第9話:蠢く殺気。大賢者 vs 暗殺者の幕開け
気絶したザンクは、俺が手を下すまでもなく、怒り狂った貴族の私兵たちや王都の衛兵によって乱暴に捕縛され、引きずられていった。
王族や有力な貴族たちを「麻薬漬けの廃人」にしようとしていた罪は、国家反逆罪に等しい。彼の今後の人生は、陽の当たらない冷たく湿った地下牢で、死ぬよりも悲惨な拷問と絶望に満ちたものになるだろう。
「……まずは一人目。ご苦労だったな」
俺は広場の大混乱を背に、【光学迷彩(透明化)】と【気配遮断】の魔法を展開し、誰の目にも留まることなくその場から静かに姿を消した。
騒ぎが収まる前に王都の中心部を離れ、隠れ家で今後の計画を練り直すため、薄暗く人気のない路地裏へと歩を進める。
周囲の景色に溶け込みながら、俺は先程までの「公開処刑」の完璧な手応えを噛み締めていた。
(現代日本の兵器である『録画データ』と、大賢者の『魔法』のハイブリッド戦術。……やはり、この異世界において凶悪なほどの効果を発揮したな)
異世界の住人たちは、自らの目で見たものと、魔法のオーラだけを信じる。言った、言わないの水掛け論になれば、権力を持つ者が勝つのが常識だった。
そこに「改ざん不可能な映像と音声」という現代のエビデンスの概念を持ち込めば、彼らの価値観と権力構造は容易に崩壊する。
王都のインフラと資金源を担っていた錬金術師を潰したことで、英雄たちの組織には間違いなく致命的なヒビが入ったはずだ。
この調子で、残る裏切り者どもも一人残らず、彼らが最も大切にしているものを奪い取り、社会の底辺へと叩き落としてやる。
復讐の第一歩が完璧に成功した充足感を覚えながら、俺は路地裏の奥へと足を踏み入れた。
だが、胸の奥底には、カタルシスと同時にほんのわずかな「虚しさ」のようなものが混じっていたのも事実だ。
かつて背中を預けた仲間を社会的に抹殺し、その無様な姿を冷笑する。それは確かに溜飲が下がる行為だが、同時に俺自身の魂をも少しずつ削り、黒く染め上げているような感覚がある。
俺はスーツのポケットに手を入れ、ひんやりとしたスマートフォンの金属の感触を確かめた。
指紋認証でロックを解除し、ホーム画面をこっそりと見る。
そこには、現代日本のオフィスで、俺に向けて無邪気な笑顔を向ける結衣の写真が設定されていた。
「……帰る場所があるというのは、本当にありがたいことだな」
もし俺が、ただ孤独に殺され、この異世界で蘇っただけの復讐鬼だったなら。ザンクを完膚なきまでに叩き潰したところで、心に空いた大穴が埋まることはなかっただろう。
だが、今の俺には結衣がいる。俺の全てを受け入れ、「絶対帰ってきてね」と送り出してくれた最愛の人が、あの現代日本で俺の帰りを待っている。
だからこそ、俺は自身の心が深い闇に呑まれることなく、極めて冷静に、事務的に、この復讐という名の『害虫駆除』を遂行することができるのだ。
そう考えながら、日も暮れかかった薄暗い路地裏を歩いていた、その時だった。
ブルッ……ブルッ……。
俺のポケットに入っていたスマートフォンの画面が、短く震えた。
上空数千メートルに待機させ、俺の周囲半径十キロの広域警戒に当たらせていたドローンのカメラからの、緊急の警告通知だ。
俺は歩みを止めず、スマホの画面をチラリと確認した。
「……ほう」
ドローンの映像モードは、通常の光学カメラから、生体から発せられる熱を感知する『サーモグラフィー(熱源感知)』に切り替わっている。
