り、現代の未知の力と圧倒的な魔法を持って復讐に現れた。
その絶対的な真実を完全に理解したゲイルは、限界を超えた恐怖に正気を保つことができなかった。
「アァァァ! クルナ、コッチヲミルナァァァ!!」
彼は自身の頭を掻きむしりながら発狂したように叫び、そのまま白目を剥いて完全に気絶した。
「これで二人目。……さあ、仕上げと行こうか」
俺は泡を吹いて気を失った暗殺者を見下ろし、現代日本のビジネスで学んだ「もっとも残酷な社会的抹殺」の準備を始めた。
ゲイルの築き上げた裏社会での名声と恐怖を、白日の下に晒し、完膚なきまでに破壊するために。




