4.5-1
※今回のエピソードは、物語の進行によって、本編や番外編に組み込むかもしれません。ご了承ください(^^)
たとえるなら、剣士にとっての剣。農民にとっての鋤や鍬。
それと同じように、魔法使いにとって木札はなくてはならない存在だ。
木札には持ち主の魔力を増幅させ、一定の方向性を持たせる効果がある。
そうして空気中にある火・土・水・風の元素を集めて従えることで初めて魔法が発動する。
紋様として描かれるモチーフも太陽や月、星といった天体から身近な樹木や草花、想像上の動植物と多種多様で、その美しい装飾だけでひとつの学問体系になるほど奥が深い。
魔法装飾学は、エルバンス魔法学院に入学した生徒たちが始めに学ぶ科目のひとつである。
入学前から魔法使いの称号を得ているとはいえ、十二歳のアモル・ワーグナーも例外ではなかった。
「‥‥しまった。忘れた‥‥」
アモルは寮の部屋でぼやいた。
学校帰りの制服姿のまま。
魔法装飾学の模写課題で使うはずだった木札が鞄の中にないことを確かめて深いため息をついた。
(明日までに提出しないといけないのに……)
未練がましく鞄をひっくり返してみたが、課題に関係ない水晶玉がごろりと転がっただけだった。
必要な荷物を詰め直して、学院への道を渋々と引き返した。
魔法装飾学の授業自体は嫌いではない。
木札に描かれた紋様の種類や意味を知るのは面白いし、そのルーツを学ぶのも興味深いと思う。
嫌いではないのだが……、木札の模写を意味もなく教室の後ろに貼り出すという趣向は苦手だった。
みんな同じ紋様を模写しているというのに、あえて全員の作品を並べるということの意味がわからない。
どれも同じではないか、とげんなりしてしまう。
軽く息を弾ませて放課後の校舎に滑り込むと、昼間とは打って変わった静謐が無作法な靴音を響かせた。
ほんの少しの違和感を捉えて、アモルは玄関ホールで足を止めた。
傾きかけた日差しの中で、空気中の埃が幻想的に舞っている。
正面には、エルバンス魔法学院の誇る校訓が厳かな字体で掲げられている。
『エルバンス魔法学院へようこそ! ここは古今東西の叡智を結集した奇跡の学び舎。卒業すれば魔法使いに。優秀な者は魔法使い協会の上議員に。少年たちよ、驕るなかれ。少女たちよ、忘れるなかれ。我ら、偉大なる力の使徒。民のために我が身を捧げん』
無感動にその文字を眺めていると、ふと、その横のスペースに目がいった。
特に何が飾られているわけでもない──否。
むしろ何も飾られていないのが問題だった。
経年変化で色褪せた壁が、四角くぽっかりと真新しい跡をさらしている。
そこだけ古い壁を切り取って差し替えたようだった。
確か、元々は歴代の学院長たちの肖像画が飾られていたはずだ。
昼間はあったはずのそれがひとつ残らず取り払われている。
(……?)
首を傾げたが、気にすることでもないだろうと思って二階の美術教室に向かった。
置き忘れたはずの木札を取ろうと教室に入ろうとして、クラスメイトの少年に呼び止められた。
「あ、そこ入らない方がいいぜ。さっきまで釣鐘眼鏡の居残り授業だったみたいだからさ」
「……は? なんだそれ」
「あー……アモル、知らないんだ。……まぁ、優等生だし、関係ないか。史上最年少の魔法使い様だもんなぁ」
言葉の端々に潜む小さな棘に、はたして彼自身が気付いているのだろうか。
「俺も変なとばっちり食うのはごめんだし行くわ。じゃあな」
「……」
微かに感じた胸の疼きを見なかったことにして、アモルは扉に向き直った。
「……そんなこと言ったって、僕もここに用があるんだ」
ちょっと木札を取りに入るぐらい大丈夫だろう、と。
そんな甘い考えを、次の瞬間、後悔することになるとも知らずに。
「失礼しま──……っ! なんだ、この臭い!」
果物が腐ったようなすえた悪臭に、思わず後ずさる。
美術教室の中ではなぜか机や椅子が散乱していて、十人ほどの生徒たちが思い思いの姿勢で突っ伏したり大の字になったりして転がっている。
全員、苦しげにうんうん唸りながら、ぴくりとも動かない。
さながら合戦場跡というか……まるっきり地獄絵図だった。
(な、何があったんだよ。居残り授業やってたんじゃ?)
