第38話:地下結界への侵入。大賢者、ため息で呪術を消し飛ばす
東京の地下鉄網のさらに奥深く。光の届かない、カビと鉄錆の匂いが立ち込める漆黒の地底。
俺は複雑に入り組んだ廃棄トンネルの最深部に立ち、コンクリートの壁の奥に隠蔽された「異界への入り口」を静かに見据えていた。
それは、御門一族が何百年という途方もない歳月をかけ、歴代の強力な呪術師たちが呪力を注ぎ込み続け、空間そのものを捻じ曲げて構築したという絶対防壁の多重結界だった。陰と陽の気が複雑に編み込まれ、現代のいかなる兵器をも弾き返す、日本の呪術界における最高到達点の一つ。
「……異世界の魔王軍が国境に敷いた防壁に比べれば、障子紙のように薄いな」
俺はスーツのネクタイを少し緩め、シャツの第一ボタンを開けた。現代の若きエリートビジネスマンとしての仮面を外し、大賢者としての闘気を静かに解放していく。
そして、壁に向かって真っ直ぐに手を伸ばし、空間の「継ぎ目」に指を差し込んだ。魔術による解除手続きなど踏まない。ただ、己の莫大な魔力で空間そのものを鷲掴みにし、まるで古い障子紙を引き裂くように、力任せに「物理的」に引き裂いた。
バリィィィィィンッ!!!!
空間がガラスのようにひび割れ、粉々に砕け散る轟音と共に、結界の内部に隠匿されていた和風の豪奢な大広間が姿を現した。
広間には、黒装束や豪奢な狩衣に身を包んだ数十人の高位呪術師たちが居並び、最奥の上座には一族の長である白髪の老人が鎮座している。
俺が結界を真正面から、しかも力業で破って現れたことに、彼らは一様に顔を引きつらせ、驚愕に目を見開いていた。
「なっ……!? わ、我らが何代にもわたって強固にしてきた絶対防壁を、外から引き裂いただと!?」
「こんばんは。あまりにもしつこく招待状(暗殺者)をいただいたので、正面玄関から直接挨拶に伺いましたよ。冴島宗です」
俺は破れた空間から悠然と足を踏み入れ、スーツの肩に落ちた見えない埃を軽く払った。
大広間の空気は、数百年分の怨念と呪力が澱むように渦巻き、常人であれば足を踏み入れた瞬間に発狂して死に至るほどの瘴気に満ちていた。だが、そんなものは大賢者の纏う極薄の魔力膜の前では、そよ風以下の存在でしかない。
「ええい、狼狽えるな! いかに強力な未知の術者であろうと、我らの結界を破るのに莫大な力を使い果たしたはずだ! 呪殺部隊を退けたとはいえ、ここは我らの本拠地、地の利はこちらにある!」
長の怒号に呼応し、数十人のトップ呪術師たちが一斉に懐から呪符を取り出し、複雑な印を結び始めた。
「死ねェェェッ! 冴島宗!! 塵一つ残さず消え失せろ!!」
四方八方から放たれたのは、灼熱の業火を纏う巨大な炎の蛇、空気を劈き紫電を纏う雷の狼、そして無数の怨霊の念を固めた漆黒の刃。
炎が酸素を奪い、雷がオゾンを焦がし、怨霊の刃が空間を削り取る。現代日本における最高峰の攻撃呪術の雨が、怒涛の勢いで、逃げ場のない俺めがけて殺到する。
しかし、俺はスーツのポケットに片手を入れたまま一歩も動かず、ただ「ふぅ」と小さく、心底呆れたようなため息をついた。
「【暴風】」
ただのため息に乗せた、初歩的な極小の風魔法。
しかし、大賢者の莫大な魔力によって極限まで圧縮され、完璧な指向性を持たせたそれが生み出した暴風の壁は、迫り来る炎の蛇をロウソクの火のように瞬時に吹き消し、怨霊の刃を木端微塵に粉砕した。
「なっ……!?」
「我らの炎が……ため息一つで消えただと……!?」
「雷の術式は、少々眩しいですね。……パチンッ」
俺が呆然とする彼らの前で軽く指を鳴らし、【魔力散滅】を発動させる。すると、襲いかかってきた雷の狼は、ポンッと間の抜けた音を立てて無害な光の粒子となり、虚空へと霧散した。
「……さて。手荒な歓迎の余興は、これで終わりですか?」
静まり返った大広間に、俺の冷たく、絶対的な強者の余裕を孕んだ声だけが響き渡った。




