6-2
放課後──
リリーとティナは街外れにある幽霊館を訪れた。
陽の光の下で見ると、館はいかにも廃墟然として荒廃しきっている。
錆び付いて傾きかけた鉄柵が風が吹くたびに揺れてキィキィと嫌な音を立てるのをやり過ごして、二人は草が伸び放題の中庭に足を踏み入れた。
「こ、ここって、女の子の幽霊が出るって噂があるとこですよね。ティナさん、こんなところに来たんですか?」
我ながら白々しいと思いながら、リリーは目当ての人形を探して草を掻き分けた。
リリー自身は「女の子の幽霊」の正体を知っている上、この館には毎晩のように通っている。
けれど、それをティナに知られるわけにはいかない。
「いえ。私じゃなくてランちゃんが……うぅ、やっぱりなんでもないですっ」
「……?」
少し離れたところで枯れ井戸の中を覗き込んでいたティナはぽつりと呟いた。
「……それに、幽霊じゃなくて、アモルさんとリリーさんが逢い引きしてるとこです……」
少女の声は風に掻き消されて、リリーの耳には届かなかった。
女子二人で探すには広い中庭で小さな人形を探し回って、そろそろ腰も痛くなってきた頃、二人は建物の裏手に回ることにした。
一日一日と、日照時間がだんだん短くなってきて、太陽は傾き始めている。
気の早い虫の鳴き声がそこかしこから聞こえてきた。
ティナの制服は土と泥だらけになっている。一緒にいるリリーも似たようなものだった。
リリーが持ってきた水筒から水をもらって、少女は一息ついた。
「……リリーさんって、いいひとですね」
「?」
「ランちゃんのこと、必死に探してくれていいひとです。……私、ちょっと誤解してました」
「……誤解、ですか?」
リリーは目を瞬いた。
誤解も何も、リリー自身は、自分のことを「いいひと」だと思ったことはない。
そういうのはダイスとかマクウェルとか、気のいい級友たちのための言葉だと思っている。
きょとんとしているリリーの様子に、ティナはくすくす笑った。
「リリーさんのこと、もっと近づきがたいひとだと思ってたんです。アモルさんとお似合いの才女で、二人とも、私なんか逆立ちしたって手の届かない雲の上のひとだって」
「……えぇ?」
……そんなふうに思われていたのか。
そういえば、初対面で握手を求められたことをリリーは思い出した。
でも、アモルはともかく、自分のことを雲の上だと思うひとがいるなんて夢にも思わない。
ティナは秋晴れの空を見ていた。夕暮れの前の、ひとときの輝きを。
「勝手にイメージを膨らませて、勝手に憧れて。もっと普通のひとだったらよかったのに。そしたら、私も想いを伝えられたのにって嫉妬して……でも、それって結局、ただ自分が傷付きたくなかっただけなんですよね……」
「……ティナさん……」
妙に大人びた淋しげな微笑みで言うのを見て、さすがのリリーも朧気ながら事情を悟った。
(この子、やっぱりアモル様のことが……?)
──そして。……確かに何か誤解されている、とも思った。
アモルとは一緒にワーグナーの屋敷で過ごした幼なじみで、エルバンス魔法学院に来てからも何かと一緒にいたり、黒魔術の研究を手伝ったりしている。
仲睦まじく見えるのもある意味、仕方ないのかもしれない。
が、それ以前に、主人と使用人という主従関係なのだ。
そのことを、学年の違うティナは知らない。
『何か勘違いしてませんか。私はアモル様の使用人です。使用人は雇い主に対して特別な感情は持ちません』
──そう言い放ってしまえばいいのに……。
「……」
そのことをティナの前で言うのは、なぜか、はばかられた。
胸の中のモヤモヤとした感情を、リリーは持て余した。
自分自身の気持ちが、よくわからない。
何か釈然としないものを抱えながら、館の裏庭を歩いていたとき──
風に乗って女の笑い声がした。
リリーとティナは、ゼンマイ仕掛けの人形よろしく、ぎくしゃくしながら歩みを止めた。
「リ、リリーさん。何ですか、今の。誰かいる……?」
「こんなところに、私たちの他にですか?」
「じゃ、じゃあ……まさか、ほ、ほんとに幽霊?」
「えぇ? まだ陽も暮れてないですしそんなことは……」
言いながら、リリーの声も半ば上擦っている。
なまじ、「女の子の幽霊」の正体を知っていると思っていただけに、今の笑い声に対する疑念が、どうしても膨れ上がってしまう。
(この館に来るのは、おらとアモル様しか……)
ごくり、と恐怖を飲み下して、リリーは踏み出した。
笑い声は、裏庭に張り出したテラスから聞こえていた。
かつて貴婦人たちが優雅な午後のお茶を愉しんだ装いそのままに、ガーデンテーブルで二人の人影が談笑している。
「え? あれって……」
ティナが目を疑って言いよどむ。リリーも同じものを見て──
「……え?」
──すべての思考が吹っ飛んだ。
「……アモル様……どうして、こんなところに……?」
けれど、それよりも衝撃的だったのは、一緒にいる少女の存在だった。
(なんで、ガブリエラなんかと笑ってるの……?)