動揺しながら、微かに残る魔力の残滓を肌で感じる。
口元を押さえながら黒板を見て──不意に状況を理解した。
簡単な説明書きと、人体を循環する魔力の図解。
(そうか……魔力操作の演習か)
それも相当、スパルタな。
本来なら何年もかけて習得するはずの魔力操作を強行したのだろう。
魔法学院に入学を許可されたとはいえ、十代半ばの少年たちに課されるには厳しすぎる地獄の強化合宿だったに違いない。
指導教官がいたのなら、危険はないのだろうが……いったいどうしてこんなムチャを。
「校則破って教頭先生に怒られたんだよ……だから、やめとけって言ったんだ」
教室の隅で窓を開け放っている少年に、初めて気が付いた。
年は、十二歳のアモルより少し上。
長めの金髪を掻き上げた面差しは柔和で線が細く、おとなしめな印象を受ける。
「校則違反?」
「うん、そう。みんなで歴代の学院長先生たちの肖像画にヒゲとかマツゲとか描き足したんだって。一回やってみたかったって気持ちはわかるけどねぇ」
「……はぁ?」
正面玄関の壁が綺麗だったのは、それでか。
少年が教室の窓をすべて開けた頃には、充満していた臭いは大分薄らいで、息がしやすくなっていた。
居残り授業の憐れな犠牲者たちは相変わらず苦しげに唸っているものの、理由を知った今では同情する気にもならない。
さっさと忘れ物を取って帰ろうと思ったアモルだったが、教室を出ようとしたところで不意に足を止めた。
「……何してるんだ?」
見ると、さっきの少年が木札を構えている。
模写するために持って帰る……のでは、もちろんなく。
少年が唱えようとしているのは癒やしの魔法だった。
風属性の魔法の中でも初歩的で、けれど、決して単独使用に向いているとは言いがたい。
アモルから見ても、少年の魔力操作はぎこちない。
魔法が効果を現す前に本人が魔力切れを起こすのは目に見えていた。
──否、これが普通なのだろう。
エルバンス魔法学院には各地から魔法使いを目指す者たちが集まっていて、生徒たちのレベルも地元の養成所に比べれば格段に高い。
にもかかわらず、アモルは入学して数週間で、早くも自分に向けられる奇異の目に気付いていた。
『史上最年少の魔法使い様だもんな』
──あの言葉に潜む、嫉妬と羨望の棘。
クラスメイトたちとの間にある見えない壁を、淋しく思わないと言ったら嘘になる。
けれど、アモル自身にはどうしようもないことだった。
友達が欲しいとも思わない。
馴れ合うだけの関係など、必要ないのだから……。
「教官の監督もなく魔法を使うのは御法度だって教わらなかった?」
年上の──おそらくは上級生の少年に忠告するまでもなかったが、相手はイタズラが見つかった子どものように照れ笑いをして頬を掻いた。
「あはは、見なかったことにしてくれると嬉しいな」
「こいつらを癒やす前に君がぶっ倒れるだけだよ……それでも?」
どう考えても、共倒れになるだけの無意味な行為だった。
地獄の居残り授業を受けたのは本人たちの自業自得で、助けようとしている少年には何のメリットもない。
それでも、若葉を思わせる碧の瞳に迷いはなかった。
「倒れてるの、友達なんだ──それだけ」
気負いもなく言った少年の微笑みが、アモルの心でくすぶっていた霧を晴らすようだった。
難しい理論も理屈もなく、単純で純粋なたったひとつの動機。
自分でも気付かなかった深い想いに突き動かされて、アモルは自然と少年の木札に手を添えた。
「──手伝う」
少年がぎょっとして身を硬くした。
動揺を映して魔力の波動が乱れて渦巻いていく。
机の上にあったノートやペンが小刻みに震えて落ちた。
「えっ、待って。ダメだよ。君まで巻き込む……! それに、君こそ何のメリットもないじゃないか」
「理屈じゃないんだろ? ……僕もだ」
「……っ」
少年は少しの間迷ったように視線を泳がせて、やがて決意を宿した瞳でこっくりと頷いた。
アモルの口元に、自身も気付かない笑みが浮かんだ。
少年の詠唱に合わせて、自身の魔力も送り込む。
ぎこちない魔力の流れをゆっくりと修正し、本来の道筋に戻して整えていく。
二人の詠唱が重なった。
風の精霊に命ずる
安らぎの祝福で我を満たし
慈愛の口づけを我に授けよ
天翔る癒やしの羽衣で我を包み
安寧の眠りに誘わん
目も開けていられないほどの風が湧き起こり、ふわり、と身体が浮かび上がる感覚がした。
エメラルドブルーに輝く光の粒子が教室中を駆け抜けていくたび、死屍累々の体で倒れている生徒たちの呼吸が深く穏やかになっていく。
血の気の引いていた顔色に朱が差して、心地よい眠りに落ちたのがわかった。
対照的に──
「……っとと」
「うわ!」
アモルと少年はへたり込んで尻餅をついた。
魔法を使った影響で身体中の力が抜けている。
頬が火照って息が上がっていた。
「……ふぅ。なんとか成功したか」
どっと疲れたアモルだったが、傍らの少年は興奮も醒めやらぬ様子で瞳を輝かせている。
「すごーい! 僕、初めて魔法が成功したよ」
「初めて……でやろうとしてたのか!?」
成功率ゼロの魔法を。
魔力切れもいとわずに──友達のため。
ただ、それだけの理由で。
「……あんた、バカだろ……」
「えっ、それ君が言う? 通りがかりに魔法手伝っちゃうぐらいお人好しの君が?」
二人で疲労のにじんだ顔を見合わせた。
どちらからともなく笑い出す。
お互いにどうしようもないお人好しだ。
「……僕、時々思うんだ。ねぇ、僕たちはなんのために魔法なんてものを授かったんだろうね? 僕だけじゃ友達一人、思うように助けられない力を……」
少年が一人言のように呟いて、アモルはその横顔をまじまじと見た。
優しげな面差しに似合わぬ意志の強さを。
少年はアモルに見られていることに気付くと、ばつが悪そうに身じろぎして、また照れ隠しのように頬を掻いた。
「……ごめん。変なこと話しちゃった。忘れて」
「……いや。僕も同じことを思ってたから」
エルバンス魔法学院に入学してからではなく。
故郷の屋敷にいた頃から、ずっと……。
少年は意外そうに目を瞠って、それからすがすがしい笑みを浮かべた。
真正面からアモルの視線を受け止めて、冷たい孤独を溶かしていく春風のような微笑み。
「僕はマクウェル・ショーンズ──君の名前は?」
──のちに親友になる二人の、これが最初の出逢い。
(挿話──了。5章に続く)
キャラたちの進みたい方向がわかってきたので、遠からず第5章をお届けするつもりです。
物語も核心に迫ってきます。
これからもリリーやアモルたちをよろしくお願いします(^^)




