4-5
「あっははは! それで、アモルを張り倒して帰ったわけ!」
翌日、左頬に真っ赤な手形をつけた親友とむっつりした少女を心配して事情を訊いたダイスは盛大に笑い転げた。
昼休みの屋上である。
本来は立ち入り禁止のため、授業をサボりたい生徒たちの溜まり場になるのだが、今はダイスとリリーしかいない。
そのリリーはやけくそ気味に蒸し鶏のサラダをフォークでグサグサと刺していた。
ちなみに、事情を話すにあたって黒魔術の研究や幽霊館の件は伏せてある。
おそらく今頃、アモルの方はマクウェルが話を訊いてくれていることだろう。「リリーにいきなり怒られた」と話すアモルに、マクウェルは事情を飲み込めず首を傾げているに違いない。
自業自得だ。
「どうしてあんな鈍チンを好きになったのかしら。ティナさん、かわいそうに……」
不満げにフォークをくわえながら、あくまでも少女に同情するリリーである。
笑いが収まりきらないダイスはくつくつと肩を震わせた。
「──つっても、リリーがそこまで怒ることなくね? いや、確かにもらったお菓子を溶かしちゃったのはアモルが悪いんだけどさ、別にあげたのはリリーじゃないだろ?」
ダイスに指摘されて、リリーは鶏肉を喉に詰まらせかけた。
そういえば、どうしてこんなに怒っているのだろう?
ダイスの言うとおり、お菓子をダメにされたのはリリーではないのだ。
(……??)
首を傾げて考え込むリリーに、ダイスは苦笑した。
「……まぁ、理由はなんとなくわかるけどね……」
ぼそりと言う。
なんだか世話の焼ける雛鳥を二羽、見守っている気分になる。
学年が同じなのでいつもは忘れているが、リリーやアモルが年下の少年少女なのだと認識するのはこんなときだ。
「──で、これが例の『チョコレート』?」
「……の、なれの果てです」
ダイスが掲げた瓶を、リリーも怖々と覗き込む。
丸い物体だったお菓子はもはやトロトロした正体不明の液体と化している。
蓋を開けて、ダイスは感嘆に頬を緩めた。
「うぉ! 美味そうな匂い。なぁ、食っていい?」
「えぇ? 食べるんですか? や、やめた方が……」
そもそも謎の実験室と化した厨房で作られているのだが、ダイスの方はそんなこととは夢にも思わない。
指先で謎の液体をすくうと、嬉々として口に運んだ。
(あ、あぁ……食べちゃった)
顔を覆った指の間から、ダイスが美味しそうに液体を食べるのを見ていたリリーは、真実を永遠に封印することにした。
世の中、知らない方がいいこともある。
──が。
「うっ……!」
「ダ、ダイスさん? 大丈夫ですか?!」
ダイスが苦悶の表情を浮かべて胸元を押さえるのを見て狼狽えた。
やっぱり何か悪いものに当たったのか。
そもそも『チョコレート』自体、食べると鼻血が出るとか出ないとか聞いたような……。
「い、今誰か呼んできます! ダイスさんはここで……」
──待っていて、と焦って駆け出そうとした腕を強い力で引っ張られた。
どこにこんな力があったんだろうと思うぐらい。
リリーは屋上の床になすすべもなく倒れ込んだ。
「あ痛たた……な、何を……?」
「……行かないで……」
気が付けば、覆い被さるようにダイスが身体を乗せている。
柔らかそうな巻き毛の髪から滴り落ちる大粒の汗。
熱に浮かされたように潤んだ琥珀色の瞳がせつない光を宿してリリーを射抜いた。
「……ダ、ダイスさん? 様子がおかしい……きゃっ!」
火照った分厚い胸板に抱きすくめられて、リリーは息ができなくなった。
苦しくなるほどの汗の臭い。
けれど、不快な感じはなく、どちらのものかわからない早鐘の心臓の音をただ聞いた。
「……え……?」
「……胸が苦しいんだ、リリー。自分でもどうしたらいいのかわからない。こんな……」
