22プラスわん
マルティン王子にとって人生はゲームにすぎなかった。
とくに興味がそそられるのは、出会いと別れを楽しむ恋愛ゲーム。
王子という身分と生まれ持った美貌を駆使すれば、たいがいの女は苦もなく落ちる。
捨てる時も似たようなものだ。
芝居がかった憂い顔で、
「本当はあなたと結ばれたい、だが王族としての身分が許してくれないのだ……!」
などと言えばたいがいの女は泣く泣く引き下がってくれる。
引き下がらない『わがままな』女も、王家の権力の前には屈するしかない。
なかには愛をつらぬくなどと言って自殺した女も数名いたが、もう顔すら覚えていない。
終った恋をグズグズ言うような女など知ったことではない、過去はふり返らない主義だ。
マルティン王子はつねに今だけしか見ない。
今、この瞬間をいかに華麗に生きるか。
それだけだ。
女を次々と変えるのは花瓶の花を変えるのと同じ。
欲しいと思ったら取り寄せ、思いのままに活ける。
萎れてきたら捨てて、また新しいのを活ける。
そんな当たり前のことに文句を言う者たちは、なんというかセンスが無いのだろう。
もっと自由な心になって人生を楽しめばよいのに。
さて、今回の相手は久しぶりの大物。
聖都を救った伝説の聖女様のご登場だ。
なんでも騎士団長と一騎打ちして勝ったことがあるとか。
どんな筋肉ゴリラ女かと思えば、小柄で可憐な乙女であった。
ドレス姿の令嬢たちの中で、悪目立ちしている庶民的な安服。
キョロキョロとせわしなく動く落ち着きのない視線。
周囲の真似をしているだけのぎこちない礼法。
典型的な世間知らず。宝石の原石だ。
――これは、世の中というものを教えてあげなくてはなるまい。
王子の下半身に痛みにも似た衝動が芽生えた。
百戦錬磨の男として、女の鑑定眼には絶対の自信がある。
この田舎娘、磨けば天下に名だたる秘宝になる。間違いない。
だが至高の原石とて、下手な職人が細工しては台無しだ。
――私がこの原石を、自分色に磨いてあげなければいけない!
激しい欲望が炎となって燃え上がり、王子の情欲を焦がす。
だがあくまでも表面的には優雅に。爽やかに。
『結果』だけを求めるのは愚か者のすることだ。
過程を楽しむこともまた重要である。
まずは田舎娘にはもったいない極上の笑顔を与える。
「あなたが、紅瞳の聖女様ですね。
あなたにお会いできる日を、今か今かと待ち焦がれておりました」
そして跪き、手を取る。
その瞬間、聖女の後ろに立っていた貴族令嬢たちがざわめいた。
手の甲へキスをしようとしている。
これは尊敬、敬愛、または忠誠をしめす場合もある行為。
いずれにせよ王族が平民にやっていい事ではない。
だがだからこそいいのだ。
だからこそ効く。世間にも広まる。
この瞬間こそ、マルティン王子殿下プロデュース・聖女ユウキのシンデレラストーリー開幕の時だ――。
完璧に決まっている自分の姿を王子殿下は想像した。
あと五センチほどで彼の口は聖女の手の甲にとどく。
つづけて、このエメラルドの瞳で上目づかいに見つめれば、その瞬間に聖女の心は自分の者だ。
しかし王子殿下は知らなかった。知るよしもなかった。
この別荘に入る前からずっと、聖女の頭上で天使ぺネムが下品に笑い続けていたということを。
天使は人間の心を読めるということを。
「……うらやましいですなあ」
聖女から予想外の言葉をかけられて、マルティン王子の動きがピタっと止まった。
手の甲まであと一センチ。ギリギリのところで。
「えっ?」
あまりに予想外のひと言だった。
人からほめられるのは慣れている。当然だ、彼は特別な人間なのだから。
だがこの状況、この相手が、『うらやましい』とは一体どういう意味だ。
顔を上げると、聖女はあきれた顔をしていた。
「モニカ」
女の名前を聖女は言った。
意味が分からない。
この女は確かユウキとかいう妙な名前だったはずだ。
モニカではない。
「ジュリア」
また女の名前。なんなのだ一体。
「ナディア、ダニエラ、ニコレッタ、バレンティーナ、アメリア、ジョバンナ、シルビア」
ハッ、と王子は顔色を変えた。
聖女が並べている名前は、これまでに王子が捨ててきた女の名前だった。
それもご丁寧に、付き合った順に。
「ジュゼッピーナ、ミレーナ、ヴィルジニア、エレオノーラ、ラケーレ、セレナ」
まわりを囲んでいた男女もざわめきだした。
次々と出てくる女の名前、そして青ざめた王子の顔。
聖都一の色男として有名な彼だ。
何を意味するのか、気付いてしまった。
「ミコール」
ざわっ!