そしてその画面には、俯瞰で捉えた王都の路地裏の映像が映し出されていた。
真っ暗な路地裏を歩く俺の背後。
わずか数メートルの距離に、**「真っ赤に光る人型の熱源」**が、まるで俺の影のようにピタリと張り付いているのがハッキリと映し出されていた。
「……やはり、釣れましたね」
俺はスマホの画面を見つめたまま、振り返ることなく小さく呟いた。
俺の背後には、誰もいない。
気配もない。足音もない。殺気も、魔力の残滓すらも、完全に断ち切られている。
光の屈折を利用し、周囲の景色に完全に溶け込む、この異世界グランツヴァルにおいて最高峰とされる究極の『隠密スキル』だ。
王城の広場での大騒ぎを直ちに嗅ぎつけ、ザンクを破滅させた「正体不明の若造(幻術士)」を秘密裏に始末するために派遣されてきたのだろう。
彼もまた、俺を殺した10人の仲間の一人。
裏社会の汚れ仕事を一手に引き受け、自分たちに反対する貴族や平民を闇から闇へ葬り去ってきた、漆黒の刃――【暗殺者】のゲイルだ。
スマホの画面を拡大すると、赤い熱源が建物の屋上から音もなく飛び降り、俺の歩幅に完全に呼吸を合わせながら、背後へと忍び寄ってくる軌跡が克明に記録されていた。
彼は今、自身の誇る最強の隠密スキルで、俺の背後を完全に取ったと確信しているはずだ。
彼の技術は確かにこの世界では群を抜いている。魔王軍の幹部クラスですら、彼の接近に気づく前に首を落とされたことがあった。(もっとも、それは俺がこっそり環境制御のサポート魔法をかけていたからだが、本人は自身の力だと信じて疑っていない)
彼は今、猛毒の塗られた短剣を構え、自分の姿が完全に周囲の暗闇に溶け込んでいるとほくそ笑んでいるはずだ。ターゲットである俺が、何も気づかずにのんきに歩いている無能な魔術師だと見下しながら。
だが、それは彼が「魔法と剣の世界の常識」しか知らないからこその、致命的な勘違いである。
どれほど高度な魔法やスキルで光を屈折させて視覚を誤魔化し、音や魔力の波長を消し去ろうと、人間である以上、生きている限り「体温(熱)」を消すことは絶対にできない。
心臓が動き、血液が体内を巡っている限り、生体は赤外線を放射し続けるのだ。
現代兵器である赤外線センサー(サーモグラフィーカメラ)と、それを脳内でリアルタイムに処理する大賢者の空間把握能力の前では、彼の自慢の隠密スキルなど、真っ暗闇の中でピカピカと光る蛍光塗料を全身に塗って踊っているのと同じくらい「丸見え」なのである。
スマホの画面の中で、赤い熱源(暗殺者ゲイル)が静かに右手を振り上げた。
手には、紫蜘蛛の猛毒が塗られたミスリルの短剣が握られていることだろう。
ターゲットの頸動脈を一撃で切り裂き、即死させるための最短かつ最適な軌道。
その刃が俺の首元へと突き出されようとした、まさにその瞬間。
俺は背を向けたまま、歩みをピタリと止め、氷のように冷たい声で言い放った。
「そこからだと、俺の『魔力障壁』すら抜けませんよ。……暗殺者殿」
「なっ……!?」
誰もいないはずの虚空から、ゲイルの驚愕と動揺に満ちた掠れ声が漏れた。
完璧な奇襲だったはずだ。気配は完全に消していた。ターゲットは振り返りすらしていない。それなのに、なぜ自分の存在が、位置が、そしてこれから放とうとしていた一撃すらも完全に見透かされているのか。
現代の科学の目と、大賢者の絶対的な知覚。
闇に潜むことを生業とし、己の技術に絶対の自信を持っていた暗殺者にとっての「最大の絶望」が、今、薄暗い路地裏で静かに幕を開けようとしていた。




