6-1
『変えたいと思わないか? この狂った世界を。生き延びるために子どもを売ったり殺したりしなくてもいい、大勢のために数少ない魔法使いが犠牲にならなくてもいい、誰もが幸せになれる世界にするんだ。おまえみたいな子どもが泣かない世界に──僕たちの力で』
☆☆
目が覚めたとき、涙が一筋流れていた。
朝からひどくもの悲しい気持ちで、そのくせ、夢の内容は覚えていない。
胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
(子どもの頃の、大事な夢だった気がするけど……)
女子寮のベッドでしばらくぼーっとしてから、リリーは夢の残り香を振り切った。
いつものように魔法学院の制服に袖を通し、学校に行く支度を終えると、廊下に続く扉の前でふと、振り返った。
「あもる、行ってきまーす。……あもるー?」
黒猫の返事はない。
部屋のどこかでまだ寝ているのだろうか、とリリーは思った。
(……?)
ちょっと首を傾げながら、リリーは扉を閉めた。
夕飯時にはひょっこり顔を出すだろう、と思いながら。
そうして登校したリリーは、朝っぱらから教室の自分の机の周りにクラスメイトたちの人だかりができているのに出くわした。
何事だろうと不審に思いながら、人垣が避けた道を通って行き──
「……っ!?」
真っ赤に描き殴られた魔方陣を見て絶句した。
☆☆
「だーっ! 誰だよ、こんな地味な嫌がらせするのっっ」
「動物の血かねぇ。でも、あれだけの出血だと、鶏とかウサギとか、ある程度大きい動物じゃないと……」
「そんなことは聞いてないっ!」
巻き毛をかき乱して怒り心頭のダイスと冷静なマクウェルが賑やかに言い合う傍らで、リリーは校舎裏の井戸水で雑巾を洗っていた。
魔方陣の血を拭ったせいで、排水溝に深紅の小川ができている。
「あぁもう! リリーもなんか言ってやれ!」
「私ですか? ……えっと、」
雑巾をきゅっと絞って、リリーはちょっと考えた。
清涼な水のおかげで、頭は幾分冷えている。
絞り汁が地面に透明な滴を落として吸い込まれていった。
「まぁ確かに、最初はショックでしたけど……でも、よくよく考えてみれば、そんなに怒ることじゃないです」
「……へ?」
「教本を破られたりお弁当を隠されたりするよりよっぽどマシです。お腹が減ってひもじい思いをするわけじゃないし、何より後始末にお金がかかりません」
「……お金…………」
もっと大事なものがあるだろう、とダイスは思った。
プライドとか、心の傷付きとか、そういったもの。
眼が点になっているダイスの肩に手を置いて、マクウェルが吹き出した。
「リリーさんも言うようになったねぇ!」
「……ほんと。俺だったら嫌がらせする気も起きん……」
当の本人に勢いをそがれて、ダイスはがっくりときている。リリーはきょとんとした。
「え? 何ですか。なんで笑うんですか?」
「まぁまぁ、いいからいいから」
「ちょっ……あの、マクウェルさん?」
いまいち納得のいっていないリリーの背中を押して、ダイスとマクウェルは教室に向かう。
そのまま何事もない一日を送るのだと、思っていた。
☆☆
「──今日は、アモル・ワーグナーとガブリエラ・モンドは休みか……」
朝礼で教師が点呼をとる中、着席していたリリーはダイスとマクウェルにこっそり話しかけられた。
「……アモル、寝坊かな」
「リリーさん、何か聞いてる?」
「いえ。昨日は元気そうでしたけど……変ですね」
最後に会ったのは、深夜の館だった。
昨夜はアモルの方が研究に没頭していて、リリーの方が先に帰った。
だが、特にいつもと変わった様子はなかった気がする。
マクウェルも首を傾げた。
「アモルが休みなんてめずらしいね」
「放課後になっても来なかったら、俺らで寮の部屋行ってみようぜ」
リリーは男子寮には入れない。
心配だが、ダイスとマクウェルに任せることにした。
……この二人に任せておけば、大丈夫。
「アモル様のこと、よろしくお願いします」
リリーが頭を下げると、男子二人は気安く請け負った。
その日は時折、空っぽのアモルの席を眺めながら、心ここにあらずで授業を受けていたのだが、昼休みに珍客が訪れた。
金髪碧眼、人形のように小柄なティナ・ランドールである。
「アモルさん、お休みなんですか?」
「ええ。アモル様に何かご用ですか?」
「……いえ、用というほどじゃないんですけど……アモルさんなら何か知ってるかなぁって思って……」
「……?」
ごにょごにょと言いながら、どことなく落ち着かない様子できょろきょろしている。
その姿に、リリーはなんとなく違和感を覚えた。
少女とは初夏に話したきりで、爽やかな夏服だった制服は冬仕様に切り替わっている。
だが、そんなことよりも決定的な何かが変わっている気がした。
違和感の正体はすぐにわかった。
「……あの、すみません。ランちゃん見てないですか?」
「ランちゃん……って、あ。あの魔術人形?」
──少女が胸に抱いていた、ピンク色の人形がいないのだ。
学年が違ってほとんど会うことのない彼女の魔術人形の在処を、リリーが知るわけがない。
素直に知らないと伝えると、ティナは見るからに肩を落とした。
見ていてかわいそうなほどに憔悴している。
「私でよかったら一緒に探しますよ。どこか心当たりはありますか?」
リリーの申し出に、ティナの顔がぱっと輝いた。
次いで、なぜかためらうような素振りをして……結局は誘惑に負けたらしい。おずおずと切り出した。
「……実は……」
少女が告げた「心当たり」にリリーの眼が点になった。