貴族令嬢たちがひときわ大きく騒ぎ出した・
そして自分たちの中に混ざっていた一人に視線が集まる。
ミコール・エレナ・ソルベリ男爵令嬢。
ミコールは、目に涙を浮かべながらマルティン王子のことを見つめている。
「殿下、これは、一体……?」
「い、いやこれは何かおかしい」
ざわつく中、聖女はまた一人女の名を告げる。
「レティツィア」
ヒィッ!
今度は悲鳴が上がった。
レティツィア・デル・トフォリ子爵令嬢。
昨日からさんざん勇輝を侮辱してくれた女だった。
「ピア、ロザンナ、インドレ」
いやもう出るわ出るわ。何人いったかわからない。
「………………」
勇輝の声が止まる。
ようやく終りかと皆が安堵した瞬間に、さらなる衝撃が襲いかかった。
「フェルディナンド」
『……は?』
女性陣の目が点になった。
あきらかに男の名である。
「おいお前ウソだろ!?」
男性陣の中から大声が。
見れば褐色肌の美青年が注目を集めている。
「えっフェルディナンド居たの!?」
勇輝も驚いていた。ずいぶん身近な相手に手を出したものだ。
いや手を出した者を身近においているのか?
どうでもいいや。
「ええいもう離せ!」
ヤリチン殿下、もといマルティン殿下が急に暴れ出した。
勇輝に握られた手を離そうともがく。
「オイオイオイ、そっちが触ってきたんでしょーよ」
「離せ!」
ブンブンブン!
妙にムキになる王子殿下。
まだ浮気相手がいるという証拠だ。
「ヨーゼフ」
この名を聞いて、フェルディナンド君が顔を真っ赤にして怒りだした。
「殿下! あの男とは何でもないと言っていたではありませんかッ!!」
「ちっ違う! この女はおかしいのだ!」
うん、なんだか知らないが複雑な事情があるようだ。
どうでもいい。
「あともう一匹いるんだよ」
勇輝がそう言うと、周囲が少し静かになる。
「ジャスミン」
その名を聞いて、男性陣は顔色を悪くした。
「殿下、ジャスミンって、殿下が飼ってる犬の名前じゃないっスか」
わんっ!!
庭から元気な犬の鳴き声がした。
自分を呼んでいると勘違いしたのだろう。
シーン…………。
ダンスホールはおそろしい静寂につつまれた。
「……気分がすぐれないので、下がらせていただく」
王子殿下はにげだした。
「殿下! まだ話は終わってませんよ!」
後ろをフェルディナンド君たちが追いかけていく。
勇輝たちは取り残されてしまった。
シーン…………。
ふたたびの静寂。
「えっとぉ……」
気まずい空気をほぐそうと、勇輝は冗談を言った。
「なんか、面白いことになってきましたね!」
「大変なことになったのよッ!!」
やっぱり皇女殿下に叱られてしまうのだった。