少年の温かな息が耳にかかる。
リリーはビクリと肩を震わせた。
身体の芯がマグマのように熱くなる。
(へ、変だ……おら)
そもそも男の子に抱きすくめられた経験などない。
魔法の勉強はしてきたけど、こんな異常な事態を切り抜ける対処はまるで学んでいなかった。
たちまち目の回るような酩酊感に襲われた。
「……リリー……俺、前からおまえのことがずっと……」
ダイスの指がリリーの顎にかかった。
そのまま柔らかな唇と唇が触れそうになり──……
「──っ!! ごめんなさい!」
リリーのパンチが、ダイスの下あごをクリーンヒットした。
☆☆
屋上で小気味いいパンチの音が響き渡った頃──
アモルは半死半生の体で廊下をよろよろと歩いていた。
(……あ、危なかった……)
ついさっき、『チョコレートのなれの果て』を食べたマクウェルに迫られて必死に逃げ出したのだ。
着衣の乱れは断じて状況に流されたからではない。
むしろ抵抗した名誉の証といっていい。
誓って、身は潔白だった。
(本人は何やったか、全然覚えてないっていうんだものな……恐ろしい)
今後『チョコレート』を黒魔術の実験に使うのはやめよう……アモルは固く心に決めたのだった。
そのとき、数人の女子が階段を駆け降りてきた。
泣いている一人を他の女子生徒が追いかけていったようだ。
(……?)
大方、昼休みの屋上で片思いの相手に告白し、あえなく玉砕したといったところか。
アモルはそう結論づけて、あまり深くは考えなかった。
(どいつもこいつも青春してるな……)
そんなことを思いつつ、自分が「青春」した相手を考えて、げんなりするアモルだった。
☆☆
「ガブリエラ、待ってよ!」
「どこまで行くのよー。授業始まっちゃうよー?」
誰もいない校舎裏まで逃げて、ガブリエラはぼろぼろ泣いた。
押し殺した泣き声で思いつく限りの悪態をつく。
いつもは軽薄な取り巻き二人も軽々しく声をかけられずに立ち竦んだ。
春に編入してきたクラスメイトの行状は、近頃、特に目に余った。
名門のワーグナー家やグストフ家、ショーンズ家の男子たちが同情してくれるのをいいことに、どこで悪い遊びをしているのか、放課後もちょくちょく連れ出している。
それを改めさせようと嫌がらせをすれば、逆手に取って男子に媚びて、着替えを借りたりお昼をおごってもらったりする。
そして──……
ガブリエラは偶然、見てしまった。
誰もいない二人きりの屋上で、リリーとダイスが抱き合って愛を語り合っているのを。
「悔しい! 悔しい……! なんであの田舎娘なのよ! なんであいつばっかりいい思いをするの……!?」
「……ガブリエラ、あんた……」
内心、どうしてそこまで新入りに執着するのだろう、と思っていた取り巻きたちは胸を突かれた。
いきなり第五学年に編入する実力と、容姿も家柄も申し分ない友人たち──魔法使いの家の出身でもない卑しい生まれの娘が、自分たちが喉から手が出るほど望んでも手に入らないものをすべて手に入れているのが赦せなかった。
ガブリエラたちだって、何の努力もなく家柄だけで魔法学院にいるわけではない。
それなりに勉強し、一族の期待も担ってこの学院にいるのだ。
なのに、あの赤毛の少女は、そんなガブリエラたちを嘲笑うかのようにすべてを横からかっさらっていく。
魔法の実力も友情も──ほんのささやかな恋心さえも。
「見てなさいよ……このままで終わらせない! この学院に来たこと、心の底から後悔させてやる……!」
負け犬の遠吠えと知りながら、少女は血の滲むような決意で哄笑した。
血走った眼は、火あぶりで死んだという魔女のように爛々と狂気の光を湛えていた……。




