第4話:窓際族の変貌と、後輩女子のピンチ
「……は? 終わった? 嘘をつくな冴島。たった十五分で終わるわけが――」
俺が提出したデータをモニターで確認した課長の顔は、まさに傑作だった。
最初は「どうせ適当に打ち込んだだけの手抜きだろう」と鼻で笑っていた男が、一文字のミスもなく、完璧にフォーマットが整えられ、さらに分かりやすい分析グラフまで追加された資料を見るなり、カッ! と目を剥いたのだ。
彼は信じられないものを見るように俺とモニターを交互に見比べ、パクパクと水揚げされた魚のように口を動かしていた。
それから数日。
俺の社内での扱いは、明確に、そして劇的に変わり始めていた。
「冴島さん、お忙しいところすみません。このフランス語の契約書なんですが、どうしてもニュアンスが掴めなくて……」
「ああ、少し貸してくれ。……なるほど、ここは現地の法律用語との意訳が間違っているな。正しくはこう解釈すべきだ。ついでに修正案も書いておいた」
「ええっ!? 冴島さん、フランス語の法務文書まで完璧に読めるんですか!?」
「冴島さん、この新規プロジェクトのコンペ企画書、どうすれば通るかアドバイスをいただけませんか?」
「ターゲット層のデータが三年古いな。【情報検索】……いや、ネットの最新トレンドを組み込め。この市場と今の技術動向を掛け合わせれば、確実に役員連中も首を縦に振る」
大賢者である俺にとって、言語の壁など【言語理解】の魔法で一瞬にして消え去る。
それに加え、【思考加速】と【超並列思考】を駆使し、現代のネットワークから最適解を導き出すことなど、簡単なパズルゲームよりも容易かった。
「冴島さんって、あんなに仕事ができる人だったっけ……?」
「病気から復帰してから、人が変わったみたいだよね。声のトーンも落ち着いてるし。それに……なんだかすごく、かっこよくなってない?」
給湯室や廊下ですれ違うたびに、女性社員たちがそんなヒソヒソ話を交わしているのが聞こえてくる。
無理もない。毎日欠かさず『肉体改造魔法』を施しているおかげで、病で痩せ細っていた肉体には適度なしなやかな筋肉がつき、曲がっていた背筋は真っ直ぐに伸びている。肌の血色も良くなり、今の外見年齢は五十代前半から四十代後半ほどの「渋いイケオジ」といったところまで若返っていた。
纏う空気も、かつての冴島のような卑屈さはなく、大賢者としての自信と余裕に満ち溢れている。それが現代の女性の目には、大人の男の魅力として映るらしい。
俺自身は周囲の評価など気にとめず、あくまで現代社会の構造を学ぶための「暇つぶし」として仕事をこなしていた。
そんなある日の午後。俺の隣の席に座る入社三年目の後輩女子、佐々木結衣が、パソコンのモニターを見つめながら深くため息をついているのに気づいた。
「どうした、佐々木くん。顔色が悪いぞ」
「あっ、冴島さん……いえ、なんでもないです。少し寝不足なだけで」
結衣は無理に笑顔を作って誤魔化そうとしたが、すべての事象を見通す大賢者の目は誤魔化せない。
彼女の纏う魔力……いや、生体エネルギーの波長からは、明確な「疲労」と「恐怖」、そして強い「ストレス」の感情が読み取れた。
「……無理をして倒れられては、隣の席で仕事をしている俺の寝覚めが悪い。一人で抱え込まずに言ってみろ。何があった?」
俺が少しだけ凄みを込めて、とはいえ極力優しく低く落ち着いた声でそう問いかけると、結衣は観念したようにポツリポツリと語り始めた。
「実は……今週の金曜日、ウチの重要な取引先である『豪徳寺不動産』の社長の接待があるんです。でも、その社長が……」
結衣の震える声をまとめると、事の顛末はこうだった。
豪徳寺不動産の社長は、業界内でも女癖が極めて悪いことで有名な男らしい。
そして、ウチのあの無能な課長は、なんとしても大口の契約を取るために、若くて容姿の整っている結衣を「お酌係」としてその接待の席に同席させようとしているというのだ。
過去にも同様の接待で、女性社員がセクハラまがいの被害に遭い、会社が取り合ってくれずに泣き寝入りして退職したケースが何件もあるらしい。
「課長に『そういう席には行きたくありません』って断ったんですけど、『これは会社のためだぞ。お前一人で皆のボーナスを吹き飛ばす気か!』って恫喝されて……。私、どうしたらいいか……」
膝の上でギュッと拳を握りしめ、震える結衣の肩を見て、俺は小さく鼻で笑った。
「くだらん。他人の威を借りて立場の弱い者を脅すだけの、ただの小悪党か」
異世界で強大な力を持つ魔族の王や、権力に固執する腐敗した大貴族たちと渡り合ってきた俺からすれば、現代のパワハラ上司など、道端に転がる石ころにも等しい存在だ。
「安心しろ、佐々木くん。その接待、俺も同行しよう」
「えっ? でも、冴島さんは接待のメンバーに呼ばれていませんし、課長が絶対に許さないんじゃ……」
「問題ない。俺に任せておけ」
俺はニヤリと笑い、内ポケットからスマートフォンを取り出した。
大賢者としての圧倒的な魔法の力と、この冴島宗一という男が裏で築き上げた『数十億ドルの資産と人脈』。
この二つを組み合わせれば、現代日本で解決できない問題など存在しない。
俺は、震える後輩を救い、小悪党どもに少しばかり「教育」を施してやることに決めた。