リリーはこの目で見ていることが信じられずに立ち尽くした。
どす黒い感情が胸の中に渦巻いて息が詰まった。
どうしてガブリエラと一緒にいるのか。
学校を休んで、いったい今まで何をしていたのか。
……なんでそんなに楽しそうなのか。
ガブリエラの目配せにアモルが気付いて──……満面の笑みを向けた。
「リリー、来てたのか!」
「……アモル、様……?」
リリーはわけもなく立ちすくんだ。
リリーが知っているアモルは、いつもどこか薄暗い陰を帯びている少年だった。
幼い頃から魔法使いのさだめを背負い、世界の理不尽さを憂えて、それでも諦めない不屈の精神を持っている少年。
だが、それは常に微妙な平衡を保っているように、リリーには見えた。
親友のダイスやマクウェルたちとふざけているときでさえ、完全には拭い去れなかった苦悩と痛み。
今のアモルはすべての悩みから解放されたように晴れやかに笑っている。
「ここで逢えてよかった。聞いてくれ。ついに黒魔術が完成したんだ!」
「……え……?」
とっさにガブリエラとティナを窺った。
魔法使い協会が禁止している魔法はダイスとマクウェルにも言っていないのに……。
だが、アモルはそんなことすらどうでもいいと言わんばかりに笑っている。
「今夜がちょうど新月でよかったよ。これで異界から魔物を召喚することができる。母さんを殺した魔法使い協会に──この世界に復讐することができる」
「……何を。何を、言ってるんですか! アモル様……私たちはみんなの幸せを願って……そのために、魔法使い協会が禁止している魔法を……研究し、て」
──アモル様、私は。
今でも、貴方の夢を……覚えて……──
言い募るリリーに、アモルはただ不審な顔をしただけだった。
すみれ色の瞳が冷徹にリリーを突き放して、まるで駄々っ子に当たり前のことを言い聞かせるかのように、言った。
「──みんなが幸せになることなんかできない」
リリーは緋色の瞳を見開いた。
──それは、これまでの自分たちのすべてを否定する言葉だった。
アモルの口から一番聞きたくなかった台詞だった。
「リリーも黒魔術の完成を心待ちにしてただろう? ようやく叶うんだ、僕たちの悲願が!」
「……違っ! ……そんなの、望んでな……っ」
立っている地面が、足下から、崩れ去る気がした。
それまでテラスで傍観していたガブリエラが近づいてきて、アモルの手を引いた。
「──行きましょう、アモル様。時間の無駄だわ」
「……っ! 待って!」
アモルはガブリエラと親しげに腕をからめて歩み去っていく。
リリーは泣きながら追いすがった。
「アモル様、待って。行かないで……!」
「──危ない!」
「……っ!?」
ティナが押し倒してかばった直後、リリーが直前までいた場所に小さな雷鳴が爆ぜた。
魔法の遣い手はアモルでもガブリエラでもない。
二人ともそんな動作は微塵も見せなかった……。
「……何……?」
「リリーさん、あれ!」
ティナが指さした塀の上に、黒猫と魔術人形がいた。
リリーたちを威嚇するように振り向き、どこかに去っていく。
廃墟然としたツタのからまるテラスに、乾いた風が吹き荒れた。
アモルとガブリエラの姿はどこにもなく、ガーデンテーブルの上に、冷め切った紅茶の入ったカップがふたつ、むなしく置き去りにされている。
ティナと二人で取り残された裏庭に、リリーの身を切るような泣き声だけが響いた。




